ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目74 6/8 20–22ページ
  • 毎週幾千人もの人がバプテスマを受ける

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 毎週幾千人もの人がバプテスマを受ける
  • 目ざめよ! 1974
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 祝福された勇敢な努力
  • 生活面での変化
  • 老齢は宗教を変えるさいの障害とはならない
  • エホバの証人の1975年の年鑑
    1975 エホバの証人の年鑑
  • その4 ― 地の最も遠い所にまで証人となる
    エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
  • 1976 エホバの証人の年鑑
    1976 エホバの証人の年鑑
  • 1986 エホバの証人の年鑑
    1986 エホバの証人の年鑑
もっと見る
目ざめよ! 1974
目74 6/8 20–22ページ

毎週幾千人もの人がバプテスマを受ける

エホバのクリスチャン証人は,自分たちが他の人々に宣べ伝えなければならないことを認識しています。それら証人たちは,イエス・キリストの次のことばを心に銘記しています。イエスはこう命じました。「すべての国の人びとを弟子とし,父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し,わたしがあなたがたに命令した事がらすべてを守り行なうように教えなさい」― マタイ 28:19,20。

(1972年9月1日から1973年8月31日までの)1973奉仕年度の間,証人たちは208の土地でまさにそのとおりのことを行なってきました。エホバの証人は毎週,関心のある人々と120万件以上の聖書研究を司会してきましたし,また今でも引き続きそうしています。毎月2,500万時間以上を費やしてこうした業が行なわれた結果,何万人もの人々が,イエス・キリストの弟子となってバプテスマを受け,他の人々を教えることができるほどにまで援助されました。1973奉仕年度を振り返ってみると,毎日平均530人,つまり週に約3,700人がバプテスマを受けて新たな弟子となりました。昨奉仕年度中にバプテスマを受けた人の合計は19万3,990人でした。

祝福された勇敢な努力

弟子を作るこの業には,しばしば勇気が求められます。たとえば,アフリカのナイジェリアの南東部にある一つの村で起きたでき事について考えてみてください。

その村で,エホバの証人の業に対する反対が起きました。毎月150時間ほどを費やして人々が聖書をより良く理解できるように助けていた一人の“特別開拓奉仕者”が,その土地の宗教の狂信的な信者たちによって殺害されました。この“特別開拓奉仕者”といっしょに住んでいたエホバの証人の一家族3人も同様に殺されました。後に,犯人たちは裁判にかけられ,12人が死刑に処されました。

エホバの証人の業に関連してこうした痛ましい事態が生じたことを考え,中には,エホバの証人はその村のことを全く忘れてしまおうとするだろう,と考えた人もいるかもしれません。しかし,そうではありませんでした。エホバの証人の若い夫婦がその土地に移り住み,人々に対する純粋な関心をいだいて奉仕をはじめたのです。まもなく,この二人は家庭聖書研究を司会するようになり,また余分の時間を費やして,文盲の人に読み書きを教えました。やがて,多くの村人の態度が変化しはじめました。そして,聖書研究のための集会に出席したいと望んでいる人々を収容する場所を探すことが必要になりました。

その後1973奉仕年度に入って大会が開かれましたが,そのうちの一つの大会では,この地域から20人がバプテスマを受けました。現在では,この村のエホバの証人の集会に70人を超す人々が出席しており,彼らは他の人々に聖書の真理を分け与えています。そして,ここにいるすべての人は,殺害された4人の証人たちが復活させられる時を待ち望んでいます。

生活面での変化

これら新しくバプテスマを受けた証人たち,および他の同様の人々は,生活を聖書の高い要求にかなったものにするため,変化しなければなりませんでした。多くの場合,そうした変化は生活全体にかかわるものでした。

