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目ざめよ! 1978
目78 9/22 17–20ページ

スイス・アルプスを横断する

スイスの「目ざめよ!」通信員

ヨーロッパの地図を見ると,地中海からスイスにかけて,三日月形に湾曲し,それから東へ向きを変えるスイス・アルプス山脈がわけなく見つかります。全長約1,200㌔にもおよぶこの山系は,フランスからスイス,イタリア,オーストリアを越えてユーゴスラビアにまで続いています。オーストリアでは,その幅は最高200㌔にまで達しています。

もし,あなたの地図がかなり詳細なものであれば,この印象的な山系には,4,000㍍級の山がいくつかあることに気付かれるでしょう。もっとも,標高4,807㍍の最高峰モンブランはフランスにあります。アルプス山脈は,スイスの地表面積の五分の三余りを占めており,スイス・アルプスの十分の一は氷に埋もれています。

アルプス山脈の中心部には,サン・ゴタールという山群がありますが,そこはヨーロッパの三つの大河の水源地となっているためヨーロッパの給水塔として知られています。それらの大河とは,(北海に流れ込んでいる)ライン川,(地中海に注ぎ込んでいる)ローヌ川,(アドリア海に流れ込んでいる)ポー川の主流であるティチノ川です。それらの川に沿って行くなら,アルプス山脈の渓谷が,東西を結ぶ交通の便に役立っていることに気付かれるでしょう。ローヌ川とライン川は,ゴタールの両側にそれぞれ二続きの山脈を,つまり合計四つの主な山脈にスイス・アルプスを分けています。しかし,スイス・アルプスを横断することに関して言えば,ヨーロッパ北部とイタリアとの通商を可能にしている斜めに横断している渓谷が最も重要な場所と言えます。

アルプス越えの道路のあらまし

西暦前のずっと昔の時代には,旅人,特に商人はイタリアから北方へアルプス山脈を横断しました。しかし,スイスの道路網ができたのは,ローマ帝国の時代のことです。確かに,ローマ人は軍事上の理由で初めてアルプスを横断する国際的な道路を造りました。ローマ人にとって,スイス西部の大サン・ベルナール峠はモンス・ジョビス,すなわち「ジュピターの山」でした。彼らは,その名の神を崇拝するためその場所に神殿を建てました。

由緒あるこの困難な道筋を多くの軍隊が通りましたが,とりわけ有名なのは,1800年にナポレオンが通ったことです。今では,自動車の通行に適した道路が標高約2,470㍍のところまでできており,6月から10月中旬の間は,自動車でイタリアに下ることができます。アルプスのこの印象的な地域一帯の天候は厳しいものですが,そのことは,峠近くの湖が一年のうち平均265日は凍っているということからもお分かりでしょう。

スイス人にとって,アルプスの中心にあるゴタール道路は生命線のようなものです。その道路は,ドイツ語の話されているスイス中央部と,イタリア語の話されているスイス南部とをつないでいるからです。改良したり道幅を広げたりする工事は続けられているものの,現在ある道路の大半は1830年にできたものです。その道はヨーロッパの北部と南部とを結ぶ最短距離の道路であるため,利用できる短期間の間は非常にこみ合い,自動車の列が数㌔にも及ぶことがしばしばあります。この道は普通,11月から6月までは雪のために通行止めになりますが,(標高約2,100㍍の)ゴタール峠は復活祭の休暇中は強力な除雪車により通行可能になります。

その道路は八つの大氷河のある中央の山塊を横切って通っているのですが,近ごろの自動車旅行者たちは,その道路がどちらかと言えば陰気な山の景色の中を通っているように感じるかもしれません。そこから17の渓谷が四方八方に向かって広がっています。スイス人は幾世紀もの間,アルプスの中心にあるこの山塊を自分たちの自由と独立の象徴とみなしてきたため,この山塊の名は,ドイツのヒルデスハイムの司教“聖”ゴタールのために1230年ごろ建てられた礼拝堂にちなんで付けられています。

13世紀末期に早くも,ドイツ皇帝は,ゴタール峠がヨーロッパの政治と南北の通商に重要な役割を果たすことに気付きました。しかし,スイス人も間もなく,その峠に,外国の軍隊を寄せ付けないようにすることは,スイス人の独立のためになる,と悟るようになりました。スイス人は,護衛が略奪されないように,また商人や巡礼者が襲われないようにするため,1331年に峠の南側の斜面を併合しました。1370年当時の記録は,外国人やその土地の人々が“身と財産”もろ共,危険を冒さずにゴタールからチューリッヒに行けたことを証明しています。このことに関して,早くも1240年に,ゴタールはある年代記の中で,「巡礼者が北からローマへ行くために通った通常の道」として言及されています。

幾世紀もの間,旅人たちは,平らな石と花崗岩の厚板でできた,幅およそ3㍍から4.5㍍のラバの通る小道,を用いたものです。その上,ゴタール峠の横断には,降雪,なだれ,落石,雷雨,強風など多くの予期しない危険が伴い,そのために旅が遅れたり,命や持ち物を失ったりしました。冬期には,峠は何か月もの間閉ざされたままでした。確かに,ゴタール峠はアルプスのすべての峠の中で最も危険な場所でした。

建設に10年を要した道路のおかげで,1831年から,駅馬車がゴタール峠を越えられるようになりました。フリューレンから「レモンの木の花咲く地」ルガノまで153㌔を旅するのに22時間かかりました。1882年5月31日,トンネルを付設したゴタール鉄道が開通したときが,駅馬車の最後の峠越えとなりました。そしてそのトンネルのおかげで,永久にではありませんが,静寂が雪に覆われた山頂を包みました。

