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目ざめよ! 1976
目76 8/8 16–20ページ

カナダの裁判所は差別待遇を阻止した

カナダの「目ざめよ!」通信員

だれでも差別されることは好みません。そういう行為を阻止するために多くの法律がつくられています。それでも地方当局は,そのような差別を排除するための法律の適用を曲げようとすることが時々あります。最近,カナダはブリティッシュ・コロンビア州の,ある小数者の宗教団体が,美しいけれども質素な集会場の建築に取りかかった時にちょうどそういうことが起きました。

彼らはバンクーバーに近い美しいサリー市の田舎に三ヘクタール余りの土地を購入しました。計画されていた収容能力1,800名のその建物は,数個の会衆グループが特別合同集会を開く大会場として使用されることになっていました。

その土地の区画法は,そのような崇拝の場所の建築を許可していたでしょうか。その地域では,教会や大会ホールをどこに建ててもよいことになっているのを知って彼らは喜びました。そして1974年1月3日,主任建築調査官は,建築許可を得るのに必要な書類を列挙した手紙を彼らに送って来ました。

彼らは熱意に燃えて,建築および技術面の段取りを進めました。それらは3万4,000ドル余の費用をかけて4月までに準備されました。計画は直ちにまとめられ建築許可が申請されました。しかしその熱意はすぐに無念の思いに変わりました。許可が下りなかったのです。建築調査官は,計画を一時中止するように言ってきました。何が理由で延期されたのでしょうか。

新しい区画法

その答えは5月に分かりました。同月サリー地区議会は,「条例が修正される可能性があるのでそれまで」許可を出すのを延期するようにという指示を出しました。提案されていた修正条例第4294条は,「P-3」(公共用3号)と呼ばれる新しい地域を指定し,教会および大会ホールをその中だけに建てることを要求するものでした。

ところがそのような地域はどこにもなかったのです。それは土地のない架空の地域でした。もしP-3地域にしか教会を建てられないのであれば,その条例はその種の建物の建築を完全に禁止することになります。なぜ市議会はそのようなことを望んだのでしょうか。

1974年6月10日と24日に開かれた公聴会でその理由が分かりました。その地域の周辺に住む一部の人々が大会ホールの建築に反対していたことがやがて明らかになりました。そのような建物ができると,交通や駐車や下水の問題が起きると彼らは言いました。しかし提出された計画はそうした問題を適切に取り扱っており,すべての法規に合っていました。

都市計画者L・クレインは,教会の建物は一つの家族が住む住宅よりも大きいので,宅地開発業者が道路を作るのに都合が悪いと言って,その提案された規制を正当化しようとしました。にもかかわらず彼は,病院,学校その他の公共の建物や半公共の建物の建築はまだ規制しないで許すことができるという考えを持っています。

しかし,病院や学校も教会と同じほど新しい道路を必要としないでしょうか。他の大きな公共建築物の建築を許可しながら,なぜ教会だけ許可しないのでしょうか。こうした矛盾の背後にある本当の問題点は,ある討論の間に明らかになりました。その時に市長は,『近所の人は,自分のきらいな宗教をがまんすることはない』と言ったということです。

同市長はさらに,どんな教会の建築が計画されるときでも,周辺の住民はすべてのことを通知せられるべきであり,それに反対するための公聴会を持つべきである,と主張しました。しかし著名な区画専門家リチャード・パブコックは,自著「ザ・ゾンニング・ゲーム」の中で,そのような審理を,「絶叫による政治」とか「近所主義による裁判」と呼んでいます。そうしたことは少数者の教会の建物を差別してまっ殺する道を開きます。

この場合の犠牲者であったエホバの証人以外の幾つかの教会グループもこの危険に十分に気付き,公開集会に出席しました。そして全員が,市当局の当たりの柔らかい言葉の裏に,信教の自由を脅かす危険がひそんでいるのを認めました。

提案された近隣住民の公聴会は,『宗教的偏見に基づく決定が下される,したがって頑迷固陋な人々が決定を左右し得る』道が開かれたと,北部サリー福音チャペルの牧師は述べたということです。また,ローマ・カトリック・コロンブス騎士会の代弁者は,『われわれは市民的自由と信教の自由を守るために二つの世界大戦で戦ったのだ』と言って,提案された『法律による悪だくみ』に抗議しました。

しかしそのかいもなく,条例第4294条は1974年7月11日に可決されました。その後建築調査官は,「このほどP-3地域に関する条例が可決されたため……建築許可を出すことができなくなった」という内容の手紙を送ってきました。

こうしてエホバの証人は,市当局により,3万4,000ドルを上回る費用とばく大な時間およびエネルギーをむだに使わされていたのです。代わりの建築用地を探しましたが,見つかりそうもにありませんでした。ほかにどんな方法があるでしょうか。相談の結果,一つのことが決定されました。訴訟を起こすのです。

事件を法廷に持ち出す!

