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  • 忘れ難い東洋の旅
  • 目ざめよ! 1979
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    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1970
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    エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
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目ざめよ! 1979
目79 3/22 18–23ページ

忘れ難い東洋の旅

「あの時のことは忘れられません!」自分たちの東洋の旅について,ある夫婦はこう語りました。世界の各地からそこを訪れたさまざまな旅行団からも同様の感想が聞かれました。

こうした感想を語らせるものとなった,これらの旅行の目的は何だったのでしょうか。それは昨年の夏,東洋の国々で開かれた一連のエホバの証人の「勝利の信仰」国際大会でした。

事前の味わい

東洋への長い旅にたつ前に,ハワイ諸島で,これからの楽しみを事前に味わいました。訪問者は,伝統的ともいえる,ハワイ人の親切で暖かいもてなしを受けたのです。

ハワイでは,7月に二つの国際大会が開かれ,1万7,500人を超す人々が出席しました。訪問者は,神の目的に焦点を合わせた築き上げるプログラムに加えて,地方色豊かな催しも楽しみました。三日間にわたって,大会プログラムの始まる前に,一時間ずつ,ハワイや他の太平洋の島々の華やかな歌や踊りがひろうされました。トラック,ポナペ,パラオ,コスラエ,ヤップなど,訪問者の多くにとってなじみの薄い土地における業の進展状況がじかに報告されました。

西太平洋のヤップ島で働くエホバの証人が一つの経験を語りました。18歳のある証人はハワイで開かれる大会にぜひ出席したいと思っていましたが,旅費の工面ができませんでした。父親とはすでに死に別れており,母親にも捨てられていました。仲間の証人たちは,彼女が大会に出席できるよう,500㌦(約10万円)のお金を贈りました。何人かの証人は,夜,六時間から八時間つりをして,翌朝その魚を売りました。仕事が終わってから,ココナッツを拾い集めて,店に売りに行った証人もいました。また,コプラも作って売りました。こうして,さらに900㌦(約18万円)が得られ,この若い証人はハワイだけでなく,カナダとアメリカを含む北米大陸の大会にも出席できることになりました。それは彼女が小さなヤップ島を離れた最初の旅でした。

日本へ向かう途中で

それから,一週間余り後に,日本の国際大会が始まりました。幾つもの旅行団が日本に向かいましたが,そのうちの一つのグループがアラスカのアンカレッジで日本航空の飛行機に乗り込みました。その中の一人は次のように語っています。

「巨大なジェット機DC-10が飛び立ったのは午後5時過ぎでした。わたしたちは眼下に広がる起伏に富むアラスカの山並みや,沈みゆく太陽の光を浴びた遠くのマッキンリー山を見て驚嘆しました。

「すると,『日本に行かれるのは初めてですか』という声が耳に入ってきました。その若い女性は東洋人でしたがサンフランシスコに住んでいて,わたしたちの旅行グループのメンバーではありませんでした。『日本が気に入ると思いますよ』と言った後,『アメリカ人はいつも開放的で,見知らぬ人に対してさえほほえみかけますが,日本人の気質はそうではありません』と言葉を加えました。しかし,この女性を驚かせる,予期せぬ,楽しい出来事が待ち受けていました。

「数時間後に,東京に着くと,エホバの証人の一会衆全体の歓迎を受けました。わたしたちは,突如わき上がった,親しげな歓迎と興奮のうずに巻き込まれました。喜びの叫びが上がり,拍手が起こり,抱き合い,くちづけしました。この非常に暖かみのある交歓風景は実に感動的でした。わたしは,日本人はなかなか打ち解けないと機内で言った女性に向かって,冗談半分に,『日本人は笑わないし,打ち解けないとおっしゃいましたっけ』と言いました。彼女は笑いながら肩をすくめました」。

大会の経験

大会は,名古屋,大阪,札幌,東京の各都市で開かれ,合計で7万8,000人を超える人々が出席しました。これは,前回日本で開かれた1973年の国際大会の出席者数を約4万7,000人も上回る数です。

大阪で大会が開かれようとしていた時,二つの大型台風が海岸に面した同市に向かって進んでいました。チャーター船で大阪に向かっていた800人余りの沖縄の証人たちは,その台風に勇気を持って立ち向かわねばなりませんでした。普通なら35時間で来られるところを,しけの海を64時間もかけてやって来ました。船は大会二日目の午前7時に大阪港に到着しました。それから,大会出席者はどこへ行きましたか。宿舎に行って休みましたか。いいえ,直接,大会会場へ行ったのです。そして,その日のプログラム終了後,これら沖縄の証人たちは,大会の奉仕に自発的に参加したのです。

