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目ざめよ! 1979
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あなたはどれほどひんぱんに観客になりますか

オーストラリアの「目ざめよ!」通信員

もしあなたが観客であるなら,あなたは求められています。あなたの時間,あなたのお金,時にはあなたが実際にその場にいることが求められているのです。あなたは,ばく大なお金が関係する投資や組織の欠くことのできない一部なのです。

スポーツや催し物には観客が必要です。声援を送ったり応援歌を歌ったりする幾千幾万人もの観客がいなければ,フットボールやサッカーや野球の試合の興奮したふんい気はあり得ないでしょう。観客が熱狂的になると選手たちも実によくそれに反応します。観客はまた,施設の使用料や,選手,芸人,役員たちの給料の支払いに必要な資金源となっています。さらに大抵の場合,主催者側は相当額の純益金を持ち帰ることができます。

テレビの場合,視聴者はすべて重要な存在です。テレビ局はいずれも最高視聴率を競い合っています。広告主からの収入はもちろんのこと,広告の効果も視聴者の数によって大きく左右されます。

人々の注意を捕らえる

だれでも,時折自分の生活テンポを変えて,何か娯楽や息抜きをしたいと思うものです。そこで,スポーツや娯楽の世界が直面する挑戦は,いかにして人々の注意を捕らえられるかということです。

そうするための一つの非常に良い方法は,人々を感情的に夢中にさせることです。例えば,スポーツの試合の場合,どちらかのチームに味方をするなら試合を最後まで見る可能性は大きくなります。スポーツや娯楽産業はファンを得るために,スポーツ界のチャンピオンや“ポップ”スターなど関連のある人物に関する印刷物を数多く発行しています。選手や芸能人について,また彼らの浮き沈み,抱負や失意などについて実際に知ると,ファンは感情的になるものです。そして,人間の行動を研究したある賢い人が語ったように,「口は心にあふれているものを語ります」。(ルカ 6:45,「今日の英語聖書」)そこで人々は,前の試合でなぜあるチームが勝ったか,あるいは負けたか,次の試合ではどんなことが起きるか,そのチームにはだれがいるか,またあの選手がチームにいないのはなぜかなどしきりに話すようになります。また,ファンは芸能人の好ききらいや,彼らがどこにいるか,何をしているかといったことを話題にします。一部の十代の若者たちの間ではこうした習慣が非常に根強く,そのため彼らは一度も会ったことがなくてもある芸能人を“愛している”と言います。

宣伝も人々の関心を捕らえる上で大いに役立っています。“食欲を刺激する”ために,興味深い,胸をわくわくさせるテレビや映画番組の数場面が映し出されます。新聞や雑誌の記事も関心や好奇心を高めます。

関心を保たせる

いったん観客または視聴者の関心や注意を引きつけたなら,今度はそれを保たせることが必要となります。そうするために,興奮させ,はらはらさせ,好奇心を起こさせる,といった方法が用いられます。

次の瞬間“何が起こるかわからない”という意識があるためにスポーツの試合にくぎ付けにされる視聴者は少なくありません。ホームランを打ったりゴールしたりして得点が入るかもしれませんし,ノックアウトパンチが出るかもしれません。その瞬間を見ようと思えば,ずっと見ていなければなりません。

犯罪やサスペンスを扱った番組の多くも同様の原理に基づいて作られています。犯罪が起こるか起こりそうに見えます。真犯人はだれだろう。それはどのように解決されるだろうか。だれかが逃亡したり殺されたりするだろうか。好奇心にかられ感情的になる余り,しなければならない事柄がほかにあっても,ついそのまま見ていたいという気持ちになります。

ある番組は,仲間に対して抱く人間本来の関心に焦点を合わせている番組があります。テレビ番組では同じ人物が違った役を演じたり,連続番組に出たりします。登場人物は視聴者にとって実在する人間に思える場合があります。演じられている事柄に感情的に夢中になり,次回の番組もぜひ見たいと思うようになります。しばらくすると,その番組を見るために優先的に時間を開けていることに気付きます。

