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目ざめよ! 1978
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人種的優越性なるものについて

あなたは人種をどのように見ていますか。もっとはっきり言えば,白人を生まれつき黒人に勝るものと考えていますか。口でどのように答えるかは別として,あなたの態度と行動は何を示していますか。

人はよく自分は人種的偏見を持っていないと言います。それでも民族的優越感を抱く人々の見方が長い間まかり通ってきたというのが実情です。それで黒人が生来,白人に劣っていて,永久に低い地位に甘んずるように定められているという考え方は,多くの人の間に根強く残っています。

このような考え方はどこに端を発しているのでしょうか。またこれほど根強いのはなぜですか。

宗教の役割

白人を生まれつき勝った者とする現代の考え方は,アフリカの黒人を征服して奴隷にしたことに端を発しています。奴隷貿易には正当化が必要でした。それに従事した人々が自称クリスチャンであったため特にそう言えます。フランスの法学者また政治哲学者であったシャルル・デ・セコンダ・モンテスキューは,奴隷売買者の理屈をこう説明しています。「奴隷たちを人間と考えることは我々にとって不可能である。彼らが人間ということになれば,我々自身クリスチャンであるという事が当然疑われてくるからだ」。

米国の自称クリスチャンも奴隷制度を正当化することが必要でした。南部の綿花栽培者の経済が黒人奴隷を所有することに依存していたからです。それで米国の一歴史家は次のように述べています。

「南部諸州はこの慣行を聖書的に裏書きするために聖書をくまなく調べた。……奴隷制度は聖書の中で是認され,事実,命ぜられてさえいる,そして神によって定められた,また特に黒人を益する制度であるというのが,南部諸州のおきまりの論議であった」― クレメント・ウッド著「米国史大全」,217,337ページ。

教会は率先して奴隷制度を正当化しました。黒人はのろわれた人種であり,そのために皮膚が黒いのであると教えられました。1844年にメソジスト教徒は奴隷制度をめぐって南北に分裂しました。バプテスト派は1845年そして同じ頃に長老派教会も政治的なメーソンディクソン線に沿って分裂しています。1902年に至ってさえ「“黒人は獣”かそれとも“神の像”か」という広く読まれた本が,セントルイスの一聖書館から出版されています。この本は「黒人が人類に属するものでない事を示す聖書および科学上の決定的な証拠」と題する章を含んでいます。

それで教会の是認の下に,黒人は生まれつき白人に劣るものと見られてきました。大英百科事典は次のように嘆いています。「米国でクリスチャンの手により奴隷とされたのはアフリカ人にとって不幸な事であった。これら米国人は奴隷所有者の慣行を自分たちの信条と調和させることができないため,黒人の概念を鋳直して黒人を財産とみなすようになった。権利と自由を持つ人間とは見なかったのである」― 1971年版第16巻,200ページD。

しかしこのような見方を擁護したのは教会だけではありません。この点では哲学者も科学者も同様でした。

他の人々も白人の優越を擁護する

1830年代に米国南部の哲学者たちは,人間が生来,不平等であるとの原理を確立しました。これは当時すでに南部のたいていの人が受け入れていた考えです。そして当時の米国で一流の自然人類学者ジョサイア・C・ノットは,この考えを生物学的に裏づけることを試みました。さまざまの人種は別々に進化したのであって,黒人はいっそうサルに近いという見方を一部の人々はするようになりました。証拠とされるある特徴を挙げて大英百科事典は次のような見解を述べています。「黒人は白人よりも低い進化の段階に位置しており,最も高等な類人猿にいっそう近いものと思われる」― 1911年版第19巻,344ページ。

同様な考え方をしている人は,米国自然人類学協会の元会長チャールトン・S・クーン教授を含め,今日でもいます。同教授の主張によれば,人間の五つの人種は互いに交流することなく「別々にホモサピエンスに進化した。すなわち進化は一回ではなくて5回である」とされています。全米テレビ放送において一スポークスマンは,クーン教授が証拠を提出しており,黒人種は進化の段階において白人種よりも20万年おくれているとの立場をとっている」と公言しました。

