質問箱
● 研究生の進歩がそれほど順調でないように思われる場合,長老はその研究の継続または中止を決定できますか。
研究を継続すべきかどうか判断する最も良い立場にいるのは,ふつう研究生の個々の事情に通じている研究司会者です。「務め」の本の90-91ページにあるように,創造主に対する概念を持たず,聖書に接する機会に恵まれなかった人々が,聖書を「神の言葉として受け入れ」,『偶像から転じて生けるまことの神に仕える』ようになるまでには,長期間におよぶ聖書研究と司会者自身の忍耐や努力が必要とされます。―テサロニケ第一 2:13; 1:9。
報告によれば,1年近く聖書研究を行なってきたものの,期待された進歩が見られなかったとして研究の中止が勧められることがあるようです。しかし,事実は何を物語っていますか。二,三年またはそれ以上におよぶ辛抱強い,愛ある援助が与えられた結果,信者となった人々は非常に多くいるのです。そのような人々は,喜んで聖書や出版物を求め,研究に応じ,霊的な必要が満たされることを望んでいたのですから,単に研究期間が長いという理由で研究を中止したとすれば,それは早計であったでしょう。―マタイ 5:3。
それで司会者は研究を中止することを考える前に学び手の必要や事情に合わせて援助を改善する余地があるかを考えるべきです。司会方法を改善できますか。研究生の必要にかなう資料がありますか。例えば,神の存在やその愛を知らせる目的で「父を尋ね求めて」の小冊子や「人生」の本などを副読本として活用するのが効果的であると考える人もいることでしょう。もし教える技術を尽くし,適当な期間援助したのに研究生が明らかに誠実な動機を持たず,学んだ事柄に感謝を示さないのであれば,研究を続けるだけの理由があるか検討する時かもしれません。(使徒 19:8-10と比較してください。)他方,研究が長いというだけの理由で中止した人がいるなら,是非研究の再開に向け特別の努力を払ってください。
長老や巡回監督は,聖書研究の活動に関心を持ち,喜んで援助を与えますが,研究の継続について相談を受けた場合には,上記の考えを共に話し合い,最終的には司会者自身が判断するように勧めるべきです。