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目ざめよ! 1979
目79 3/8 24–27ページ

なぜ私は自分の生活を清めたか

私は東部ベルギーにあるリェージュ市の近くで育ちました。私の少女時代は幸せというにはほど遠いものでした。それは1960年代の初めに,父と母が別れたからでした。そのとき私はまだ10歳になっていませんでした。

私は父と一緒に住んでいましたが,父は働く気のあまりない人で,それがいろいろな問題の原因になっていました。父は,私にも大して関心を示しませんでした。それで私はかなり気ままに行動していました。だから父は気楽だったのでしょう,よそで寝ることが多く,何日も家に戻らないこともよくありました。

私は14歳で学校をやめ,働きに出ました。働きはじめるとおとなになったような気持ちになって,喫煙や飲酒をはじめ,男の子たちと外出するようになりました。私がつきあっていた仲間は良い仲間ではなく,私は彼らの生き方に徐々に巻き込まれていきました。もちろん初めのうちは悪事というほどの事は何もしませんでしたが,転落の道をたどっていることは確かでした。それでも,私にはこれといった人生の目的もなかったので,そういう生き方を改めなければならない理由もわかりませんでした。

不道徳の深みへ転落

15歳になったとき,私はスパ市の近くのあるホテルでウェートレスの仕事に就きました。そしてある男の子と初めて性関係を持ったのがそのホテルでした。

16歳のときには年齢を偽ってバーのホステスになりました。ここではそのバーの経営者の息子のひとりと親しくなり,やがて夜を共にすごすようになりました。しかし後ほどくら替えし,弟のほうとつきあうようになりました。

“恋人”のひとりから同性愛タイプの行為を教わるに至って,事態は急速に悪化し,やがて私は忌むべき性行為にいよいよ深く巻き込まれていきました。

そのころ私は,どうしても別の仕事を見つけなければならないはめになりました。当時私が一緒に住んでいた男は,私と結婚してモロッコに連れて行きたいと言いだしました。でも私は,その男がモロッコ人の友達と話していることを立ち聞きして,疑惑を抱くようになりました。そして,ふたりは私を売春婦にして自分たちを養わせるつもりなのだ,と私は考えました。

そのころ私の問題は警察の手に渡りました。起きている事柄にやっと気づいた父は,私を姉のところにあずけました。でも私は,自分のしたいことをするんだということをみんなに示すために,若い男と一緒に出歩き,淫行や不自然な性行為にふけりました。私はこうしたことを,良心の痛みを少しも感じないでしていたのです。それでも私は,そういう不道徳な生き方から心の平安や幸せを感じるどころか,不満と失望感をつのらせていました。

希望の道が開ける

その後1971年,私がリェージュの姉夫婦のところに住んでいたとき,エホバの証人の主催する公開講演のビラが一枚,私たちの郵便箱に入れられました。そのビラを見て私は三年前,つまり14歳のときに,エホバの証人に初めて会ったのを思い出しました。家庭聖書研究をある婦人から勧められて始めましたが,父が強く反対したので二,三回でやめてしまいました。後でわかったのですが,そのエホバの証人は何度も私と連絡を取ろうとしましたが,私は家にいないことが多かったので,連絡はついに取れませんでした。

私はビラに書かれていることを読みながら,あの時の聖書研究のことを思い浮かべ,この講演を聞きに行きたい,と思いました。でも行きませんでした。姉のふたりの小さな子供の世話をしていたので,もし子供たちを連れて行ったら聴衆の迷惑になるかもしれない,と考えたからでした。ところがそれから数日後,ふたりのエホバの証人が私の家を訪れました。神は私たちや私たちの福祉に関心を持っておられるという証人の話を聞いて私は本当に深い感銘を受けました。

その証人たちは私が関心を示したことに注目し,私の住所を書き取ってそれを別の証人に渡しました。しばらくたってその証人が訪れて,聖書を定期的に勉強するよう勧めたとき,私はすぐにその勧めに応じました。姉夫婦もその勉強に加わりました。

聖書の真理が心に浸透してゆくにつれ,私の物の見方は大きく変わりました。過去三年間の私の生活は,私たちの創造者が人々に望んでおられる生き方とは全く反対であったことに気づいて,私は戦慄しました。淫行や同性愛,不潔な行為などを罪とする神の律法の知恵を,私は理解することができました。そうした行ないが真の満足や幸せをもたらさないことを,私ははっきり知っていました。

それにしても,不道徳なことに深く関係している私をご覧になって,神は私のことをどうお考えになるのでしょうか。神の愛は,ひどい罪人をも含めあらゆる種類の人に差し伸べられると知ったとき,私はどんなに心温まる思いをしたことでしょう! 聖書のローマ 5章8節の言葉はほんとうに大きな励ましとなり,神の恵みのうちにある幸福な将来の見込みを開いてくれました。それは,「神は,わたしたちがまだ罪人であった間にキリストがわたしたちのために死んでくださったことにおいて,ご自身の愛をわたしたちに示しておられるのです」という聖句でした。

考えてみてください! 神は,ご自分の方から人間に愛をお示しになり,人々が悪行に深くひたっているときにさえその愛を差し伸べられるのです。私は感動し,聖書がその名をエホバと示しているこのあわれみ深い神にお仕えしたいと思うようになりました。この邪悪な体制を一掃して義の新秩序を作るというエホバの壮大な目的がわかりはじめたときには,私のその願いは特に強くなりました。そして次のような聖書の預言を心から信ずるようになりました。

「神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります。それゆえに,愛する者たちよ,あなたがたはこれらのものを待ち望んでいるのですから,最終的に汚点もきずもない,安らかな者として見いだされるよう力をつくして励みなさい」― ペテロ第二 3:13,14。

