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  • わたしたちの王国宣教 1993
わたしたちの王国宣教 1993
宣 93/2 3–6ページ

未信者の家族を援助する

1 現在,日本ではクリスチャンの家族が比較的少なく,未信者の家族のいる姉妹たちが会衆の成員の大半を占めています。加えて,聖書研究生の多くは主婦であり,行動を起こすようになると家族や近所の人々から好意をもって受け入れられない場合が少なくありません。

2 聖書は世界中で最も広く読まれている書物であるにもかかわらず,なぜ人々は聖書を学ぶことを快く思わないのでしょうか。さらに,研究生が集会に出席するなど,行動を起こそうとすると,家族による反対が生じるのはどうしてなのでしょうか。家の伝統的な宗教になじまないことやエホバの証人に対する偏見ゆえに寛容な見方ができないといった理由が考えられます。さらに,これまで家族や親族など身近な人たちに限られていた愛情の対象がエホバ神やキリストに向けられて広げられるようになったことを知り,快く思わないのかもしれません。―ルカ 14:26。

3 しかしながら,家族の成員がそのような態度を取るからといって皆が反対者になるわけではありません。しかし中には,妻子が宗教の犠牲者になりはしまいかという不安や恐れがあったり,妻が内緒で聖書を学び始め,自分にそうした機会を与えなかったことに対する不満の気持ちを抱いたりする夫たちもいます。それで,新たに聖書を学び始めた人であれ未信者の夫を持つクリスチャンの妻であれ,聖書の教えこそ真の意味での幸福な家族生活の鍵であることを確信し,未信者の家族を助けるべく積極的な努力を払うよう決意を固める必要があります。

4 早い時期から積極的に努力する: 時折,残念な傾向として,聖書を学び始めたばかりの人の中には,自分が学んでいることを家族や友人に知られるのを恐れる人がいます。聖書の価値は認めているものの,未信者の家族や近所の人たちにどのように思われるかを心配してしまうのかもしれません。聖書を学んでいることについて話したところ,予想以上に反対され消極的になってしまう場合もあります。

5 では,この点で何ができるでしょうか。未信者の夫を持つ妻は,まず夫を真理に導こうとする真剣な願いを持つことが大切です。なりゆき任せにしたり,良い機会が訪れるのをただ待つだけでは良い結果は望めません。夫がクリスチャン会衆の仲間の成員たちを親しく知る機会を設けてください。夫を遠ざけないようにしましょう。そうするなら,夫が見捨てられているように感じて疎外感を持ったり組織に対する不安を抱いたりして反対することを防ぎ,安心感を抱かせるのに役立ちます。

6 研究司会者は,研究生が学び始めた時からこのことを認識し実践するように助ける必要があります。この点で研究司会者は自分の経験だけに頼らないようにすべきです。ある場合,研究司会者である姉妹自身,夫から厳しい反対を受けてつらい経験をしてきたかもしれません。こうしたことが影響して夫に語る点で研究生に消極的な見方を抱かせたり,過度に反対を意識し萎縮させてしまうとすれば残念なことです。協会の出版物に載せられている経験などを有効に活用し,良い結果を思いに留め積極的に努力するよう,早いうちから励ますことができます。

7 良い夫婦関係が築かれている場合には,極端な反対に至ることはまれです。妻として果たすべき役割が十分に果たされていなかったり,また夫に示すべき敬意や愛や感謝が欠けていたりするために聖書を学ぶことに反対する夫も少なくありません。また聖書を学ぶ以前から夫婦の絆が弱い場合もあります。それで研究司会者は研究生のこうした点に気づくなら,改善を図るよう早いうちから助ける必要があります。

8 夫婦および家族の絆を強める: たとえ宗教面での違いがあるとしても,聖書は現在の家族関係が引き続き神に受け入れられることを示しています。(コリント第一 7:12-16)そうであれば,夫婦の絆を強め,家族関係をより良いものとするようクリスチャンの妻は最善を尽くすべきではないでしょうか。温かで愛に結ばれた夫婦関係は夫が真理を受け入れる面での良い基礎となります。

