道理や論理に訴える証言
1 「組織」の本の115ページには,「聖書の真理を人々に納得させるには,道理や論理に訴えねばならないかもしれません」とありますが,使徒 17:18-31にはパウロの論理的な証言が記録されています。
2 同様に,「仏教ですから結構です」という人に次のように話せるものです。「たしかに多くの方は先祖からの宗教として仏教をうけいれています。しかしよく考えてみると仏教も中国や朝鮮を経て日本に入って来た外国の宗教ですね! それまでわたしたちの先祖は,日本古来の神道を信じていました。しかし,わたしたちのある先祖は,今までの神道と新たに伝わってきた仏教の教えを比較して,仏教に改宗したわけです。そのような改宗がなかったら,今でもわたしたちは神道しか知らない民族となっていたのではないでしょうか。それでわたしたちは皆さんが世界中の人に親しまれている聖書の中から,有益な良いものをお調べになり,それをとりいれていただきたいと願っています。(テサロニケ第一 5:21を読んでもよい)」。
3 またわたしたちは真理を日々の生活にあてはめることにより,どれほど世の人々と違って,満足,平安,そして喜びを味わえるようになったかについて気づいているはずです。それらの点を活用する時,宗教に関心のない人々にも次のように証言できます。「聖書に関心をもたれなくても,あなたは愛情に富む母親になること,またお子さんについては親が誇れるような立派な大人に成長してほしいと願われませんか。ところがわたしたちの学校での勉強を思いだす時,良い婦人や母親また立派な父親にはどうしたらなれるか学ばれた経験があるでしょうか。(こうした経験は戦後ほとんどない。)わたしたちはいつの間にか大人になり,結婚し,子供をもつ親になりますが,夫婦間の問題や子供のしけや教育に関し,悩みをもったり,方法が分らないといったことが多いと思われませんか(家の人の考えをきく)」。それから,すぐれた教えや導きが聖書の中に見いだせることをエフェソス 5:28,29,33,また6:1,4を引用して説明できます。それで道理や論理に訴えるよう努力しましょう。