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目ざめよ! 1972
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国際語の歴史

今日,英語は,約3億2,600万もの人々によって話されており,世界中で広く使われている言語の一つとされている。ところが西暦前55年にユリウス・カエサルが英国諸島に初めて足を踏み入れたときに,そこではだれひとり英語を話してはいなかった。英国諸島にはケルト族または古代ブリトン人が住んでいて,英国人はいなかったのである。

西暦43年にローマ軍団がケルト族を征服し,ケルト族はウェールズや,スコットランド,アイルランドなどへ追い払われた。ケルト族の語彙のいくらかは近代英語に名ごりをとどめているが,主としてロンドンとか,ケルト語のカンティに由来するケント州など地名に採り入れられている。

ローマ人は約400年間英国を占領したが,やがてローマ帝国が衰退したときに,ローマ軍団は侵略者を防いで帝国の最後の稜堡を守るため呼びもどされた。ローマ軍団が撤退すると,アングル族,サクソン族,ジュート族と呼ばれるゲルマン民族がブリテン島を征服し,そこに住むようになった。これらアングル族とサクソン族は,インドヨーロッパ語族のゲルマン語派に属するドイツ語の一つの方言である,ほぼ同じ言語を話した。

初めて話された英語

アングル族が国の大半を征服したために,国(イングランド[英国])と言語(イングリッシュ[英語])にはアングル族にちなんで名前がつけられた。このアングロ・サクソン語は当時の著作家たちによりアングリスクまたはイングリスクと呼ばれた。それは近代英語の土台となったが,特別に研究しないかぎり今日の人々にはおよそ理解できない。一例として西暦900年ころに書かれた「ベイオウルフ」と呼ばれる有名な叙事詩の最初の数行をここにしるそう。

“Hwaet, we gardena in geardagum theodcyninga thrym gefrunon.”(Lo, we have heard tell how mighty the kings of the spear-bearing Danes were in days past.)(見よ,われら槍を携えしデーン族の諸王のいかに強かりしを伝え聞けり。)

さてこれは言語学者によって古代英語として分類されるものだが,英語を母国語とする人々のうち1,000人にひとりもこれを理解できる人はいないだろう。古代英語の語彙の85%近くがもはや使われていないからである。しかし今でも残っているものは次に示すように基本的な概念を表わす基礎的要素であった。mann(man[男の人]),wif(wife[妻]),hus(house[家]),mete(meat[肉],またはfood[食物])。

古代英語の文法も近代英語のそれと非常に異なっている。古代英語は屈折言語,つまり名詞や形容詞などに加えられる語尾によって,文章中の単語の働きを示す言語であった。今日ではこれら屈折語尾のほとんど全部は消失し,単語のそれぞれの働きと関係を示すのに固定した語順が使われている。

西暦800年代にデンマークから来たバイキングはブリテン島の沿岸を襲った。バイキングの侵略者たちが戦うことや犠牲者の財産を破壊することを好み,狂気したように見えたのでバイキングの戦士の名前バーサーカー(berserker)は英語のberserk(狂暴な戦士)の語に採り入れられた。デーン族の活動はブリテン島の征服をもって終結した。デーン族は英国に定着したので彼らもegg(卵)とかsky(空),skin(皮膚),skirt(スカート),skill(技術)のようにsk-の文字で始まる大部分の単語など,多くの単語を英語の語彙に紹介した。

さらに意義深いことは,普通言語の中でいつまでも残る代名詞が影響を受けたことだ。その結果いくつかの北欧語の代名詞が英語の代名詞にとって代わった。例えば代名詞they(彼らは),their(彼らの),them(彼らを)は北欧語に由来する。

その後,英語に深遠な影響を及ぼした出来事が起こった。西暦1066年,ノルマンジーのフランス人征服者ウィリアムが英国を侵略した。有名なベイユー壁掛けに描かれているように彼はヘイスチングの戦いでサクソン族のハロルド王を打ち負かした。その後ウィリアムは彼に同行したフランスの貴族たちに英国人の土地を分け与えた。最初これらフランス人貴族は彼ら自身のノルマン・フランス語を話したが,彼らの奴隷になった人々はアングロ・サクソン語つまり英語を話した。しかしノルマン人が定住し,土着の人々と結婚するにつれ二つの言語は融合した。古代英語とノルマン・フランス語とのこの混合は今日中世英語と言われている新しい形の英語を生み出した。