この大会で話をした人々は演壇に上る前に心を動かされる経験をしました。台風が近づいて来たため,雨足が激しくなりました。そこで,全時間伝道の業に20年以上携わっている一人の年配の婦人は,くつみがきの道具を手にして話し手を待ち受け,泥と汚れを落としてからくつをみがきました。この話は,「互いに足を洗い合う」ようにとのイエスの指示の現代版として多くの人に感銘を与えました。―ヨハネ 13:14。

迷信的な宗教慣行

大阪から遠くない所に京都があります。ここには多数の神社仏閣があります。その幾つかを訪れるツアーが計画されました。

ところで,寺社の境内の木に結わい付けられている紙は何でしょうか。特定の願いを抱いている人が,祈りの文句やその願望に対するお告げの印刷されている紙片を買い求め,それを境内の立ち木の枝に結わい付けるのです,とガイドは説明しました。このおみくじを買い求める人は,人格を持った神のことを考えていません。その寺社を名だたるものにしている故人の“霊”について考えています。それらの霊には力があり,“あの世”から恵みを施すことができると考えられています。しかし,神の言葉が明示しているように,死者が生きている人を助けることは不可能です。―伝道 9:5,10。

旅行者たちは,人々が寺や神社の建物の中にある大きな祭壇に近づき,大きなさい銭箱にお金を投げ入れる姿を見ました。参拝者が綱を引くと,木板が鈴に当たって,音がします。手をたたく人もいます。こうした行為は,自分たちが祈願をささげたいと望んでいる“神”の注意を引き付けるためのものであることが説明されました。こうした説明を聞くと,その“神”は眠っているか,何か別のことに夢中になっているような印象を受けます。訪問者たちは,エリヤ,そしてバアル崇拝者に関する彼の経験を思い起こしました。―列王上 18:27。

大きな相違

東京,沼津および海老名にある,ものみの塔協会の三つの支部施設を訪れた訪問者は,非常に対照的な光景を目にしました。そこでは,偽りの宗教の束縛から自由になるよう人々を助けるための建設的な活動が忙しく行なわれていました。

初めは,東京にある建物で,日本の業が監督されていました。しかし,業の拡大に伴い,沼津に別の施設を建てることが必要になり,1972年にその完成を見ました。1978年までに,この工場で,一億冊を超える「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌が印刷され,各地に送られたのです。

業が引き続き急速に増大しているため,海老名で新たに土地が購入されました。沼津の施設の三倍以上に相当する,床面積が一万平方㍍余りの工場がそこに建築される予定です。作業はすべてエホバの証人の手で行なわれており,工事は二年余りで完了するでしょう。この施設には,300人余りの奉仕者を収容することができます。また,四色印刷のオフセット輪転機と,一日四万冊以上の生産能力のある自動製本機械も設置されることになっています。

次の訪問地: 韓国

日本の大会が始まって一週間ほど後に,韓国でも国際大会が始まりました。テーグで一つ,ソウルで二つ,テーチョンで一つの合計四つの大会が開かれ,全部で3万3,181人が出席しました。

海外からの訪問者の一人は次のように語りました。「韓国の兄弟姉妹は,外見や習慣の点では日本人とかなり異なっていますが,歓待の精神という点では確かに同じでした。ほとんど毎晩のように,韓国の兄弟たちがホテルにやって来て,わたしたちの旅行グループの何人かを自分の家や他の場所に車で連れて行き,独特の韓国料理をふるまったり,暖かい家庭的な交わりを設けたりしてくれました」。訪問者たちは,韓国の音楽や歌や踊りを幾度も楽しみました。この心暖まるもてなしは,訪問した旅行者全員に深い感銘を与えました。

韓国の証人たちは様々な問題に直面しています。因習に根ざす家族の反対がよくあります。妻がエホバの証人になったある警察官の経験が語られました。その警察官は,怒りに燃えて,「この宗教をやめろ,さもないと撃つぞ!」と言いました。憤激のあまりピストルを取り出した夫は,引っ込みがつかなくなって,“面子を立てる”ために,銃口を天井に向けて撃ちました。しかし,後になって,この人は聖書に関心を示すようになり,今では,六人の子供全員と共に,自分自身もエホバの証人となっています。最近,この人はクリスチャンの長老に任命されました。

訪問者の一人は,日本と韓国を旅行した後,次のような感嘆の言葉を述べました。「現在までのわたしたちの旅行は山登りに似ています。山は登れば登るほどスリルを味わえます。わたしたちの旅行も,先に進めば進むほど,様々な国で活動する神の仲間のしもべと共に時を過ごす喜びが大きくなりました。この旅行でわたしたちが経験してきた事柄に比較できるものが何かあるだろうか,とわたしたちは自問しました」。