9 とはいえ,儒教の影響を受けて形成されてきた日本の家族制度は,聖書の教えを実践しようとするクリスチャンの妻たちにとって時として障害となることがあります。家父長制度の下では,温かく思いやりを示す夫婦や家族の関係を築くことは困難なことでした。そうした影響のせいか,今なお父親の中には子供の教育について『多くを語らず背中(後ろ姿)を見て学べ』といった見方をする人もいます。また,女性は家事と子供の世話,男性は会社を中心とした生活圏がいつの間にか定着し,いわば別の世界で生活しているような家庭も見られます。そのため,家族が一緒に食事をしたり,夫婦や親子が楽しい語らいのひとときを持ったりしにくいという家族も少なくありません。

10 パウロはエフェソス 4章25節の中で,「わたしたちは肢体として互いのものだからです」と述べ,相互依存という基本的な原則を教えました。たとえ信じる道が異なっていたとしても,日常生活に関連した多くのことを一緒に協力して行なうことにより,夫婦関係をより緊密なものにしてゆくことができます。ある姉妹は,ニュースや聖書の原則に抵触しないテレビ番組を夫と共に見ながら機会をとらえては夫に解説してもらったり意見を聞いたりして,会話の習慣を築き意思の疎通を図ることに成功しました。さらに夫と共に散歩をしたり,時にはゴルフに付き合うなどして夫婦関係を改善した姉妹もいます。こうした時間を個人研究や野外奉仕にあてたほうがよいと考えるかもしれませんが,この種の時間の投資はやがて夫を妻の側に引き寄せ,ひいては真理に導く上で重要な働きをすることがあります。そのほか家族のレクリエーションを計画し家族の絆を強めることもできるでしょう。

11 姉妹たちの中には家族生活の在り方や夫,妻,そして子供の役割に関する聖書の原則を学んできてはいるものの,実際にそれらをどのように表わしたらよいかが分からないという人もいます。夫の同意が得られるなら,クリスチャンの夫婦や家族を招待し,親しい交わりを通して聖書の教えを実践している夫婦から多くを学ぶこともできます。また,会衆で野外での集会が計画される場合,未信者の夫を積極的に招待し,できるだけ多くの会衆の成員と知り合う機会とするのはよいことです。もし未信者の夫が聖書研究に応じるようになったなら,司会する側としては,未信者の夫の研究を司会する兄弟の妻も共に研究に参加するなど,できればクリスチャンの夫婦で援助することにより家族全体に健全な影響を及ぼすことができるでしょう。

12 未信者の家族に対するクリスチャンの妻の責任: クリスチャンの妻の主要な務めは,まずエホバへの崇拝を生活の中で高められた位置に置くことです。神への献身を日々全うすることに加え,夫を愛し夫に服すること,子供を愛し世話することも妻の別の主要な関心事となります。このようにする時,クリスチャンとしての妻の美しさが一層引き立ち魅力的なものとなるでしょう。

13 クリスチャンはだれであれエホバ神への崇拝を人に強制することはできません。なぜなら,人がエホバに仕えるかどうかは各自が決定すべきことだからです。とはいえ,家族の成員の中にキリスト教を実践するクリスチャンがいるなら,それは家族にとって極めて有利なことと言えます。多くの場合,人々は家を訪れる奉仕者からゆっくり話を聞くことが少なく,エホバの証人やその活動に対して誤った概念を持ちやすいものです。一方,未信者の家族には,信者である妻の生活態度を実際に見ることにより,エホバの証人の信条や宗教活動を自分で評価できるという利点があります。―ペテロ第一 3:1-4。

14 活動において平衡を保つ: 神権的な活動との平衡についても考慮しなければなりません。不必要に夫をいらだたせないよう夫の計画を配慮しますが,妻はフィリピ 1章10節にあるように,「より重要な事柄を見きわめる」必要があります。記念式,種々の大会,巡回監督の訪問,その他の特別な神権的な活動は家族の予定に優先されるべきでしょう。

