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目ざめよ! 1970
目70 11/8 13–16ページ

わたしはかつて悪霊のとりこでした

フィジーの「目ざめよ!」通信員に話された経験

輪になってすわっている男たちの周囲を,暗い影が取り巻いていた。ココヤシの油を塗った,彼らのからだが,油のはいったランタンの薄暗い光に照らし出されるので,それとなく男たちの姿がわかる。場所は,フィジー島の,とある草ぶき屋根の家で,村の他の人家からかなり離れていた。男たちは,半分になったココヤシのからを互いに回して,各そのからから何ものかを飲んでいた。

夜がふけるまで行なわれたこの不思議な儀式は,いったいなんであろうか。時おり,ささげ物と祈祷がなされた。そして,男たちがみんなで飲んだのは何か。そこには,何か無気味な空気が漂っていた。集まりが秘密裏に行なわれたところから察すると,その男たちは良くないことをたくらんでいるらしかった。

式を司会しているように見えた老年の男は祈祷師で,その回りに集まっていた男たちは,死者の霊を崇拝する仲間たちであった。彼らの間で回された,四つの短い脚のついた木製の鉢は,全体が一つのココヤシから彫られたもので,その中にカワカワ酒がはいっていた。コショウ科に属するカワカワの木の根と茎を乾燥させ,ひいて粉にして水と混ぜるのである。カワカワの粉末を水と混ぜる間に,供え物が死者の霊にささげられた。次に,各人がそれを飲む時に,もくろまれた仕事をする各人に,力が授けられるよう,死者に祈りがささげられた。

彼らは確かに,一つの仕事をもくろんでいた。ある商店を襲って,手あたりしだい金品を奪おうとしていたのである。そして,そのために死者の霊の助けをこうていた。ついに,男たちが首尾よく店を襲えるという保証を得た,と祈祷師は彼らに告げた。しかし,まず,店主に魔法をかけねばならない。

その後,予定の時間に男たちは,所定の店を襲った。彼らが店の帳場の引き出しから現金を取り出し,たなからカン詰めや多量の服地,さらにはスチール製の金庫まで略奪している間,店主はその場にくぎづけにされたように突っ立ったまま,全く手出しができなかった。しかし,後日,盗品を所持しているところを警官に見つけられ,略奪者たちは逮捕された。つまり,彼らの企ては,ある点までは成功したが,法の懲罰をのがれることはできなかった。そこまでくると,「死者の霊」も彼らを助けることはできなかったのである。

霊者の崇拝

どうしてそんなに詳しくこの事件について知っているかですって。実は,わたしはかつてその男たちのひとりであり,年老いた祈祷師と言うのは,わたしの祖父だったからです。実際のところ,祖父は死ぬ前に,彼の持っていた秘術と魔法の力をわたしに譲り渡しました。わたしはその時までに,必要な見習い期間を終えていたのです。

長年,わたしも祈祷師として,霊者を崇拝する人々を指導してきました。わたしたちは,フィジー諸島を巡っては,魔術をたよりに盗みを働き,不正な手段で物品を得て生活をしました。そして,絶対に必要な時以外は,働きませんでした。しかし,たいていの場合,法の手が伸びて,わたしたちはつかまえられました。それは,うまくやったことをふいちょうしたり,盗品を所持しているところを見つけられたりしたためです。こうして,フィジー諸島にある六つの刑務所に入れられるはめにあい,わたしは悪名高い人物となりました。

たいへん奇妙なことですが,こうした事情にもかかわらず,わたしはキリスト教世界で勢力のある一宗派の会員でもありました。この点,先代の祈祷師であった,わたしの祖父と変わるところはありませんでした。彼が心霊術を行なっていることは広く知られていましたが,それでも教会では相当重んじられていました。教会の牧師が,フィジーで行なわれている死者の崇拝を非とするような発言をしたことは,ついぞなかったと記憶しています。それに,教会では,死者の魂は死後も生き続ける,と教えられていましたから,生計を立てるために死者の助けを求めるのは,たとえその方法が盗みであっても,どうして悪いことがあろうかと考えました。不完全な人間は,何もしないで,あるいはできるだけ楽をして,何かを得ようという考えに,とかく引きつけられるものです。同時に,祈祷師であったわたしは,それゆえに,土地の人々の間で良い地位と尊敬を得ており,そのことがわたしに優越感をいだかせて,魔法の力は良いものだとのわたしの信念を強くしたのです。

他方,明らかに不利な点もありました。わたしたちは絶えず,見えない霊者を恐れていました。霊者の力に関する秘術を授けられ,その力にいったん服すと,常にその霊者のほっすることを,いやがおうでもさせられました。そうしないなら,恐ろしい災難が自分個人に,あるいは家族の者に降りかかるのではないだろうか,とわたしたちは恐れたのです。そうした霊者とわたしたちの間には,愛などは少しも存在していませんでした。わたしたちがどれほど堕落しようが,それは霊者の意に介するところではなさそうでしたし,わたしたちはと言えば,不法で卑劣な目的を達成するため,喜んで霊者の力にたよりました。それに加えて,犯した罪のために捕えられはしないか,という恐れに終始つきまとわれていました。

満足をもたらす,もっと良い生き方はないものか,とわたしはしばしば考えました。わたしは,自分の生き方のむなしさに困惑し,幻滅を感じていました。しかし,どうしたら,それから抜け出せるのでしょう。

