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目ざめよ! 1976
目76 1/8 18–22ページ

人々の生活の中に見られる証拠

この混乱した世の中で,自分の生活を簡略にし,心の平和と幸福を見いだすのはむずかしいことです。聖書の原則と助言は,もし実践されるなら,それを本当に成し遂げるでしょうか。もちろん,正しい事が実際に行なわれれば,満足のいく具体的な結果が生み出されるはずです。聖書が人の心を動かして,幸福な生活に必要な変化をさせ得ることを示す証拠があるのでしょうか。聖書は,どんな立場や境遇にある人々をも助けることができますか。

そうです,できるのです。現在,世界には,聖書を実際に勉強してその助言を自分の生活のあらゆる面に適用すべく最善の努力をしている人たちが,少なくとも200万人はいます。その人々は,聖書を唯一の導きにするときに有益で建設的な生活が送れるようになることを知りました。彼らはエホバの証人として知られています。なかには過去において無法な,また不道徳な生活を送っていた人たちもいますが,証人の大多数は,正常な,法律を守る生活をしていた人々です。以前教会に行っていた人,あまり宗教的でなかった人,家族が一致している家庭の人,分裂している家庭の人,と様々です。しかし皆一つの共通点を持っていました。それは,感情の安定を得る必要を感じていたことと,生活の中で何か価値のある永続的な事を成し遂げたいと望んでいた点です。神は,幸福な生活を渇望する人,正しいことをしたいと思う人,神について学んで神に奉仕したいと考える人すべてを顧みられます。このことは次に掲げる経験によって証明されます。

聖書が家族の助けになることを悟った心理学者

聖書は,人々を,また一家全員を助けるのに,多くのことを成し遂げます。心理学の分野で働いていたある人は,この真理が実現するのを実際に見て驚くと同時に確信を得ました。彼は次のように語っています。

「私は父に勧められて大学に入りました。心理学専攻学生としての教育を終えたあと,人を矯正する分野の仕事に従事しました。自分は本当に人を助けていると感じられたので,私はその仕事から,物事を成し遂げる満足感を得ることができました。

「ところが,何年かたって私は,自分の用いてきた方法が若者たちを大して変化させていないことに気づき始めました。なるほど表面は変わっていました。しかし永続性のある個人的,社会的変化はほとんど見られませんでした。このことで私はひどく悩みました。幾年も費やして学んだことを応用しても,実際には良いほうへの効果があまりなかったのです」。

仮釈放中の非行少年の補導員という資格で,その人は非常に考えさせられる一つの問題を扱いました。それは,三人の子どものいるある家族に関係したケースで,その三人が三人とも問題のある子どもでした。そのケースを扱っていたとき九か月の中断期間が生じました。彼はもう希望はないと考えていました。しかし次にその家族に会ったとき,彼はすばらしい変化に気づきました。とても汚くて散らかっていた家が,小ざっぱりときれいに片付いていました。子どもたちは見苦しくない服装をし,以前よりもしっかりしているように思えました。この驚くべき変化をもたらしたのはいったい何だったでしょうか。母親がエホバの証人と聖書の勉強を始め,聖書の示す原則を家族生活に当てはめることに努力していたのです。このすばらしい変わりようを見て彼は,自分が受けた教育をもってするよりもさらに優れた結果をもたらし得るものが何かあったのではなかろうか,と考えさせられました。

彼を非常に憂慮させたもう一つの事柄は,世相の悪化と,彼が協力して働いていた社会問題に対処するための機関の力のなさでした。彼は次のように話しています。

「その機関は,成果をあげるために様々の手段を試みました。取扱い件数を減らすこともしました。新しい方法も試してみました。過去のやり方を復活させて新しい名称を付してもみました。しかし,こうした努力もすべて実りのないものに思えました」。

その結果この人は,より良いものを探求し始め,聖書も読んでみましたが,理解はあまり得られませんでした。彼が大学に入ったころエホバの証人になっていた彼の母親は,日ごろ彼にいろいろな事を説明していましたけれども,彼は母親の言うことに心からの関心を示しませんでした。しかしついにエホバの証人の王国会館に行くようになり,聖書を真剣に勉強し始めました。彼はまた若い人々に目をとめました。そのなかには,以前麻薬常用者であった人や非行少年だった若者も幾人かいました。しかし今の彼らは見方と性格をすっかり変えて,信頼できる,品行の正しい人になっていました。その時からその人は,聖書の原則に従うと人の性格は,自分の場合をも含め,表面だけでなく心底から変わるのだということを認識するようになりました。

暴力を事とする生活から転向した囚人

1975年5月11日のサウス・ミドルセックス(マサチューセッツ州)・ニューズ紙面でも,同様のケースが報道され,「在監者,宗教的負債を返済」という見出しで,ある中年の囚人のことが伝えられました。