黒人に対してこのような考えが長い間抱かれてきたことを知る時,初期米国人が「万人は平等に創造されている」と言いながら,人間を劣等視する奴隷制度を是認していた訳を理解できます。ポール・B・ホートン,ジラルド・R・レズリー共著「社会問題の社会学」第3版は次のように説明しています。

「『万人は平等に創造されている』との格言は黒人には適用されなかった。彼らは“財産”であって人間ではなかったからである。黒人を劣等者として扱うことを正当化するため,聖書に記されたハム族ののろい,不完全あるいは別個の進化,地理的決定論,知能テストの証拠などの論理が次々と提出された。このような考えが信じられている限り ― そしてたいていの人はそれを信じきっていた ― 差別を行なう一方で民主主義の理想を唱えることに何の不都合もなかった」。

黒人は「人間でない」などと主張する人は,今日ではまずいないでしょう。それでも多くの人は,黒人が生来劣った者であると今なお信じています。彼らの高い文盲率と犯罪発生率,低い経済的,社会的地位そして特に知能テストの成績の概して低いことが,生物学的に見て黒人の劣る“証拠”であると考えられています。しかしこの証拠は生物学的に劣ることを本当に証明するものですか。白人と比べた場合,黒人が概して白人に及ばないのは,環境の面で何か理由がありますか。

米国の黒人の起源

アメリカ黒人のアフリカにおける先祖は文化あるいは文明を持たない野蛮人であったと考えている人が米国には多くいます。彼らは知性に乏しく,子供のようで,込み入った事柄を成し遂げたり,あるいは進んだ文明を発達させる能力に欠けていると考えられています。しかしワールドブック百科事典の説明によると,事実はそうではありません。

「何百年も前にアフリカ各地には,高度に発達した黒人の王国が存在していた。……黒人の王や貴族の中には,富と栄誉をほしいままにした人々もいた。彼らの首都は時として文化と交易の中心地になった。1200年から1600年の間に西アフリカのチンブクツには黒人とアラビア人の大学が栄え,スペイン,北アフリカ,中東にその名を高くしていた」― 1973年版第14巻,106,107ページ。

アフリカの文化がヨーロッパのものとかなり異なるのは事実です。しかし異なるという点では東洋の文化も同じです。また不幸なことにある人々は異なる事と劣る事とを同一視しています。しかしそれと同時にアフリカ人の生活と文化が最近の世紀において抑えられたことも否定できません。進歩の停止,一種の退歩が見られました。しかしなぜですか。

その理由は主として奴隷売買のためです。これについてアメリカ百科事典に次の記述がありました。「それは黒人の文化と産業の組織を破壊し,芸術の進歩を阻止し,政府を覆し,1600年以来の暗黒大陸を特色づけた,現代における文化の停滞を招いた」― 1927年版第20巻,47ページ。

奴隷売買の規模と,それがアフリカの社会に及ぼした衝撃は想像を絶するものです。1976年版新大英百科事典によれば,「船に乗せられて大西洋を渡った奴隷の人数は3,000万人から1億人に上るものと推定され」ています。もっと内輪の推定ではその数を「約1,500万人」としています。しかしこの少ないほうの人数でさえも驚くべきものです。死亡した人の数を考慮に入れるならば特にそう言えます。

アフリカ人を捕えることは白人が直接に行なった場合と,戦争や狩込みによって黒人が同胞を捕え,これを白人の奴隷商人に売った場合と両方あることを認めねばなりません。最初の責任がだれにあったにせよ,捕えられた者たちは海岸へと行進させられ,船積み地点に抑留されました。それから二人ずつ鎖でつながれ,船倉に詰め込まれたのです。そこはやっと横になれるだけの広さしかなく,光も新鮮な空気もないまま彼らは,大西洋を渡る50日間の航海の大部分をそこで過ごしました。捕えられた者たちの約三分の一は船に乗せられるところまで行かないうちに死亡したものと推定されています。そしてもう三分の一が航海中に死亡しました。