暴露された心霊術

そうしたある日,ひとりのエホバの証人がわたしを尋ねてきました。いろいろ話し合った結果,わたしたちの家で聖書の研究を1週に1回することになりました。わたしは今までに聞いたこともないような,多くの事柄を学びはじめました。たとえば,聖書にこうしるされているのを知りました。「死る者は何事をも知ず……その愛も悪もねたみもすでに消うせ(たり)」。(伝道 9:5,6)つまり,わたしたちの呼び出していた霊者は,わたしたちが愛していた故人ではなかったというわけです。では,それらの霊者はいったいだれだったのですか。まもなくわたしはそれが悪霊,つまり,さまざまな心霊術の背後の力となっている邪悪な霊者であることを知りました。聖書が次のような人々を非としていることに,キリスト教世界の教会は,ただの一度もわたしたちの注意を喚起しませんでした。「うらなひする者 邪法を行なふ者 まじなひする者 魔術を使ふ者 法印を結ぶ者 くちよせする者 かんなぎの業をなす者 死人にとふことをする者」― 申命 18:10-12。

心霊術を避けるよう,神はクリスチャンに対してきびしく命令しておられることをわたしは学びました。なぜなら,『肉のわざは…心霊術を行なうこと』および,それに関係したすべての崇拝の方式「[において]明白である」からです。―ガラテヤ 5:19,20,新。

苦しい戦い

今では,エホバの証人のクリスチャン奉仕者となったわたしは,悪霊崇拝だと認識できるようになったものを捨てました。そして永久に捨て去りたいと願っています。しかし,それは苦しい戦いでした。見えないところから聞こえてくる声が,聖書の研究をやめるよう執ようにわたしをそそのかしました。その声は,わたしが霊者の影響下にあった時に得た利得を思い起こさせました。また,霊者に仕えることをやめるなら,わたしはつらい生活をし,家族を養うことさえおぼつかなくなるであろう,と言っておどしました。

しかし,わたしが経験してきた不安や悩みについて,その悪霊の声は何一つ触れませんでした。

しかし,エホバの民との研究を通して,何をすべきかをわたしは学びました。わたしは,祈りをささげてエホバを呼び求めました。聖書を定期的に読み,近くにあった,エホバの証人の会衆とできるだけひんぱんに交わりました。わたしが屈せずに耐えれば耐えるほど,その声は少しずつ弱まり,ついには全く聞こえなくなりました。

悪霊は次に,別の方法を用いてわたしを惑わそうとしました。わたしの村に住むふたりの老齢の男が,魔術を行なう儀式の司会をするよう,わたしに依頼にきました。家を建てるための材料がほしかったのです。一般的にフィジー人は親切で同情心に富んでいますから,困っている人のためにできることならなんでもします。もし,聖書の原則がわたしの思いと心臓の中に深く根を降ろしていなかったなら,隣人を助けるために今回一度だけ心霊術を行なっても別に害はない,というような考えをわたしは持ったかもしれません。しかし,わたしは妥協しようとはしませんでした。そして,それはできない,と彼らに告げました。

確信のないキリスト教世界

そうしているうちに,長年,悪霊崇拝を容認してきたキリスト教世界の代表者たちが,キリスト教が奉じられているはずのこれらの島々で,僧職者よりも祈祷師のほうが強力な影響を及ぼしている事態を憂慮していることを明らかにしはじめました。ある教団は,魔術が教会に対してどれほどの対抗力を持っているかを調査するため,特別委員会を設置しました。その委員のひとりである,メソジスト教会の医師の調べたところによると,祈祷師の数は増加しているとのことです。フィジーから最終的には魔術がすたれると思うか,という質問に対して,その医師はこう答えました。「いいえ,とてもそうは思えません。かえって盛んになっていると思います。いずれにせよ,それを十分に調査するまでは,すたれてもらいたくないものですね。わたしたちの持っている問題の幾つかに,答えを提供してくれるのではないかと思います」。

メソジスト派のこの医師はこうも述べています。「科学の法則のどれからみても,こうした事柄[彼がみずから目撃した,霊の及ぼす力の実例]は起こるはずのないものです。しかし,自分の目で見た証拠を拒否するわけにはいきません。いったい,どう説明すればよいのでしょうか」。このことから明らかなように,それら調査員たちは,彼らの問題の導きを聖書に求めるのではなく,偽りを語る悪霊から何かを学ぶ用意があるというのです。

解放される喜び

諸国民を支配するサタンの体制の悪らつな見えない力から解放されたわたしは,なんと幸福なのでしょう。エホバの証人に助けられたおかげで,聖書の助言はわたしにとって生きたものとなりました。エペソ書 4章28節の助言はその一つです。「盗する者は今よりのち盗すな,むしろ貧しき者に分け与へ得るために手づから働きて善き業をなせ」。人を変える聖書の知識の力によって,わたしは今では,正直で熱心な働き者,つまり,真のクリスチャンが行なうべきことを実践している者としての評判を得ています。

わたしは,心霊術から完全に離れられたことを,エホバ神とその御子,キリスト・イエスに感謝しています。フィジーの仲間が,悪霊崇拝の正体を認識し,その束縛からのがれるよう,わたしは神の助けを借りながら忙しく援助のわざに携わっています。神の天の王国の下における永遠の命に導くのは,悪霊の崇拝ではなく,聖書の知識です。その王国の正義の支配下にとどまることによって,人々は邪悪な霊者の束縛から解放されるでしょう。それどころか,彼らは,正義の神エホバに仕える,喜びに満ちたしもべになるでしょう。

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