15 クリスチャンの妻は野外奉仕と主婦としての聖書的な務めに平衡を取ることを学ぶ必要があります。ある未信者の夫は,妻が家事を十分に果たしておらず開拓奉仕にばかり力を入れていると一人の長老に不満を述べました。長老はその夫に対して,もしそれが事実であるとすれば奥さんが開拓奉仕を行なうのは問題となることを聖書から指摘し事実関係を確認しました。(テトス 2:4,5)夫は答えに窮しながら,多少の野外奉仕は認めてもよいが90時間は多すぎるのではないかと述べました。長老は,もし奥さんが家族の世話を十分に行なった上で地域社会の人々に感謝される宣教奉仕に参加しているのであれば,むしろこの種の自発的な活動を誇りに思ってもよいのではないかと夫に語りかけ,それから箴言 31章20節と27節を引用し,一般的な主婦の生活と比較させながら,奥さんの奉仕活動に対する理解を引き出すことに成功しました。

16 夫の立場を思いやる: わたしたちが研究生であったころ,研究司会者が同情心を働かせ,辛抱強くわたしたちを教えてくれたこと,さらにエホバ神がわたしたちに憐れみをかけてくださったことを忘れるべきではありません。夫が妻の信仰を寛容な態度で受け止めてくれているなら,妻も配偶者の宗教観や人生観を尊重すべきではないでしょうか。聖書の話を無理に押しつけたり,聖書の真理をあたかもむち棒のように振るったりせず,むしろ同情心を示すことを学ぶ必要があります。―コロサイ 3:12。

17 しかし,未信者の夫が妻の信仰について尋ねることがあるなら,クリスチャンの妻には自分の信じる事柄を正しく弁明する責任があります。(ペテロ第一 3:15,16)弁明に際しては,聖書に関する正確な知識と理解が必要であると同時に,真理を温和に語ることができなければなりません。ある研究生は,年老いた両親に自分がキリスト教を受け入れるようになったことを自分なりに弁明しました。その人はまず次のように推論しました。『両親が心の支えとしている宗教は,それを調べ納得した上で受け入れたのではなく,代々受け継がれてきたものに過ぎず,真理という基盤を持たない簡単に折れてしまうわらのようなものである。親の信仰の誤りを指摘して「わら」を折る代わりに,多くの人々を支えることのできる「わら束」のような聖書の教えの中から親の共感を呼ぶ積極的な面を取り上げて証言しよう』。この人はテモテ第一 5章1節から4節および8節を聖書から論じ,自分はこれまで以上に親を大切にしながら聖書の教えを守ってゆきたいと述べ,親の理解を得ることができました。

18 また,わたしたちの信仰の実践が盲信や狂信ではなく道理にかなったものであることを相手に理解してもらうことも大切です。(フィリピ 4:5)例えば,未信者の夫の中には妻の取る中立の立場に納得できず,エホバの証人は地域社会に何ら貢献しない反社会的なグループであると非難する人もいます。そのような場合,次のように論理的な証言を試みることができるでしょう。「政治家の中には,人々の生活の向上を図り,社会に貢献するために最善を尽くしたいという理想に燃える人がいます。一方エホバの証人は,有用で模範的な市民となるよう心がけると同時に,そうした生き方に倣うよう聖書教育を通して地域社会全体の向上に貢献します。したがって考え方によっては,世の政治家もエホバの証人も社会に貢献する面で同じことを行なっていると言えます。ただキリスト教の方法は政治家のそれとは異なっているだけです。エホバの証人は,全地を楽園に変えることのできる神の王国政府を心から信じ全面的に支持しています。選挙の際の投票については各自が自らの信念に基づき決定すべき事柄です」。このようにわたしたちの信仰の理由を問う人に道理に訴えて答えることができます。

