ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目79 10/22 13–16ページ
  • 死後の命 ― 確かな希望

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 死後の命 ― 確かな希望
  • 目ざめよ! 1979
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 確信を抱く理由
  • 他の復活
  • 意識のある存在かどうか
  • 動機付けを与える生きた希望
  • 死者にも望みがある
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1968
  • 亡くなった愛する人についての確かな希望
    聖書は実際に何を教えていますか
  • 復活 ― 死者のための希望
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2014
  • 唯一の希望!
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2006
もっと見る
目ざめよ! 1979
目79 10/22 13–16ページ

死後の命 ― 確かな希望

ある人々は,死者を生き返らせる手段として医学に希望を置いています。そのような人はこう尋ねるでしょう。雪の吹きだまりで倒れたり,氷の張った川でおぼれたりした人が,“死んで”から何時間も後に息を吹き返したのだから,人を冷凍しておけば数年後にその人を生き返らせることができるはずではないか,と。低温生物学と呼ばれる新しい学問の分野での諸発見によって,楽観的な見方をするようになった人々もいます。

低温生物学というのは,極度に低い温度が細胞や有機体に及ぼす影響を研究する学問です。例えば,一匹のネコの脳が零下19度に冷凍されて六か月間保存されましたが,解凍されてから三時間正常な働きを記録したと伝えられています。そして現在では,将来使用することを見越して,人間の皮膚や角膜,神経組織,骨などを冷凍するのは普通のことになっています。病気や老化の解決策が発見されることを期待し,将来その恩恵に浴そうと今から準備している人もいます。どのようにしてですか。

そうした人々は,死因となった病気の治療法が開発された時に生き返らせてもらおうと,死に際して自分の体を冷凍してもらうのです。これは人間冷凍術と呼ばれ,すでに幾十人もの人が急速冷凍されました。カリフォルニア州のサンフランシスコ湾沿岸地区だけを取ってみても,少なくともあと45人が冷凍されることを希望しています。

冷凍されることを望む人の遺体は,完全な生物学上の死の臨む前に,心肺蘇生機器にかけられます。それによって,酸素が血液中を循環し続けます。それから遺体は徐々に冷却され,血液の代わりに不凍液が注入されます。それが済むと,遺体は液体窒素で満たされた人間冷凍保存カプセルに入れられ,零下196度という超低温にまで冷却されます。この処置を施すには多額の費用がかかり,維持費も相当の額になります。しかし,多くの人は,医学が病気や老化の解決策を見いだしたときに生き返らされ,いつまでも生き続けられるようになるなら,その費用も安いものだと考えています。

しかし,生き返らされるというこの希望はどれほど確かなものでしょうか。冷凍された死者を生き返らせることが現在人間にできないのであれば,後日それが可能になると信じるどんな確かな根拠があるでしょうか。

実を言えば,冷凍されているかどうかにかかわりなく,死者のよみがえりは可能です。そうした事柄は以前にも起きました。そしてそれには幾百人もの目撃証人がいるのです。

確信を抱く理由

聖書によれば,人間としてのイエス・キリストは宗教指導者たちによって死刑に処されました。しかし,その三日後にイエスは復活させられました。よみがえらされた最初の日に,イエスはご自分の弟子の幾人かに時をちがえて五回現われました。(マタイ 28:1-15。ヨハネ 20:11-25。ルカ 24:13-43)その後,続く幾日かの間に,さらに何回か姿を現わし,一度などは500人以上の弟子たちの前に現われました。(ヨハネ 20:26-29; 21:1-19。コリント第一 15:3-7)それはどんな影響を及ぼしましたか。

イエスが殺されたとき,弟子たちは意気消沈し,嘆き悲しんでいました。しかし,イエスが復活させられたというこの紛れもない証拠を与えられると,弟子たちは喜びの極みに達し,このすばらしいたよりを宣べ伝える勇気に満たされました。宗教上の反対者たちの殺意に満ちた迫害をものともせず,弟子たちは大胆にその音信をふれ告げました。(使徒 4:1-3,33; 17:18)では,次のことを考えてみるとよいでしょう。イエスの復活が本当に起こったのでなければ,幾百幾千人もの人が命をかけて ― 中には殉教の死を遂げた者もいる ― その音信を宣明するだろうか。―使徒 7:55-59。

しかし,これらキリストの初期の弟子たちには,死者が命を取り戻せることを示すさらに多くの証拠が与えられていたのです。

他の復活

当時弟子たちの入手できた聖書には,死者が生き返らされたことに関する三つの事例が記録されていました。(列王上 17:17-23。列王下 4:17-37; 13:20,21)弟子たちにはこれらの記述を信じる十分の理由がありました。イエス・キリストは,繰り返し聖書の正しさを強調しておられたからです。また,キリスト自らも弟子たちに,「記念の墓の中にいる者がみな,彼の声を聞いて出て来る時が来ようとしているのです」と言われました。(ヨハネ 5:28,29)その追随者の中には,イエスが人々を復活させた三つの例を実際に目撃した者もいます。それはイエスの語られた上記の約束を説得力のある,信頼に足るものにしました。―ルカ 7:11-17; 8:49-56。ヨハネ 11:1-44。

