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目ざめよ! 1972
目72 8/8 21–24ページ

盲目であっても,充実した有用な生活を送る

プエルトリコの「目ざめよ!」通信員に語られた話

盲人は救いようのない身体障害者だと考える人は,残念ながら少なくありません。しかし,盲人の弁護士や判事,医者,教師のいることをご存じでしたか。目が見えないということは一つの障害ですが,それに妨げられることなく,充実した有用な生活をしている人は多いのです。

わたしは全盲です。でも,主婦として主人に仕え,ふたりの子どもを育ててきました。

わたしは生まれつきの盲人ではありません。網膜にあった色素が徐々に広がって,ついに視力を奪ってしまったのです。学校でよい成績を得ようにもよく目が見えなかったわたしは,最初,先生方から知恵おくれの子どもだと思われていました。しかし,やがて事情がわかり,わたしは視力保存クラスに入れられました。当時わたしの家族はプエルトリコから移ってきて,ニューヨークのブルックリンに住んでいました。

高校時代にはニューヨーク盲学校に通いました。その時はまだ物の形や影が見えましたし,明暗の感覚もはっきりしていました。学校では多くの活動に参加し,何時間も点字で読書をしたものです。それは幸福な歳月でした。わたしは目が不自由なことを障害だとは思わず,偶然の境遇であるという見方をしました。

子どもを育てる

20歳の時,わたしはプエルトリコで電話の交換手になる勉強をしていたころに知り合った通信士と結婚しました。ふたりの子どもが幼かった時分は物の形や明るさがまだいくらかわかりましたし,触覚が特別によく発達していたので,子どもを育てるのはむずかしくありませんでした。入浴させたり服を着せたりすることは楽にでき,栄養のある食事も整えてやることができました。でも,たいていの子どもがそうであるように,わたしの子どもたちにも好ききらいがありました。夫が夜帰宅してみると,わたしにわからないように子どもたちが窓から食物を投げ捨てていたというようなことがありました。

しかし,わたしが盲人であることは,妨げというより,むしろ子どもたちに益となったと思います。子どもたちはわたしや他の人々に対してより深い愛や思いやりを示すよう心を用いました。また,わたしのために目を使うので,子どもたちの観察はずっと鋭くなりました。空の各部分の正確な色や,人々の服装のこまかな点,その他ほとんどの人が見過ごすような多くの事柄をわたしに話してくれました。

わたしは子どもに幼い時から良い習慣をつけさせ,自分の身のまわりをきちんとすることを教えました。わたしが,家事をきちんと行なうには子どもたちの協力がぜひとも必要だったので,わたしはこの点に力を入れました。たとえば,子どもたちは服を脱いだら,わたしが洗たく日に洗たく物をみつけられるよう,いつも同じ場所に置きました。また,わたしが食器類を台所に運びやすいように,食事がすんだら食器を食卓の一定の場所に置くことも教えました。

娘に料理を教えることはとくに大きな挑戦でした。娘は,わたしにわかるように,物を同じ場所に置いてくれないこともありましたから,時にはたいへん困りました。しかし,時間をかけ,忍耐した結果,ついに,彼女は盲人がするように物事をすることができるようになりました。こうして,娘は料理を学んだだけでなく,身のまわりの事柄を非常によく組織することができるようにもなったのです。

わたしが盲人ということで,子どもが内気にならないように育てることに努めましたが,子どもたちは内気ではなかったと思います。幼いトミーは時おりいたずらをしてわたしをからかいました。七,八歳のころには,トミーはものまねがとてもじょうずになっていました。玄関のベルを鳴らしておとなの声色をつかういたずらをよくしました。時には,わたしは服を取り換え,化粧をし,髪をといて,客だと思っていた人に応待する仕度をしたことさえあります。ある時,ひとりの青年がほんとうの用事で来たのですが,わたしがその人をいたずらなトミーとまちがえたので,その人は自分がトミーでないことをわたしに納得させるのに,ずいぶん説明しなくてはなりませんでした。

買い物をする

自分自身や家族のために必要な仕事が家の外にもたくさんあるけれど,それはどういうふうにしてするのですか,とよく聞かれます。買い物をする場合,店までの道を覚えるのに最初は助けがいりますが,盲導犬がその地域に慣れると,問題はなくなります。一つの店にはいると,つまり店のドアをはいると,臭いとかあたりのふんい気で,何の店かたいていわかります。商売によって,それぞれ独特の臭いや音があります。ですから,薬局,デパートその他の店を見分けるのに不自由はしません。