あなたはご自分の余暇のうち多くの時間を見る方に費やしていますか。そのためあなた自身にどんな結果が及んでいますか。もし息抜きにスポーツや他の催し物を見るのであれば,それは差し支えないでしょう。だれにでもある程度の息抜きは必要です。しかし,その後であなたは本当にくつろいだ気分になりますか。それとも,ひいきチームが負けたためにひどくがっかりしたりいらいらしたりしますか。夜遅くに興奮させるような映画を見た後,緊張して眠れなくなることがありますか。娯楽の“空しさ”に不満を感じていますか。

あなたは娯楽を制御していますか,それとも娯楽があなたを制御しているでしょうか。あなたは,一生懸命に働いてきて本当に息抜きが必要だと思うから観客になるのですか,それとも,努力も思考力も必要とせずただ時間を過ごす安易な手段だからですか。

あなたの家族はどの程度話し合いますか。ある家庭では,テレビを付けている間はだれもが“礼拝のような沈黙”を守らねばなりません。また,父親は居間でクラシック音楽に聴き入り,十代の娘は自分の寝室で最新の“ヒット”レコードを聴いているといった家庭もあります。そうした家族は各自が違った方面の娯楽を楽しむためにいつもばらばらになりがちで,意思の疎通がほとんど見られなくなります。家族が共に話し合ったり考えや経験を分かち合ったりする時間をほとんど持たないなら,家族関係はひどく損なわれるようになります。

直面しなくてはならない決定

多くの場合,決定するのは観客になるかどうかということではありません。というのは,わたしたちは生活において皆ある程度見守る者なのです。だれかがある物事のやり方を学ぶのをただ見守るときでさえ,そうなのです。むしろ,それは何を見ているか,どのくらいひんぱんに,どのくらいの長さ見ているかという問題なのです。

もちろん,わたしたちが見物人になったり,ただ見物のために立ち止まったりすべきでない場合もあります。例えば,火事や事故が起きた際,好奇心から大勢の人がその周りに群がることがありますが,このために救助活動が妨げられる場合もあります。

ただほかの人のするのを見ているよりも自分がある活動に加わるほうがもっと価値があるかどうか考えてみることもできます。(歴代志略下 7章1-3節をご覧ください。)家族や友人とスポーツをすると,心身共にそう快になると考える人もいます。趣味や工芸,何か他の人の喜ぶものを作ることを楽しんでいる人々もいます。こうした事柄から,見物人のときにはほとんど得られなかった満足感や,物事を成し遂げたという気分を味わうことができます。また,与えることを実行する人だけが味わう特別な喜びにあずかれます。―使徒 20:35。

クリスチャンは霊的な活動に携わるために十分の時間を取っておかねばなりません。聖書や関連した文書を個人的に読んだり他の人と話し合ったりすると,さわやかさを感じ励みが得られます。それは心の平安を保つ上でも役立ちます。また,神のみ言葉に記されている良い事柄を他の人々に分け与える活動に加わるなら,肉体的にも精神的にも元気付けられます。そうした良い事柄を聞いた人々を含め,関係のあるすべての人々はそれによって築き上げられます。家族がこうした活動に共にあずかるなら,家族のきずなは強められ,他の方法では得られない喜びを味わえます。

このようなわけで,観客として一晩あるいはわずか一時間でも時を過ごしたなら,その後で次のように自問してみるのは良いでしょう。その時間は有効に費やされただろうか。何らかの面で益が得られただろうか。ほかにどんな事をすることができただろうか,あるいはすべきであっただろうか。「わたしたちはおのおの,神に対して自分の申し開きをすることになる」ということを銘記しつつ,自分の時間や命をできる限り最善の方法で用いたいものです。観客としてどの程度の時間を費やすかによって,わたしたちの現在の生活における喜びや満足,またわたしたちの将来に影響が及びます。―ローマ 14:12。ガラテア 6:7。

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