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  • 聴衆に向かって話をしなければならない時
  • 目ざめよ! 1977
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目ざめよ! 1977
目77 8/8 24–26ページ

聴衆に向かって話をしなければならない時

「今晩,わたしはスピーチをしなければならない」。この言葉は,公の席で話をすることについて,多くの人がどう感じているかを物語っています。彼らはそれを望んでいません。事実,恐れています。それでも,多くの場合,様々な事情から演壇に立たねばならないのです。

この“災難”にひんぱんに見舞われるので当惑している人もいることでしょう。「生気にあふれた日常講演」と題する本は,ロサンゼルスやニューヨークなどの都市で,毎日平均幾千人もの人が会合に出席しており,「そのすべてが講演者を必要として」いると伝えられています。

そうです,学校,職場その他,あなたの属している組織などとの関係で,あなたも早晩聴衆に向かって話をすることになるかもしれません。その日を心待ちにしている(早く終わらせたいという意味ではなく)のでなければ,次に記す,公の席で話す際の“苦痛”を柔らげるための幾つかの指針は役立つことでしょう。

初めに,講演をするのがなぜそれほど不快になるかを考えてみるとよいでしょう。恐らくあなたは話すことがきらいではないはずです。ところが,大勢の人の前に立つと,ひざががくがくして汗が流れ,くちびるが震え,口の中がからからになるなどの多くの不思議な“現象”に襲われることがあります。それはなぜですか。一対一であれば生き生きとした会話ができるのに,大勢の人の前に立つとおじけづいてしまうからです。個々の人々が集まって,“聴衆”と呼ばれる集合体が形成されます。聴衆は話し手に何か求めます。また,定期的に講演をしているのでない限り,自分は未熟で経験が浅いと感じるに違いありません。

大抵の講演(また当然ながら話し手)は退屈であると感じている人が少なくないのは周知の事実です。『実のあることを何一つ言わない講師にはがっかりさせられる』といった苦情をよく耳にします。ですから自分の話が,自分と聞く人の双方に精神的苦痛を与えるのではないかと心配になるのでしょう。

このすべてを克服する助けがありますか。話し手は一個人であり,対象となる聴衆は多種多様ですから,あらゆる状況に当てはまる“公式”などと呼べるものはありません。しかし,恐れの気持ちを克服し,集まった人々を納得させたいと思われるなら,無視してはならない幾つかの要素があります。

二重の準備

話し方教室の教師たちは,「準備こそ成功の秘けつ」と繰り返し述べます。確かにそのとおりですが,それを聞いた人はこの言葉を,『演題に関係した多くの事実や統計に通じているべきである』という意味に誤解する場合が少なくありません。最善を尽くすには,むしろ次の二通りの仕方で準備すべきです。

1. 演題に関係した情報に通じるだけでなく,その場に適した明確な話の骨子を組み立てる。

2. 対象となる特定の聴衆を納得させる最善の方法を真剣に考慮する。

この二つの方法の持つ長所を考えてみましょう。話術も重要ですが,述べる内容,つまり話の骨子はもっと重要です。話し方を洗練されたものにする必要があるかもしれませんが,資料が明確で,筋が通っていれば,実質的には何も言わずに,ただ機転に富んだ話し方で聴衆を引き付ける人よりも,一般にずっと優れた話を行なえます。機知に富んだ話し手は,人を楽しませることはできても,教訓的な話し手ではありません。そうした人は,やがて他の人から軽んぜられるようになるでしょう。

経験豊富なある講演者は,「言いたいことをまとめ,それから,立ち上がって話し,そして着席する。これに勝る方法を見いだした人は一人もいない」と励ましています。そうです,話の内容が明りょうで要点を突いたものであれば,気取った言葉を一言も用いずに深い感銘を与えることができるのです。

さらに,準備の際,聴衆のことを念頭に置き,聴衆の背景を考慮し,論題に対する現在の聴衆の見解を推察するなら,聴衆に適した特定の資料を取り上げるよう助けられます。話の中で,その土地の事情にふれ,内容を実生活に当てはめ,それが彼らの家族にいかに深く関係しているかを示すことなどは,論理を組み立てる際の非常に重要な指針となります。このような適用は,抽象的な資料を“地に着いた”,現実の日常生活に役立つものにします。

16年のキャリアを持つある講師は,このことに関連して次のように語りました。「その地域の場所や習慣にふれると,聴衆が生き生きとするのが分かります。例えば,『ここ ―― 市の ―― 町に住む人は,この問題に関心を持つと思われますか』というように質問します。私は,他の話し手にも,自分に適した,上品な仕方で,同様の話法を用いるよう勧めてきました」。

聴衆のことを十分に知らない場合は,演題の資料そのものの調査に多くの時間をかけるよりも,(聴衆について知っている人と話すなどして)聴衆について少し調べる方が良い話を行なえるでしょう。たとえ,それが無理な場合でも,聴衆がどんな人で構成されているかぐらいは分かるはずです。セールスマン,職人,主婦,それとも年配者が出席しますか。その聴衆にとって,話のどの面が特に有益で興味深いかを判断するのは困難なことでしょうか。

それでは,よく準備してください。特に意志を伝達するために準備してください。あなたは,自分の話の要点を明確には握していますか。話し手であるあなたにそれができないのであれば,どうして聴衆がそれを理解できるでしょうか。要点を見定めたなら,与えられた時間内にどれほどの資料を話せるか定めねばなりません。次いで,話をより価値のあるものにする方法を考えます。当然,このすべてを行なうには,話を書きとめ(あるいは少なくともメモに取り),資料を論理的な順序に配列することが必要です。

