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目ざめよ! 1974
目74 7/8 18–20ページ

神のことばは人の生活を豊かにする

人間は霊的に満たされることが必要です。そしてこのことは,当人がその必要を認めているかどうかには関係がありません。イエス・キリストは悪魔の誘惑を退けたさいにこう言われました。「人は,パンだけによらず,エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならない」。(マタイ 4:4)ですから,相当裕福な生活をしている人でも,霊的な必要が満たされていない場合には,ある種のむなしさを強く感じることがあります。確かに何かが欠けていることには気づいていても,多くの場合,それが何であるかがわかりません。また世間の騒がしさは,その人の欲求不満をいっそうつのらせます。

アメリカ,カリフォルニア州に住むある男の人もそうした経験をしました。その人は,自分の境遇と自分が感じていたことについてこう語っています。

「わたしたちの結婚生活はうまくいっていました。また,二人のよい息子がおり,家,自動車,帆船など,生活を楽しくするものもそろっており,そうした生活を支えるに足る高級の職業も二つ持っていました。しかしわたしたち夫婦は,物質を手に入れてそれを手離すまいとあくせくする無情なこの社会の行き方に不満を感じ,また世界の将来に不吉なものを感じていました。

「わたしたちはそこから逃げ出す必要があると感じていました。二人とも海が好きでしたので,船を造り,子どもたちが事実上社会から孤立して安全に生活できるような孤島に行こうと考えました。もちろんわたしたちは,自分自身のことも考えていました。海に出ていった人々のことを書いた本を読んでは,スモッグで汚れた,無味乾燥なこの世界から全く離れた遠い場所のことをいつも夢みていました。回りのいやなことを忘れようとして,わたしたちは1969年に大型の帆船の建造に取りかかりました。

「エホバの証人は何度もわたしたちの家に来ましたが,わたしはいろいろな支払いに追われて二つの仕事をしていたため,いつも妻が応対していました。しかし,ある土曜日にエホバの証人がやって来て,わたしが応対に出ました。わたしたちは聖書について話しはじめました。そのさい,証人は幾つかの質問をしましたが,わたしにはその答えがわかりませんでした」。

この会話は,その男の人の関心を呼び起こしました。その後ほどなくして,この夫婦はエホバの証人と聖書の勉強をはじめました。神のことば聖書の勉強は,二人の家庭生活を富ますものとなったでしょうか。それによって,生活に欠けていたものはおぎなわれたでしょうか。その人はこう話を続けています。「自分たちが学ぶ事がらと,目の前に大きく広がるすばらしい希望とにただ喜ぶばかりでした。現在の体制から逃れること,つまりそこからの真の解放は,キリストによる神の王国によってのみもたらされるということをわたしたちは知ったのです」。

もはや二人は,他の土地に移ることによって逃避しようとはしなくなりました。船が完成した時,それは初め意図されたようには使われずに売却されました。現在この夫婦は,人の生活を真に富ます神のことば聖書を知るよう他の人々を助けるために,自分たちの資産を用いることができるのを喜んでいます。

名声を得ることは十分でない

霊的な必要が満たされないために生活のむなしさを感じる人々の中には,名声を追い求める人々も含まれました。アフリカの北西部に住むある男の人はそういう状態にありました。その人はこう語っています。

「わたしは非常に幼い時から,世界的に有名な運動選手になり,自分だけでなく,アフリカに栄誉をもたらす者となろうという目標を定めていました。数多くの犠牲を伴う激しい訓練を何年も積んだ後,わたしは国際的なボクサーとして栄光と名声への段階を登っている自分の姿を見ました。ソ連,ドイツその他のヨーロッパ諸国で母国のブラック・アフリカを代表することにわたしは大きな誇りをいだいていました。しかし,人々の苦しみや犯罪を旅行先で見聞きし,わたしは深い悲しみをおぼえました。

