音楽を理解し楽しむ
かつて次のように言った人がいました。「音楽と騒音は性質の違う二人の子供のようだ。一方は非常に楽しく,もう一方は非常に不愉快だ」。アベルとカインほど異なり,昼と夜ほどかけ離れているとはいえ,音楽と騒音は“音”という同じ物理現象から生じるのです。騒音と言うと耳ざわりで心を乱す(時には不愉快な)音と考えますが,音楽は人を慰め,くつろがせる(時には楽しい)ものです。まさに滑空する鳥が上昇気流によって空高く運ばれるように,わたしたちのうちの喜びや陽気な気分が音楽によって高揚することに気付かれたことはありませんか。しかしその逆に,音楽のために憂うつな気分になり,悲しみや涙さえさそわれることもあります。
音楽とは何か
音楽は“国際語”と呼ばれてきました。なぜでしょうか。それは,言語の違う人々が同じ音楽を楽しむことによって気持ちを通わせることができるからです。さらにまた,音楽は人間生活のほとんどあらゆる面を扱っているため,世界中の人々の心に訴えます。ラブソング,ウェディングソング,子守り歌,“童謡”があるかと思えば,ポピュラーやクラシック,東洋音楽や西洋音楽,フォークソングや“ロック”があります。“ラテン・ビート”を効かせることもある凝った音楽,非常に美しいうっとりするようなワルツもあります。陽気なポルカや活発な行進曲に合わせて足を踏み鳴らしたり,手をたたいたりしたことはありませんか。きっとあることでしょう。色のすばらしい取り合わせが人の目を楽しませるように,幾種類かの和音を使った美しい歌も人の耳をとらえます。なんと,商業用の広告でさえ,宣伝文句を歌詞にすることによって“時流に便乗”しようとしています。
わたしたちはある意味で人間としての造りのゆえに,メロディーと和音の美しい音楽に深い感動を覚えます。その音がちょうど良いテンポに乗り,その音にぴったりの言葉つまり歌詞がつけられていればなおさらです。音楽とは“組織された音”のことです。楽音を組織するのに用いられる要素の中には,五本の平行線から成る譜表と,各々の五線譜の“身分証明書”である“音部”記号があります。それから,音符の名前を変えずにその特徴や高さを変える“シャープ”と“フラット”があります。音符の形の違いは,その音符の表わす音の時間つまり長さの違いを示しています。音符が譜表の上のほうの線にあれば高い音,下のほうにあれば低い音を意味します。これは書かれた音楽と言うことができます。そして,こうした要素を作曲家が適当な形に並べたものをだれかが演奏するとき,楽音が生まれます。このようなわけで,音楽は音と時間の領域に存在する芸術形式と言うことができます。
わたしたちの耳に音が聞こえるときには,バイオリンの弦や太鼓の皮,管楽器の吹き口に付いているリードのようなものが振動しています。それから空気の振動が始まります。波のない静かな池に小石を落とすと水面がかき乱されるように,振動源から空気の波が外へ伝わり,わたしたちの鼓膜を振動させ,その結果,音が聞こえるのです。空気がなければ音というものはなかったでしょう。わたしたちはすばらしい聴覚と,このような伝達を可能にしている関連した被造物すべてに対して神に感謝することができます。
さまざまな種類の楽器から高さの違う音が出ますが,その楽器の中でも最も古いのは恐らく人間の声でしょう。音が一声部のためにそれと分かるような型に並べられると,“メロディー”が生まれます。声は川のように流れるので,メロディーは“水平的な音楽”と呼ぶことができるかもしれません。高さの違う音が和音の場合のように同時に聞こえると,“ハーモニー”が生まれますが,わたしたちはハーモニーを“垂直的な音楽”と考えることができます。
音楽のハーモニーには主に二つの種類があります。つまり,“協和音”と“不協和音”です。そうです。不協和音は音楽には欠かせないものなのです。なぜでしょうか。それは,不協和音がなければ曲が進行しているという感じがほとんど,あるいは全く表われないからです。例えば,ある曲が終わりに近づくと“終結する”,あるいは休止する感じになってきます。そしてその感じが最高潮に達すると,わたしたちは満足感を覚えます。
対旋律
“垂直的な音楽”つまりハーモニーが音楽的な一定の規則に従って流れるとき,有名なメロディーつまり“水平的な音楽”にそれと非常によく合った伴奏を付けることができます。ハーモニーのパターンに深い注意を払いつつ,“対旋律”が作られます。こうした伴奏のメロディーが主旋律に対して従属的に,あるいは独立的に動くのをよく聞いていると,音楽に対する理解が深まり,楽しみが増します。例えば,オーケストラの中でバイオリンが有名なメロディーをひいているとき,フレンチホルンやオーボエの吹く伴奏のメロディーが分かるかどうかに注意して聞いてみてください。あるところで,前に出てきたメロディーがフルートによって繰り返されるのを聞くのは楽しいものです。
