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目ざめよ! 1971
目71 9/8 9–12ページ

色は光から

あなたはまっ暗なへやの中を歩き回わってみたことがあるだろうか。または,いつもする仕事を目をかたく閉じたままでしてみたことがあるだろうか。それはとてもこわいことだったかもしれない。光を見るとほんとうに救われた感じがする。霊感による聖書のことばはまさしく真実である。「それ光明は快き者なり 目に日を見るは楽し」― 伝道 11:7。

太陽はわたしたちの光の主要な源である。毎日,1秒ごとに400万トンの物質をエネルギーに変え,これをその表面から秒速約30万㌔で八方に放射する。しかしこれらの放射物の性質はどんなものなのだろう。そのおかげで視覚を得ることができるのはなぜか。またこれらの放射物が,種々さまざまの色を見ることを可能にするのはどういうわけだろうか。

太陽が放出するもの

太陽の放射物は「電磁エネルギー」または「輻射線」とよばれる。この放射線はしばしば小さな粒子の流れとして見られる。しかし同時に波動とも見られる。この対立しているかに思える見解について,ウォルター・J・ムーア教授は,「このように,光がひとつの額縁にきれいにおさまろうとしてくれないことが,自然科学を最も悩ましてきた問題のひとつである」と言っている。

光をも含めてすべての輻射線は太陽から同じ速度で放射されるが,それらは同一ではなく,いろいろな種類がある。波長が非常に長く,マイル単位ではかりうる輻射線もある。また,波長が非常に短く,1インチの何百万分の1とか何十億分の1といった単位ではかる輻射線もある。

波長の長いほうの輻射線には,熱波や非常に長い電磁波などがある。また太陽から放射される,より短い波長をもつ輻射線の中には,紫外線,X線,ガンマ線,そして非常に短い宇宙線などがある。しかしこれらはみな人間の目に見えない。だから不可視光線とよばれることがある。しかし,長い熱波と短い紫外波との間に,目に見える波長の非常に細い帯がある。したがって,わたしたちが見るのは,宇宙線から電磁波および電流にいたるまでの波長の中で,広いスペクトルのまんなかにある細い帯の部分にすぎない。

地球に達する輻射線

太陽が地球に向けて放射する輻射線がみなここまで達するわけではない。これは地球の大気が楯のような働きをするためである。したがって地球に達するのは本来,可視光線の波長と限られた範囲の不可視波である。わたしたちの大気がほとんどの不可視光線を食い止めてくれるのはたいへんありがたいことである。というのは,もしそれが地球にまで達するようなことになれば,わたしたちはみんな死んでしまうからだ。

他方,可視光線がこのように豊富に地球に注がれるのもありがたいことである。植物は光のエネルギーを捕えてこれを利用し,炭酸ガスと水とをすべての食物の基礎である単糖に変える。この光のエネルギーがなければ,植物の生長は不可能であり,地上には何も住むことができない。

色を与える波長

しかし光はさらに多くのものをわたしたちに与える。光は豪華な色と美を与えてくれる。非常にすばらしいのは,光や種々の色を与える可視光線の波長の範囲がごく狭いことである。これらの波の長さは,わたしたちの目が赤として認める,波頭から波頭までが1インチの100万分の32のものから,紫色として見る,1インチの100万分の16のものまでにすぎない。

そうした光線は光と同じ速度で進むのであるから,わたしたちの目に映る波長の数は1秒間に375兆から750兆の間である。この振動を人間の視覚系統が光として捕えるのであり,色はその振動数に対応する。

光の無数の色

光は種々の異なる色で構成されている,というと不思議に聞こえるだろうか。光はすべて白色だと考えておられたであろうか。すべての可視光線の波長がいっしょになって進むために,光はふつうわたしたちの目には白く映る。しかし波長を分けると,それぞれの色を見ることができる。

いつかこの点を次のようにして確かめてみるとよい。蓄音機のLPレコードを光の方向に当てて細いみぞのある表面を見ていると,光が回折して種々の色が見られる。あるいは雨あがりに空気中の水の微滴が,太陽の光を基礎色 ― 紫,青,緑,黄,だいだい,赤 ― に分離し,美しいにじをつくっているのを見たことがあるかもしれない。

しかし,光はわずかこれだけの色にしか分けられないというのではない。実際には光は何万もの異なる波長に分けられ,各波長は異なる明度の基本色をつくる。しかしもし波長が類似しすぎていれば,肉眼はひとつの波と他の波とを見分けることはできない。

研究によって明らかにされたところによると,人間の目は可視光線の中の異なる明度の色を128種ほど識別することができる。しかしこれだけ多くの色を見分けるためには,スクリーンにひとつの光の波長を投写し,そしてそれを消さないうちに,別のわずかに違う波長を並べて投写しなければならない。このように視覚的に比較することによってのみ,目は可視光線の中の異なる色を100以上見分けることができる。

すべての色の源

紙面からちょっと目を離して,本だなでも,机でも,または床でもよい,あなたの周囲にある何かをよく見てみよう。まったく種々さまざまの色があるのは驚ろくべきことではないだろうか。それにしてもこれらの色はどこからくるのだろう。

色は机や床の中にあるわけではない。また,目に映る何にせよ,その中に色が内在するわけでもない。なるほどわたしたちは,そうした物がこれこれの色をしている,と言うかもしれない。しかし実際にはわたしたちは色のある物の世界に住んでいるのではない。物の色は,実際にはそれらの物の上に輝く光の中にある。光は色の唯一の源である。光がなければ,ほんのかすかな色さえ存在しない。

光を見ること

しかしわたしたちが,無数の色の波長をもつ光を見ることができるのはどういうわけだろうか。

空間を進むときの光を見ることはできない。それは電磁波その他の輻射線が見えないのと同じである。光を目に見えるようにするのは,光を受ける物体である。

たとえば,もしわたしたちがちりの粒子あるいは空気のないへやにいるとしたら,たとえ懐中電燈をつけても,それから出る光束または光道を見ることはできない。真空内の光束はほとんど見えない。だから宇宙飛行士が窓の外を見たとき,明るく輝く太陽は見えたが,空はまっ暗だった。まっ暗というのは光もしくは色がないことである。宇宙空間には太陽の光を受ける物体がないから,太陽は空を照らさないのである。光が何か物に当たり,その物がその波を目に反射するとき,わたしたちははじめて光を見ることができるのである。

では,何が原因である物は特定の色に見えるのだろう。なぜ大部分の植物と木は緑で,空は青いのだろう。またなぜ空は,夕方になると地平線の近くで濃いだいだい色になったり赤くなったりすることがあるのだろう。

空の中で色をつくりだす

わたしたちの空は空気や,水蒸気,ちりなどの小さな粒子で満ちている。大気が楯となってわたしたちを致命的な放射線から保護してくれることはさきほど述べたが,これは巨大な鏡のようにそのような放射線の大部分を空間にはね返してしまうのである。だが光はこの楯を透過する。しかし透過するさいにその波の多くは空気の粒子によって散乱させられる。これらの粒子の大きさの性質上,より短い青の波は他よりもはるかに多く散乱する。空が青いのはそのためである。

しかし,太陽が地平線の近くにあるときは,ちがった現象の生まれることがある。ちりの多い大気中に入射する太陽光線の角度が水平に近ければ近いだけ,光のより長い波が散乱する傾向があって,そのために空は濃いだいだい色や赤色を帯びる。1883年,クラカタウ島が大噴火してちりを地球の大空中にまきちらしたあと,世界は一連のすばらしく美しい日の出と日没を楽しんだ。

大部分の色がつくり出される方法

しかしながら,光の特定の波長の散乱は色をつくり出す主要な方法ではない。ほとんどの物体は光の特定の波長を吸収し,他の波長を反射する結果として色を得る。

たとえば,ほとんどの植物と樹木は緑色である。それは葉緑素の中の色素の分子の特別なしくみのためである。太陽光線が葉緑素に当たると,短いほうの紫と青の光の波の大部分は吸収され,長いほうの波も大部分吸収される。植物や樹木はこれらの波長を食物の生産に用いる。しかし,おもに緑の光の波は反射される。植物や樹木が緑色にみえるのはそのためである。

