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目ざめよ! 1978
目78 12/8 24–27ページ

“火の国”へおいでください

フィリピンの「目ざめよ!」通信員

あなたは冒険心をお持ちですか。それは結構! では,私たちと一緒に“火の国”へおいでください。

私たちは,フィリピン南部の大きな州三つを含むダバオ地方へと向かっています。その地域の中心にはダバオ市があります。ダバオ市にはそれほど広い地域に家屋があるわけではありませんが,厳密に言えば世界最大の都市です。この都市の公式の境界線内の土地は幾百平方㌔もあり,また伝えられるところによれば国の未踏の地も幾らか含まれているのです。多くのフィリピン人がより良い生活を求めて遠い北部からこの地へと移住しています。しかし,それらの人々よりずっと以前に,バゴボ族は,当時ダバダバ,つまり“火の国”と呼ばれていたこの地域に住んでいました。

その名は,バゴボ族により神聖視されているダバダバという低木を焼く,部族の習慣に由来しています。人々は,フィリピンの最高峰アポ山のふもとでその木を焼いたものです。今でも移住民の中に見られるそれら原住民は褐色の膚をした温和な人々で,おもにインドネシア人の顔立ちをしています。それらの人々の用いる言語には,言葉の持つ微妙な差異がよく表われています。確かに,文明は,完全にとまでいかなくとも昔の生活様式を変えてしまいました。私たちの友人で,昔の生活様式について幾らか覚えている典型的なバゴボ族のロルドにそのことについて話してもらいましょう。

質素な農耕生活

「私たちの生活はかつては非常に原始的なものでした」と,ロルドは話し始めます。「森林の中を歩き回り,父親の決めるところならどこへでも移動したものです。適当な場所が見付かると,父親の指示の下にその土地を切り開く仕事に取り掛かりました。巨木は切り倒され,生い茂った下草は切られて焼かれました。その結果,柔らかい土地ができました。農耕用の動物を飼っていなかった当時,それは私たちにとってありがたいことでした。私たちはすきさえ持っていませんでした。ボロス,つまり地面を掘る棒やその他の簡単な道具があっただけです。私たちは,新しく切り開いた土地に穴を掘り,米,トウモロコシ,サツマイモ,マニラアサなどを栽培しました。その後,作物は収穫時までそのままにしておかれました。

「収穫時は楽しい時でした。しかし,私たちの働きの実をまだだれも味わわないうちに,バレテの木の根元で神々にささげ物がなされました。私たちは大きなバナナの葉の上にたいたご飯をのせて,その中に,土地を耕やすのに使った農機具を差し込みました。その後,ご飯は感謝を表わすために地面に埋められました。

「私たちは,チガヤ,竹,森林の木々から切り取った長い木材などで父親が造ってくれた小屋に住んでいました。それは,地面をはうような形をした低い建物でした。もちろん,家具など何もありませんでした。隅に耐火石材が幾つかあっただけです。私たちは床の上に寝,また,フォークの代わりに指を,お皿の代わりにココヤシの殻を使って床の上で食べました。

「振り返ってみると,私たちの家族関係は非常に暖かく親密なものであったように思えます。それぞれが自分の立場をよくわきまえていました。父親や他の男の人たちが一緒に話しているときには,大抵,女の人たちはそれに加わりませんでした。母親は,いつも話が聞こえない程度に隔たった場所にいるように,米をついたり,木陰で敷き物やかごを編んだりしていました。私たち子供は,そのころは髪を長く伸ばしており,ある野生植物をかんでいたため黒い歯をしていました。歯が黒いということは,誇りであり,それは“真の原住民”であることの印でした。

「後になって,重い荷物を運ぶために,馬,数匹の犬,そしてまた水牛を手に入れることができました。私たちは,森林にたくさんいた鳥をわなで捕らえて飼い慣らしました。また,必需品を得るために売ったり物々交換したりするサルや,野生のブタやシカなどを追いかけて捕らえることもできました。母親は獲物をきれいにして,肉を望み通りの大きさに切り,大きな土製のつぼに二,三日保存しておいたものです。緑の竹筒の中で調理された食物は,大変なごちそうとされていました。