アフリカのダホメーに住む,以前のある警察部長の例を考えてみましょう。その人はメソジスト教会に属していましたが,他の宗教に対しても敬意を持っていました。というのは,神の名によって来る人にはだれにでも聞くように,と父親から教えられていたからです。ですから,エホバの証人が訪問した時,その人は証人の話に耳を傾け,聖書文書を受け取りました。そして後に,家庭聖書研究が始まりました。

エホバの証人の王国会館で開かれている集会に数回出席した後,この男の人は,自分も学んだ事がらを他の人々に伝えたいと思いました。しかし,クリスチャンはただ一人の配偶者しか持つことができないという聖書の要求に注意が向けられた時,その人は悲嘆に暮れてしまいました。というのは,その人には一時,妻が7人もいたことがありましたし,その時でも同じ家の中に5人の妻が住んでいたからです。

神を喜ばせたいと願っていたその男の人は,妻をただ一人だけにするために,法的な手段を講じはじめました。彼は3人の妻と合法的に結婚していましたから,そのうちの2人と離婚することが必要でした。ダホメーでは,姦淫,毒殺未遂,性格の不一致以外の理由では,なかなか離婚は認められません。ですから,2番めと3番めの妻を法廷の手続きを経て合法的に離婚することは非常に困難なように思えました。審理にあたった裁判官は,この件で主張されているような,聖書に基づく理由では離婚することは不可能であろう,と言いました。しかし陪審員たちは,この人の誠実な態度と聖書から語られた事実に良い印象を持ち,結果として離婚は認められました。それ以来2番めと3番めの妻とは別れましたが,これら以前の妻や子どもたちの生活に必要なものは引き続き与えました。

エホバの証人の一人としてバプテスマを受けた後も,彼は先祖崇拝や呪物崇拝に関連した,部族や家族の習慣に従わなかったため,引き続き親族から数多くの反対を受けました。彼は一族のかしらとしての地位を世襲していましたから,宗教儀式や家族内の儀式はすべて,彼によって主宰されるべきものと考えられていました。その人なしには,宗教上の儀式は実際に何も行なえませんでした。多くの親族からはきらわれ,相手にされなくなりましたが,彼は確固とした立場を保ちました。

この証人は時間を賢明に用いて,自分の32人の子どもたちに聖書を教えました。その結果,今では,子どもたちのうちの7人がバプテスマを受けたエホバの証人であり,23人が会衆と交わっています。合法的に結婚している妻は夫とともにエホバの証人の集会に出席しており,聖書の音信を他の人々に伝えています。

エルサルバドルに住むある男の人の次の経験に注意を向けてください。その人はこう語っています。

「これまでの人生を振り返ってみると,わたしは自分のことだけしか考えてきませんでした。ごく若い時分から,生活をエンジョイしたり,音楽を楽しんだりすることに没頭していました。1920年当時,わたしは『マリンバ・マトラカト』と呼ばれるエルサルバドルのマリンバ・バンドの歌手でした。第二次世界大戦が勃発した時,わたしたちはちょうどヨーロッパを旅行中でした。ラテン・アメリカ諸国は連合国側を支援していたため,わたしたちはオーストリアの国境にある強制収容所に入れられ,そこで2年近く過ごしました。

「終戦の少し前に,わたしたちは他の人々の尽力もあって,ニューヨークに行くことができました。やがてわたしは,エルサルバドルに戻り,音楽の仕事を続け,大酒を飲むようになりました。

「1960年代になって,わたしは酒のために自分の健康を害しただけでなく,妻まで失ってしまったことに気づきました。わたしにとって,すべては全くやみのようでした。しかしこうした時期に,真の光が射しはじめようとしていたのです。わたしの兄弟がエホバの証人と聖書を勉強しはじめ,自分の学んでいることをわたしに話すようになりました。