六か月ほどして事件はようやく,ブリティッシュ・コロンビア州最高裁判所のルッタン主席判事によって扱われ論議されることになり,一日半が徹底的な論議に費やされました。その間にルッタン判事は,『公聴会には,教会を建てるかどうかの決定を近隣の住民に行なわせる効果がある。これは,近隣の住民が「あの教会は,あるいはあの人々はきらいだ」という理由による不一致と差別への道を開く』と言ったということです。

1975年2月11日に,同判事の14ページにわたる判決が下されました。ルッタン判事は新しい条例について次のように述べていました。

「新条例はいかなる地域をも設けるものでない故に,『区画』条例と称するのは間違いである……地域を明確に指定せずに地域の格付けを行なうことは必然的に個人的差別につながる。したがって,区画条例と称されているものは無意味なものとされねばならず,権限を踰越したもの[サリー市議会の法律上の権限を超えたもの]として取り消されねばならない」。

次いで同判事はサリー地区に,エホバの証人の大会ホール建築許可を出すよう命じました。

しかしサリー市議会はそう簡単にはその差別的な決定を撤回しませんでした。彼らはブリティッシュ・コロンビア州の控訴裁判所に控訴しました。建築はさらに延びました。エホバの証人の法律顧問は,建築費が上昇していることを考えて,すみやかな裁判の開始を申請しました。それで同裁判所は,日があき次第審理を始めることを予定しました。

こうして1975年6月5日,サリー地区の法律顧問が,ブリティッシュ・コロンビア州控訴裁判所の三人の判事の前で弁論を開始しました。その弁論の間に,ファーリス主席判事は同弁護士に対し,『同市内には79の教会が何の問題もなく建築されてきた。しかし全く突然にどんな教会も建てることができなくなってしまった! これらの申請者はすべての規準を満たしているのに[サリー]市議会は勝手に,「いや建ててはいけない」と言う。これは極めて勝手な決定である。……教会を建てる権利が市議会の気まぐれに左右されている』と言ったと伝えられています。

シートン判事はさらにこうつけ加えました。『あなたがたは進退きわまった。そこまで登るにははしごが必要だった。今はわたしたちに降ろしてもらいたいのだ』。

その日はもう終わろうとしていたので,他方の側は一つの点に関して論ずる時間しかなくなり,主要な弁論は翌朝に残されました。しかし判事たちはそれさえ要求せず,翌朝になると全員一致でエホバの証人に有利な判決を下し,手間取ることなく席から口頭により判決を言い渡しました。シートン判事は言いました。

「議会が『教会はP-3地域にしか建てられない』と言った,あるいは主張した時,P-3地域に土地はなかった。われわれは地方自治体法を調べて,同法が果たして地方自治体に教会の建築を禁止する権限を与えているかどうかを知る必要があると思う。なぜなら,この条例はそれを禁止することを目的としているからである。

「同法702条(1)(b)は……市内における教会の建築を禁止する権限を地方自治体に与えてはいない」。

ではこれでエホバの証人は建築を開始できたでしょうか。裁判所はサリー市当局に,「詳細な計画の報告されている申請通りに……建築許可を出すことを命令」しました。そこでエホバの証人はサリー市役所に電報を打ち,6月10日火曜日に,裁判所命令によって交付を指令されている許可書を受け取りに行く旨を通知しました。しかし,事はそのように運びませんでした。

さらに別の障害

サリー地区の議会は6月9日月曜日に再び会合を開き,裁判所命令を考慮に入れながら大会ホールの建築を阻止する手段について公開討論を行ないました。あるオブザーバーは次のようなやりとりに注目しました。

ミラー市会議員: 『これを阻止する方法が外にあるだろうか。……彼らは収容能力1,800名の施設を擁して一つの腐敗タンク用地に入り込むんだ』。

クロスキー事務市長: 『わが市の衛生検査官はすでにそれを認可してしまった。それについてはもうどうすることもできないと思う』。

バンダー・ザルム市長: 『わたしは保健局を設置できると思う』。

そこで市長は,議会が自らを「保健局」に任命して,この建築計画を妨害することはまだ可能だ,と言いました。しかし全員がそれに賛成したわけではありません。

ビール市会議員: 『それは,おぼれる者わらをもつかむの例えに等しいと思う。わたしはこの種の報復的行為は支持したくない』。

オブライエンベル市会議員: 『そんなことをすればわれわれは全くの愚か者に見えるだろう。……われわれはわらをつかもうとしているのだ。われわれはわが市の任命された有能な衛生検査官に試験させ決定させたのだ。その時検査官は不都合な点を何一つ発見していないのだ』。