私は神の来たらんとする新秩序を心から期待し,待ち望んでいましたから,自分の生活を,神に喜ばれる「汚点もきずもない」ものに変える決意をしました。私はこの世の終わりの後まで生き残って,神の新しい地に入りたいと思いました。それは聖書が次のような言葉で差し伸べている前途の見込みです。「世は過ぎ去りつつあり,その欲望も同じです。しかし,神のご意志を行なう者は永久にとどまります」― ヨハネ第一 2:17。

しかし,生活を改めるのは容易なことではありませんでした。神のご意志に反することを非常にたくさん行なってきた者にとって,生き方を変えるのはむずかしいことです。ああ,あんな不道徳な生活に巻き込まれねばよかった,とどれだけ考えたことでしょう! でも定期的な聖書研究と,エホバ神への心からの祈りとによって必要な助けを得,変化しました。それも長い時間はかかりませんでした。私は以前の悪い交わりを絶ちました。そのことはあらゆる形の不品行から離れ,泥酔を避けるのに役立ちました。けれども私にとって一番むずかしかったことの一つは,不潔な喫煙の習慣を断つことでした。でもそれも断ちました。といっても,私にとって万事が円滑にいったわけではありません。

むずかしい決定

不幸にして姉夫婦は,学んでいた事柄に対する私の熱意を自分たちの熱意としてくれませんでした。神の律法に従うために私ほど道徳面で大きな変化を遂げる必要がなかったにもかかわらず,彼らはたばこをやめませんでした。また義兄は,私がいつも聖書の勉強に没頭しているので,それをいやがるようになりました。さて,どうしたらよいでしょうか。私は姉の家を出,就職し,ひとりでアパートに住むことに心を決めました。

そのころ私は自分が学んだ聖書の真理を他の人々に話し,神の王国の良いたよりを家から家に伝えて歩くことさえするようになりました。そして1972年の10月,愛に富まれるわたしたちの創造者に自分の命をささげたことを表わすために,エホバの証人による水のバプテスマを受けました。私にはもう一つ決定を下さねばならないことがありました。というのは,仕事の関係で,クリスチャンの集会全部に出席することができなかったからです。私は仕事を変える決心をしました。そしてそのことについてエホバに祈りました。私はエホバが別の仕事を得る道を開いてくださったように感じます。

次に私は,父と弟が神の目的を知るように助ける方法を考えはじめました。そして1972年の末に,私と一緒に住むようにふたりを招きました。クリスチャンとしての私の行ないと,私が聖書からふたりに示す事柄とに心を動かされてエホバ神に仕えるようになるかもしれない,と考えたからでした。ふたりは私の言う通りにしましたが,私はすぐに幻滅しました。父は聖書の真理を受け入れるどころか,以前の生活様式にもどってしまったのです。私に養ってもらうことを望み,正しい原則を自分の生活に適用しようとする意欲を少しも示しませんでした。弟も同じような態度を示しました。それで私はまた別のアパートを見つけて引っ越しました。

私はもう一度エホバに一生懸命に祈りました。こんどは「良いたより」を他の人々に伝える活動に,自活しながら全時間携われるような仕事が見つかるよう助けていただくためでした。エホバは私の努力を祝福してくださり,パートタイムの仕事はすぐに見つかりました。こうして1973年の3月に,全時間の証言の業を開始し,1973年の12月に特別開拓者に任命されました。

私は三年間この奉仕を行ない,1976年11月に結婚しました。そのとき私の証言活動は制限されましたが,もう一度全時間を証言の業にささげられるようにしたいという願いは常に抱いていました。そして今日再びこの報いある活動に参加できるようになったことを喜んでいます。

幸福で報いの多い生活

わずか数年前の自分の生活を振り返ってみるとき,神の愛にこたえ心を込めて神に仕える決意をするよう動かされたことを,感謝せずにはいられません。私の今の生活と当時の生活とはまたなんと対照的でしょう! 今私には平和と満足と清い良心があります。いつの日か多くの幸せを経験できるということなど,私は想像したことがありませんでした。その私がエホバを知り,エホバに仕えることを可能にしてくださったのですから,エホバは本当に親切であわれみ深い方です。ある苦しみを味わう結果になった決定さえ,喜びの原因に変わったのです。

例えば,もっと自由にエホバに奉仕できるよう姉の家を出たとき,姉は私を批判しました。仕事がたくさんあるのにわたしを捨てる,わたしひとりで子供たちの世話をしなければならない,と姉はこぼしました。しかし私は,祈りを込めて考慮した末決めたことなのだから,私は間違ったことをしたのではないと確信していました。ですからある日姉が,もう一度一緒に聖書を勉強したい,と言ってきたときにはどんなにうれしかったことでしょう。こんどは姉もたばこをやめ,1974年5月11日に,エホバへの献身を表わすバプテスマを受けました。これは私にとって本当に大きな喜びでした。

これに感動して私は,自分の家族のほかの者の関心をも呼び起こすことに努めました。ついに弟が聖書の真理を受け入れ,エホバに献身しました。また私と聖書を勉強していたふたりの若い娘さんが,エホバに献身するところまで進歩するのを見るという大きな喜びも与えられました。また結婚したために日常生活により固い基礎ができ,夫と共にエホバに奉仕できることを幸せに思っています。

神に奉仕するよう他の人々を助けるのに用いられることは,なんと信仰の強まる,また報いの多いことなのでしょう! 心の正直な人はだれでも,悪行にいかに深く沈んでいようとも,あわれみと愛に富まれるわたしたちの神エホバに助けを求めることによって,自分の生活を変えることができるということを,私は確信しています。―寄稿。

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