「わたしは,わたしの国の首都の有力な宗教指導者である父から,宗教的な面で注意深く訓練されていましたから,現在の苦悩はわたしたちの神アラーのご意志であると教わっていました。しかし,神がほんとうに人間の創造者であるなら,人間がこれほどまでに苦しむのをなぜ望んでおられるのだろうかと疑問に思っていました。

「そんなある日,わたしが水泳のコーチをしていた町のプールで,誠実そうな一人のアフリカ青年がわたしに近づき,スポーツの話からはじめて世界状勢のことに,そして現状を改善する真の救済策があるという希望に話を発展させていきました。その青年はエホバの証人でした。

「こうしてわたしは初めて,真の神であり,人間のほんとうの創造者であるエホバと,地上からすべての犯罪や苦悩を取り除き,あらゆる人種の人々に永続的な益をもたらすという,神の愛ある目的とについて聞きました。

「その時わたしは,自分が別の訓練を受けはじめていたことなど少しも気づきませんでした。その訓練とは,『少しの事に益がある身体の訓練』ではなく,『すべての事に益がある敬神の専念』に関するものでした。(テモテ第一 4:8)その後しばらくして,わたしたちは,神の真理のことば,つまりそれまで漠然としか聞いたことのなかった聖書という本を定期的に勉強するようになりました。ボクシングの試合に出て魂をこめて戦うなら,永遠の命に通じるレースを走るための時間的余裕もエネルギーも残らないことに気づきはじめました。個人的な栄光や名声を得ようとしてあらゆる努力をつぎ込む生活は,栄光を受けるにふさわしい唯一のかた,つまり人体の造り主エホバに栄光を帰すための時間のない生活であることがわかったのです。しかし,スポーツという職業をやめるのは容易なことではありません。宗教や身近な家族が関係している場合には特にそうです。妻や父や友人から長いあいだ激しい反対を受けました。しかし,天の父に仕えることはわたしの強い願いでした」。

そうした願いに一致して行動したこの人は,名声を得るだけでは満たすことのできなかったむなしさをもはや感じなくなりました。苦悩に満ちた世界の状態はまもなく変わるという真の希望を聖書が与えたのです。彼はこの良いたよりを熱心に他の人々に伝え,より意義深い生活を今送るようにと勧めています。

現在のためだけに生きることは満足をもたらさない

名声を追い求めてはいなくても,物質的にできるだけ多くのものを得ること,あるいは快楽のためだけに生活することが自分たちにとって最高の生活であると考えている人もいます。そうした人々の中には,結果として,身に害を招くような生活に陥った人が少なくありません。しかし彼らも,神のことば聖書の勉強を通して助けを得て,自分の生活を豊かにする道を歩み始めることができます。中央アメリカから,そのことを示す次のような経験が寄せられています。

「わたしの野望は,あまりあくせく働かずにお金を得ることでした。この野心と当時の交友とが結びついて,わたしは麻薬の密売に関係するようになり,まもなく自分もマリファナ常用者になりました。また,ある女と奔放な生活をはじめ,一女の父親となりました。そして1970年8月に,小型飛行機にマリファナを積み込んだわたしは警察に逮捕され,やがて懲役5年の判決を受けました。

「ある日のこと,わたしは一人の訪問者を迎えました。それまでは,自分の身に生じたことを考えて悲嘆に暮れていました。その訪問者はある郵便局員でした。彼はエホバの証人で,『新世界訳聖書』や『とこしえの命に導く真理』など,数冊の本が入った小包と一通の手紙を持ってきてくれました。その手紙はいっしょに生活していた女性からのものでした。彼女はエホバの証人と勉強をはじめ,学んでいる事がらに深く感動しました。

「それまで,聖書を読んだことはありませんでした。文書を持ってきたそのエホバの証人は,引き続きわたしを尋ねてくれました。それがきっかけとなってわたしは毎日聖書を読みふけるようになりました。聖書を読みはじめて1か月ほどしたころ,わたしは自分にこう言い聞かせました。『いいか,チャールズ。片方の手に神のことば聖書を持ち,他方の手にマリファナを持つということはできないのだ』。そこで,わたしは神のことばの側を取り,マリファナをやめました。そして翌月には,同じように考えてタバコもやめました。