「わたしはとてもがんこだったので,彼の言うことに注意を払いませんでした。しかしある日,末の二人の娘が年若い婦人と勉強していることに気づきました。その婦人はエホバの証人だとのことでした。わたしはそれを見てあまりいい気はしませんでしたが,遊び回っているよりは聖書を勉強しているほうがまだ良いだろうと考えました。子どもたちに付いて何回か王国会館に行ったこともありましたが,わたしには全く興味がありませんでした。実のところ,これまであまりにも悪すぎたため,自分は神の許しを受けるにさえ値しないという考えが頭にこびりついていたのです。結局のところ,わたしはこれまでの人生の間あらゆる種類の悪行にふけってきました。世界のいろいろな場所で勝手に子どもたちをもうけては,そうした子どもたちと母親たちを捨ててきました。エルサルバドルにいるわたしの正式な家族に対して,どんな愛や関心を示したというのでしょうか。いったい,どんな助けを与えてきたでしょうか。では神は,こんなわたしをさえどのようにして許してくださったでしょうか。

「娘たちとの勉強を司会していたその若い婦人はいつも,エホバは愛に富み,惜しみなく許してくださる神である,と言っていました。そこで,わたしはもっと調べてみることにしました。妻が娘たちに対する権利を主張したため,その勉強は中断されてしまいましたが,わたしは続ける決意を持っていました。そこで王国会館に行き,引き続き援助してもらうための取決めを設けました。2年ほど勉強した後の現在,わたしは『新しい老人』です。というのは,わたしはすでに70歳を超えていますが,クリスチャンとしてはまだ新しいからです。わたしは1973年6月にエホバの証人の一人としてバプテスマを受けました」。

老齢は宗教を変えるさいの障害とはならない

堕落した生活を送ってはいないものの,目が開かれて,それまで何年間も信じてきた自分の信仰に誤りがあることを認めざるを得なくなった人もいます。そうした人々の中には,男女を問わずかなりの高齢に達している人がいます。

その好例は,すでに隠居の身にあったデンマークのある大工です。その人は80歳を超えており,自分の宗教に満足していました。

1年半ほど前に,二人のエホバの証人がその老人を訪問しました。その時老人は,『自分には教会がある』ので帰ってほしい,と言いました。しかしドアを閉めて,居間に戻ってから,老人は,その二人の若い婦人と話をすべきだったのではないだろうか,と考えはじめました。証人たちの驚いたことに,老人は外に出て,二人に家の中に入るようにと勧めました。二人は中に入ると,すぐさま聖書を開き,たくさんの質問に答えました。その場で,「とこしえの命に導く真理」という本が紹介され,聖書研究が始まりました。その後ほどなくして,その老人はエホバの証人のすべての集会に出席しはじめました。

それから3か月ほどして,その老人は教会から籍を抜いてもらうために教区牧師のもとへ行きました。牧師はすぐには,何が起きたのか理解できませんでした。「あなたが悪いのです!」と,老人は厳しい口調で言いました。そして,教会員が聖書を知ることができるように聖書研究会を開いてほしいと,自分が何度頼んだかを牧師に思い起こさせました。すると,牧師はこう言いました。「そんな集まりにはだれもやって来ません」。老人は答えました。「しかし,わたしは行きました」。一人のために聖書研究講座を開くわけにはいかないと牧師が説明すると,老人はこう反ばくしました。「いや,そうではありません。教会はしませんが,エホバの証人はしています。ここ3か月間で,わたしはこれまで教会に通っていた長い歳月の間に学んだことよりもずっと多くを聖書から学びました。ですから,わたしは籍を抜きたいのです」。

83歳に近い高齢であるにもかかわらず,その老人はエホバの証人のすべての集会に出席しており,また戸別訪問の奉仕にも携わっています。そして1973年の夏からは,バプテスマを受けたエホバの証人として忠実に奉仕しています。

老若にかかわりなく,世界じゅうのエホバの証人は非常に活発に他の人々に良いたよりを宣べ伝えています。(マタイ 24:14)あなたは,現在の邪悪な体制の滅びを生き残るために,また神に仕えたいと誠実に願っている人々のため神が備えておられる祝福を得るために,その音信に答え応じておられますか。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする