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目ざめよ! 1973
目73 12/22 10–16ページ

王国の音信を広めるための拡大された施設

悪化する世界情勢に悩まされ,どうしたらこうした事態を改善できるのだろうかと考えている人びとはますます多くなっています。そのため,この問題に対する神の解決策,つまり神の王国政府について説明する文書の需要は増大しつつあります。こうした需要のために,エホバの証人の印刷工場は世界中でその施設の拡大を迫られました。

1920年に,エホバの証人は第一台めの輪転機を購入し,ニューヨーク市ブルックリンの小さな建物の中で印刷の仕事を開始しました。全床面積はわずか270平方㍍でした。1927年に,それまでの広さの25倍近くもある8階建の新しい工場が完成しました。しかし,聖書文書の需要に伴い,さらに大きな拡大が求められました。

1968年までには,印刷工場は1927年当時の工場の規模の9倍以上になっていました。その工場は市街の4区画を占め,床面積は約6万1,500平方㍍もありました。そして,輪転機の台数も18台に増えていました。しかし,さらに急速な拡大が訪れようとしていました。

速度を早めた拡大

1969年11月に,エホバの証人はブルックリンの工場群から800㍍足らずのところにある,10の建物から成るスクイブ製薬会社の巨大な工場群を購入しました。これによって,使用可能な場所の広さはこれまでの2倍になり,非常に必要とされていた倉庫,特に紙の貯蔵所が得られました。5年もたたないうちに,重量40㌧ないし50㌧の輪転機の台数は2倍以上に増えました。今では,40台もの輪転機が据え付けられているのです。

1972年には,これらの輪転機は2万㌧を越す紙 ― 25㌧積の貨車800両分 ― を使いました。1台の輪転機で,重さ635㌔,長さ8,000㍍の巻紙をわずか40分で使い切ってしまいます。ほとんど毎日,200本を越すさまざまな大きさの巻紙が聖書文書に変えられます。それに加えて,20台の小型の平版印刷機が1年間に何百㌧もの紙を消費します。

それにもかかわらず1970年には,ブルックリンの印刷工場では増大する聖書文書の需要を満たせないことが明らかになりました。そこで,ブルックリンの北約160㌔のところにあるものみの塔農場で,長さ90㍍幅60㍍の1階建の印刷工場の建設が始まりました。この工場は1971年3月に完成しました。

しかしそれが完成する前に,この工場では小さすぎることが,すでに明らかになりました。王国の音信を載せた印刷物の需要はそれほど大きかったのです。そのため,3階建のさらに大きな印刷工場の増築が始まりました。完成の暁には,これらの工場の床面積は3万6,500平方㍍にもなります。

この工場での印刷は1973年2月に始まりました。今では,毎月何百万冊もの雑誌が輪転機から流れ出ています。すでに,重量40㌧の輪転機10台が据え付けられており,さらに多くの輪転機を設置することもできます。

特異な印刷活動

ここの印刷活動を特異なものにしているのはその巨大な施設の規模ではありません。大きな新聞社の印刷工場はこれよりも多くの印刷物を印刷しています。しかし,ここの印刷活動の特異な点について,1970年9月号のモダン・リソグラフィー誌はこう述べています。

「カナダの森林地帯と製紙工場を所有している,大都市の主要新聞社を除けば,ものみの塔の印刷工場はアメリカで最も独立自足性の高い工場と言えるであろう」。

この独立自足性はさまざまの面に見られます。たとえば,大型輪転機用のインクすべて ― 1年で250㌧を越す何十色ものインク ― はまさにこのブルックリンの印刷工場の中で作られるのです。雑誌を包装したり,書籍や聖書を製本したりするのに用いる,何百㌧ものノリやニカワも作られます。何十台もある輪転機や他の印刷機械,また製本装置などを動かすために,ディーゼル・エンジンが直流電流を発電します。67人の技術員が装置の点検修理にあたっています。