大変革の時代

中世英語は,語の重大な変化,つまりそれ以前あるいはそれ以後の他のいかなる変化よりもさらに基本的かつ広範な変化がその特徴となっている。当初はノルマン人の影響をうけて発音が少しずつ変化していき,また屈折語尾も次第に消失した。しかし著しい変化は語彙に見られた。ノルマン人が彼ら自身のフランス語の語彙を織り混ぜて古代英語を話し始めるにつれ幾千もの新しい単語が加えられた。ノルマン人の征服に由来する多くの英語の単語にはつぎのようなものがある。air(空気),chair(椅子),dinner(夕食),government(政府),judge(裁判官),paper(紙),prison(刑務所),towel(タオル)。

時には英語とフランス語の両方の単語が残っていることがある。例えばサクソン族の農夫は英語でいうhus(家)に住み,一方フランス人の貴族はフランス語のmaison(大邸宅)に住んでいた。両方の単語は残った。houseは普通の住居に用いる現代用語であり,mansionは貴族や金持ちの家のことである。

時には二つの言語の両方の単語が残っても,少し違った意味を持つようになったものもある。英国人はsheep(羊),cows(牛),calves(小牛),pigs(豚)を飼育する。フランス語の同意語はmounton(羊),boeuf(牛),veau(小牛),porc(豚)である。フランス語の単語が家畜の肉を表わすために保たれてきたことは容易に理解できる。それでcalves(小牛)を飼ってveal(小牛の肉)を食べ,pigs(豚)を飼ってpork(豚肉)を食べるわけである。

もとより多くの英語の単語は完全に消失した。英語のinwitはフランス語のconscience(良心)になった。しかしこのような大変革の時代にあっても英国人は元の英語を使ってeat<食べ> sleep<眠り> walk<歩き> そしてsing<歌>ったのである。

時々英文学の父と呼ばれるジェフリー・チョーサー(西暦1340年?-1400年)の時代までにこの融合言語はかなり楽に話せ,融通のきく言語となった。そのうえこの言語は近代英語の観を呈し始めた。近代英語の時代は西暦1450年ころに始まり現代まで続いている。チョーサーの作品は今日でもかなり理解できるものである。例えば,ある男は“a verray parfit gentil knyght”であったとチョーサーが言う場合は,英語の優等生でなくても,その人は“a very perfect gentle knight”(非常に熟達した優しい騎士)であったという意味に理解できる。もちろん単語のつづりはverray(非常に)奇妙に見える!

しかしながらチョーサーの作品を読む人はだれでも彼の文法と語彙がまだ単純であることに気付くだろう。事実その当時たいていの人は,英語は語尾変化がなくて使いにくく,デリケートな感情を表現できないと感じていた。彼らは何か重要なことを言いたければ,当時の教養のある人々が理解したラテン語かギリシア語で書くべきだと考えた。人々は英語を「俗語」と呼び,またある英国人作家は,「永続する大理石を求める詩はラテン語かギリシア語で刻まれねばならない。われわれは砂に書いている」といって嘆いた。

最初このような態度は,ラテン語の宝庫やギリシア語の学問の発見であるルネッサンスの到来によって強まった。しかし印刷機が出現して,一般の人が本を安く入手できるようになったために,自国語の本の需要は次第に高まった。

そのころ思想は二つの派に分かれていた。それは古典的なラテン語およびギリシア語の伝統の保存を望む人たちと,古典から借用した単語で「自国語」を改善することを望む人たちである。今になればどちらの派が勝ったか明らかである。「自国語」である英語が勝利をおさめたが,それには多くの語彙が加えられた。

神のことばを広く伝えることを望んだ人々は自国語を受け入れることに多大の貢献をした。彼らがだれにでも理解できる言語の聖書を持つことを望んだからだ。聖書翻訳の先駆者のひとりチンデールは言った。聖書を英語に翻訳したのはいなかの若者でさえ聖書を読めるようになってほしかったからだと。また翻訳者たちは自分たちの言語が神のことばのふさわしい伝達手段になることを切望した。そこで彼らは自分たちの言語がその目的にかなうように労を重ねたのである。

他の言語からの借用は続いた

新しく加えられた語彙の多くはラテン語から来た。capsule(カプセル)とかdisrespect(不敬)などはそれである。その他,chaos(無秩序)とか。climax(最高潮)などの語はギリシア語から来たものだ。一部の人は,「奇異で生かじりの外来語」と言ってこれら外国からの借用語に反対の立場をとった。一方語彙を豊富にすることに賛成の人たちは,「ある人たちはむずかしい単語を見い出すとまるでばけ者にでも出会ったように驚く」と皮肉を言った。それでも単語の流入は依然としてつづいた。

