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目ざめよ! 1971
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抑制は良いもの,それとも悪いもの?

抑制とはなんですか。このことばは,種々の事柄を表わすのに用いられます。一番ふつうに使われる場合の抑制は,人の自由な表現をけん制する内的力,考え,習慣,もしくは態度です。また,自己の信念に反する行為をきらう気持ち,とも言われています。

今日,人ずれした,この世的にかしこい人たちは,道徳的拘束という形の抑制をもつ者を時代おくれの人間と考えます。この点,多くの若者は,なんの抑制も持ち合わせていないようです。『おもしろく暮そう! 思いのままにふるまえ!』というのが彼らの生き方です。ですから,そうした若者の衣装や外見,不敬でみだらなことば,また彼らが携わるあらゆる種類の暴力行為は抑制の欠如をあらわに示しています。

抑制はすべて良いものと言えないのは確かです。なかには,無知,迷信,宗教的伝説,虚偽などに基づく抑制もあります。それらが,多くの人々に,抑制をことごとくかなぐり捨てさせた大きな原因であることは疑いのないところです。

また,ある事柄で抑制しすぎるということもあります。そういう人は,もし表現すれば,他の人たちにも自分にも喜びとなる,健全で自然な感情や感傷,衝動を自分から進んで表わそうとしません。たとえば,ある人は,まちがったことを言うのを恐れて,クリスチャンの集会で注解しようとしないかもしれません。それは物事を気にする,内向的な性格のためか,または,自分を過大評価するためという場合さえあります。

動物のあいだには,抑制というものは存在しません。動物は自然の衝動,つまり本能に従うにすぎません。人間とはなぜそれほど違うのでしょうか。人間にはなぜ抑制が必要なのでしょうか。

この種の質問に対する,神と創造を度外視した答えは,単なる憶測になりがちです。一方,聖書は,思いと心を満足させる答えを与えてくれます。聖書の示すところによると,人間だけが神のかたちに創造され,正邪を区別する能力と理性をもっています。そもそも人間には,神の律法に従えば永遠に生きられる,という可能性が差しのべられていました。しかしそむくならば,命を失うことになっていました。―創世 1:26-28; 2:16,17。

人間の最初の両親は不服従を選びました。彼らは利己的な道に従い,その結果,不完全,罪そして死という罰を刈り取りました。(創世 3:1-19)そうすることによって彼らは,自分自身のみならず,子孫にまで罪と死をもたらしました。聖書が,「それ一人の人によりて罪は世に入り,また罪によりて死は世に入り」と述べるとおりです。(ロマ 5:12)その結果,「人の心のはかるところその幼少時よりして悪かればなり」という事態が生じました。―創世 8:21。

したがってわたしたちは,悪事をいましめる抑制力を弱める傾向のあるものはすべて避けねばなりません。何が抑制力をとかく弱めるものとなるか,一科学雑誌(「科学アメリカ」)はかつて次のように述べたことがあります。「ウィスキーを二,三オンス飲むと,脳の最高部の平らな部位 ― 抑制,拘束,判断の中枢機能が低下する。この段階で飲酒家は,…衝動に促されるまま,私的また社会的に無礼なことをする。…そういう人は明らかに自己批判力を鈍らせてしまっている」。(傍線は本誌)もしアルコールの過剰使用でそういう状態になるなら,他の麻薬で身心をさいなむのはどうでしょう。これは多くの場合,肉体の病気,精神的破たん,性的欲求不満,倒錯そして自殺をさえ招きかねません。

なかでも,人の正しい抑制力を弱めるものは,好色文書を読んだり,みだらな演芸を見たりすることです。それはなぜですか。その種のものを見聞きすれば,良心が麻ひするからです。悪い友だちをもつことも,同じような結果をもたらすおそれがあります。「なんぢら欺かるな,悪しき交際は善き風儀を害ふ」のです。―コリント前 15:33。

一方,正しく植えつけられた自制,悪を行なわないように自分を抑制する力は,ほんとうに自分自身を益するものになります。それは人に自信と落ち着きを与えます。そういう人は,淫行や姦淫を行なう者ではないので,感情的にいじけません。かえって,異性に対して純粋の敬意をいだくようになります。なにもかも混同してしまうのは,淫行や姦淫を行なう,抑制力の欠けた人たちです。同様に,真に賢明なのは,飲酒において自制できる人です。そういう人は,けんかをしたり,あくたいをついたり,だらしないかっこうをしたり,自分や他人をうとんじるようなことをせず,まして飲酒の終点であるアルコール中毒にかかるようなことはありません。こうして見ると,抑制は,紳士,淑女,そして人を敬う健全な青年をつくるのにあずかって力があります。―箴言 23:26-35。

なかでもわたしたちの抑制力を強化するのは,「エホバを畏るる」こと,すなわちエホバの不興を買うことや,エホバの怒りをひき起こすことへの恐れです。それで,「エホバを畏るることは悪を憎むことなり,我は傲慢と驕奢悪しき道と虚偽の口とを憎む」としるされています。―箴言 8:13。

わたしたちが正しいことを行ない,悪に向かう傾向を抑制するのをさらに援助するため,創造者は助けを与えてくださいました。『心と,魂と,思いと,力をつくして,神を愛しなさい。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい』という二つの大きな戒めなどがそれです。自分自身のように隣人を愛するということは,自分が相手にしてほしいと望むように,自分も人に対してそのようにすることを意味します。―マルコ 12:29-31。ルカ 6:31。

神と隣人への愛を増し加え,神の不興を買うことに対する恐れを強化するには,忙しい生活の中で時間をさいて,聖書と聖書の理解を助ける本を読んで研究しなければなりません。また,クリスチャンの集会で,聖書の原則に従って生活する他の人々と交わることも助けになります。そういう交わりは互いに励まし合う機会となり,結果としてわたしたちの信仰,そして聖書の原則にもとづく抑制力は強められます。また,神に語りかけ,神の導きと力を求める祈りも見落とせません。―ロマ 1:11,12; 12:12。

抑制? それには良いものもあれば,悪いものもあります。もしわたしたちが,そうした悪いものを押え,良いものを強化するなら,確かにわたしたちは幸福で賢明な者といえるでしょう。

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