しかし,他の人々はそれを固執しました。

市長: 『わたしは議会をもって保健局を構成すべきだと思う。今晩から二週間後に会合を開いてこのことを検討することができる』。

クロスキー事務市長: 『彼らの弁護士は,許可を求めるこの電報の中で,もしあなたがたが許可しなければあなたがたは法廷を侮辱したことになる,と述べている』。

マックキトカ市会議員: 『するとわれわれはどうなるのだろう。二日間刑務所に入れられるのだろうか』。

法廷侮辱,つまり裁判所命令に従わないことは,罰金や懲役によって罰せられる重大な問題です。6月11日,裁判所命令は建築調査官に下され,調査官は確かに建築許可を出しました。しかしそれは最高裁判所が認可した計画通りのものではありませんでした。その許可には,「地方保健局による下水処理設備の再調査と認可を必要とする」という条件がついていました。

しかし,「地方保健局」とは,サリー市議会の明らかに偏見を持つ特定のメンバーが自らに与えた又の名に過ぎませんでした。そこで6月13日,エホバの証人の弁護士は,サリー市議会が許可に付したその条件が違法であり,市は法廷を侮辱している,ということを同市議会に伝えました。それと同時にブルドーザーが建築用地に入り,地ならしが始まりました。

四日後,「保健局」設置に反対投票をした二人を除き,サリー市の市長および市会議員に,法廷侮辱を理由とする召喚状が送達されました。法廷侮辱の申し立ては,1975年6月20日にアンダーソン判事によって扱われました。

市の弁護士が,言い抜けるための弁論をしつように行なったあと,アンダーソン判事は,『市議会は1975年6月9日月曜日に決議を採択しているが,建築を阻止する目的を除けば,その決議を採択する必要があったことを示す証拠はない』と述べたと報じられています。それでアンダーソン判事は次のような結論を下しました。

「言うまでもなく,市議会のメンバーは,直接にせよ間接にせよ,結果的に申請者を困らせたり悩ませたり,あるいは申請者らが自分たちの建築を合法的に進めるのを妨害するようなことを一切すべきではない。関係者全員の善意と良識をもってすれば,すべての問題点は,申請者およびサリー地区双方に有益に解決されると信ずる。申請は無期延期とする」。

このように申し立てが延期されることにより,訴訟はアンダーソン判事の手中に残りました。もし「困らせたり悩ませたり」するようなことがあれば直ちに,同判事の前で問題を再び取り上げることができます。これでエホバの証人は建築に取りかかることができるでしょうか。

結果

その答えは6月23日に開かれた次の市議会で分かりました。ザ・コロンビアン紙は次のように伝えました。

「ビル・バンダー・ザルム市長は市議会に対して,『問題を全面的に放棄し』,エホバの証人には境界保健局を相手にすべての問題を解決させるようにすることを勧めました。

「次いで市議会は,条件を削除し,かぶとを脱いで身を引くことを決定した」。

サリー市「保健局」はどうなったでしょうか。

「その前に市議会は保健局として予定通り会合し,審議を行なわずに直ぐに散会した。

「それは記録されている保健局の会議の中でも最も短い会議であった」。

サリー地区議会は確かに「問題を全面的に放棄し」,「かぶとを脱いで身を引」きました。その後建築局の職員や調査官からよい協力を得たことをエホバの証人は感謝しました。長期間そのようにして押えられていた自発的作業員たちは熱意に燃えて建築に取りかかったので,建物は七か月ほどのうちに完成しました。

その急速な作業の進行振りを見ていた近所の人が三人やって来て,「わたしたちは皆さんの働き振りを見ていたのですが,大変うまくやっておられるので,もっとよく見せてもらいたいと思って来ました」と言いました。近くに住んでいる別の人は無償で援助を申し出,張り切って一生懸命に働きました。今その人は無償の援助を受けて自宅で聖書研究を楽しんでいます。さらに別の人は,証人たちが払った合法的努力を多とし,その場で相当の額のお金を建築費にといって寄付しました。

バンクーバー周辺のエホバの証人は,この美しい新しい大会ホールにすべての人々を迎えるのを大きな喜びとしています。今年の3月13日に行なわれた献堂式には,バンクーバー地方から2,480人が出席して彼らと喜びを共にしました。彼らはその大会ホールがその地域社会の有用な資産となり,最も重要なこととして真の神エホバの崇拝の中心となることを知っているのです。

[17ページの図版]

ブリティッシュ・コロンビア州,テリー市に建てられたエホバの証人の大会ホールの写生図

[18ページの図版]

裁判所はエホバの証人に教会建築の権利ありと裁定

1975年6月7日付のザ・プロビンス

サリー・ホールに関する上告はエホバの証人に有利

1975年6月7日付 バンクーバー・サン紙

これらは英文刊行物の記事を訳したものです

サリー市議会,証人に関する決定を公然と無視

1975年6月12日付のザ・コロンビアン紙

証人に与えられた許可は“ひもつき”

1975年6月12日(木曜日)ザ・プロビンス

これらは英文刊行物の記事を訳したものです

[19ページの図版]

サリー市議会,証人の計画に譲歩

1975年6月24日付のザ・コロンビアン紙

これは英文刊行物の記事を訳したものです

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