事実,文書が作り出されるまでのすべての作業は工場の中で行なわれます。原稿が校正され,翻訳され,活字に組まれ,次いで鉛版が作製され,出版物が印刷されます。雑誌は断裁された後に,包装されて郵送されます。本の折丁は糸でかがってニカワがつけられ,表紙がノリ付けされ,こうしてできあがった本は発送されます。

しかし,独立自足性は特にここの労働力およびその世話に見られます。800人以上の人びとがブルックリンの印刷工場で働いています。その全員が数区画離れた所でベテル家族と呼ばれるひとつの家族として生活しています。家族の他の成員はベテルの家を世話したり,食事を作ったり,洗濯をしたりなどします。家族の成員はみな,王国の良いたよりが人の住む全地で宣べ伝えられるのを見ることに誠実な関心をいだいて,自発的に奉仕しているエホバの証人です。家族の各人には食事と部屋が与えられ,雑費をまかなうために,毎月5,040円が支給されます。彼らの関心は私利を得ることにではなく,神の王国の良いたよりを宣べ伝えることにあります。

世界的規模の拡大

全世界における聖書文書の需要のために,エホバの証人は多くの国に同様の印刷工場を建ててきました。ドイツ,南アフリカ,カナダ,英国,スイスにはそれぞれ,1台またはそれ以上の大型の輪転機を備えた工場があります。デンマーク,スウェーデン,フィンランドの印刷工場では,小型の平版印刷機を使って1年に1,500万冊以上もの雑誌を印刷しています。フランスでも雑誌の印刷はエホバの証人によって行なわれています。

しかし,アメリカにおける拡大が急速に進んでいるのと同様に,世界中でも拡大がみられます。たとえば,過去1年ほどのわずかな期間に,6つの新しい印刷工場が建てられました。

日本

1年前に,新しい居住施設と印刷工場が東京の南西約120㌔にある沼津に完成しました。その費用は日本のエホバの証人の貸付や寄付でまかなわれ,外国からの資金は用いられませんでした。非常に寛大な寄付が寄せられたため,1972年の末までには貸与者の大半に貸付金を返却しました。

建物が完成する以前に,日本製の重量40㌧の新しい輪転機がすでに設置されました。その輪転機から出てきた最初の雑誌は,1972年10月8日号の「目ざめよ!」誌,約30万冊でした。今では,毎月100万冊以上の日本語の「目ざめよ!」誌と「ものみの塔」誌がこの輪転機で印刷されています。この輪転機は1時間になんと2万1,000冊の雑誌を印刷します。これらの雑誌は多くの日本人に感謝されています。というのは,そこには日本人に関心のある問題,特に国家の問題である犯罪や汚染がどのように解決されるかを示す記事が載せられているからです。

この3階建の工場には,拡大に備えて十分のスペースを取ってあります。輪転機の据え付けを監督したミラン・ミラーは,工場の中を初めて歩いたとき,「なんと大きいのだろう!」と思わず叫びました。広さを測ってから,彼は,1階に8台の大型輪転機を設置することができると言いました。工場に接続して建てられた5階建の居住施設も広々としており,50人のベテル家族の快適な宿舎となっています。この建物もさらにおおぜいの人を収容することができます。

建築と工場の働き人

建築の仕事は,戦後新たに皇居を造営した建築会社によって行なわれました。しかしこの会社は,電気設備関係の仕事をエホバの証人である高橋統次郎に下請させることに同意しました。兄弟たちが輪転機の回りに集まり,6か月に渡った電気工事の重大な一瞬が訪れました。スイッチが入れられると,輪転機は回り始めました。