その男は,エホバの証人になっていた囚人と同じ監房に入れられました。彼はカトリック教徒だったので,次のように語りました。『エホバの証人の言うことはみな,私が教わっていたことと衝突しました。しかし最後に私は,エホバの証人が,その矛盾すべてに対して答えをもっていることを認めるようになりました』。今この元犯罪者は,「以前一度も持ったことのない」しっかりした土台と目標を与えられた,と言っています。労働釈放計画で外出するときには,マサチューセッツ州,フラミグトンで王国会館を建てているエホバの証人の手伝いをしています。彼が得た聖書の知識は,彼の家族にみられる「暴力に走る傾向」を完全に変えるのに役立った,と彼は言っています。

彼を扱った心理学者も,自分の患者が,「道徳意識のない破壊的な人間から良心のある人間に」変わったことを述べて,彼のことばを支持しています。「彼がこうした変化を遂げたのはひとえに,証人たちと接した経験によると私は思う。証人たちは過去二年半にわたり,非常な力と効果のある社会的再教育を行なってきたのである。この男がこれまでになれるような治療法は全くない。私は彼が道徳意識のない,破壊的な態度を捨て,しっかりした責任感を持つ人間へと変わっていくのを見てきた。そのように変化することは容易なことではないのである」。

特にこの人のような経歴を持つ者にとって,「それはものすごい事柄」なので,人々から「果たして長続きするだろうかと思われるのも無理のないことかもしれない」が,これは永久的な変化であると私は確信している,と同心理学者は述べ,次のようにつけ加えました。『むろん,こうしたことについての記録はないし,保証もない。しかし私は,彼が彼の生活を変えてしまった一つの大きな社会的準拠集団を発見したのだと信じている』。

確かに聖書の訓戒は,それが守られると,経歴のいかんにかかわらず,人の生活に健全な影響を与えます。正しい道徳的な生活をしてきた,そして自分の仕事からある程度の満足を得ている人でさえ,充実した幸福な生活を与え得るものは,より優れた希望と高い原則を有する聖書しかないことに気づいています。

聖書教育は公衆衛生教育よりも勝っている

ニューヨーク市に住むある婦人の経験を考えてみましょう。彼女は同胞を助けることを目的として,公衆衛生教育に献身的に従事する生活を送っていました。これは賞賛すべき仕事で,彼女は今も看護の仕事に携わっています。しかしついに彼女は,完全な幸福と真の満足を得るには,自分の職業以上のものが必要であることに気づき始めました。しかし,彼女の生活に欠けているものを見いだすかぎとなる聖書を受け入れる道には,幾つかの障害が立ちはだかっていました。彼女は次のように語りました。

「私は宗教的な人間ではありませんでした。それどころか,神の存在について大きな疑問を抱いていました。不具になる病気や,身体の自由のきかない中風などの老人が生き続けているのに,なぜ赤ちゃんが死ぬのか,私にはどうしても理解できませんでした。それでも私の職業である公衆衛生看護および教育は,私にある程度の満足を与えてくれました。

「私は職業柄,地域社会の問題である程度の活動を要求されていました。ある公立学校を訪問して,木造の階段がぐらぐら動いて危険な状態にあるのに気づいた時のことを思い出します。私は公衆衛生保健局を代表して,地域社会がその問題に対処するのを助ける目的で組織された,実業家,医師,弁護士,教師などでなる委員会の委員を努めておりましたので,同委員会は,その老朽校舎の危険な状態に対して何か手を打つようにとの勧告状を教育局宛てに作成しました。それから三年たちましたが,何の対策も講じられませんでした。その間,委員会は三通の手紙を送りました。そして送るたびに,地域社会に対する私たちの関心をほめたたえる感謝状が来ました。しかしその危険な状態は放置されたままでした。

「私はまた,文化偏見に基づく身分制度がつくづくいやになりました。こうした問題を,エホバの証人である兄に話したところ,兄は官史の手さえ縛られていることを指摘し,『彼らがそのより良い動機を実行に移してとことんまでやり遂げるのを体制が阻んでいるのだ』と言いました。私はそれを聞いて考えさせられました。

「兄は聖書の解説書をくれました。私は本当に関心はなかったのですが,欠点を見付けることだけを目的にして,それを調べ始めました。時々,書いてあることに憤慨しては,自分の聖書を開いてその陳述が正しいかどうかを調べましたが,まさしくその通りでした。そこで私は,議論する前に聖書を読むほうがよさそうだと考えました。

「そのうちに私は,聖書が信頼できるものであり神の霊感によるものであることを,認識するようになりました。特に印象深かったのは聖書の預言で,神が幾世紀も前に預言されたことまで成就しているのには驚かされました。また『罪』という語の意味も,自分がどんな立場にいるかを悟るのに役立ちました。私は自分を悪人だとは思っていませんでした。私はうそつきでも,泥棒でも,また淫婦でもありませんでした。『罪人』というレッテルは私には狂信的なものに思えました。しかし,聖書の『罪』ということばは,原語で『的をはずす』という意味であることを学んでから,理解できるようになりました。なぜなら,私にもほかの人たちと同じように弱点があることを知っていたからです。

「それから私は,人類がこの古い体制の終わりの日に住んでいること,そして私たちの天の父が,浄化されたこの地上で人類を完全な健康状態に回復させる意図をお持ちであること,またそれが近い将来に始まることを学びました。これこそ,かつてなかった最善の福祉計画です! 今では私は,他の人々をやはり肉体的に助けながら,霊的にも援助することができます」。