しかし,実際の話を行なう際にどの程度のメモを用いるかは,専門家の間でも,『ごく短い』筋書きを用いるべきであるとする意見から,全文原稿を用いるべきであるとする意見まで,様々な見解があります。ともあれ,次の点に関して,専門家は意見の一致を見ています。思い出すままに話すようなことがあってはならず,指針となる何らかの筋書を用いるべきである。記憶したり,暗唱したりしてはならない。さもないと,聴衆の大半は,『言葉だけを追って』,話し手が全文を暗記しているかどうかに関心を持つようになる恐れがある。

ところで,いわゆる雄弁家の話を聞いた人の中には,聴衆を考慮に入れた明確な内容を持つ話を準備することに反論する人がいるかもしれません。そうした人は,個人の持つカリスマ的要素や気力や熱意などの価値についていろいろと話すことでしょう。しかし,そうした判断を下す前に,この『二重の準備』が,不本意にも話をせざるを得なくなった人にどれほど役立つか考えてみてください。

話の内容が長く記憶に残る!

講演を行なう時には,自分自身のことではなく,自分が一生懸命準備した論題を常に念頭に置いておくなら,神経質になったり,あがったりすることはほとんどなくなるでしょう。たとえ,自分に力がないように感じられても,話の内容そのものに力があることを確信してください。

話の内容を信じており,そのことだけを考えていれば,おのずと確信がわいてくるものです。そのような確信は,心から出た誠実なものであり,人々はそれを感じ取って信頼するようになります。資料に注意を集中するからといって,感情のこもった話をしないわけではありません。それどころか,論題そのものからわき上がる感情を率直に表現すべきです。そうすれば,あなたの感情や身ぶりや動作は純粋なものとなります。あなたはひたむきな人として人々の目に映り,説得力のある話ができます。そして,聴衆を引き付け,人々を動かすことになるでしょう。

一方,自分の与える印象や服装や“話し方”を過度に気づかうなら,その態度はあなたの話に表われます。そのような態度は話の価値を半減させ,話を不明りょうなものにしてしまうでしょう。

また,話の内容がはっきりしていれば,時間どおりに話を行なうのに役立ちます。そうすれば,多くの話し手がするようにだらだらと長く話すことにはならないでしょう。時間を計りながら,声を出して練習してみてはいかがですか。声を出して練習することは幼稚に思えるかもしれませんが,多くの人が指摘するように,これによって,自信に満ちた話を時間どおりに行なう面で驚くほどの成果が得られます。

落とし穴

こうした仕方で講演を行なう際に,かじ取りを誤らせる二つの“危険”があります。その一つは,自分の調べた興味深い事実すべてを次々に述べて,“まくしたてる”傾向です。これは避けなければなりません。多くの資料を調べる目的は,あなたを備えさせ,話の内容を十分には握し,確信を持てるよう助けることにあるという点を忘れてはなりません。通常の話の場合,せいぜい三つか四つの要点を展開する時間しかありません。

第二は,よく準備をすると話が複雑になるという傾向です。要点の数が多くなるだけでなく,語いも複雑になります。聴衆の理解しにくい,長い言葉や専門用語は使わないようにします。専門分野の人を対象にした技術的な話の場合でさえ,“特殊な用語”の解釈の違いから,しばしば問題が生じます。ですから,賢明な話し手は,1,900年以上前に聖書記述者パウロの語った次の言葉に留意します。「ラッパの出す音が不明瞭であれば,いったいだれが戦闘の用意をするでしょうか。これと同じように,あなたがたも,舌で,容易に理解できることばを出さないなら,何を話しているのかどうして人にわかるでしょうか。あなたがたは,実際には空気に話していることになるのです」― コリント第一 14:8,9。

さらに,これらの落とし穴のどちらかにはまり込むと,聴衆を見下しているような印象を与える場合があります。このような方法で話し手が優れていると感じさせても,聴衆を動かし,自分と同じ見解を得させることはできません。むしろ,それは聴衆を遠ざける結果になります。事実,簡潔であれば聴衆の共感を呼ぶのです。あなたは,意志の伝達を図ろうとしているのであって,“自己陶酔”に陥って人の時間を浪費させたいとは思っていないはずです。

イエス・キリストは,クリスチャン以外の人からさえ,偉大な教師とみなされました。記録れた彼の話を読むと,その簡潔さと謙そんに魅せられます。人々はイエスの話に引きつけられました。イエスは要点を明確に伝え,深い真理を分かりやすい言葉で教えました。(マタイ 5章–7章)その後,2,000年近くの歳月が流れ,イエスの音信の本質をあいまいにしたりゆがめたりしようとする無数の試みがなされたにもかかわらず,その音信は今日まで正しく伝わっています。

こうした理由から,公の席で話をするとなると,なかなか落ち着けなくても,失望しないでください。ある権威者が“耐えがたいほど退屈な講演”と呼んだような話が世界の至る所で行なわれているとは言え,あなたは講演という経験に耐えるだけでなく,人をさわやかにすることさえできるのです。その際,熱心に学ぼうとしている人が少なくないことに気づかれるでしょう。本当に実のある話をして,何かを伝えたいという態度を表明するなら,それから得られる結果に驚かれることでしょう。“聴衆”と呼ばれる怪物は結局のところ恐れるにはあたらないのです。

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