語彙を豊富にしたのは学者だけではない。航海と発見の時代であった16世紀と17世紀に,旅行者は貿易の新しい分野を開拓した。訪問先の国々と貿易を始めた者たちもいるが,ところによっては植民地化に着手する者もいた。例えばイタリアへ旅行した英国人は帰国してイタリア語的な表現を多く使うようになった。母国の人々はそのような言語を非常におかしく不自然に感じた。しかし今のわたしたちは,algebra(代数),violin(バイオリン),volcano(火山)などの単語を少しでもおかしいと思うだろうか。piano(ピアノ)やpizza(パイの一種)と同じくそれらの単語はイタリア語なのだ。

英国の船が,おもにスペイン人とポルトガル人によって植民地化されていた南米に航海した際,カリブ海沿岸でスペイン人と戦いを交えた。そしてalligator(ワニ),apricot(アンズ),cannibal(人食い),canoe(櫂舟),hammock(ハンモック),hurricane(ハリケーン)などのことばを持ち帰ったが,いずれもスペイン語とポルトガル語である。

小さな帆船に乗った商人たちは,南ア連邦の喜望峰で風と波に打たれながらすさまじいあらしを切りぬけ,かろうじてインドや支那にたどり着いた。それらの商人は船倉に絹と香料を満載して帰国し,junks(平底帆船),coolies(人夫),china(支那),tea(茶)などの語を口にした。

開拓者たちはほろ馬車に揺られながらアメリカの平原を横断し,hominy(ひき割りトウモロコシ),chipmunk(シマリス),racoon(アライグマ)などアメリカ・インデアンの言語からとられたことばを用いて英国にいる親族に手紙を書いた。Sequoia(セコイア)は実はチェロキー族の首領であった。このことばの由来はそこにある。

かくして探検と冒険の精神は胸をおどらせる未知の世界を切り開いた。新しい経験と新製品は言語にも反映されるようになった。

語原辞典を少し調べれば分かるように,英語はロシア語,ヘブライ語,アラビア語,ハンガリア語,ヒンズスタン語,ベンガル語,マライ語,中国語,それにジャワ,オーストラリア,タヒチの言語その他多くの言語からことばを借用している。

こういう語原辞典を使えば,jaguar(アメリカヒョウ),ricksha(人力車),mongoose(イタチに似た肉食動物)などの単語がどこからきているかを知ることができる。golf(ゴルフ)と同様,measles(はしか)などりっぱな英語の単語だと思い勝ちな単語でさえ,語原がオランダ語だったりする。それからcandy(砂糖菓子)の語がアラビア語のqandahの語から来ていることをご存じだろうか。

語彙の増加は19世紀,20世紀になっても続いた。zipper(ジッパー)などのように,登録商標の名称から来ている単語もいくらかある。医学・電気・物理・化学の分野においては全く新しい単語が多数生まれた。シェイクスピアはペニシリンまたは内分泌腺のことを耳にしたことはないし,発電機,量子論,ラジウムなどのことは何も知らなかった。気化器,ハブキャップ,点火プラグなどについてはどうだろう……!

時にはsteamroller(蒸気ローラー)などの場合のように二つの古い語を合わせて新しい語が作られた。固有名詞から取られた語もある。limousine(箱型自動車)という語はフランスの一州名から来ている。英語はこれら多くの語を同化させたのだが,英語を話す人々にとってそれらの語は少しも異質には感じられないようだ。しかしそれらが外来語であることはつづりの面に表われている。例えばスペイン語やイタリア語と違い,英語の数多い類似の音は,shoe(靴),blue(青),crew(乗組員),too(また)through(を通って)などのようにつづりに相違が見られる。外国語からの借用によって英語のつづりはかなり乱れた状態となっている。それを改良するための努力も数々なされてきたが成功しそうにもない。

こんなわけで「俗語」として大いにさげすまれた,15世紀のおかしくてとるに足りない寄せ集めの言語から,わたしたちは,約60万語を擁する,世界で最も語彙の豊富な言語の一つであるすぐれた国際語を持つようになったのだ。

英語はドイツ語の力強さとフランス語の美しさを混ぜ合せ,微妙な意味の相違を表現することができる。英語は学ぶだけの価値のある言語であり,そうすることによってすでに英語を話す何百万人もの人々と話せるようになる。商業・科学・宗教・社交界において英語の知識はたしかに有用である。それに多くのすぐれた文学作品は英語で書かれている。そのわけで今まで英語を知らなかった多くの人も英語を学ぶことから益を得られ,すでに知ってる人々もいっそううまく話せるようになるかもしれない。

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