より優れた相続財産を選んだ一夫多妻者
ザイールの「目ざめよ!」通信員に語られた経験
わたしは,若いころから,自分の子供たちにりっぱな相続財産を残すことに関心を抱いていました。しかし,年がたつにつれ,わたしの人生に対する見方は大きく変わってきました。もっとも,家族のために価値あるものを備えたいという願いが弱まったわけではありません。熱帯アフリカ中心部の小さな村で生まれたわたしにとって,自分の生き方は皆さんの場合とはかなり異なっていることと思います。
アフリカでの村落生活は,自分の将来を思い巡らすよい機会を子供に与えます。夕やみがたそがれをすっぽり包むころ,子供たちは親と一緒に小屋の外に出て腰掛けます。夜になると様々な音が聞こえてきますが,子供たちの注意を引くのはコオロギやカエルの鳴き声ではありません。たき火の回りに集まって眠くなるまでのひととき,年老いた人々が話をします。それは,若い者たちが口を差しはさむ時ではなく,むしろ耳を傾ける時でした。こうしてわたしたちは豊富な知識を身に付けました。年老いた人々は,狩りをしている際に起きた出来事について話したり,民話を語り聞かせたり,生活の様々な事態に当てはまる多くの格言を説明したりしてくれたものです。そうした時に,わたしはよくこう自問しました。「自分はどんな人生を送るのだろうか」,と。
将来の計画
わたしの部族の人々にとって,お金も大切なものですが,名つまり名声はそれ以上に評価されます。自分の名を高めた人は,死んでから後も尊敬されます。わたしも人に覚えられるような名を残したいと願い,それこそ子供たちに残せる立派な相続財産であるように思えました。バンツー族の間で,地域社会での名声を得るために最も大切なのは子供です。将来,自分の子孫を指して,「ああ,あれはだれそれの子供だ」と人々が言うようになることを望んでいるのです。実際,わたしたちの部族では,子供のない男の人に対して,「ニュシイ・ツヒンイ」という,幾分軽べつ的な質問が沿びせられます。それは事実上,「だれがお前の名を末代にまで残すのか」という意味です。(文字通りには,「お前は何を残すか」の意。)非常に富んでいたとしても,自分の名を伝える子供がいないなら,地域社会の人々の目にその人は無価値な者としてしか映りません。バンツー族の考え方からすれば,そのような人はのろわれた者でした。わたしは,自分の名が消えてしまわないようにするため,多くの子供をもうけることを決意しました。自分の“相続財産”を確かなものにしたかったのです。
わたしの父も一夫多妻者でした。もっとも父は,そうした結婚生活を自分で選んだわけではありません。では,どうしてそうなったのでしょうか。わたしたちの部族の規則によると,男子が死んだ場合,その兄弟がその未亡人(あるいは未亡人たち)をめとるよう定められています。父は,兄弟たちが亡くなったため,三人の妻を受け継いだのです。
バンツー族は一般に,婦人を家族の富の源とみなします。ですから,数人の妻を持つ人は地域社会で目立った存在となります。勤勉な妻が行なう仕事について幾らかでも知れば,妻が家族に物質面での益をもたらすことを認識できるでしょう。妻の仕事は,明け方,家族のために十分の水があるかどうかを確かめる時から始まります。険しい谷底にある水源までの道を何回も往復して,その度に水がめを頭の上に載せて戻って来なければならないこともあります。水を運び終えると,村の婦人たちは,すでに熱くなっている朝の日差しを浴びながら,粗末な手ぐわで畑を耕しに掛かります。その勤勉さは,マニオク(カサバ),落花生,とうもろこし,さつま芋,豆,山芋,バナナ,料理用バナナ,そしてパイナップルなどの収穫の際に報われます。雨季が九か月あり,乾季がわずか三か月しかないので,多くの果物や野菜は一年中ほとんどどの時期でも栽培できます。勤勉に働く妻は,市場に出せるほどの余分の食物を作り,それによって家族の現金収入を増やします。
家族の富を増し加えることに寄与するのは正妻や他の妻たちだけではありません。子供たちもその面で大いに働きます。どのようにしてですか。世界の多くの土地ですると同じく,親は,自分の娘と結婚しようとする男性に,花嫁代償つまり贈り物を要求します。わたしの部族では,家族の財政状態に応じ,花嫁代償として,たいてい金銭,一頭のやぎ,にわとり,衣服などが贈られます。金銭は,その娘の父親のためのものであり,家族がその娘を育てるのにかかった費用に対する贈り物とみなされます。衣服は,結婚するまで娘の純潔を守ったことに対するその娘の母親への感謝の贈り物です。やぎとにわとりは何のためですか。それは投資の対象として残して置きます。いつほふってもよく,後程,家族が急に現金を必要とするような場合には売ることもできます。バンツー族の物の見方からすれば,今や実家を離れたその娘は,自分の夫の子供を産むことによって夫の家族を富ませることになります。ですから,花嫁代償を求めるのは当然のことではありませんか。バンツー族の人々は,花嫁にはそれだけの価値があると考えています。