「その後,エホバの証人であるその郵便局員の交わっている会衆の主宰監督の訪問を受け,それ以来,わたしとの聖書研究が行なわれるようになりました。時がたつにつれ大ぜいの人が訪ねてくれたため,独りぼっちで身寄りもないわたしでしたが,刑務所の中では訪問者のいちばん多い囚人でした。

「聖書から学んだ事がらに動かされた結果,わたしの人格は全く変化してしまいました。薄汚ない身なりを改めましたし,また学んでいる事がらを他の人にも話したいという気持ちにかられるようにもなりました。

「時たつうちに,エホバに対する自分の献身を水のバプテスマによって表わしたいという願いをいだくようになりました。しかしながら,一つの小さな問題がありました。刑務所の中にはプールがなかったのです。しかしわたしは,小さな板を手に入れ,簡単な道具を使って箱を作り,内側に水を通さないポリエチレンをはり付けました。この刑務所のある町で,まもなくエホバの証人の巡回大会が開かれることになっていました。そして,この時期を利用してわたしがバプテスマを受けられるように,巡回監督と主宰監督が刑務所を訪れる取決めか設けられました。

「わたしは刑務所の中で,すべての人に対する希望の良いたよりを他の人々に引き続き伝えました。何人かの人がその音信に耳を傾け,『ものみの塔』誌を用いた研究が毎週日曜日にわたしの独房で行なわれることになりました。

「その後,内務長官から一通の手紙が送られてきました。その手紙には,わたしの行状,およびわたしの性格が変化したことがほめられていました。しかしわたしが最もエホバに感謝したのは,その手紙の中で,良いたよりの伝道者として教養活動を二日行なうごとに,刑期が一日少なくなると告げられたことでした。

「エホバの過分のご親切に感謝できることには,こうして初め予定されていた1975年の末よりもずっと早く,つまり1973年8月にわたしは完全に自由の身となり,本国であるアメリカに送還されました。わたしは,以前に同棲していた女性との結婚関係を合法的なものにしました。彼女は今,忠実なエホバの証人として奉仕しています。神が現在の事物の体制の存続を許しておられる間,わたしたちは創造者に仕えていく決意を固めています」。

同じように,オハイオ州のある青年も,現在だけのために生き,いわゆる“快楽”にふけった結果,すぐに自分の人生を無意味なものに感じるようになりました。

「二年前に,わたしは家を出て自活しはじめました。数人の友達といっしょにアパートを借りて生活しましたが,自分が破滅への道を歩んでいることにはまだ気づいていませんでした。麻薬を手に入れ,麻薬を使い,金もうけのために麻薬を売り,汚れた目的のために女たちを使うという毎日の生活でした。なんとおもしろい生活だろう,とわたしは考えていました。しかし,酒や麻薬や不品行にふける乱行パーティーは,じきにつまらなくなりました。そうしたパーティーでは,互いに殺し合わんばかりの激しいけんか騒ぎが引き起こされました。わたしは,こうした生活から抜け出し,目的ある人生を送らなければならないことを知っていました。というのは,もはやわたしには生きる理由が何もなかったからです。

「わたしはいつも創造者の存在を信じていました。そして,『人間がこうした生活を送ることを創造者は意図しておられたのだろうか』としばしば疑問に思っていました。わたしが小学生のころエホバの証人が家に来て,いっしょに聖書を勉強した時の記憶が,今よみがえってきました。友達が聖書を貸してくれました。わたしは聖書の勉強を始め,自分から王国会館に行くようになりました。そして二年間勉強した後,バプテスマを受ける決心をしました」。

確かに聖書は霊的な必要物を与えて,人の生活を豊かにします。他の多くの人と同じように,人生には物質や快楽以上のものが必要であることに気づかれたかたは,お近くのエホバの証人の王国会館に行って,神のことば聖書があなたにとってどんな助けになるかをご自身で調べてごらんになってはいかがでしょうか。

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