イエスが人々を復活させたこれらの例のうちの最後のものは,イエスの死の直前に起きました。イエスはヨルダン川を渡って,ペレアで宣教の業に携わっておられました。そこにいたとき,マリアとマルタの兄弟で,イエスの愛される友,ラザロがユダヤで病の床に伏せっているとの知らせが届きました。その知らせを受けてから二日後,イエスは弟子たちに,「もう一度ユダヤに行こう」と言われました。聖書の記述は次のとおりです。

「イエスが行ってごらんになると,ラザロはすでに四日間も墓の中に置かれていた。ベタニヤ[ラザロの住んでいる町]はエルサレムに近く,二十五丁ばかり離れたところにあった。大ぜいのユダヤ人が,その兄弟のことで,マルタとマリアとを慰めようとしてきていた。……

「[マリア]は,イエスのおられる所に行ってお目にかかり,その足もとにひれ伏して言った,『主よ,もしあなたがここにいて下さったなら,わたしの兄弟は死ななかったでしょう』。

「イエスは,彼女が泣き,また,彼女と一緒にきたユダヤ人たちも泣いているのをごらんになり,激しく感動し,また心を騒がせ,そして言われた,『彼をどこに置いたのか』。……

「イエスはまた激しく感動して,墓に入られた。それは洞穴であって,そこには石がはめてあった。イエスは言われた,『石を取りのけなさい』。

「死んだラザロの姉妹マルタが言った,『主よ,もう臭くなっております。四日もたっていますから』。

「イエスは彼女に言われた,『もし信じるなら神の栄光を見るであろうと,あなたに言ったではないか』。人々は石を取りのけた。すると,イエスは目を天にむけて言われた,『父よ,わたしの願いをお聞き下さったことを感謝します。あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを,よく知っています。しかし,こう申しますのは,そばに立っている人々に,あなたがわたしをつかわされたことを,信じさせるためであります』。こう言いながら,大声で『ラザロよ,出てきなさい』と呼ばわれた。すると,死人は手足を布でまかれ,顔も顔おおいで包まれたまま,出てきた。イエスは人々に言われた,『彼をほどいてやって,帰らせなさい』」― ヨハネ 11:7-44,口語訳

確かに,死者がよみがえらされることを確信するに足る十分の理由があります! そもそも人間の命を創造された方 ― すなわち,イエスが祈りによって嘆願された方 ― には,死者を復活させるだけの知恵と力があるに違いありません。しかも,遺体を冷凍して保存する必要はないのです。神は,ラザロの場合に行なわれたとおり,遺体が腐りかけている人を生き返らせることがおできになります。あるいは,その人の遺体が完全に分解していれば,神は全く新しい体を再創造し,その人を生き返らせることがおできになるのです。

しかし,考えてみてください。死んで墓の中にいた四日間,ラザロはどんな状態にありましたか。死んだ人類の他の人々も,その同じ状態にあります。ですからわたしたちは,ラザロの経験から学ぶことができます。

意識のある存在かどうか

聖書は,その四日間にラザロがどこか別のところで意識あるものとして生きていたとは少しも述べていません。もしラザロが天での命を味わっていたのなら,人間の知りたいと思う,天での数々のすばらしい出来事について何か話したに違いありません。ところが,ラザロはそのことに関して全く沈黙を守っています。また,ラザロが本当に天での命を享受していたのであれば,その友人であるイエスが,突然そこからラザロを連れ去り,この地上での命に引き戻すとは,不親切なことではありませんか。

ラザロがその四日間の自分の行動について何も伝えていないのは,それについて何一つ知らなかったからです。ラザロには意識がありませんでした。死後もその一部が生き続け,どこかで生きていたということはありません。ラザロは人類共通の墓であるシェオルにいたのであり,そこには,「業も企ても知識も知恵もない」のです。ラザロは本当に死んでいたのです。聖書が「死んだ者は何事をも全く意識して(いない)」と説明しているとおりです。―伝道 9:5,10,新。

聖書の教えは実に単純明快ではありませんか。人間そのものが魂であるので,当人が死ねば,その人は「死んだ魂」となります。(民数 6:6,新)その人はもはや生きておらず,意識がありません。しかし,全能の神はその人を復活させる,そうです,生き返らせることがおできになります。キリスト教世界の諸教会は,異教の霊魂不滅の教えを取り入れることにより,大きな混乱を引き起こしてきました。著名なプロテスタント系の宗教誌,「今日の神学」は,この混乱を指摘してこう述べています。

