支部の手紙
王国伝道者のみなさん:
みなさんにこの号を,「王国奉仕」として紹介いたします。なぜ変える必要があったのですか。昨年夏の地域大会で学んだとおり,エホバの王国は,まさに実在している王,キリスト・イエスの治める,これまた,まさに実在している王国にほかならないからです。カトリックおよび新教の聖書翻訳に用いられている「御国」ということばはあいまいで,原語のヘブル語およびギリシア語の「王国」ということばの意味を表わすものではありません。それどころか,現実に王が統治しているという原義を不明瞭にするものです。今後,「王国」ということばを用いることによって,現に統治している王国に関する真理を,わたしたちの心臓に刻みつけることができるでしょう。
それとともに,わたしたちは,胸部にある文字どおりの心臓こそ,行動を促す欲求,動機,衝動の宿る所であるということを正しく認識しています。それで,「心」ということばも,やはりあいまいで,不明確ですが,「心臓」をぜひとも守らねばならないといえば,それがどこにあるかをまちがえることは,決してありません。(箴言 4:23,新)正しいことばを用いると,聖書がいかに意味深いものになるかを示す例として,「国」と「心」ということばを,それぞれ「王国」また「心臓」と置きかえて,歴代志略上 29章10-19節を通読してみてください。
わたしたちは,大いなるバビロンが用いてきた,神の目的をあいまいにすることばを,ぜひとも排除したいと思います。ですから,祈りをささげたり,集会で注解したりする際,どうぞ最新のことばを用いてください。会衆の書籍研究などで聖書や従来の出版物を読む場合,従来のことばを読むたびに,ちょっと間をおいて,最新のことばをそのあとに付け加えることもできるでしょう。同時に,祈りの際に出てくる「御在天の」といったたぐいの,世の宗教に見られる形式的な表現も避けたいものです。
イエスの初期の弟子たちは,神聖ぶることを避け,人々が日常,普通に使う意味深いことばを用いました。わたしたちもそうすべきでしょう。まちがった教理に基づく「洗礼」ということばのかわりに,「浸礼」もしくは「バプテスマ」を用いるのは,その一例です。「新世界訳」を日本語に翻訳する仕事が今行なわれていますが,それにつけても,『喜ばしい真実の正確なことば』を見いだす上での問題がことごとく解決されるよう,みなさんにも祈っていただきたいと思います。―伝道 12:10,新。箴言 25:11。
最近行なわれた新しい王国会館の献堂式についてお知らせするのは喜びです。清水会衆および横浜・南分会の王国会館の献堂式に,それぞれ86名また188名の人々が出席しました。では,わたしたちすべてが,キリストの治める,エホバの王国を引き続き,全心臓をこめて支持できますように。
東京支部事務所の,みなさんの兄弟より