日本語の複雑な文字体系は印刷に関連して多くの問題を引き起こしました。日本語には1万6,000もの異なった文字があります。通常,新聞は1,400の異なった文字を用いていますが,普通の印刷物はもっと多くの文字を必要とします。モノタイプ(自動鋳植機)の鍵盤には3,249の標準的文字が収められており,モノタイプの技手は瞬間的にそれぞれの文字を見極めなければなりません。しかし,エホバの証人はこれらの機械の操作を非常に早く学んだため,今では一人の技手がほとんど1冊分の雑誌の活字を1週間でタイプすることができます。

神の王国の音信が日本中に広まるのを見たいという願いに動かされて,この工場の働き人たちは熱心な努力を傾けています。日本で「良いたより」を熱心に宣べ伝えている1万6,000人以上のエホバの証人すべてと同様に,彼らも自発的にその奉仕を行なっています。印刷工場の働き人の中には広中章展がいます。彼の父親は,第二次世界大戦中にシンガポールで英国の将軍の降服を受諾した将官のひとりでした。また,元“プロ・ゴルファー”の根上博之は,今では工場の雑誌部門の責任者です。彼らの関心事は神の意志を行なうことです。

ブラジル

ブラジルのサン・パウロにある新しい工場と居住施設は日本のものよりも大きく,床面積は8,000平方㍍近くもあります。サン・パウロのこうした施設は実際には,3階建の新しい居住施設の完成した1968年からありました。しかしブラジルでは,わずか2年間で1万3,000人以上もの王国伝道者が増加したため,さらに大きな拡大が必要となりました。

そこで,建物に隣接する地所を購入するための努力が払われました。しかし,土地の所有者のひとりはブラジルの辺地に住んでいたため,その所在をつきとめることはなかなか困難でした。その人の友人が近くに店を構えていたので,その地所の所有者と会いたいというエホバの証人の願いが店主に伝えられました。返事がないまま時が過ぎました。そこで,ひとりのエホバの証人が尋ねるためにその店に行きました。店主が,「いや,彼からは何の返事もない」と言ったちょうどその時,ほかならぬ土地の所有者が中に入って来たのです。そして,土地購入の取決めがなされました。

こうして,現在の建物に隣接する5階建の2つの新しい建物の建築が1971年の半ば過ぎに始まりました。また,隣接する工場も購入され,改造されてからこの一連の建物に接続されました。これらの隣接する建物によって,合計の床面積は元の建物の2倍半以上に増えました。

建築の仕事に従事した158人の働き人の約半数はエホバの証人でした。それらのエホバの証人の中には今までよりも低い賃金で働くことを選んだ人も少なくありませんでした。他の人びとは,毎月ベテルの家族と同額の手当てを受けてベテルの家で生活する招待を受け入れました。それに加えて,週末には,近隣の会衆のエホバの証人がやって来て,建物内外の清掃を手伝いました。こうして,百数十万円もの建築費が節約されました。

印刷が始まる

建物は1973年3月に完成し,献堂式が行なわれました。そのすぐ後に,ドイツから大型の輪転機が送られて来ました。現在,毎月約70万冊のポルトガル語の「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌が印刷されています。これらの雑誌は実際,ブラジルで最も広く配布されている雑誌です。もう1台の輪転機が最近ドイツから送られて来ました。まもなく,スペイン語の文書もここで印刷されるようになるものと期待されています。

雑誌は通常の郵便によるほか,ブラジルにある1,260の会衆の多くにトラックによっても運ばれます。現在これらの会衆に,7万5,000人以上のエホバの証人がいます。ブルックリンから雑誌が送られていた当時,雑誌の到着は多くの場合不定期でした。しかし今や,ブラジルの人びとは以前よりもずっと規則正しく,この聖書を説明した雑誌を受け取ることができます。

オーストラリア

新しい印刷工場の建築が1972年1月にシドニーで始まりました。この工場は,新たに改修された,エホバの証人の所有する他の2つの建物とともにひとつにされました。その結果,床面積約4,000平方㍍の新しい近代的なひとつの建物ができあがりました。これによって,仕事をする場所の広さはこれまでの約5倍に増えたことになります。