結婚生活における幸せ

聖書の導きのある生活とない生活の違いおよび両者が家族生活に及ぼす対照的な影響をよく示しているのは,米空軍に入隊していたある青年の場合です。

空軍にいる間に彼は不道徳な生活を始めました。そのうちに一人の少女が彼の子どもをみごもったので,仕方がないという気持ちでその少女と結婚しました。しかし結婚しても彼は夫また父親としての責任を果たそうとはせず,彼女を親元に帰しました。そして自分は妻に対して忠実ではありませんでした。ついにその最初の結婚は離婚に終わり,彼の以前の妻は再婚しました。

除隊になったときにその人は自宅に帰り,父母や兄弟と一緒に住むことにしました。そのころ彼の家族はエホバの証人と聖書を勉強していました。そこで彼も勉強を始め,聖書に従って生活する点で進歩しました。聖書からみて自由に結婚できる立場にあったので,彼はついに結婚しました。過去と現在を比較しながら彼は次のように語りました。

「過去の私には,女性に対する敬意が欠けていました。あのような生き方をして,私は自分にも他人にも不幸をもたらし,特に先妻には非常な苦労をかけました。聖書に従う生活をするようになってから,私は聖書の原則に従うことこそ最善の生き方であることがわかるようになりました。二度目の妻をクリスチャンにふさわしい仕方で遇し,自分自身を愛するように妻を愛することによって,私は結婚における真の幸せを見いだしました。10年にわたる私たちの結婚生活は,比較的に問題のないものでした。夫婦間の問題についてほかの人たちから相談されるときには,私は聖書のことばに彼らの注意を引きます。聖書の助言に従えば本当にうまくいくことを私は自分の経験から知っています。反面,意識的にせよ無意識にせよ,聖書の原則を無視する人は,多くの不幸と心痛を経験しなければなりません」。

自殺から救われる

聖書が与える導きは,絶望状態にある人を救い出し,生きる目的を与えることができます。西部アメリカに住むある若者はこれを経験しました。

12歳の時にこの青年は父親を亡くしました。母親はアル中だったので,子どもを導くことがあまりできませんでした。そのために彼は情緒的に非常に不安定でした。ほかのティーンエージャーたちと交際しているうちに,しだいに大酒を飲むようになり,マリファナを吸い,ついにはバルビツール剤を用いるようになりました。そうしたことはみな彼を一層みじめにしました。彼は劣等感に陥り,生きて行くことに非常な困難をおぼえました。

17歳になったとき,彼は宗教に助けを求め始めました。休暇の間は朝昼晩教会に行き,毎日数時間そこで過ごしました。彼は長い祈りをささげ,聖書を読み始めました。そして詩篇や箴言が非常に助けになり,心をさわやかにするのを知りました。しかし,真剣な努力や祈りにもかかわらず,自分がほとんど進歩していないのを感じました。

ある夜,教会から歩いて家に帰る途中,非常な絶望感に襲われました。彼は祈りました。そして11時半ごろ義姉に電話をかけ,もう希望がないので自殺するということを伝えました。義姉は何を言っていいかわからず,もう一度電話をかけるまで待っていなさい,と言いました。そして大急ぎで職場の同僚,つまり自分が問題にぶつかる時よく助けてくれるエホバの証人に電話をかけました。

この証人はその若者に電話をし,その晩彼の義姉の家で会う約束をしました。夜の11時45分ごろ,証人と彼女の十代の息子は,彼を乗せるために車で到着しました。その母親と息子の非常に親密な様子や二人の振る舞いは彼に強い印象を与えました。その後彼らは三時間にわたり,死者はどこにいるか,神はなぜ悪の存在を許しておられるか,といった問題について話し合いました。聖書の預言によると,現体制はその「終わりの日」に来ており,まもなく正義の新体制に取って代わられるということを学んで,その若者は勇気づけられました。また,年を取って死ぬのを待たずに父親に再会できる可能性のあることを知って胸を踊らせました。この体制の終わりを生き残り,復活してくる父親を迎える機会が実際にあるかもしれません。

聖書の勉強をしたいかどうか尋ねられたとき,彼はしばらく考えていました。彼が聞いたことは本当に助けになりました。もし聖書を定期的に勉強すればさらに大きな益が得られると考えて,彼は勧めに応じましたが,実際その通りになりました。聖書を勉強し聖書に従ったために,彼は人生の目標および将来に対する確かな希望を得,また考え方を完全に変えることができました。悲しみと絶望に沈んでいた彼の心は深い喜びに変わりました。現在彼は自分の時間を賢明に用い,他の人々が聖書にある優れた導きについて学ぶのを助けています。

以上の経験のとおり,世界中のエホバの証人は,聖書に従えばそれだけ幸せになれることを知りました。もとより,完全に解決しきれない問題もあります。しかし聖書の助言は,人が自分の生活を乱されないように問題に対処することを可能にするのです。

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