このようにして,わたしたちは曲の“流れ”,つまり展開を理解することができます。メロディーの繰り返しは言わば“里程標”のような役割を果たしています。わたしたちはそれを意識して再び繰り返されることを期待するようになり,実際にそのメロディーが出て来ると満足感を覚えます。聖書預言もメロディーもわたしたちはそれを知ることによって感動し,そのとおりに現われることを強く期待します。そしてその祝福にあずかって大きな満足を覚えるのです。
聴覚という賜物
驚嘆すべき聴覚という神からの賜物がなかったなら,音楽は存在しなかったことでしょう。あるいは,少なくとも音楽を楽しむことはできなかったでしょう。音楽を理解し楽しむためには,その音がわたしたちの聴覚で聞こえる範囲の音でなければなりません。個人差はありますが,一般に人間の耳で聞こえる音の毎秒振動数,つまりサイクル毎秒(“CPS”と略す)は16から20,000に及ぶと言われています。今日電子工学で用いられる,“サイクル毎秒”を意味する比較的新しい用語に“ヘルツ”(Hz)があります。どんな楽器から出る音もこの範囲内にあります。例えば,バイオリンの場合はわずか180Hzから2,500Hzにまで及びます。ギターはそれより少し低く,80CPSから1,200CPSの間です。最も周波数が高いのは何でしょうか。シンバルからは最高周波数20,000Hzの音が出ます。オーケストラの中で普通,振動数の幅の最も広い楽器はピアノで,27CPSから4,000CPSの音が出ます。
音にさまざまな特質を与える倍音
たいていの人は“生の”音楽,つまり“直接”聴く音楽が一番楽しいと言います。その理由を考えたことがありますか。ところで,もとの景色と全く同じ絵や写真を見たことのある人がいるでしょうか。写したものにはいつでも何かが欠けています。写真は実物のすべての色を,また詳細にわたって再現しますが,そこには深みがありません。それと全く同様に,生の音楽にも再現することの難しいふくよかさ,豊かさ,深みといったものがあります。それはなぜでしょうか。
わたしたちの目にする光も耳にする音もすべて振動です。音には主要な,つまり基本的な振動があるだけでなく,そうした“基本波”と呼ばれるものに対する部分的な,つまり補助的な振動もあるのです。もとの音楽に再現することの難しいふくよかさ,豊かさ,深みを与えているのは,この部分音あるいは“倍音”なのです。興味深いことに,もとの音楽においてこうした倍音を強めたり抑えたりすることによって,わたしたちは聞いている音楽が弦楽器の曲なのか,フルートの曲なのか,それとも同じ音をバッグパイプが演奏しているのかを理解することができるのです。この音の特質は“音色”と呼ばれる倍音の組み合わせによって確かめることができます。その倍音の組み合わせは,例えば,弦楽器や,リードで空気を振動させる管楽器などよりも,一般に金管楽器の方がはっきりしています。
どのようにして音楽を楽しめるか
たいていの人は生の音楽を楽しむための才能や資力を持っていませんが,それでも幾百万もの人々は優れたハイ・ファイ再生装置で音楽をいつも楽しんでいます。ラジオにはAM放送とFM放送とがあります。普通,音楽番組をほとんど雑音なしで受信でき,周波数レンジの広いFMのほうが好まれます。現在多くの国ではFMのステレオ放送局に非常に人気が集まっています。それは番組編成に規制が加えられている放送局が多いからというだけではなく,これまで話してきた倍音の優れた再生能力があるからです。また,性能の良いレコードやテープを手に入れることもできます。レコード会社は,元の演奏と同じく,すべての倍音が聞こえるように正確に録音して,生の音楽を再生することや,不必要な雑音やひずみを除くことを目指しています。
仕事などをしながら時折り音楽を聴く人にとって,こんなことはそれほど重要なことではないかもしれません。小さなトランジスタラジオ一台で事は足りますし,それでとやかく言われることもないでしょう。音楽に対する好みは実にさまざまだからです。しかし,トランジスタラジオではどうしても満足できないと言う人もいるでしょう。その人にとって,そこから流れてくる音楽は,本物のようには聞こえません。大きなひずみや周波数レンジの狭いことがその原因かもしれません。澄んだ音が聞こえず,雑音やひずみが生じるために,この人は聴くに耐えなくなり,ラジオを消してしまうことでしょう。