ペンキ,染料,インクなど,人間がつくった物の色も同じ方法でつくりだされる。それらの物の色素の分子は特定の波長を吸収する。あるいは光の細い帯のある部分を引き去る,といってもよい。そして吸収されない,または引き去られない部分を反射させる。したがって,わたしたちが目にするほとんどの物体に色を与えるのは,反射した波長の混合すなわち吸収されない光の色が全部まじったものである。

赤いドレスが赤いのは,染料が他の波長を吸収もしくは引き去って,赤い光を反射するからである。アスファルトが黒いのは,その色素の分子がすべての波長を吸収し,そのどれをもほとんど反射しないからである。他方,ある物体が光の色を全部一様に反射するとき,それらはいっしょになって白を呈するので,わたしたちはその物体を白と見る。

色素は実際にはあらゆる色の波長を少なくともいくらかは反射する。理論的には,二つの色がおのおのひとつだけの波長を反射すれば,それらを混ぜると結果は黒になる。ところが実際にはそうでないから,青のペンキと黄色のペンキを混ぜると緑色のペンキが得られる。これは青のペンキも緑色の光を反射し,黄色のペンキも緑色の光を反射するからである。それでこの二つが混ぜ合わされると,青い光は黄色の色素に吸収され,黄色の光は青い色素によって吸収される。あとに残って反射されるのは両方に共通の緑の光ということで,緑のペンキができるわけだ。

わたしたちの周囲にあるいろんな物から反射された光の混合が生み出す多様さは想像を絶するものがある。どの波長でも完全に吸収されることはないから,わたしたちは自分の周囲に種々の色で美しく装った世界を見るのである。推定によると,1,000万種の色がある。

ある物体の色の要素の一つとなっているものに,その物体が光をどのように吸収し反射するかに加えて,光そのものの性質がある。太陽光線のエネルギーはすべての色に平均に分配されているが,人工光線の場合はそうでない。商店でよく使われる螢光灯は青い光が強い。しかし白熱灯の電球は青い波長が欠けているので,黄色っぽい光を出す。このことは買い物に影響を与える。

たとえば,螢光灯を使っている店で赤いドレスを買うとしよう。ところが,太陽の光の中に出たとき,そのドレスが実際には思ったよりずっと赤いので驚くことがある。なぜかというと,螢光灯は青い光が強く,十分の量の赤い波長を出さないために,ドレスが赤を反射しないからである。白熱光の電球を使っている店で,黒のスーツと思って買ったものが,太陽の光の中に出ると青だったりする。店内では白熱灯が青の波長を出さず,またそのスーツが他の波長を全部吸収したために,それは黒に見えたのである。

他の方法による色

色がつくられるもうひとつの重要な方法がある。それは物体の表面構造による。生物が発揮する非常に美しいさまざまな色の多くは,彼らのからだが光をその構成波に分けた結果である。

たとえば,上から見ると金属質の青色に見え,羽根の表面に沿って見ると深紅色に見えるチョウチョウのことを考えてみよう。この二つの異なる色は,細いみぞのある羽根の表面が光を回折させるその仕方によってつくりだされる。これは実験によって証明できる。柔らかいワックスを青い羽根に押しつける。するとワックスはチョウチョの色になる。しかしワックスの表面をなめらかにすると,色は消えてしまう。

たしかに光は多くの良いものをわたしたちに与えてくれる。命そのものが,地球にふりそそぐ太陽からの放射物に依存している。しかしわたしたちは光からなんとすばらしいボーナスとも言うべきものを得ているのだろう。つまり,それは無数の豪華な色である。こうした祝福をわたしたちはだれに感謝すべきだろうか。偉大な創造者に感謝すべきであることはいうまでもない。「日を与えて……光となした」エホバに感謝しよう。―エレミヤ 31:35。

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