鉱山や大農園で働く奴隷が西インド諸島と南アメリカに初めて連れて来られたのは,1500年代の初めでした。1619年にはオランダの奴隷船が北アメリカに初めて黒人をもたらしました。しかし彼らは奴隷としてではなく契約労働者として連れて来られたのです。しかし1600年代の後の時期に奴隷制度は確立され,やがて米国に約400万人の黒人奴隷を数えるまでになりました。

奴隷制度が彼らに被らせたもの

アフリカ人は西インド諸島にまず連れて行かれるのが普通でした。そこで彼らは“慣らされ”,奴隷として仕込まれてからアメリカに船で送られたのです。集団的な反抗を防ぐため,同じ部族の出身者を別々にする方策か採られました。家族でさえも引き離され,売買人や新しい主人によって新しい名前が奴隷に与えられました。黒人を卑屈にさせ,従順にならせることが目的とされました。そうする過程において彼らの人格はゆがめられ,知性は抑圧され,そして反抗の空しいことを悟った時に,多くの場合,黒人は自分たちが劣等者であるかのように振舞い始めたのです。

黒人を完全に服従させ,またそれを確実にするために奴隷抑制法が制定されました。アメリカ百科事典に次の事が出ています。

「奴隷は,財産を所有すること,火器を所持すること,商業に従事すること,主人の許しを得ずに農園を離れること,他の黒人に不利な証言をする以外に法廷で証言すること,契約を結ぶこと,読み書きを習うこと,あるいは白人の同席なしに集会を開くことができなかった。……白人が奴隷または解放された黒人を殺しても,あるいは強姦しても,それは重大な犯罪とはみなされなかった」― 1959年版第20巻,67ページ。

奴隷所有の行なわれていた州の大多数において,黒人に読み書きを教えると,罰金,むち打ち,投獄のいずれかの刑を課せられたのです。

1808年に米国では奴隷売買が禁止されました。しかし法律を無視して売買は続けられました。奴隷の需要はそれまで以上に大きかったからです。これは遂に邪道の極み ― 売るために奴隷を生産するという結果になりました。アメリカ百科事典は次のように説明しています。

「もうけの多い大規模な国内奴隷売買が発達した。それには奴隷制度の最も残酷かつ冷酷な一面が伴っていた。古くからの州では,さらに南の州で売るために奴隷を繁殖させたこと,家族の者を別々に売って家族のきずなを絶えず引き裂いたことなどがそれである」― 1959年版第20巻,67ページ。

黒人は「人間ではない」という考え方のため,遂には家畜と同様,彼らを繁殖させて売ることまで行なわれるに至ったのです。次いで1865年に米国の奴隷制度は突然に廃止されました。それでも従来からの態度は根強く残り,差別のための法律や他の手段によって黒人は“彼らの立場”― 白人への隷属という地位 ― に置かれたままでした。

絞首刑という私的制裁は支配のための重要な手段のひとつでした。1890年から1900年までの間に年平均166件のリンチが行なわれました。またアメリカ百科事典に次の記述が見えます。「白人男子が黒人の女を性的に利用することは,ひきつづき大目に見られた。黒人は警察の手で,また多くの場合,法廷においてもはなはだしく不公平で差別のある扱いをされた」― 1959年版第20巻,70ページ。

これは古代史の話ですか。そうではありません。今生きている黒人で祖父母が奴隷であった人は大ぜいいます。そして今生きている人は,かつて奴隷であった人の口から当時の生活がどんなであったかを聞いているのです。1950年代に入ってもなお米国のマスコミは黒人を劣等者として描き,白人の従者という彼らの役割を動かし難いもののように扱っていました。

