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目ざめよ! 1978
目78 9/8 26–27ページ

外国人である隣人と知り合う

ドイツ連邦共和国の「目ざめよ!」通信員

「あなたは,ご自分の近所の方々をご存じですか」。「ええ,知っていますとも」,と答えられるでしょう。「シュミットさんご夫妻が隣に住んでいますが,そのご夫婦には,ガービという小さな娘さんがいますし,スージーという名の小さなプードル犬もいます。そして向かい側は,ええと,何というお名前のご夫妻だったかしら。ドイツ人の名前ではないんですよ。善い方たちのようですが,ドイツ語をほとんど話されないのです。お知り合いになるのはとても難しいですね。残念なことですが」。

最近ドイツでは,ドイツ語を母国語としない人々が,わたしたちの間に多く住んでいますから,こうしたことが起きるのは珍しくありません。それらの人々と話し合えないことが知り合いになるのを非常に難しくさせているのです。

これは,努力を傾けて外国語を学ぶべき一つの良い理由になります。そうすることは,必ずしも易しくはありませんが,とても報いの多いものとなり得ます。過去二,三年間に,妻と共に二つの外国語を学んだある若いドイツ人の経験を考えてみてください。その人は,外国人である隣人ともっと知り合いになりたいと願っていました。彼は次のように述べています。

「私は,学生時代に他の言語に関心を持ったことはありませんでした。文法などは,極めて退屈な学科の一つだと思っていました。その後1966年に,婚約者と共に聖書の勉強を始めた時,聖書の中に用いられている特定の言葉が,私たちにとって耳慣れないものであることに気付きました。とはいえ,これらの言葉はドイツ語でしたから,学ぶことは難しくありませんでした。やがて,こうした聖書の勉強の結果,私たちはエホバの証人として,全時間宣べ伝える業に携わるようになりました。

「1972年の春,ものみの塔協会は私たちに,スペインで神の王国の『良いたより』を宣べ伝えるために,移住する意志があるかどうか尋ねました。『私がスペイン語を学ぶんだって? 私は文法に弱いし,外国語が好きではないから,とんでもないことだ!』,と考えました。しかし,私の不安にもかかわらず,私たちは招待を受けることに決定しました。

「1972年9月,私たちは新しい言語を学び始められるよう,ケルン市にあるエホバの証人のスペイン語会衆と交わることを勧められました。12月にそこへ到着した時,私はグラーシアス(ありがとう)と,ブエノス・ディアス(こんにちわ)しか言えませんでした。一体どんな進歩を期待できたでしょうか」。

根気強さと自己訓練が必要

「時には落胆して,目的を達成することなど決してできない,と思うこともありました。しかし,それが幾分簡単にできそうに思えた日もありました。

「一方,妻は教科書を用いなくても速く進歩しました。彼女には,英語とフランス語の知識が大きな助けとなっていました。

「ところが,私は幾冊もの教科書を買い求め,それらを何回も何回も読みました。どこにいようと,私はいつも教科書と首っ引きでした。時には大笑いの種になることもありましたが,私は学んだ事柄をすぐ用いました。しかし,いらいらせずに自分を笑えるようになることも,とても大切だということが分かってきました。そうでなければ,間違ったことを言いたくないばかりに,自分の学んだ事柄を用いることを恐れるようになります。根気強さと自己訓練はクリスチャンが持つべき資質なので,私はあきらめない決意をしました」。

進歩する助けとなった経験

「二,三か月後私が一人で証言している時,つい最近詐欺師を扱ったテレビ番組を見たというあるスペイン人に会いました。そのためその人は,私が聖書から少し話をした時,非常にうさんくさそうな様子でした。再訪問を行なうに際して,スペイン語を話すエホバの証人に一緒に行ってくれるよう頼みましたが,それは家の人をさらに疑い深くさせました。彼は,私の最初の訪問の理由を十分につかみかねていました。そして,私たちが聖書を表看板に用いて,自分から何かをだまし取ろうとしているのではないか,自分の妻に取り入ろうとしているのではないかと考えました。私たちを調べるために,その人は,私たちの家を訪ねて来ることを提案しました。友人は同意しました。そしてこの人は約束の時間に,その場に現われました。私たちが詐欺師ではないことにすぐ気付いたこのご夫妻は,私たちと聖書を学び始めました。今日では二人共エホバの証人です。

「三か月後に,会衆で最初の話をしました。六分間の話のために,五時間の準備が必要でした。それでも,原稿を直してくれたスペイン人の手にかかると,そのおよそ半分が改められねばなりませんでした。後日,額に多くの汗を流しながら,一時間の話をしました。スペイン語を話す友人たちの多くは,書いたり話したりする際の誤りを正して,私が進歩するよう喜んで助けてくれました。

「やがて私は,ドイツ語で何かを書いて,のちにその資料を翻訳するより,スペイン語で全部を書き,それから訂正する方が良いことに気付きました。人は,学んでいる言語で考えることを習得しなければなりません。また学んでいる言葉の正しい発音や,つづりを確かめることも有益です。

「発音のよく似た間違いやすい言葉が,考えをまったく変えてしまうことがあります。例えば,キャバロ(馬)とキャバレロ(紳士)は,よく混同されます。もし混同すれば随分きまり悪い思いをします。ある時私は,『私たちは霊的なレビ人(ロス・レビタス)と共に働くべきです』と言うつもりでした。ところが,『私たちは燕尾服(ラス・レビタス)と共に働くべきです』と言ってしまいました。ある人のご親切(ホスピタリダード)に感謝する代わりに,間違えて,その人の敵意(ホスティリダード)に感謝してしまうこともあります。もちろん,大抵の場合,相手の表情から自分が間違いをしたことが分かります」。

第二外国語

「1974年の春,私たちはスペインへ行く代わりに,ドイツにある幾つかのスペイン語会衆を定期的に訪問するよう招待されました。こうした旅行する奉仕を始めて間もなく,私たちはもう一つの外国語であるポルトガル語を学ぶのは有益であることに気付きました。1975年の春,ポルトガル語で最初の話をしましたが,それはポルトガル語というより,むしろスペイン語のようでした。それでも時たつうちに進歩し,今日私たちは,スペイン人とポルトガル人の両方に,その人たちの母国語で聖書の音信を伝えることができます。

「もちろん,これらの言語を習得したのは私たちだけではありません。ドイツ語を話すエホバの証人で,スペイン語,ポルトガル語,クロアチア語,トルコ語,イタリア語,ギリシャ語,英語などを習得した人たちがかなりいます。それらの人々はみな,そうすることに大きな喜びを見いだしましたが,それは主として,ここドイツにいる外国人である隣人の霊的福祉に貢献したいと思ったからです。そのことに伴う困難は,得られた喜びと祝福に比べると取るに足りないものでした。外国語を学ぶことは,数多くの新しい友情へのとびらを開きます」。

あなたも外国語を学びたいと思われますか。もし必要な時間と根気強さがあり,そのためにより重要な事柄がおろそかにならなければ,別の言語を学ぶことは,満足のゆく趣味となり,外国人である隣人とより一層知り合う助けともなるでしょう。

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