建築の仕事は,特殊な専門職を除いてすべてエホバの証人によって行なわれました。自発的な働き人の中には1,500㌔以上も離れた所から喜んでやって来た人もいました。4つの建物を取り壊わす取り決めが設けられ,それらの建物の資材,特にレンガや角材が新しい建物に用いられました。こうして,かなりの額の費用を節約することができました。

印刷とその効果

まもなく,重量40㌧の輪転機が日本から到着しました。こうして,建築の仕事が始まってから1年足らずのうちに,「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌の正規の印刷が始まったのです。現在オーストラリアでは,毎月70万冊近くの雑誌が主に英語で印刷されています。何千冊かはモツ語,メラネシヤ-ピジン語,フィジー語で印刷されています。オーストラリアで印刷した雑誌は25の国々や島々に送られています。

英語版の雑誌の大半はオーストラリアで配布されており,オーストラリアの2万3,000人以上のエホバの証人が神の王国の良いたよりを宣べ伝える点で助けとなっています。おおぜいの人が「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を読んでおり,それらの雑誌に載せられている「良いたより」に答え応じています。たとえば,1973年3月27日にシドニーにあるエホバの証人の事務所は次の手紙を受け取りました。

「拝啓

「私はカトリックの女子修道院長で,25年間[カトリック]教会に奉仕してまいりました。マクウォリー街のベーリー医師の診療所で診察を待っている時,私はボンディに住むある婦人に話しかけられました。診察までの間彼女が読んでいた読み物を私は注意深く見ました。それは三位一体を扱っている記事でした。

「三位一体はカトリック修道女の訓練課程で長期に渡って話し合われる問題であり,わたしたちの非常に重要な教理のひとつです。その婦人は,自分が交通事故に会い,幾つかの検査を受けているところである,と言いました。彼女は神に対して非常に誠実な信仰心をいだいておりましたから,私は,彼女が今日の多くの人とは異なっていることを知っています。……偶然にも,彼女はその雑誌を席に残して行きましたので,私はそれを取り上げて,読み始めました。

「私はがく然としました。25年間も私が学んできた事がらがまちがいであろうはずがありません。…

「私は繰り返しその記事を読み,事実を自分で調べてみました。お分かりでしょう。私は真理の神に仕えたいのです。

「この問題について私が祈っていた時,私の全身は,[カトリック]教会には多くの欠陥があるのではなかろうか,ということに気づきました。私はみなさんを捜し出して,死後の状態について質問をするつもりです。

「私はカルメル会修道女と呼ばれ,閉鎖的な修道会に所属しておりますので,私に手紙をお送りにならないでください。でも,私は今3週間の休暇に入っています。25年間も経た後に自分がまちがっていたというようなことがあるとは,今だに信じられないのですが,もしそうなら,神は私にそのことを明らかにしてくださるでしょう。

「その婦人をご存じでしたら,私の感謝の気持ちをお伝えください。

敬具

(署名)女子修道院長」

ガーナ

建築が始まってから1年足らずの1972年5月に,ガーナのアクラにあるエホバの証人の拡大された施設は使用できるようになりました。これらの施設には,新しい印刷工場が含まれています。

建築の仕事はすべてエホバの証人によって行なわれました。熟練レンガ工,鉛管工,電気技師,大工,その他の職人など全員が自発的な奉仕者でした。建築業を営んでいるあるエホバの証人が無償で工事全体を監督しました。週末ごとに,アクラ市内およびテマ市の近郊にある45のエホバの証人の会衆のうち4つの会衆から,70人ないし100人のエホバの証人がやって来て,土曜日と日曜日を利用して自分たちの労力を進んで提供しました。子どもが幼くて家に残しておけない場合,母親はその子どもをおぶって仕事をしました。その間,赤ん坊は満足そうに眠っていました。