今日,アルプスの道路は,非常に改良されたとは言え,夏は,激しい交通量と無数の屈曲部のために危険です。秋と春には,雪と氷のために危険が増します。入り道は,地すべりやなだれのために突然しゃ断される可能性があります。しかし,今では,自動車を運転する人が自動車クラブに尋ねるか,あるいは電話のダイヤルを回すだけで運転状況を確かめられるような備えがされています。つい最近の1975年5月に,スイスの峠は豪雪のために他の年よりも長く閉鎖されました。

アルプスの地図のさらに西方にあるシンプロン道路は,現代になって建設されたアルプス越えの交通路の最初のものです。大砲を運ぶためにこの峠を開くよう命令を出したのはナポレオンでした。標高が2,000㍍と比較的低いのと,積雪量が割合少ないという理由で,この峠が選ばれました。幅8㍍の道路の最急勾配は1/10でした。この峠は,以前は雪のため12月から5月まで通行止めになっていましたが,今では一年中開通しています。この道路の美しさに感動しない人はいないでしょう。その道は地形によく適しており,途中には絵のように美しい場所が方々に見られます。

1974年当時,スイスのアルプス道路網は合計1,098㌔になりました。その約半分は近代化されています。峠は,一つ一つ述べることができないほど数多くあります。しかし,アルプス越えの他の可能な方法について話す前に,山道を縫うように進む黄色の郵便馬車のことに触れておかねばなりません。三種類の音の警笛は,すべての人に,それらの馬車に優先通行権があることを思い起こさせます。

鉄道による連絡

鉄道の出現とともに,ゴタールは間もなく“ヨーロッパの転車台”となりました。南北ヨーロッパを結ぶ最短距離の鉄道を完成させるために,1869年にはイタリアとドイツもスイスに加わりました。標高1,155㍍の地点にまで達する全長15㌔のゴタール鉄道トンネルを掘るのに10年間かかりました。1882年以来,列車は雷鳴のような音をとどろかせながら,日夜このトンネルを通り抜けてきました。

ほとんどすべてのスイスの鉄道網について言えることですが,スイス人は完全に電化されている自分たちのゴタール線を誇りにしています。旅行者たちは,技術面での業績や数多くの進入トンネルに感心する一方,気持ちのよい列車に4,5時間乗って眺める様々な景色に飽きることはありません。ゴタールトンネルの北側の入り口では,気候は大抵,曇りか雨です。それで,トンネルから晴れわたった青空の下へ出ると本当にびっくりさせられます。さらに数㌔先へ進みます。すると,ご覧なさい! ブドウの木,クリの木,イチジクの木,モモの木などいずれも南部の気候が温暖なことを証明していますが,そのような気候は,アルプス北部ではあまりよく知られていません。確かに,汽車でゴタール峠を越えるなら,忘れることのできない楽しい思い出となります。

1906年に,ゴタールトンネルに代わって,シンプロントンネルが最長のものとなりましたが,それはスイスを横切ってフランスとイタリアをさらに短い距離で結ぶために造られたものです。1898年に,長さ約19.8㌔の第一通路の建設工事が始まり,1906年に鉄道が開通しました。それより18㍍長い第二通路の工事は1912年に始まりましたが,第一次世界大戦のため,1922年まで開通しませんでした。世界最長のシンプロントンネルは標高700㍍の場所にあり,トンネルの天井の上にある岩の最も厚い所は2,135㍍もあります。このトンネルを掘る作業には細心の注意が必要でした。漏出のためやむなく作業を断念しなければならなかったことは何回もありました。

ロンドンからイスタンブールまでの旅行の一区間として1919年に走り始めた国際列車“シンプロン・オリエント急行”のことを懐かしく思うスイス人は少なくありません。シンプロントンネルの中をごう音をたてて走るこの列車は,パリを出発して,フランス,スイス,イタリア,ユーゴスラビア,ブルガリア経由で,トルコのイスタンブールまでの,3,027㌔というヨーロッパ鉄道の最長距離を,60時間で走りました。

道路のトンネル

工事の始まっている幾つかのアルプス道路のトンネルの中で,個人的に建設された西部の大セントバーナードトンネルと,東部のサン・ベルナルディーノトンネルの二つは開通しています。1964年に開通したセントバーナードトンネルは全長5.8㌔の有料トンネルです。一方,全長約6㌔のサン・ベルナルディーノトンネルは,1967年9月1日以降利用されています。このトンネルは,スイス全国道路網の一部なので,通行は無料です。

現在,ゴタールの鉄道トンネル近くでは,道路トンネルの工事が行なわれています。全長16㌔のこのトンネルは,世界最長のトンネルになるはずです。このトンネルは,1977年までに開通の予定でしたが,困難な事態のため,16か月から18か月の遅れが出るものと予測されています。

他の道路トンネルが開通するまで,自動車で旅行する人々は自動車を列車に載せてアルプスを越えることができます。平らな特別貨車のおかげで,運転手も乗客も車に乗ったままでいられます。スイス連邦鉄道は,人々を乗せて,長いゴタール鉄道のトンネルをわずか15分間で通り抜けます。

もちろん,旅行者が急いでいる場合には,今では,ほとんどどんな気象状況でも利用できる幾つかの航空路があります。毎日,250便以上が飛んでいます。しかし,本当に畏怖の念に打たれるような旅をしたいなら,列車か自動車で旅をすれば,その大きな期待は存分に満たされることでしょう。

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