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目ざめよ! 1973
目73 4/8 19–21ページ

リンガラ語 ― アフリカの簡単な言語

ザイール共和国の「目ざめよ!」通信員

「ムボテ! オザリ マラム?」 これは,ザイール共和国の首都キンシャサから,ザイール川流域をさかのぼってわたしたちの住むキサンガニに至るまでの地域で聞かれる,親しいあいさつであり,相手のしあわせを尋ねることばです。その約1,200㌔に渡る一帯がリンガラ語の用いられる地域です。

ザイール共和国の公用語はフランス語ですが,この国の軍隊も警察もリンガラ語を用いています。キンシャサに住む100万を越える人々がこのことばを話しており,「奥地」に住むさらに数千人の人々がこのことばを用いていますから,リンガラ語の人口はますますふえています。

確かに,リンガラ語には,自動車やラジオその他に関する専門用語が今ないので,そうしたことばはフランス語から借用しなければなりません。しかし,そうかといってリンガラ語が伝達の手段としてのことばの役割を果たせないというのではありません。実際,リンガラ語でも自分の考えを望みどおりに正確に伝えることができます。しかも,この言語は比較的容易に学べます。

起源

リンガラ語の起源ははっきりしていませんが,ポルトガル人がいくらか関係していることは明らかです。17世紀にポルトガル人はザイール川(かつてのコンゴ)川をさかのぼって探険していた時,土着民と通信するための手段としてリンガラ語を発達させたと言われています。食卓を意味する「メサ」とバターを意味する「マテカ」ということばはポルトガル人の影響があったことを物語っています。

しかし,語いの大半はスワヒリ語からきています。スワヒリ語は東部からザイールに持ち込まれた広く用いられているアフリカ語です。他の単語,たとえば「病院」を意味する「ロピタロ」などの語源はフランス語で,移民によって持ち込まれたものです。「モトーカー」ということばは英語の「モーター・カー」に少し似ていますが,「モトーカー」の意味はまさにその自動車<モーター・カー>ということです。

構造

リンガラ語には定冠詞や不定冠詞といった冠詞がないし,覚えるのにやっかいな性もありません。ですから,ことばを学ぶのが不得手な人でもリンガラ語はすぐに好きになります。動詞の組み立ては簡単で,語根はひとつの動詞に対していつも同じで,例外はほとんどありません。人称や時制は動詞の語根または語幹につける接尾辞や接頭辞によって決まります。

「宣べ伝える」を意味する単語の語根「Sakol」を例にとりましょう。「Kosakola」(「宣べ伝えること」)という単語の接頭辞「ko」は英語の不定詞の「to」に相当します。「ko」の代りに「na」という接頭辞を使い,「a」の代りに「i」という接尾辞を使ってできた単語,「nasakoli」は「わたしは宣べ伝える」という意味です。「わたしは宣べ伝えた」と言うには接尾辞に「ak」を加えて「nasakolaki」とします。このように,リンガラ語で正確な表現をすることができるのです。

しかし,リンガラ語には形容詞が少ないから不便だと言う人がいます。確かに形容詞は多くありません。しかし,その不足は容易に補われます。抽象名詞を前置詞といっしょにして使うことができるのです。たとえば,「Jehovah is a loving God(エホバは愛ある神です)」と言う代りに,「Jehovah is God of love(エホバは愛の神です)」と言います。それでも意味ははっきり伝わります。

ヨーロッパ人やアメリカ人の多くがなかなか慣れないのは名詞に接尾辞ではなくて接頭辞をつけて複数形を作ることです。リンガラ語では「ヌザンベ」はひとりの神を意味し,「バ-ヌザンベ」はふたり以上の神を意味します。ひとりの人のことは「ムトゥ」ですが,「バトゥ」と言えば人々という意味になります。

熟語と特色

リンガラ語にはたくさんの興味深い熟語があります。たとえば,痛みは必ずしも「感じる」ものではありません。痛みを「見る」と言ったり「聞く」と言ったりすることがあるのです。決定を「する」と言わずに,決定を「切る」と言います。雨は「やむ」のでなくて,「切られた」のです。また,怒った人のことを「顔を縛り上げる」と言ったり,人が心配していれば,その「心は天にある」と言います。離婚された人は,結婚を「殺された」のです。

さらに,盲人は「目のために死んだ」のであり,機敏な人は「強い目」を持っています。おべっかを使う人は「砂糖の口」を持っていると言い,金銭を横領する人はお金を「食べ」てしまったと言われます。時計のねじを巻くのを忘れると,時計は「眠り」,落してこわれると,リンガラ語流に言えば,時計は「死んで」います。

英語を話す人が慣れなければならない別の点は,リンガラ語では質問の受け答えに文字通りの方法を使うということです。「あの仕事はまだ終わっていませんか」という質問に対して,「はい」という返事がかえってくる場合,それは正に,「はい,まだ仕事を終えていません」という意味なのです。

リンガラ語は音調言語の性質もいくぶん備えています。すなわち,リンガラ語を正しく話すためには単語の各部分に正しい強勢とか語調を置かなければならないのです。そのため,初心者はとんでもないことを言う場合があります。

たとえば,訪問者がみやげを買い集めていて,土産のたてをくださいと言う時,語調を誤るとピーナッツをくださいと言っていることになるので,混乱をきたすかもしれません。リンガラ語を学んでいる最中のある婦人が,相手の婦人に対して,もうひとりの男性が欲いかと尋ねているのを聞いたことがあります。その人は「男の子」と言うつもりだったのです。

ある考えをリンガラ語で表現するには新しいことばを作らなければならないことが時々あります。たとえば,リンガラ語には「魂」と「霊」を表わすことばがひとつしかありません。それは「モリモ」です。リンガラ語に訳されたいくつかの聖書では,普通「モリモ」が「魂」と「霊」の両方に使われています。ところがこのふたつのことばには全く違った意味があります。すると,「神のことばは生きていて,…魂と霊…を分けるまでに刺し通す」という,ヘブル書 4章12節〔新〕の聖句はどうなるでしょうか。

ほとんどの翻訳者はそれをリンガラ語で,「モテマ ナ モリモ」を分けるまでにと訳しています。しかし,これは良い訳ではありません。なぜなら,「モテマ」は「心」という意味であり,「魂」も「霊」も「心」と同じではないからです。そこで,人々に聖書について話す際,エホバの証人の奉仕者は,「魂」に「モリモ」を当て,「霊」に対しては「エリモ」ということばを作りました。ものみの塔聖書冊子協会がリンガラ語で印刷している聖書の手引きも「霊」に対して「エリモ」を使用しています。

「モリモ」に関するこうした問題を別にすれば,入手できるリンガラ語訳の聖書は,大体において,原語の本文の意味をよく伝えています。それらの翻訳は,神のお名前を「ヤーウェ」として明示しています。クリスチャン・ギリシャ語聖書の古い翻訳は,ヘブル語聖書の,「ヤーウェ」という名前が出ている聖句がヘブル語聖書から引用された箇所ではその「ヤーウェ」をとどめてさえいます。

このように,リンガラ語は,神のお名前と王国をふれ告げる多くのことばのひとつになっています。毎号約1万冊の「ものみの塔」誌がリンガラ語で印刷されており,「とこしえの命に導く真理」と題する聖書の手引き書はリンガラ語で幾万冊も印刷されています。こうして,有用な伝達手段であったこの簡単なアフリカのことばは,今や,神の壮大な目的に関する良いたよりを広める強力な道具になっています。

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