一夫多妻制による大家族が物質面での利得をもたらすのは明らかであるとはいえ,多くの子供を持つことに対するわたしの関心はおもに,自分と自分の家族のために名を残し,りっぱな相続財産を残したいという,子供のころからの願望によって培われてきました。そうした計画を念頭において,わたしは数人の妻をめとることにしました。もっとも,一度に数人をめとろうとは思いませんでした。最初に一人の妻をめとり,その妻が子供を産まなくなったら彼女を家から出し,別の妻をめとる,というのがわたしの考えでした。そして,自分の計画が思い通りに行かないことなど考えてもみませんでした。
一夫多妻者としての生活の第一歩
一人前の青年になったわたしは,生まれ育った村を離れ,大工の仕事を始めました。それからしばらくして,最初の妻をめとり,一年足らずで妻は最初の子供を産みました。わたしは,自分の計画が具体化してゆくのを見て満足を覚えました。妻はさらに子供を産みましたが,二年ほどしてわたしは二番目の妻を迎えることにしました。
最初の妻は,これまで安泰であった,家庭での自分の立場を脅かすこの邪魔者が入ってくることに全く賛成しませんでした。言うまでもなく,最初の妻は,今や夫の愛情を分け合う新参者に対して,決して快い感情を抱きません。最初の妻は,自分が不妊であることが明らかになった場合にのみ,二番目の妻の到来にしぶしぶと応じます。しかし,いずれにせよ二番目の妻の母親は,自分の娘に第二の妻としての生活の備えをさせることを忘れません。例えばその母親は,最初の妻を自分の“母親”とみなさねばならないことを娘に教えるはずです。これからは,その新しい“母親”から,家事その他の事柄を教えてもらわねばなりません。最初の妻は,二番目の妻に洗たくをさせたり,食糧を買いに市場へ行かせたり,その他多くの仕事をするよう言い付けるでしょう。
二人の妻たちは好き好んで一緒に暮らすようになったのでないとはいえ,夫が健康と長寿を得るため,二人の間には平和がなければならないとされています。妻たちの間にいさかいがあれば,邪悪な霊がその事態に付け込んで夫の命を奪ってしまうとして恐れられています。
残念なことに,わたしの妻たちの間にはそのような平和は見られませんでした。しっとや口論なしには日が暮れない有様でした。自分と二人の妻との間の緊張が続いたため,わたしの健康は衰え,重い病気にかかってしまいました。今や最初の妻は,わたしが病気になったのは二番目の妻のせいだときめつけ,それ以来二番目の妻を魔法使いであると考えるようになりました。もちろんどちらの妻も,わたしの病気を自分のせいにされたくなかったので,その病状に対する責任がないことを示してもらうために呪物の祭司の下に行くことを考えていました。そのために,面白いエピソードがありました。他の人たちに見付かって,わたしにのろいを掛けに行ったと誤解されるのを恐れ,二人ともあえて呪物の祭司を訪れようとはしなかったのです。
しかし,やがてわたしは健康を取り戻し,二番目の妻をめとってから八年後に,三番目の妻をめとりました。その時になっても,自分にとって永続する相続財産,つまり決して消し去られない名を残したいというのがわたしの願いでした。しかし,当初の計画に反して,わたしは第一と第二の妻を家から出さずに,その二人が家にとどまることを許しました。この決定は家庭内の平和に役立ったと思われますか。それとは正反対でした。家に二人の女がいた時でさえもめ事があったのなら,新たなライバル,しかも三人の中で一番若い妻を家に連れて来れば,どんなことが起きたかは容易に想像できるでしょう。無理もないことですが,三番目の妻が登場すると,最初の妻は自分がほとんど完全に見捨てられたように感じました。一方,三番目の妻は自分の若々しい魅力に自信を持っていたので,自分が第一の妻の座を占めるため,第一と第二の妻を家から出すようわたしに圧力をかけました。しかし,わたしが心の奥底で最も好意を寄せていたのは,第三の妻でも第一の妻でもなく,二番目の妻でした。
三番目の妻が家族の一員になった時には,最初の二人の妻たちはもはや子供を産まなくなっていました。この要素は,他の二人を家から出すようにという三番目の妻の願いを重視すべき理由となるように見えました。しかし,二番目の妻も自分が最も気に入られていると知っているので,その闘いに負けてはいませんでした。一方,最初の妻は,自分の家にいるのにまるでよそ者であるかのように,目立たない立場を取りました。
人生の転換期
家庭内のいざこざが再燃し,さらに大きくなったため,わたしは再び病気になり,その上,悪いことに,一人の子供が死んでしまいました。その結果,自分の健康を取り戻し,家庭内に再び平和をもたらすためには,ただ一人の妻と暮らさねばならないとの結論に達しました。わたしがどの妻を残そうとしたかお分かりですか。三番目の妻はまだ若くて子供を産めるにもかかわらず,わたしは二番目の妻と暮らすことに決めていました。ところが,その決意を知った家族の面々は猛烈に反対し,その圧力に負けて,わたしは決定を引き伸ばさざるを得ませんでした。しかしもちろん,わたしの結婚生活の不安定な状態が収まったわけではありません。
その後,1970年に,わたしの生活を一層大きく変化させるような事が起きました。それは夢にも見なかった事柄です。その出来事とは,エホバの証人との出会いでした。カトリック教徒であったわたしは,最初,用心深く振舞いました。教会は,終わりの日に現われる偽預言者について警告していたではありませんか。しかし,エホバの証人と会ったため聖書を読むよう促され,その結果,今まで全く知らなかった事柄を学ぶようになりました。結婚の創始者を喜ばすには一人の妻しか持てないという点は,わたしに感銘を与えた顕著な事柄の一つでした。わたしは,聖書の巻頭の書から,次のような言葉を自分に読み聞かせました。「そのようなわけで男は父と母を離れ,妻に堅く付いてふたりは一体とならなければならない」。平和を得るため,そしてさらに重要なこととして神を喜ばせるために,わたしは早晩,ただ一人の女とのみ一体になる決意をしなければならないことが分かりました。―創世 2:24,新。
その時までには,三人の妻を連れてエホバの証人の集会に毎週出席していました。ところが,わたしが三人のうちの二人を家から出す時が日に日に近づいていることを悟ると,妻たちの不安はつのってゆきました。第一と第三の妻は,わたしが二番目の妻を家に残すだろうと思いあきらめていました。二番目の妻は,自分が唯一の妻として大事にされることを少しも疑っていませんでした。しかしわたしは,自分の決定をまだ発表していませんでした。
神を喜ばすことは,単に三人の妻のうちのいずれか一人を家に残すというだけの問題でないことを知った時のわたしの驚きを想像してください。法律に照らしても,神の目から見ても,わたしは最初の妻すなわち自分の若い時の妻と法的に結婚していました。その妻と共に暮らすのがわたしの務めなのです。(箴 5:18)その時のジレンマを想像してください。聖書の要求を学ぶ前に,もうすでにわたしは二番目の妻と一緒に暮らし,他の二人を家から出すことに決めていたのです。今ではとても若いとは言えない,「自分の若い時の妻」と一緒に暮らすという決断を今や下さねばならなくなりました。わたしの子を三人産み,わたしが最も愛していた,二番目の妻をどうして家から出す気になれるでしょうか。過去数か月間にわたる神のみ言葉の研究から,正しいことを行なわねばならないという点を納得させられました。しかし,それを実行するだけの力があるでしょうか。わたしは幾度も祈り,ついに,神に対する愛に助けられて決定を下しました。よく説明したにもかかわらず,家を離れて行く妻たちは涙を流してやみませんでした。わたしの心はあたかも二つに引き裂かれるかのようでした。長い間一緒に暮らしてきた妻たちが離れて行ったために深い悲しみを味わいましたが,一方では,自分の決定が結婚を創始された方の是認を得ているという認識から深い喜びが得られました。
しかし,わたしの感じたその悲しみも,その決定が最初の妻にもたらした喜びによって和らげられました。自分が元通りの立場に戻されたことを知った時の彼女の喜びようは,口では言い表わせません。その決定は,ただ信じ難いものとして彼女の目に映りました。
もちろん,皆が最初の妻と同じほど幸福であったわけではありません。家を出された妻たちは,最初に涙を流した後,自分の子供たちが父親に対して苦々しい気持ちを抱くようあらゆる手を尽くしました。わたしが財政面で二人を援助していたにもかかわらず,その敵意は消えませんでした。他の親族について言えば,わたしのためを思って,その決定を非常に喜んだ人もいました。わたしの病気が,家庭内の絶え間ないいさかいや不和によって悪化していたことを知っていたからです。しかし,他の二人と比べれば年を取っていて,もはや子供を産めないような女と一緒に暮らすことに決めたという点を残念に思う人もいました。友人や知人は,その事態をどのように見ましたか。わたしが正気ではなくなったと考えた人もいましたが,その行為を賞賛した人もいました。心の中では,自分も同じことをするだけの勇気があったらよいのに,とひそかに考えていたのかもしれません。
わたしの気持ちですか。その決定をしたことについて,少しも後悔していません。それとは反対に,幸福を感ずるべき十分な理由があります。ついに,我が家は平静さを取り戻したのです。さらに,妻もわたしと共に真の神エホバに仕えるようになったことも,満足感を増し加えるものとなりました。
抱負の変化
わたしたちの村で,たき火の回りに座り,子供のころの夢について思い返してみると,人生に対する自分の見方の変化に驚かざるを得ません。これまでに,わたしの人生の目標と言えば,自分が死ぬ際に相続財産として残すために自分の名を上げ,名声を博そうとすることだけでした。
今や,わたしの希望と抱負は全く変化しました。わたしが人々に知らせたいと願っているのは,自分の名ではなく,全地の人々を創造した方エホバのお名前です。そして,神に対する忠実を保つなら,この地球上にもたらされる新秩序で命を受け継ぐことを確信しています。そこでは,自分の名だけでなく,自分の命も永遠に続きます。現在,わたしの人生における唯一無二の目標は,自分の妻子を含め他の人々が神のお名前を賛美し,とこしえの命という,より優れた相続財産を共に受けるよう助けることです。