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  • 目ざめよ! 1972
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目ざめよ! 1972
目72 1/8 3–4ページ

環境の挑戦に応じなさい

人はなぜ環境の挑戦に応じなければならないのでしょうか。なぜなら,環境の挑戦に応じられない生物は死ぬからです。生きつづけたいなら,そうした挑戦に応じなければなりません。実際に,ある程度の健康と体力を享受し,進歩をつづけ,ざせつ感に陥らないようにしたいと思えば,少なくともある程度,環境の挑戦に応じることが必要です。

人間のからだは,環境の挑戦にどのように応じうるかを示す良い例といえます。ご存じのように,高度が増せば増すほど空中の酸素は少なくなります。人体は,血液中の赤血球の数をふやすことによって,高所のこの挑戦に応じます。高地に住んでいる人々の心臓は概して他の人のそれよりも少し大きいものです。同様に,熱帯に住む人々のひふには,他の場所の人のそれより多くの色素を含んでいます。それは,いっそうじかに照りつける太陽光線から身を守るためです。

あなたは自分を守ることができる

今日,人間の環境は,人間の利己心によってますます不健全になっているばかりでなく,さらに重大なこととして,人間の精神的また道徳的環境も,道義心のない人々によって汚染されつつあります。わたしたちを取り囲む物理的汚染を避けたり是正したりすることにおいては,わたしたちの力はかなり限られています。しかし道徳的汚染についてはどうですか。この挑戦には応ずることができますか。できます。どのようにしてですか。それは基本的に言って,わたしたちの心を守り,自制することによります。―箴言 4:23。

ノーベル賞を受けた生物学者,故アレクシス・カレル博士は自著「人間,未知の者」の中で,人間と人間の環境との関係を論じてこう述べています。「人間はおのおの自分の生活様式を改める力,思考力のない群衆のそれよりやや異なる環境を自分の周囲につくり出す力をもっている。自分の肉体と精神を統御する力を身につける。…ある(肉体的)また精神的訓練を自分に課すことにより,自分自身をある程度孤立させることができる」。たしかに人間は自分の周囲のある事柄を,自分の思いから閉め出す自然の能力をもっています。しかしこの自然の能力だけでは十分とはいえません。悪い道徳的環境の中にあってそれに打ち勝つには,神の真理のみことばと神の霊の助けが必要です。世にありながら世のものでないクリスチャンにとって,これは肝要です。

もちろん,自分の霊的福祉に反する環境からできるかぎり離れていること,またはそこから出ることは,クリスチャンにとって有益であることは言うまでもありません。『悪い交わりは確かに良い習慣をそこないます』。神のみことばは賢明にもこう助言しています。「怒る者と交ることなかれ,憤る人とともに往くことなかれ,恐くは汝その道にならひてみづからわなに陥らん」。―コリント前 15:33,新。箴言 22:24,25。

しかしクリスチャンは,そのような人たちと肩を並べて働いて生計をたてねばならない場合もあります。また年若いクリスチャンはほとんど,学校で悪い交わりに接する立場に立たされます。それにまたクリスチャンの男女は,不道徳とまではゆかなくとも利己的な配偶者をもっているかもしれません。こうしたことすべてがクリスチャンの環境をつくりあげており,ほんとうに挑戦となっています。

どのように挑戦に応ずるか

エホバのクリスチャン証人たちは,この挑戦に応じうることを幾度となく実証してきました。ナチ・ドイツ,ソ連その他の国の強制収容所における彼らのふるまいはきわめて注目に価するものでした。それら収容所の状態つまり環境は,収容者をほとんど堕落させるほどのものでした。しかしエホバの証人については,エベンシュタイン博士は,「ナチ国家」の中で,「各成員は,破壊しえても,決して攻略しえない要さいのようであった」と述べています。彼らは,別の作家が表現したとおり,『泥海の中の岩のように』そうした環境の挑戦に応じたばかりでなく,より良い,クリスチャン的な生き方をするように他の人々を感化することさえできました。

今日では,強制収容所に入れられているクリスチャンは比較的に少数です。しかしクリスチャンはほとんどすべて,挑戦を投げかける,険悪な環境に住んでいます。クリスチャンの中には,人種や国籍あるいは宗教のゆえに差別され,あざけられ,あるいはさげすまれたりしている人がいるかもしれません。そうしたクリスチャンはどのように行動すべきですか。恨みや憤りをいだいて,いわば自分の殻に閉じこもりますか。それとも荒々しく怒りをぶちまけますか。それでは挑戦に首尾よく対処しているのではなく,敗北していることになります。挑戦に応じて勝利を収めるには,イエスの模範にならわねばなりません。イエスについてはこうしるされています。「ののしられてののしらず,苦しめられて脅かさず,正しく審きたまふ者に己を委ね……給へり」― ペテロ前 2:23。

あるいは,クリスチャンの環境が道徳の面で極度に堕落しているかもしれません。職場または学校で,周囲の人々は卑わいなことばを使ったり,いかがわしい話をしたりするかもしれません。どうすれば,そうした挑戦に首尾よく対処できますか。そのような話に加わったり,それをおもしろがったり,好奇心をもって耳を傾けたりするのでは,とても対処できません。この点でも,神のみことばは良い助言を与えています。「主の喜び給ふところのいかなるかをわきまへ知れ。実を結ばぬ暗きわざにくみすることなくかへってこれを責めよ」― エペソ 5:10,11。

時にクリスチャンは,仲間の従業員が雇い主の物品を盗んだり,仕事をなまけたりしているのを目にすることがあるかもしれません。『かたすぎる』とか自分を目立たせようとしているとかという非難を避るために,そういう行ないに加わりますか。神を喜ばせたいなら,そうすることはできません。

こうした挑戦に応ずるにさいして何がクリスチャンの助けになるでしょうか。ひとつは,人間に対する恐れにかえて,エホバへの信頼の念を持つことです。(箴言 29:25)そうした信頼の念を持つには,神のみことばを定期的に勉強して思いを養い,みことばを思いめぐらして心を強め,神の導きを求める他の人々と絶えず交わらねばなりません。

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