香港の旅行はこの質問の答えを与えるものでした。

熱心な中国の人々

香港にいる750人のエホバの証人のうち500人以上が今まで国際大会に出席した経験がないというのは興味深いことでした。彼らは,様々な国からこれほど大勢の人が訪問したことに興奮を覚えていました。ある人はこう言いました。「この大会は,一つの信仰を抱く人々が平和と一致のうちに共に生活できることを理解する助けになります」。別の人は,「人種や皮膚の色のいかんを問わず,またどんな言語を話しているかにかかわりなく,わたしたちはみなエホバに教えられているのですね」と語りました。

香港の兄弟姉妹は訪問者たちを暖かく迎えました。ある訪問者はこう語りました。「彼らの開放的で親しみ深い態度はわたしたちをすぐになごませてくれました。三,四人の群れになってわたしたちの所にやって来て,『わたしの名前はロー・メイ・リンです。でも,アメリカ流に言えば,ローズです。ローはわたしの名字です。あなたのお名前は? 何か経験を聞かせてください』と言いました」。

中国の人々の扱った大会のプログラムは優れたものでした。また,歌も美しく立派なものでした。1,300人以上の人が出席したことを全員が喜びました。

訪問者たちが中国人の証人たちに加わって香港の人々を戸別訪問できたのも忘れられない事柄でした。海外からのある出席者はこう言いました。「わたしたちが大挙して押しかけたので,香港は西欧人の侵入を受けたかのようでした。わたしたちの仲間の何人かは,正しく発音すると『おはようございます』という意味になる『ジョーサン』などの簡単な紹介の言葉を覚えました。わたしたちが戸口で簡単に話すと,中国人の同行者がすかさず話に加わり,中国語で家の人に話しかけ,わたしたちを助けてくれました。人々の家を訪問したことも,支部を訪問したことも,そして大会に出席したことも,わたしたちのすべてにとって,霊的に報いの多い感動的な時でした」。

フィリピンでの暖かいもてなし

八月も終わりに近づいたころ,多くの旅行グループが次の訪問地であるフィリピンのマニラに向かいました。マニラにあるリサール記念施設に隣接する二つの競技場が大会会場になり,両方合わせて,3万5,000人以上の人が出席しました。

訪問者たちは,ケソンシティーの郊外にある,ものみの塔協会の支部事務所を訪ねて楽しい時を過ごしました。バスに乗った大会出席者たちが,私道に入ると,広々とした芝生がありました。そこには,支部の奉仕者や他の仲間の助け手によって食事と冷たい飲み物が用意されており,施設を見学する前にそれらを楽しむことができました。

フィリピンの証人たちと食事をし,彼らの経験を聞いたことも,忘れ難い思い出となりました。旅行の同行者たちの多くは,夕方になると,一緒にノートを見せ合ったり,意見を交換したりしました。

しかし,時のたつのは早いものです。明日の予定ですか。次の国際大会の開かれる台湾省の首都,台北<タイペイ>へ向けて飛び立つことになっています。

忘れ難い経験

首都の雑踏や風光めいびな各地の景勝地など,今回の台湾省の訪問は,多くの旅行者の脳裏に鮮明な記憶として長く残ることでしょう。しかし,何よりも忘れ難い思い出となったのは,神への強い信仰を抱く台湾省の仲間の証人たちと初めて共に時を過ごせたという感動です。

台湾省では,信仰が試みられています。その一つの理由は,ある人がエホバの証人になると,家族の残りの成員がしばしば激しく反対するからです。しかし,1,600人以上が出席した今回の大会で,異なった家族の四人の中国人は,自分の家の者がエホバの証人になってバプテスマを受けるのを目撃したのです。これは,神の言葉の真理を学ぶよう家族の他の成員を助ける努力が時に良い反応を生み出すことを示しています。

ここでも,訪問者のために特別のプログラムが準備されていました。それはとても楽しいものでした。フルートやドラム,弦楽器,どらなどの楽器が実によく調和して,うっとりするような音楽が奏でられました。アミ族の証人も,華やかな民族衣装を着け,旅行者に歌や踊りをひろうしました。

台湾省を去るにあたって語られた次の言葉は訪問者全員の気持ちを表わすものでした。「台湾省の兄弟たちが示した愛ともてなしは,いつまでもわたしたちの記憶に残ることでしょう」。

真に国際的

八月末に,わたしたちの旅行団はパプア・ニューギニアのポートモレスビーに向かいました。そこに,80の異なった言語を話す人々が参集しました。他の土地から来た約1,000人(大半は白人)の訪問者が2,000人ほどの地元の証人たちと会いました。

