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  • それはキリスト教の習慣ですか
  • 目ざめよ! 1978
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目ざめよ! 1978
目78 5/22 26–27ページ

それはキリスト教の習慣ですか

エルサルバドルの「目ざめよ!」通信員

それは熱帯特有の蒸し暑い晩のことでした。妻と共に家に帰る途中,ある街角を曲がったとき,わたしたちの考えと話はあるものにさえぎられました。フィエスタ,つまりパーティーに似たざわめきが聞こえてきたのです。

その騒がしい家に近付くと,気違い染みたパーティーによく見られる光景が目に入りました。ある人は酒に酔って,けんか腰で声高に話しています。家のすぐ外の歩道では,幾人かの男たちが議論をしていました。

しかし,この集まりは普通のパーティーとはどこか違っていました。出席者は皆黒い服を着ています。人だかりを避けるために私たちは通りを横切ったので,その家の中にあるものが目にとまりました。つまり部屋の片端に,子供用らしい小さなひつぎが置かれていたのです。ひつぎは,花輪(コロナ)で覆われており,ひつぎの前にはろうそくが置かれていました。

こうしたものを見た私たちは,好奇心で一杯になりました。通りの同じ側を歩いていたある男の人が私たちの驚いた様子に気付いたらしく,近付いて来て,「エス ウナ ベラ」と説明してくれました。「お通夜をしているのです」という意味です。そして,「彼らはあそこで夜を明かすんですよ」と付け加えました。

これを聞いて私たちは,様々な疑問を抱きました。死者の前で寝ずに夜を明かすことにはどんな目的があるのでしょうか。ひつぎを花輪で飾ったり,ひつぎのそばにろうそくをともすのはなぜですか。人が亡くなったのに,会葬者が大酒したり騒いだりするのはふさわしいことですか。死者のために寝ずに通夜を行なうことは,キリスト教の習慣ですか。

答えを捜す

その晩,私たちはこうした疑問に対する答えを調べることに決め,家に帰りました。関連した書物を読んだり,エルサルバドルの人に尋ねたりして調べました。どのようなことが分かったでしょうか。

スペイン語のイルストラダ・クンブレ百科事典によると,通夜の目的は,遺族と共に時を過ごし,故人に敬意を示すことにあります。死者の体はいつも棺に入れられているとは限りません。死の床に横たえられている場合もあります。遺体の周りには,宗教的な物品や火をともしたろうそくが置かれます。通夜の間,ひつぎの周りに花を飾るだけでなく,香草や香をたく場合もあります。私たちの見た通夜のように,家の人は大抵通夜に来る人々に飲食物を出します。

私たちは,通夜に関するしきたりが土地によって幾分異なることを知りました。例えば,中南米のある国々では,子供が死んだ場合にはいすに座らせ,天使のような着物を着せます。子供の“不滅の魂”はすぐ天へ行く,という信仰に基づいて,こうしたことが行なわれているのです。同様に,エルサルバドルの日刊紙エル・ディアリオ・デ・オイはこう書いています。

「エルサルバドルと中央アメリカのある地域では,人が,特に子供が死ぬと花火が打ち上げられ,ギターとバイオリンの拍子に合わせて陽気な歌が歌われる。ペーストリーとタマーリが作られ,アルコール飲料とともにそうした食べ物が供される……こうした地域の人々は,子供は即座に天へ昇り,“神の小さな天使”になる,と信じている。こうした事柄に通じている人々の話によると,通夜や埋葬の際に歌を歌うこの習慣は,キリスト教とどこかの原住民[インディアン]の習慣とのひどい混合である」。

非キリスト教的な起源

「キリスト教とどこかの原住民[インディアン]の習慣とのひどい混合」という表現は,ある重要な点を強調しています。通夜はキリスト教に起源を持つものではありません。ブリタニカ百科事典には英国の通夜に関する項目で,この点を確証する次のような事柄が述べられています。

「英国に関する限り,この習慣はキリスト教より古く,元来ケルト人のものであったようだ。その起源は確かに迷信と関係があり,遺体が悪霊によって傷付けられたり,持ち去られたりするという恐れに,ネズミや他の有害な動物を追い払うという実際的な目的も恐らく手伝って始まったものらしい。……キリスト教が伝えられてからは通夜で祈りが行なわれるようになった。それまでは通夜といえば,儀式的な哀悼歌を歌い,死者の経歴を物語るだけのものであった。普通,死体はテーブルの下に安置され,胸には塩の入った皿が置かれる。テーブルには通夜に来た人々のためにアルコール飲料が置かれた。内輪で行なわれたこのような通夜は,やがて乱飲騒ぎへと変わり始めた」。

通夜には非キリスト教的な起源があるだけでなく,死んだ子供に“天使”に見えるような装いをさせる奇妙な習慣や,花輪や火をともしたろうそくを使うことなど,通夜の際に行なわれる儀式はキリスト教に反するものです。なぜそう言えるのですか。こうしたものは,人間には死後も生き続ける不滅の魂があることを多くの人に連想させるからです。

しかし聖書は,死について全く異なった考えを述べています。死んだ友人についてのイエスの言葉は,その点を明らかにしています。「『わたしたちの友ラザロは休んでいますが,わたしは彼を眠りから覚ましにそこへ行きます』。それゆえ弟子たちは言った,『主よ,休んでいるのでしたら,彼はよくなるでしょう』。しかし,イエスは彼の死について話されたのであった。でも彼らは,眠って休息することについて話しておられるものと思った。それで,その時イエスは彼らにはっきり言われた,『ラザロは死んだのです』」― ヨハネ 11:11-14。

イエスは死を眠りに例えられました。眠っている人が無意識であるのと同じように,「死者は何事をも知らない」と聖書は述べています。―伝道 9:5,口。ヨブ 3:11-13。詩 146:3,4。

これは,亡くなった愛する人々に決して再会できないという意味ですか。それとは反対に,イエスは次のように約束しておられます。「このことを驚き怪しんではなりません。記念の墓の中にいる者がみな,彼の声を聞いて出て来る時が来ようとしているのです」。(ヨハネ 5:28,29)地上における宣教期間中,イエスはこの面でのご自分の力を示されました。イエスが三人の人を復活させたことを聖書は記録しています。(ルカ 7:11-17; 8:41,42,49-56。ヨハネ 11:1-44)興味深いことに,死者は復活した際,人間としてよみがえりました。イエスはこうして,不滅の魂が見えない領域に生き残ることではなく,復活の希望が確かなものであることを示しておられたのです。

私たちは研究を通して多くのことを学びました。それらを要約すると,次のような点が挙げられます。死者のために寝ずに通夜を行なう習慣は,キリスト教以前の非聖書的な宗教に由来しています。またこの習慣は,人が死ぬと不滅の魂が見えない領域で生き続ける,という偽りの教義を助長するものです。その上,通夜の際,大酒や慎みを欠いた行動によって聖書の原則が侵される場合があります。―ローマ 13:13,14。ペテロ第一 4:3。

もちろん,慰めたり援助したりする目的で遺族を訪問するのは良いことです。決められた時間に葬儀場でそれを行なうかどうかは,個人が決定する問題です。しかし,長い期間喪に服したり,通夜を行なったりすることは,キリスト教の習慣ではありません。

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