わたしは良い服装をするのが好きですから,服を買う時には神経を使います。目ざす売り場に着くと,自分がほしいと思う服の大きさ,色,型を女店員に告げます。自分のほしいものを頭の中で「見る」ことができるので,それを一生懸命に説明します。それから試験的に着てみて,似合うかどうかをそばにいる人に尋ねます。もちろんからだによく合うかどうかは自分でわかります。こうしてついに自分の好きな服を選ぶことができます。

食料品の買い入れは,ラベルを読まなければならないので比較的に困難です。スーパーマーケットに行くと,店員に援助を求めます。一日中店員についてまわってもらうわけにはいきませんから,自分のほしい物を頭に入れておきます。食料品の買い入れの時には,たいていだれかといっしょに行きます。

買った物を持って帰宅すると,品物を各特定の場所に納めます。そうしないなら,あとで見つけることができません。わたしがなにもかも自分でかたずけたがる理由がこれでおわかりでしょう。品物を見分けるために,形を覚えたり,カン入りの物の場合は,カンにしるしをつけます。そうすれば,何かを捜す時には,それがどこに,どのようにしてあるかがすぐにわかるのです。

料理とそうじ

わたしは料理を作ることがすきです。また品数を多くつくるのが好きです。それはむずかしいことではありません。種々の材料は,それらが置かれている棚や,いれてある箱とかカンの形と大きさによってわかります。また,触覚とかきゅう覚とか味覚は,混乱を避けるうえで助けになります。実際に,わたしは自分ひとりで料理するほうが好きです。というのは,他の人に手伝ってもらうと,その人たちがどこへ物をしまったのかわからないので,あとからそれらをみつけるのに苦労するのです。

大いに助かるのは,盲人用につくられている特別の台所用品です。わたしのロースターの温度調節の部分にはたくさんの突起があります。また点字タイマー,つまりベルの鳴るタイマーにも突起があります。わたしはまた,片手で使い,もう一方の手で練り粉にさわることのできるめん棒を持っています。また,「見ないで作る料理」という点字の料理の本も持っています。

わたしは,家をきれいにしておくために特別に努力するのはしがいのあることだといつも思ってきました。時々,近所の人々が,良く管理された家の模範を見せるために客をつれてくることさえあります。触覚を使えば,床とか家具をそうじしなければならないことがわかるのです。ある時,短い間でしたが,お手伝いをやとったことがあります。彼女はわたしをだませると思って,ごみをベッドの下にはき込みました。あとでわたしが素足で調べたところ,わたしの足の裏はこすらなければとれないほど汚れたので,そのお手伝いはばつの悪い思いをしました。

わたしの家が整とんされていて,すべての物が所定の場所に置かれていることは,実際に重要なことなのです。実のところ私の家はそうなっているので,わたしは各部屋の様子を頭におさめており,何にもぶつからずに家中を歩くことができます。

感覚を訓練する

盲人の視覚以外の感覚は生まれつきすぐれていると考える人がいます。しかし,研究によると,そうではありません。盲人は,特に鋭い聴覚や触覚,きゅう覚,あるいは味覚を持って生まれたのではなく,むしろそうした感覚を訓練することによって,その能力を高めることができるのです。一つの例を考えてみましょう。

すわってなにか音楽を聞いてください。目を閉じてください。すると音をもっとよく聞き取ることができます。さて,あなたは何をしているのですか。気をそらす物を締め出し,注意を集中することによって,聞く力を訓練しているのです。目の見えない人の場合もそれに似ています。わたしたちには,目の見える人のように注意をそらすものがありません。ですから,たとえば聴力など,他の感覚を発達させるのにさらに力を注ぐことができます。

視覚以外の感覚を通して得られる情報の量には驚くべきものがあります。自分の位置とか,している事柄を,いわば「見る」ために,わたしは,きゅう覚,聴覚,触覚,また味覚など,あらゆる感覚を利用します。このようにして,身のまわりでどんなことが行なわれているかを知り,あたりの様子を完全に頭に描くことができます。

聴覚は特に重要です。いうまでもなく,警笛を鳴らす車,動いている扇風機あるいは話している人など,対象から発せられる音があります。盲人はそうした音を分析する達人になります。たとえば,わたしは人の声の方向によってその人が背の高い人か低い人かがわかりますから,場合に応じてその人の顔を見あげたり,見おろしたりします。