「もし魂がすでに天で幸福に満ちあふれている(あるいは正当なこととして地獄で火あぶりにされている)なら,この上何が必要とされようか。キリストの再来や宇宙の改新が一体何になるというのか。この内部矛盾は幾世紀にもわたってクリスチャンを悩ませてきた」。

同様に,カトリックの司祭,レイ・T・ボスラーはこう論評しています。

「最終的な復活までの間,死の直後に何が起きるのだろうか。……最終的な復活までの間,聖者たちの存在が一体どんなものなのかについて,我々の神学者の間には意見の一致が見られない。……

「葬式のための我々の典礼祈祷は,このあいまいさを幾らか反映している。我々は,死者が復活の命をすでに幾らか享受していることを喜びながら,なおかつ,その死者が終わりの日によみがえらされるよう祈るのである。我々にできることといえば,死の瞬間に何が待ち受けているか分からないと謙そんに認めることぐらいである」。

しかし,その答えは聖書に求めることができます。諸教会に広く見られる混乱や疑念に悩まされる必要はありません。また,それが引き起こす害について考えてみるとよいでしょう。死が別の命に至る戸口だと信じる無数の人々は,死んだ人を装う邪悪な霊の欺きにさらされています。こうした死者の霊とされるものに対する恐れを抱いて生活している人は,世界各地に数多くいます。

一方,復活に関する聖書の教えは,真の希望や慰め,勇気の源となり得ます。

動機付けを与える生きた希望

苦しみに遭っていて,「もし,強健な人が死ねば,また生きるでしょうか」という質問を提起したヨブは,復活の希望に慰められたことを明らかにしています。ヨブは神に向かって,「あなたは呼んで下さり,私は,あなたに答えます」と述べているからです。(ヨブ 14:14,15,新)初期のクリスチャンたちも,やはりこの同じ希望によって強められました。それらのクリスチャンたちは,皇帝に対して崇拝の行為をして神の律法を破るよりも,むしろローマの闘技場で飢えたライオンと相対するほうを選ぶ勇気を与えられました。

復活の希望は,現代においてもクリスチャンに動機付けを与える力となってきました。例えば,ナチス・ドイツのクリスチャンは,ヒトラーの悪魔的な戦争の策謀を支持して神の律法を犯すよりも,処刑されることを選びました。そのような人の一人が自分の妻にあてた最後の手紙を考慮し,復活の希望からこの人が得ていた力に目を留めてください。

「私の愛するエルナ

「とうとう最後の晩になりました。私に対して刑が宣告され,最後の食事も済ませました。ですから,この手紙があなたのもとに届く時分には,私の人生は終わっていることでしょう。私たちは,死のとげが既に取り去られ,墓に対して勝利が収められたことを知っています。……

「それでは,私はもう一度あなたの穏やかな,きらきら光る目を見ましょう。心の中から最後の悲しみを拭い去ってください。苦しみにめげず,頭を上げ,死についてではなく,神を愛する人たちに神がお与えになる命のゆえに歓喜してください。

「愛と真の友情のうちに,心からのあいさつを送ります。あなたの愛する夫より」。

同様に,恐ろしい白血病にむしばまれた13歳になるドイツ人の少女は,その生涯において復活の希望がどれほど大きな力となったかを如実に示しました。この少女について,その主治医はこう述べています。「死なねばならないことを知った後も,こんなに幸せそうにしていた子供は,開業以来一度も見たことがない」。どうしてそのようにしていられたのでしょうか。この少女の葬式の際に読み上げられた少女の手紙の中にはこう説明されています。

「私の持つ大きな希望は,霊の体で天のどこかを漂うことではありません。そうではなく,私はハルマゲドンの後まで墓の中で休んでいるのです。そして,偉大な命の与え主であられるエホバが,私をふさわしい者とみなしてくだされば,私を復活させてくださるでしょう。喜びと幸福の行き渡る,清められてパラダイスとなった地で,正真正銘の肉体と血を備えた人間としてです。そういうわけで,私にとって死ぬのはつらいことでなかったのです。理解していただけるでしょうか」。

このような信仰の質を備えたクリスチャンたちは,世界各地で,今年の夏,「生ける希望」地域大会に集いました。米国だけでも,6月から8月にかけて,四日間にわたる大会が90以上開かれました。その大会では,『偽ることのできない神が……約束された永遠の命の希望』について,さらに多くの事柄を学びました。―テトス 1:2。

お近くのエホバの証人と是非連絡をお取りになってください。最寄りの集会場所の住所をお望みでしたら,お手数でも「目ざめよ!」誌の発行者にご一報ください。喜んで住所をお知らせいたします。聖書に示されている復活の希望についてエホバの証人と話し合えば,必ずや大きな喜びを味わわれることでしょう。

[14ページの拡大文]

冷凍されているかどうかにかかわりなく,死者のよみがえりは可能です。そうした事柄は以前にも起きました

[16ページの拡大文]

「私に対して刑が宣告され,最後の食事も済ませました」

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする