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目ざめよ! 1976
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わずか一日だけのために作られるじゅうたん

エルサルバドルの「目ざめよ!」通信員

じゅうたんと聞くと,大抵の人は,家庭にある長持ちのする敷物を思い浮かべます。ところが,わずか一日だけのために作られる,同じほど美しい色彩とデザインのじゅうたんがあるのです。このじゅうたんの素材は普通のものとは異なっており,作り手も全く無報酬で作業を行ないます。どんな行事のためにこうしたじゅうたんが作られるかを考えてみることにしましょう。

場所は中央アメリカのエルサルバドルのある町です。この町では毎年四旬節の季節になると,カトリック教会を代表する人々の行なう伝統的な宗教儀式を町中の人々が見物します。時は“viernes santo”つまり“聖金曜日”と呼ばれる日です。多くの人は,その日にナザレのイエスが自分たちの町の通りを歩かれると信じています。といっても,文字どおりイエスが歩くのではなく,ゴルゴタで殉教の死を遂げたイエスの聖なる像が町の中を運ばれて行くのです。しかし,多くの熱心なカトリック信者の目には,あたかもイエスご自身が人々の中を歩いておられるかのように映るのです。

この行列を迎えるために多くの仕事が行なわれます。朝早くから,大勢の人が道路を掃き清め,その日の主な仕事,つまりじゅうたん作りに備えます。この敷物の素材には,おがくずや砂,ある種のやしの花,小麦粉,塩,果実,草花,貝がらなど,数えきれないほど多くのものが用いられます。人々は,時間をかけ,知恵をしぼりながら,こうした素材を集めて来ます。神にかかわる事柄のために自分たちの愛と感情を表わそうと,これらの材料を使って色とりどりの模様を描いていくのです。時間がたつにつれ,道路の中央には,こうした模様がしだいに形を整えていきます。ふだんは何の変てつも無い道路が,どこを見ても色鮮やかに飾られています。炎天下で,何時間も一生懸命働いた後,作品は完成し,それぞれの家族は,少し離れたところから満足げに自分の作品を眺めます。

予定の時間には,行列の始まる中央教会の前が人々の動きで騒がしくなります。見ると,赤紫色の聖短衣をまとい,帯を締め,タオルと大きなハンカチを持った一群の男の人たちがいます。この服装は,彼らが,イエスの像を年毎に他の場所に移すことで知られているナザレのイエス兄弟会の成員であることを示しています。わたしたちが目にしたこの荘厳な儀式は注目に値します。幾百人もの信心深いカトリック信者が行列に参加し,像は聖短衣をまとった男たちの肩にかつがれ,行進が始まります。木を打ち鳴らす音がこだまし,楽隊のかなでる物悲しい行進曲が流れます。集まった群衆は,老いも若きも,ロザリオを手にして,主の祈りとアベ・マリアを繰り返し口ずさみます。

ところで,この行事のためにとくに作られたじゅうたんはどうなるのですか。行列が進むにつれて,イエスご自身がそのじゅうたんの上を歩くと考えられているのです。行列が過ぎると,このじゅうたんの生涯は終わりを告げます。ほんの数時間前まで美しく彩りを添えていたじゅうたんは,片付けられてわずかに痕跡を残すだけとなります。わずかな時間のために余りにも多くの労力を費やしすぎる,と考える人も少なくありませんが,この土地の人々はこうした努力を全くいといません。むしろ,それを年毎の捧げ物とみなしており,労力を費やすだけの価値が十分あると考えています。

こうした人々の多くが神を崇拝しようと誠実な努力を払っていることは疑いありません。しかし,神に喜んでいただくためには,神の言葉である聖書が崇拝に関して述べている事柄に聞き従うことが重要です。聖書は,イエスの像や他の“聖人”の像をかついで行なう行列に加わるよう勧めるどころか,「自分を偶像から守りなさい」と諭しています。(ヨハネ第一 5:21)カトリックのエルサレム聖書は,分かりやすい言葉でこう告げています。「神の神殿には偶像のあることで知られている場所はない。……彼らのもとを去って,離れていなさい,と主は言われる」。(コリント第二 6:16,17)エルサルバドルの人々はこの祭りをイエス・キリストの名に基づいて行なっていますが,そのイエス・キリストご自身,神に受け入れられる崇拝に関し次のように言われました。『神を崇拝する者は霊と真理をもって崇拝しなければなりません』。(ヨハネ 4:24)このような正しい仕方で崇拝する人には幸福な将来が待ち受けています。その手の業をわずか一日だけでなく,永遠に楽しむことができるのです。神は,そうした人々に永遠の命の見込みを差し伸べておられるからです。―ヨハネ第一 2:17。ヨハネ 3:16。

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