しかし一般に黒人は雑誌にしてもテレビ,新聞にしても犯罪の場面以外には登場しませんでした。彼らは,二流の学校教育に甘んじ,ある種類の職業から閉め出され,白人ならば受けられる多くの恩典を与えられずに,至るところで差別されました。事実上どこにおいても機会のとびらは彼らに閉ざされ,境遇を改善する望みは多くの黒人から全く奪われていたのです。

これらの実情に照らしてみる時,学業その他における黒人の成績が平均して白人と同じ程度に良いことを実際に期待できるでしょうか。ある一定の水準に達しないからといって,彼らを劣った民族であると考えるのは公正なことですか。彼らにも機会の開かれる時,何が見られますか。

機会と動機づけ

1947年以前の米国で野球の大リーグは黒人に門戸を閉ざしていました。その年,人種問題の緊張が高まるにつれて一人の黒人がプレーを許されました。ほどなくして黒人たちが野球界に頭角を表わし始め,1971年,ピッツバーグ・パイレイツが世界チャンピオンとなった年,守備についたこのチームの選手9人の全員が黒人であった試合もあります。他のスポーツにおいても同様な事態が見られ,今年のニューヨーク・タイムズ紙にも,「プロのバスケットボールは事実上,黒人の試合である」と書かれているほどです。

これは何を意味するものですか。生物学的に見て黒人は身体面で白人に勝るという事ですか。それとも機会が開かれ,教育を授けられ,動機づけの与えられる時,黒人もひけをとらないという事ですか。明らかに後者のほうです。野球選手,音楽家,科学者,大学教授などの才能を生まれつき持っている人種がある訳ではありません。これらは学んで身につけるものです。

生来,愚鈍な人種もあれば,侵略的で好戦的な人種もあり,さらには温和で卑屈な人種もあるなどと言って人種を型にはめるのは間違っています。人種それぞれにあるがままの姿は,特に彼らが受ける教育と訓練および動機づけに由来するものです。例えば,温和で屈従的なのが中国人生来の特性であると一般に考えられていました。しかし過去数十年間にわたり共産主義の下で異なる教育と動機づけを授けられた今日の中国人をそのように見る人はまずいないでしょう。

とはいえ,生まれつき,生物学的に黒人は白人よりも知力の点で愚鈍であり,知能の劣る人種であるという考えが根強く残っています。はたしてその通りかどうか,確かな証拠がありますか。

[9ページの図版]

次ページのさし絵の中にある言葉: 右上,「黒人はいかが 署名者はバージニア州よりルムプキンに着いたばかりで,変化に富んだあらゆる色合いの,総数40名ばかりの,あつらいむきな黒人の一団を引き連れています。同人は針女,女中,作男をとりそろえ,いかなる買い手の注文にも応ずる自信があります。同人はこの地域の,それもほとんど当郡内において200名余の奴隷をすでに売っており,今までのところ顧客の満足を得ているものと自負しております。当市場において常に取り引きしている以上,表示を偽っても彼には何の得にもなりません。したがって売られる奴隷はすべて掛け値なしの優良な者ばかりであることを保証します。連絡は同人の競売室まで。 J・F・モーゼズ 1859年11月14日 ジョージア州ルムプキン」。

中央,「わたしも人であり兄弟ではないのか」。

左下,「黒人売りたし 次期公判の火曜日,11月29日に,価値ある八人家族の召使いを競売にかけます。内訳は次のとおりです。黒人の男で優秀な作男一人。17歳になる,飛び切り上等の少年で信頼の置ける下僕一人。上手なコック一人,女中一人,針女一人。残りは12歳未満の子供。彼らを売りに出すのは欠陥があるためでなく,私が北部へ行くことになったためです。また,家具や台所用品,馬屋用具一式なども数多くあります。条件に融通性あり。および,……は競売当日お知らせします。 ジェイコブ,P・J・ターンブル,……1859年10月28日」。

[クレジット]

ションブルグ黒人文化研究センター,ニューヨーク公立図書館,アスター,レノックス,ティルデン財団提供

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