音楽をきれいに再生するにはひずみを小さくすることが重要です。レコードの場合,カートリッジや針の質が悪いとひずみの生じることがあります。テープの中には,ひずみや摩擦音の大きなものがあります。アンプやスピーカーも良い音と密接な関係があります。ひずみ率と周波数レンジが分かるなら,それらの数字を調べておいたほうが良いでしょう。記されているひずみ率が1.5%あるいはそれ以上の装置もありますが,高級品になると,その数字は0.04%あるいはそれ以下に下がります。周波数レンジの数字は重要ですが,誤っている場合もあります。
ある権威者は,人の好みについて詳しく調べた結果,次のように述べました。「全聴取者の90%は60から8,000CPSの帯域幅で完全に満足する」。それで,大半の人の好みは,ある宣伝がわたしたちに信じ込ませようとしているほどはっきりしてはいないようです。もちろん,これは決してすべての人に当てはまることではありません。敏感な耳を持った人もおり,そのような人の音楽を聴く楽しみは,ひずみが生じたり,周波数レンジが不足したりすると損なわれてしまうでしょう。あなたはどちらの方ですか。最善の判断を下すのは,結局,あなたの耳なのです。あなたの耳に入ってくる音の中から,自分の一番気に入る音を選んでください。
平衡の取れた見方を保つ
音楽には他の楽しみと同様,限界があります。一日よく働いて床につく前に聴く音楽は気分をくつろがせます。少しふさいでいるときに音楽を聴くと元気が出る,と言う人もいます。しかし,音楽をすべてのことを解決するための手段と考えるべきではありません。行動を必要とする問題があるなら,音楽を聴いていても問題は片付きません。また,もう一つ覚えておくべきことは,たいていの人の場合,真剣に考えたり熟考したりするには静けさが必要だという点です。ところが,音楽に夢中になる余り,絶えず音楽が流れていなければならないと考える人がいるようです。さらに,近所の人からよく聞かれる苦情の種の一つは,ボリュームの非常に大きな音楽です。音楽ファンの中には,だれもが同じような熱意と好みを持っているわけではないということを忘れている人がいるようです。もし密集地に住んでいて,人の邪魔になるのであれば,恐らくヘッドホーンを付けることによって音楽を楽しめるでしょう。また,注意深く制御しないなら,音楽は多くの時間を奪うものとなり,問題を解決するどころか問題をふやすものになってしまいます。
この点を説明するために,真剣な考慮に値する他の事柄を時折りなおざりにした音楽を生活の主要な関心事として,非常に有名な人々について簡単に考えてみましょう。ルートビヒ・ファン・ベートーベンは全時代を通じて最も偉大な作曲家の一人と考えられていますが,その私生活は非常に乱れていたと言われています。また,これまでの最も美しい交響曲のうちの一つを作曲したフランツ・シューベルトは,かつて自分のことを最も不幸な男だと言ったことがありました。
このように気がめいったのは,昔の芸術家だけではありません。その当時カントリーウェスタンをうたう歌手の中でも最高の人気を集めていた故ハンク・ウィリアムズは,「私は光を見た」という題の宗教的な歌をよくうたっていました。しかし,彼自身光を見たのでしょうか。あるとき,この歌をうたい終えた後に彼は急に泣き出し,自分は光を見ていないとむせび泣いたと言われています。悲惨なことに,彼はステージに立つ前に薬剤を使い過ぎて亡くなりました。
確かにこの人々は音楽のために生きました。音楽は彼らの生活のすべてでした。彼らにとって音楽とは,大あらしの吹き荒れる海にほんのわずかに注がれた日の光のようなものだったと言っても過言ではありません。たとえそこからつかの間の喜びを得たとしても,それはすぐにまた陰うつな個人的な問題のために曇ってしまうのです。こうした音楽家たちは平衡の取れた幸福な生活を求める人々にとって警告の例となっています。
わたしたちの大半は演奏者としてではなく,聴き手として生活していますが,上の教訓はどちらの側にも当てはまる事柄です。音楽を演奏したり聴いたりすることに多くの時間をかけ過ぎることは賢明ではありません。確かに音楽は非常に美しいものです。しかしそれは,人類に与えられた神のすばらしい賜物のうちの一つにすぎません。わたしたちの家族,友人,仕事,クリスチャンの奉仕など,ほかにも賜物があります。わたしたちはこうしたものにも注意を払う必要があるのです。音楽をそのあるべき所に置いておくなら,つまり他の責任を締め出すことなく,必要なとき,求められるときのために用意しておくなら,わたしたちはこれからも引き続き音楽の健全な楽しみを理解し,経験することができるでしょう。
[21ページの図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
シンバル ― 2万ヘルツの高さ
ギター ― 80から120ヘルツ
バイオリン ― 180から2,500ヘルツ
ピアノ ― 27から4,000ヘルツ
楽器から出る音はすべて振動つまりサイクル毎秒すなわちヘルツ(Hz)から成っている