オスティアの町の会堂
写真に写っているのは,ローマの港町オスティアの会堂の遺跡。改装や改築がなされたが,もともと西暦1世紀の後半に会堂として建てられたと考えられている。会堂があったことから,ローマの近辺にユダヤ人が長い間住んでいたことが分かる。皇帝クラウディウスは西暦49年か50年ごろローマの町からユダヤ人を追放したが,その地域にユダヤ人の共同体が残っていた可能性がある。(使徒 18:1,2)西暦54年にクラウディウスが死んだ後,多くのユダヤ人がローマの町に戻った。パウロが西暦56年ごろにローマのクリスチャンに手紙を書いた時,会衆にはユダヤ人も異国人もいた。それで,パウロは両方の人たちに関係する事柄に注意を向け,どうすれば一致して暮らせるかを教えた。(ロマ 1:15,16)
1. ローマ
2. オスティア
クレジット:
Todd Bolen/BiblePlaces.com
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