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目ざめよ! 1973
目73 1/22 4–5ページ

教会は若い人びとの心を動かすことができなかった

今日の若い人びとの中には,代々伝えられてきた考え方に疑問を持つ人かたくさんいます。隣人よりも多くの物 ― より大きな車やより豪華な家など ― を持つことがなぜ人生の価値ある目的であるのか,納得できないのです。

どんな人間であるか,あるいはどんなことをする人間であるかよりも,どれだけ金をもうけるかによってひとりの人間を評価する傾向の非常に強い物質主義的な社会を,多くの若者は受けいれません。それどころか,富裕な安定した社会の一員であることを示す服装習慣さえ拒否する若者がいます。そのような社会は,貧しい人びとを圧迫してきた,と彼らは考えてきたのです。

彼らは世の中で行なわれている不正や,物質主義的な教会の偽りや偽善を見ています。両親の教会を単なる社交クラブと考えている若者は少なくありません。

メソジスト派の牧師,チャールス・メリル・スミスは,自著「ザ・パーリー・ゲイツ・シンジケート」の中で,多くの人は,「宗教にはいるのは一般に行なわれていることだからとか,宗教にはいると社会的に有利である,有望な商取引のきっかけができる,うまいやりかたであるとかいった,見上げたものであるが正確には霊的とはいえない,つまり霊性とは全く何の関係もない理由で宗教にはいる」と述べていますが,若者たちも同じことを認めています。

きわめて批判的で洞察力の鋭い今日の若者たちは,これらの事実に気づかずにはいませんでした。タイム誌の伝えるところによると,“イエス運動”に改宗した若者たちは,「以前彼らが属していた教会の物柔らかな態度,つまり偽善について,侮べつ的な態度で語る」ことが少なくないということです。

ニューヨーク州の「クリスチャン・コミューン」のひとつにはいった,元ローマ・カトリック神学生,ジョセフ・ライアコナは,「アメリカは霊的に餓死しつつある」と言いました。

有名なプロテスタントの牧師,ノーマン・ビンセント・ピール博士は,リーダース・ダイジェストの一記事の中で,「われわれは多年,若い人々の間に霊的空白が増大してゆくのを見てきた」。教会は「その霊的に飢えた若者たちに,乏しい食事をさせてきた。『あっちへ行きなさい。ふろにはいり,髪を切り,まともな服装をし,わたしたちの価値を認めなさい。そうしたうえでまた来なさい。そうすればわたしたちはあなたがたと話し合うでしょう』とわれわれは彼らに言ってきたのである」と述べています。

カトリックの著名な僧職者,フルトン・J・シーンは,教会が「キリストの救いの福音」よりも,世界の社会的病弊に,より大きな関心を払っていることを認め,「聖職者たちが,『もろもろの名にまさる』名を声高に語ることをやめたとき,若者たちは自分たちを,『ジーザス・ピープル』と呼び始めた」と言っています。

そのような若い人びとは尋ねます。「死ぬためだけに生きているのなら,そして全人類が20分もかからずに絶滅するのであれば,家や新車や職業に何の満足が見いだせるのか」と。核による破壊の中で,人類が20分で滅ぼしつくされることを望む人間はひとりもいません。「自分の人生は無意味だと信じることを願う人間はいない」と彼らは言い,「イエスは意味なのである」とつけ加えます。今日の「確立した」教派は,二つの世界に足を突っ込んでいます。キリストに従うと主張しながら,この世の社会的,政治的活動に巻きこまれています。そして,イエスが弟子たちのために明示した,道徳,正直,教理,熱意などにかんする厳格な原則に従うことを確かに要求してはいません。

聖書と無関係の事柄に手を出したために,教会は,イエスの時代およびそのすぐあとの時代の初期クリスチャンたちの間に非常な熱意を生み出した教理から,離れて行ってしまいました。多数の若者は,今日の教会に,彼らを捕えるものがないことを悟りました。そのうちのある者は,宗教を「的はずれで偽善的なもの」として捨て去りました。“ジーザス・ピープル”は,自分たちは「宗教」にもどるのではなくて「イエス」にもどるのだ,ということを強調します。a

なぜ引きつけられるのか

ではこの運動に,これほど多くの若者を引きつけているのは何でしょうか。“ジーザス・ピープル”は,風さいや服装には無とん着です。牧師のひとり,あるいは彼の会衆のなかのだれかが,これらの若者の関心を捕えるために特別に努力するのです。彼らにとっては相手がシャツやくつしたを身につけていようがいまいが問題ではないのです。

礼拝は時々,自分も麻薬を用いたが,「思ったほどいいものじゃない」と言う若い人によって司式されます。神を渇望する若い人びとは,くつろいだ気分にさせられます。交わりを好み,ほかの者たちを助けるという性質があるので,友人たちを連れてくるのです。

これらの若い人びとを引きつけるもうひとつのものは,参加する機会です。彼らは手を打ち鳴らして歌うこともあります。両手を天にさし伸べて嘆きの声を上げる若者もいます。彼らは自分がどのように麻薬や売春その他の悪業を捨てたかについて「あかし」を立てます。

非常に多くの若者が,ホセア書のような聖書の本の討議や,それを生活に適用しようとする努力に,興味をいだいて耳を傾けるのには,多くの人が驚かされるでしょう。聖書の説明には大きな関心をいだいています。ただ教会がこの欲求を無視したのです。そして多数の若者は,教会を離れ,さらによいものがどこにあるかを知らないまま,半分正しい説明に心を向けたのです。

しかし,その説明はどこがまちがっているのでしょうか。それよりも良いものが何かありますか。

[脚注]

a 彼らのイエス慢画の本のひとつに,ひとりの若者が別の若者に麻薬(“レッズ”)をすすめるときの対話が載っている。こういう調子である。「レッズはどうだい?」「いや,いらない。ぼくはもっといいものを持っている」「なんだい,それは?」「イエスさ!」「ああ宗教か」「ちがうよきみ,イエスだよ!」

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