2階の床に流し込むコンクリートはすべて,階上まで運ばなければなりませんでした。頭に載せて運ぶ,約30㍑入りの鉄製のなべに入れて,コンクリートは運ばれました。婦人たちは頭の上でなべのバランスを取りながら,傾斜路を歩いて2階まで運びました。この方法で,325平方㍍の2階の床全体に3日間でコンクートが流し込まれたのです。

新しい印刷工場は機械の完備した能率的な工場で,ガーナの1万6,000人以上のエホバの証人の用いる雑誌を印刷しています。ここで活字が組まれ,鉛版が作製されます。印刷は最新型の平版印刷機によって行なわれます。次いで,折りたたみ機が紙を折って24ページの雑誌にします。毎月約2万冊の雑誌がアフリカ語のツイ語,ガ語,エウェ語で印刷されています。また,5万8,000冊以上の英語版の雑誌が英国で印刷されここに運ばれます。こうして,「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌はガーナで他の雑誌の追随を許さないほど広く配布されています。

ナイジェリア

ナイジェリアのラゴスでも今年新しい印刷工場が完成しました。工場は新しい3階建の建物の1階にあります。この新しい建物の2階と3階には,図書室,事務所,それに31の寝室があります。この建物は今までのベテルの家に接続されてひとつの建物となり,その結果,施設の規模はこれまでの2倍の広さになりました。

建築費用は全額ナイジェリアのエホバの証人によってまかなわれました。また,建築の仕事も,テラゾー・コンクリート(大理石の砕石をちりばめてとぎ出したコンクリート)の床を敷く仕事を除いて,すべてエホバの証人によって行なわれました。経験を積んだ大工,レンガ職人,レンガ積工,製鋼工,電気技師などが進んで,また惜しみなく自分たちの技能を提供しました。1972年7月から1973年3月にかけて,今までよりも低い賃金で最後までこの仕事に携わった16人ほどの作業班とともに最高52人のエホバの証人がここで働きました。1年とわずかの期間で建築に関連した仕事はすべて完了しました。これはナイジェリアにおけるこの種の建築作業としては非常に期間の短いものでした。

工場は1973年5月から作業を開始しました。印刷は,ドイツから送られた2台の平版印刷機によって行なわれています。「ものみの塔」誌はナイジェリアの3つの言語つまり,ヨルバ語,イボ語,エフィク語で,また「目ざめよ!」誌はヨルバ語でそれぞれ印刷されています。毎月,合計11万1,000冊以上の雑誌が印刷されています。それに加えて,英国から毎月20万冊以上の英語版の両誌が届き,ナイジェリアの8万8,000人のエホバの証人が用いるために配られます。こうして,「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を合わせた毎月の雑誌の配布数はナイジェリアの他のどの雑誌よりも多くなっています。

フィリピン

第二次世界大戦以来フィリピンのエホバの証人はしだいにその施設を拡大し,現在では5つの建物を所有しています。2階建の大きな工場と新しい居住施設がちょうど昨年完成しました。これらの建物によって,使用可能な場所の広さはこれまでの1倍半以上に増えました。

建物の敷地は第二次大戦後に特別な廉価で手に入れました。というのは,戦時中,日本人がフィリピン人から情報を得ようとしてこの場所でフィリピン人に拷問を加えていたからです。この地所にまつわる汚名のために,それを購入する人がいませんでした。

今年の2月から,それまでブルックリンで行なわれていたフィリピンの8つの言語の雑誌の印刷はすべて,新たに建築されたこの印刷工場で行なわれるようになりました。また,フィリピンで用いる英語の「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌も現在ここで印刷されています。そのために,重量40㌧の新しい輪転機が日本から購入されました。非常に多くの異なった言語の雑誌を印刷しなければならないにもかかわらず,毎月25万冊以上の雑誌が印刷されています。これらの雑誌は5万5,000人のフィリピンのエホバの証人によって,王国の音信を広めるために用いられています。