これらの様々なグループの人々がお互いに及ぼした影響も忘れ難いものでした。一般に,白人はこれらの原地人を親切に扱いません。しかし,ここでは,様々な人種の人々が真実の愛を示し,兄弟同士の交わりが見られました。

3,000人近くの人が集まったその大会は,この島でかつて開かれたエホバの証人の集まりとしては最大のものでした。その大会は,ポートモレスビーに住む11万の住民にとって,実に“目を見張らせる出来事”でした。

山岳地帯の一証人の経験は,神の言葉に備わる人を変革する力を明らかにしています。以前,その男の人は,激しい部族闘争の先頭に立って何人かを殺害し,多くの人を傷つけました。しかし,現在,その人は,部族闘争を指揮したその同じ地域をエホバの証人として旅行し,霊的な傷をいやす神の驚くべき備えに関する良いたよりや,神の新秩序の下で肉体がいやされるという良いたよりを人々に伝えています。

戦いに代わって平和が訪れる

ポートモレスビーからわずか二時間余りの飛行で,ソロモン諸島のガダルカナル島に着きます。35年ほど昔に,この島は太平洋戦争の舞台として世界中の新聞の見出しに載りました。激しい戦闘は数多くの犠牲者を出しました。一つの湾の底だけでも,少なくとも48隻の軍艦とおびただしい数の他の船が戦闘に破れて沈んでいると言われています。

しかし,九月初旬のガダルカナルは,地球上で最も平和な人々の集う場所となりました。彼らは,ホニアラ市で開かれた,エホバの証人の「勝利の信仰」国際大会に出席していました。大会の準備に励んでいた証人たちは,町の外で長い間うずもれていた500ポンド(約225㌔)爆弾が爆発して震動があった時,その戦争の日々を思い出しました。

この準備の一つに,いろいろな島からやって来る地元の証人たちのために特別の宿舎を建てる仕事がありました。その宿舎というのは,ヤシの葉で葺いた屋根と何枚かの壁から成る細長い家屋でした。証人たちの中には,何か月にもわたって全時間この仕事に携わった人がいます。まず,彼らは,地元のマライタ島で葉を切り集め,それをホニアラに運びました。ここで,葉を縫い合わせてパネルを作り,次いで木で家の骨組みを整え,最後に葉のパネルを取り付けました。

大きな関心があったのは地元の証人の中に,以前未開人だった人がどれほどいるかということでした。中には,未開人の祭司として悪魔崇拝にふけり,女と同じ家に住むことや女の料理したり触れたりした食物を食べることをタンブ(タブー)と定める規則に従って生活していた人もいました。しかし,今では,その同じ人々が,大会会場で仲間の兄弟姉妹と共に座り,姉妹たちの準備した食事を食べていました。彼らは,エホバの清い崇拝に携わることによって,自分たちが以前のタンブの束縛下から解放されたことを喜んでいます。

大会はその地域社会に深い感銘を与えました。大会の開かれた日曜日に,町の職員がラジオで話をし,大会の会場となっている公民館が証人たちによって正しく管理されていることに喜びを言い表わしました。正規の従業員が働く時よりずっと清潔に保たれている,とその職員は語りました。地元の証人たちに,顔見知りの人が近づいては,組織やプログラムからいかに感銘を受けたかを繰り返し語りました。ソロモン諸島では最高の1,500人近くの人が大会に出席したのも喜びでした。

その大会の後,多数の訪問者は,世界の各地にある各自の家に散って行きました。彼らは,これらの東洋の大会すべてで聞いたり,経験したりした良い事柄を携え戻るでしょう。

この旅行が取り決められた主な目的は,東洋の兄弟姉妹と交わり,互いに励まし合うという霊的なものでした。これらの目的は期待した以上に達成されました。ある訪問者は感動の余り次のように語りました。「非常に親切なもてなしと愛の示されたこの何日間かのことは,決して忘れることはできません」。一連の国際大会を「これまでで最良のもの」と語る人が少なくない理由をこれでお分かりいただけたことでしょう。

[18ページの写真]

ホノルルの大会には,太平洋のポナペから来たこれらの人々を含め,多くの土地から人々が集まった

[19ページの写真]

大阪では,ソロバンと卓上計算器の“コンテスト”が行なわれ,“呼び物”となった; 訪問者のために“琴”の演奏もひろうされた

[20ページの写真]

韓国,ソウルの大会で新しい友人たちとの交わりを楽しむ米国からの一出席者

[21ページの写真]

台北の大会出席者のために準備された,ご飯を十分に盛った食事; 赤子を背負ったアミ族の母親

[22ページの写真]

ポートモレスビーで開かれたパプア・ニューギニア大会の歓迎サインで,ピジン英語の指示も書かれている

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