「また,きめの粗い陶器の造り方や,小さな鐘,または腕輪,腕飾り,脚に巻く帯,首飾りなどのようなしんちゅうの装飾品の鋳造の仕方を習いました。女の人たちは麻を編んだり,締めたり,また,ある種の木の根や葉からとれる染料を使って染色したりする知識を習得しました。しかし,私たちのすべてが森林にずっといたわけではありません。中には学校に行った者もおり,それらの人々は今では,公務員や会社員として働いています。中には市長になった人さえいます」。

宗教上の信仰

ローラ・W・ベネディクトが自著「バゴボ族の儀式と魔法と神話」の中で述べるところによれば,バゴボ族は全体としては無数の神々を崇拝し,多くの宗教儀式を行なっています。そうした儀式の方式の一つはギヌム(「飲む」という意味のイヌムに由来している)と呼ばれるものです。この儀式の際中には酒がふんだんに用いられ,昔は,鳥,あるいは人間さえ犠牲とされました。バゴボ族は,亡霊や悪魔から身を守るために,音楽,詠唱,踊り,ごちそうなどをふんだんに盛り込んだ儀式を行なうのです。

田植え,収穫,結婚,葬式,そのいずれの場合にも儀式が行なわれます。人々は,マンガニトと呼ばれる夜の集会の際に,霊媒,それも大抵は女性の霊媒を通して様々なアニトス(神々)からの音信を与えられると信じています。しかし,バゴボ族の宗教は,神々を崇拝することより,ブソ(悪魔)の影響を免れることと関係があるようです。

村長はダツと呼ばれ,年長の男の人たちと有力な女の人たちの助けを借ります。それらの人々は,宗教上の,あるいは一般的な問題を形式ばらない議会で取り扱います。また,薬草及び魔法による治療の知識を幾らか持った男,あるいは女の僧侶兼医師がいます。彼らは結婚を執り行ない,収穫の際に犠牲をささげる務めを果たします。

求愛と結婚

バゴボ族の間では,若い人々がお互いによく知り合えるよう求愛が勧められています。少女は,求婚を受け入れることも断わることも自由にできます。大抵,少年は少女に直接結婚を申し込みます。もし少女の両親が結婚に反対なら,少年は両親をなだめるために贈り物をします。しかし,少年が結婚を認めてもらえる場合には,少女の父親は贈り物の半分の価値のあるものを返します。そうすれば,娘が売られたような印象を与えないですみます。

ロルドは次のように述べています。「ある場合には,若者は少女の両親のところへ直接行き,結婚を申し込みます。両親は少女を呼んで,その少年との結婚を望むかどうかを尋ねます。少女の感情次第で,父親は決定を下します。両親が贈り物を要求する場合もあります。もし少年にその贈り物を買う余裕がなければ,それを得るために働きます」。少年がある少女と結婚したいということを自分の父親に告げる場合もあります。今度は,その父親が少女の両親のところへ行きすべての事を取り決めます。

妻は家族内で尊ばれており,重要な決定を下す際にも有力な役割を果たします。大抵の場合,男の人は一夫一婦主義です。しかし,ロルドによれば,もし余裕があればそれ以外に妻を持つこともできるそうです。

結婚式の際に行なわれる儀式には,病気をはねのけるために古い衣類を川に投げ捨てることも含まれています。不幸を寄せ付けないために,やりを山の方角へ向けます。それから,二人の結び付きを表わすために二人の頭髪のふさが一緒に編み合わされます。また,贈り物の交換が行なわれます。儀式全体は24時間以上かかり,形式ばらない飲食は,大抵,式の始まる一日か二日前に始まります。

死と埋葬に関してはどうですか

そうした悲しい出来事にもやはり,儀式が付き物です。死後,死体は床の敷き物の上に(頭の下に小さなクッションを置いて)横たえられ,麻か綿の布切れで覆われます。ロルドはこう述べています。「死の際に,“魂”が体から離れて,他の形体の生命に生まれ変わると信じられています。それで,バゴボ族は,チョウ,カ,トカゲ,ハエ,セミなどを,とりわけ夜には殺しません。それは故人の“魂”かもしれないからです」。

