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マタイ 注釈 9章

マタイ

注釈 9章

9:1

自分の町: カペルナウムのこと。この地域でのイエスの本拠地。(マタ 4:13。マル 2:1)この町からそう遠くない所に,イエスが育ったナザレ,水をぶどう酒に変えたカナ,やもめの息子を復活させたナイン,約5000人の男性に奇跡的に食事をさせ,目が見えない男性に視力を取り戻させたベツサイダ近辺が位置していた。

9:2

彼らの信仰を見て: 複数代名詞「彼ら」が使われていることから分かるように,イエスは体がまひした男性だけでなくそのグループ全員の信仰の大きさに注目した。

安心して: 直訳,「子供よ,勇気を出して」。イエスは愛情の表現として「子供よ」と言った。(テモ二 1:2,脚注。テト 1:4,脚注。フィレ 10)

9:5

どちらが簡単ですか: 罪を許せると言う方が簡単。それを実証する目に見える証拠はないから。しかし,起き上がって歩きなさいと言うには,罪を許す権威もあることを全ての人の目に明らかにする奇跡が必要だった。この記述とイザ 33:24は,病気を私たちの罪ある状態と結び付けている。

9:6

人の子: マタ 8:20の注釈を参照。

知るために―: ダッシュは,イエスが文の途中で言葉を止めた後,人々の前で男性を癒やすことによって自分の言ったことの真実さを証明したことを示している。

9:9

マタイ: マタ 書名と10:3の注釈を参照。

徴税所: または,「徴税小屋」。小さな建物かスタンドだったかもしれない。徴税人はそこに座って,輸出入品や国を通過する商売品に課される税を集めた。マタイの徴税所はカペルナウムかその近くにあった。

私の弟子になりなさい: マル 2:14の注釈を参照。

9:10

食事をして: マル 2:15の注釈を参照。

徴税人: マタ 5:46の注釈を参照。

罪人: 聖書によれば全ての人は罪人。(ロマ 3:23; 5:12)それで,ここではもっと限定的な意味で使われていて,罪を犯しているとの評判がある人を指していたと思われる。罪とは道徳的な罪や犯罪のことかもしれない。(ルカ 7:37-39; 19:7,8)また,この語はユダヤ人でない人を指して用いられた。パリサイ派の人たちは,ラビの伝承を守らないユダヤ人にも用いた。(ヨハ 9:16,24,25)

9:13

憐れみであって,犠牲ではない: イエスはホセ 6:6のこの言葉に2回言及している。(こことマタ 12:7)マタイは軽蔑された徴税人だったがイエスの親密な仲間になった。福音書筆者で唯一,この引用および憐れみに欠けた奴隷の例えを記録している。(マタ 18:21-35)マタイの福音書は,犠牲と共に憐れみが必要であるとイエスが繰り返し強調したことを際立たせている。

9:14

断食を行う: マタ 6:16の注釈を参照。

9:15

花婿の友人たち: 直訳,「婚礼の部屋の子たち」。結婚式の招待客,特に花婿の友人たちを表す慣用句。

9:16

縮んでいない布切れ: まだ洗っていない新しい布切れのこと。

9:17

ぶどう酒を……革袋に: 聖書時代,ぶどう酒を動物の革の袋に蓄えるのはよくあることだった。(サ一 16:20)革袋は羊やヤギなどの家畜の皮を丸ごと剝いで作った。古い革袋は硬くなって弾力を失うが,新しい革袋は伸びて膨らむので,新しいぶどう酒の発酵の過程で高まる圧力に耐えられる。用語集の「革袋」参照。

9:18

ある指導者: この「指導者」(ギリシャ語アルコーン)の名前はヤイロで,並行記述のマルコとルカに記されている。そこでは,会堂の役員と呼ばれている。(マル 5:22。ルカ 8:41)

敬意を表し: または,「ひざまずき」,「敬い」。マタ 8:2の注釈を参照。

9:20

出血: 慢性的な月経の出血と思われる。モーセの律法によれば,この女性はその症状のために儀式上汚れたものとなり,他の人に触れてはならなかった。(レビ 15:19-27)

9:22

安心して: 直訳,「娘よ,勇気を出して」。イエスが女性に直接「娘よ」と語り掛けたという記録に残る唯一の事例。配慮が必要な状況で,女性が「震え」ていたので,そう呼んだのかもしれない。(ルカ 8:47)愛情を示すこの表現は,女性の年齢を示す呼び掛けではなく,イエスの優しい気遣いをはっきり表すものだった。

9:24

死んだのではなく,眠っている: マル 5:39の注釈を参照。

9:27

ダビデの子: この人たちはイエスを「ダビデの子」と呼ぶことで,イエスがダビデの王座の継承者でメシアであるとの信仰を表明している。マタ 1:1,6の注釈を参照。

9:35

教え……伝え: マタ 4:23の注釈を参照。

良い知らせ: マタ 4:23の注釈を参照。

9:36

かわいそうに思った: この表現で使われているギリシャ語動詞スプランクニゾマイは「腸」を意味する語(スプランクナ)と関係があり,内奥の強い感情を指す。思いやりを表す極めて強いギリシャ語。

痛めつけられ: ここのギリシャ語は元々「皮を剝ぎ取られる」ことを意味し,野生動物によって皮を引き裂かれた羊,いばらやとがった岩の間をさまよって皮が裂けた羊のイメージを伝えている。比喩的に使われるようになり,「虐待される」,「悩まされる」,「傷つけられる」ことを意味する。

放り出され: ここでは,投げ捨てられて弱り切った無力な羊のイメージ。比喩的に,群衆が見過ごされ,打ちひしがれ,無力であるという考えを伝えている。

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