他の場所における拡大

しかし,ものみの塔農場の新しい工場と前述の6つの新しい印刷工場だけが最近行なわれた拡大のすべてではありません。他の印刷工場も拡張されたり,新しい場所に移ったりしました。そうした例を次に記します。

1973年5月に,フランスのパリにあるエホバの証人の印刷工場から輪転機が,約105㌔離れたルビエに新築した印刷工場に移されました。1972年に,南アフリカの印刷工場が拡張され,その規模はずっと大きくなりました。1971年には,スウェーデンの印刷工場が増築され,現在同工場は毎月50万冊を優に超える雑誌を印刷しています。また,フィンランドの印刷工場の大幅な拡張工事も完成間近です。ここの印刷工場では毎年20万冊以上の書籍が製本され,何百万冊もの雑誌が印刷されています。

1972年に,ドイツのウィースバーデンにあるエホバの証人の印刷工場が増築され,一連の新しい製本機械類が購入されました。その結果,ここでは現在,わずか1日で3万冊もの書籍を製本することが可能になりました。また,ドイツの工場は毎月約300万冊の雑誌を印刷しています。1970年には,スイスのベルンにあった小規模の印刷工場からツーンの5階建の居住施設と工場に移転が行なわれました。ここでは,2台の大型輪転機が毎月200万冊以上の雑誌を印刷しています。

1955年から現在までの間に,全世界のエホバの証人の所有している大型輪転機の台数は9台から64台にまで増えたのです。そうです,印刷施設は増大する聖書文書の需要をまかなうのに大きく役立っているのです。そしてエホバの証人は,イエスがご自分の追随者に行なうよう命じた業を成し遂げるためにそれらの印刷施設を活用しています。

こうした事がらすべてに関する誉れはだれに帰されるでしょうか。ちょうど使徒パウロが,(彼とアポロが宣べ伝える業を行なった後に)『神が成長させてくださる』ことを認めたように,現代のエホバのクリスチャン証人も,神の王国の良いたよりを宣べ伝える業を繁栄させてくださるエホバ神にすべての誉れを帰します。―コリント前 3:5-7,新。

あなた個人についてはどうですか

ですから,現在の宗教の趨勢に2つの側があることは明らかです。キリスト教世界の多くの教会の教会員と指導者の両者が認めているように,教会は深刻な衰退の事態に直面しています。

ご自分の弟子たちが行なうであろうとイエスが預言した業は,同じ時に,歴史上かつてなかったほどの規模でますます盛んになっています。事実が示すとおり,この業を行なっているのはエホバのクリスチャン証人です。彼らの信条,また彼らが宣べ伝えている音信は,エホバ神が聖書の中に記録しておられた事がらです。何十万人もの誠実な人びとに生活の真の目的を与えたのはその良いたよりです。良いたよりは彼らを,仲間の人間に真の関心をいだき,清い生活を送っている人びととの交わりに導きました。また,良いたよりは確固とした根拠に基づいた将来の希望を彼らに与えました。

エホバの証人はその知識を喜んであなたに分かちたいと思っています。エホバの証人の王国会館の集会においでください。また証人たちは,お宅であなたと無償の聖書研究を喜んで行ないます。当誌の発行者にお手紙をお寄せくださるか,お近くのエホバの証人にその旨お知らせください。

[11ページの写真]

1972年に,自発的な奉仕者のための住居を備えた新しい大きな工場が,エホバの証人によって日本の沼津に建てられた

[12ページの写真]

ここブラジルでは,現在,毎月70万冊の「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌が印刷されている

[13ページの写真]

ここオーストラリアで印刷される雑誌は,25の国々や島々に送られる

[14ページの写真]

ガーナに,聖書文書を印刷するための新しい工場が完成した。コンクリートを流し込んでいる男女の自発奉仕者たち

[15ページの写真]

ナイジェリアでは,毎月30万冊を超える「ものみの塔」誌や「目ざめよ!」誌が人びとに配布されている

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