埋葬する一日か二日前に,死体を悪魔から守るために通夜(ダマグ)が行なわれます。棺や棺衣の上には,口を開けて舌と歯を見せているワニの模様が見えます。これは,悪魔を脅して追い払うのに効果があると考えられています。ロルドはさらにこう続けます。「葬列が去り始めると,“魂”が戻ってこないことを願って,死体のそばに水が注ぎ出されます。階段の昇り口には,足跡をとるために灰がまかれます。そのようにして,生き残った人々は,死者が三日目に戻ってきたかどうかを知ります。バッタや他の虫が三日目に姿を見せるなら,死者が戻ってきていると言われ,その虫がとまる所にはどこにでも食物がささげられます。死者が男なら,たばこもささげられ,女なら,花が供えられます」。

死体は様々な方法で処理されます。昔は,穴の底に広げた敷き物の上にただ降ろすだけでした。死体を木の皮で包んだり,高い木の上に置いたままにすることもありました。もう一つの習慣は,戸や窓をしっかり閉めた家の中に死体を置いておくことでした。家族はその家を捨てて,そのそばに新しい家を建てたものです。一年後,死者の“魂”が生きている人をもう悩まさないように,伝統的な黒の喪服が川下に流されます。

自由へと逃れる

これらの興味深い人々の多くはクリスチャンであると自称していますが,普通のバゴボ族はいまだにバレテの木の根元でささげ物をしています。そうです。先祖の古い異教の伝統を守り続けているのです。

ロルドは,12歳のときに,超能力を持っていた祖父の理想的な後継者になるかに思えました。そのときのことを思い出して,ロルドは次のように述べています。

「私は,祖父のような,また,それ以上の力を持つ日を心待ちにしていました。最も美しい少女を花嫁にし,さらには数人の妻を持って,ダツになるのを夢見ていました。私は生死をつかさどる力を持ちたかったのです。それで,毎日,祖父から教えを受ける前に,バレテの木の根元で神々にささげ物をしたものです。

「祖父は私に,この地方独特の武器の造り方,馬の乗り方や電光のような速さで馬から降りる方法,また,考えられないような正確さでやりを投げる方法などを教えてくれました。祖父は,自分の知っている攻撃と防御の他の術すべてを教えてくれただけでなく,賞金のために殺すことについても教えてくれました。私はもはや家庭生活には全く興味がありませんでした。私は自分の夢に取り付かれており,教えを受けた後には,自然に親しむために深い森の中を歩き回ったものです。食物なしで何日も過ごし,森の大木の根元で寝ることもよくありました。

「私の進歩はすばらしいものでした。しかし,その後,祖父が死に,私の夢は何もかも消えてしまいました。ひどく動揺した私は,大酒を飲んだりかけ事をしたりするようになり,この世の快楽を追い求めて若さを浪費しました。その後,1948年のある時期に,私は,非常に建設的な別の夢を見いだしました。

「カマツオラン,つまり当時エホバの証人として知られていた“真理の人々”の一人が,私の家の戸口の踏み段に,セブ語の「暴露」という小冊子一冊を置いていきました。私は以前はエホバの証人を避けていましたが,今回,その小冊子を少し読んでみたところ,私はその音信に興味を引かれました。結局,私はエホバの証人と話し合い,それ以来彼らは私を定期的に訪問するようになりました。

「もちろん,新しく見いだしたこの夢は父の怒りをかいました。父はなんとかして私を思いとどまらせようとしました。私の愛する妻(私はその時には結婚していました。)でさえ,私を落胆させようとしてののしりました。それでも,私の決意は固いものでした。大変な苦闘の末,私は今までの悪い習慣すべてを捨て,清い生活をするようになりました。―フィリピ 4:13。

「私の生活における大きな変化を見た妻もまた,聖書の真理に関心を示すようになりました。実際のところ,妻は,新しく見いだした信仰について最初から私が話さなかったことを非難しました。妻は,もっと早く私と一緒にしたかったのにと言いました。その後,私たちは二人ともバプテスマを受けるにふさわしい者とみなされ,それ以来ずっと,エホバの豊かな祝福が私たちの上にあるのを見てきました。現在,私は,“火の国”にある,数多くのエホバの証人の会衆の一つで,長老として奉仕しています」。

エホバの証人は,一般的に言って,バゴボ族の人と話がし易いと感じていますが,バゴボ族の大半の人は,古い伝統を捨てて聖書の真理を受けいれるのは難しいようです。それでも,ロルドのように,生活を変え,真のキリスト教にしっかり従っている人々もいます。それらの人々は,現在『エホバの家の山に』流れのように集められている群衆の一部となっています。―イザヤ 2:2-4,新。

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