さらに,反響音は驚くほど役にたちます。周囲の環境は,歩道の足音,人の声,乗り物の音,その他あらゆるタイプの音を出しています。しかも,それらの音はたえず壁とか家具とか床,その他の物に反響しています。目の見えない人はそうした反響音に対する知覚を発達させ,しばしばそれらから多くの事柄を学びます。たとえば,わたしは,通りや建物の中を歩いていて,自分が壁のそばにいるか,戸やその他の物体のそばにいるかどうかを反響音によって知ることができます。

触覚によっても多くのことがわかります。わたしは自分が手で触れる物からだけでなく,わたしに触れる物からも学びます。どんなにかすかでも,静かな風があれば,窓とか戸があいていることがわかりますし,もし通りにいる場合なら,二つのビルの谷間にいることがわかります。こんろに火がついている台所を動き回る時などのように,暑さ寒さを感じることはたいせつです。また,わたしは,発散される熱気によって,乗物が長く駐車しているか,短時間駐車しているかを知ることができます。ふつうの人は,わたしが視覚以外の感覚によって,身のまわりの様子を適確につかむことにたいてい驚きます。

盲人に対する話し方

目の見える人の場合と同じように盲人を扱っていただけると助かります。わたしたちに近づいて,「わたしがだれだかあててください」と言うようなことはどうぞなさらないでください。それはわたしたちが身体障害者であることを強調するにすぎません。だれかを盲人に紹介する場合,「だれだれをご紹介します」と言うだけでなく,「ご紹介します。あなたの右にいらっしゃるのはだれだれさんです」と言ってくださるとたいへん助かります。

また,「盲人が歩いているわ,かわいそうに」というのはほんとうに親切ではありません。わたしは自分を「かわいそうだ」とは思っていないのです。障害があるというだけの理由で,わたしたちが充実した有意義な生活を送れないということにはなりません。あなたが他の人たちに対すると同じように,わたしたちにも話してくださると,うれしく思います。そうすれば,自分たちもみんなと同じで,なにか特殊な人間ではないという気持ちがします。

充実した,有用な生活

確かに,わたしは目の見える人がすることはたいていできます。読むことができるだけでなく,小さな鉄筆と穴のいっぱいあいた金属の板を使って,点字で物を書くこともできます。それらの用具は小さいので,持ち運んで必要な時にはいつでもノートを取ることができます。わたしは交わっている会衆の神権宣教学校にはいっていますが,そこで話をする時,ノートを手でさわって読むことができますから,聴衆から顔をそむける必要がありません。また時計の方を見る必要もありません。時計にさわるだけで時間がわかるからです。

しかし,わたしの生活を特に充実させ有意義なものにしているのは,わたしたちの創造者であるエホバ神を知り,エホバ神に仕えていることです。わたしは聖書の全時間の教師として,1か月に少なくとも100時間を費やし,他の人々が神の目的を学ぶのを助けています。犬を連れて人々を戸別に訪問し,わたしにふたたび訪問してほしいと言う人を見いだした時には,その名前と住所を書き留めます。そして,自分のいる位置と,同じ道に戻る方法を注意深く覚えると,犬の助けをかりて帰宅します。現在わたしは,関心を持つ人々の家で行なう聖書研究を毎週およそ10件司会しています。

わたしは,この同じ敬けんな業に携わるよう,自分の子どもを育てました。1970年3月,娘のマーリーンは,アメリカのニューヨーク市にあるエホバの証人のギレアデ宣教学校を卒業し,1971年9月にはトミーが同校を卒業しました。トミーは現在スペインで宣教者として奉仕しています。

マーリーンはエクアドルで6か月間宣教者として奉仕しましたが,重い病気にかかってプエルトリコに帰りました。わたしは病院で昼夜,娘につきそいました。彼女は寝たまま,看護婦のひとりと聖書を研究しました。研究が終わるたびに気を失ったにもかかわらずそれを続けたのです。その看護婦は,今では,エホバ神に仕えるため献身を水のバプテスマによって象徴しようとしています。マーリーンは25年の実のり多い人生を送りましたが,不治の病気のためになくなりました。彼女の葬式には1,000人を越す人々が集まりました。

現在,人々に神の目的についてお話しする時,それらの目的はわたしにとっていっそう意味を持つものとなっています。復活の約束に対してエホバ神にほんとうに感謝し,また,娘がこの地上で生き返る時に,娘にふれ,娘の声を聞き,そして,そうです娘を見ることができることをうれしく思います。愛のある創造者が人類に差し伸べておられる壮大な希望を,できるだけ多くの人々とわかち合っているわたしは,自分の生活をほんとうに充実した有用なものであると感じています。

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