19 一方,意見が対立して,話し合いが議論に発展してしまうような場合には,論戦において勝つ必要はありません。テモテ第二 2章24節にある,「主の奴隷は争う必要はありません」という聖書の教えに賢明に付き従うべきでしょう。

20 宗教的に分裂した家族における妻の立場: クリスチャンの妻がエホバ神の諭しに従って最善の努力を払っているにもかかわらず,未信者の夫が妻の宗教に対して寛容な見方ができず激しく反対する場合があります。しかしながら,個人の状況や境遇がどのようなものであるにせよ,妻は変わることのない聖書の原則を導きとして種々の問題に対処してゆかねばなりません。家族の頭の権は依然として夫にあり,クリスチャンの妻には服従の原則が関係してきます。―コリント第一 11:3。

21 例えば,未信者の夫が妻の集会への出席を快く思わずそれを阻止しようとするかもしれません。この場合,妻は夫の反対の理由が何かを考え,問題の対処方法について聖書や出版物を自分で調べることができます。次のように自問してみることができるかもしれません。頭の権に対する敬意が不足していないだろうか。あるいは,夫や家族に対する妻や母親としての責任の果たし方に問題があるだろうか。さらに,夫に感謝の気持ちや気遣いを示すというクリスチャンの特質が十分に発揮されていないのだろうか。クリスチャンの側に改善の必要な点があるなら,第一に夫のつまずきの元となっている事柄を取り除かなければなりません。

22 とはいえ,夫が妻の宗教を認めず個人に属する崇拝の権利を軽く見ているようであれば,自分にとってこれがいかに大切なものであるかを率直に話し合うことができます。(使徒 5:29)中には,週3回開かれる集会が多すぎるという人もいます。しかし,世の夫や妻は自分の好きなこと,例えば買い物や趣味,その他の社交的な事柄のためにしばしば家を空けることがあります。夫の働きに感謝しつつ,より良い妻や子供となるため集会から受ける益がどれほど大きなものであるかを穏やかに話し合うことができます。集会が終わったなら,早めに家路につき,帰宅している夫のために温かい関心を示すのはよいことです。

23 時々,子供の宗教教育に関して夫婦の間で論争が生じることがあります。妻が子供に宗教教育を施したり集会に連れて行ったりすることを夫が禁じる場合,妻は巧みに,子供を集会に伴う益について説明することができます。子供たちもまた,学校で受ける種々の不健全な影響力から自分を守るために集会がどれほど大きな助けとなっているかを自分で説明するなら,父親の理解が得られるかもしれません。

24 子供は夫あるいは妻の一方のものではなく夫婦の子供です。親権は両親が共同して行なうべきものである以上,母親は聖書の原則を機会をとらえて巧みに教え続けることができます。会話によってエホバへの愛と信仰を教え込むことができますし,道徳心や両親に対する敬意,従順,進んで働くことなど,教えることのできる事柄は数多くあります。母親として夫の頭の権に服することと子供たちに対する責任を果たすことのどちらを優先させるか,あるいはどのように平衡を取るかといった難しい状況下に置かれた場合,母親は種々の聖書の原則に照らしながら最終的な決定を下すことになります。しかし,たとえ自分の下した決定が,一見すると遠回りするようなものに思えたとしても,子供は母親が聖書の原則を堅く支持し,自分のために最善のことをしてくれたことを思い出し,成長してゆく過程の中で真の崇拝を擁護するようになる可能性が十分にあります。

25 未信者の夫による協力が得られないとしてもエホバ神に忠節に仕え,聖書に記されている原則に従いながら,クリスチャンとしての特質を立派に表わしてきた姉妹たちが今日大勢います。エホバはこのような妻や母親の努力を豊かに祝福され,わたしたちの会衆に男子の成員や多くの若者を加えてくださいました。それで,引き続き忠誠の道を歩み続けるなら,未信者の夫や家族がいつの日かその行状を見て真のキリスト教に引き寄せられるようになるという希望を抱くことができるでしょう。

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