今や「目的のない人生」は過去のものとなる
聖書には,人生から満足と幸福を得るよう人々を本当に助ける力がありますか。米国西部から寄せられた次の経験は興味深いものです。
「真理を知る前,私は,知的,あるいは霊的な事柄よりも,物質的な事柄に心を奪われて生活していました。人生の目的はできる限り多くの物を得ることにあると考えていました。神や聖書にはこれといって目を向けませんでしたが,それでいながらそのような生活が非常に満足のゆかない,失意をもたらすものであることに気付いていました。大学に二年間通い,マイホーム,新型のライトバン,高価なスポーツカーなどを購入しましたが,それでも自分の生活に満足や幸福を感ずることはありませんでした。自分がこの先40年間同じことを繰り返し,最後に墓に行きつくことは目に見えていました。
「それに加えて,私は結婚生活の面で問題を抱えていました。私たち夫婦は,結婚問題相談所をはじめ精神分析医にまで助けを求めましたが,私たちの結婚生活は少しも改善されませんでした。
「そんなとき私の職場で,極超真空システムを扱える熟練溶接工のパートタイムの勤め口ができました。その同じ週,必要とされる経験を持ち,パートタイムの仕事を捜している人から会社に電話がありました。会社の管理者も驚いて,その人にどうしてその勤め口があることを知ったのかと尋ねました。その人は,勤め口があると分かっていたわけではなく,職業別電話番号簿でたまたま会社の名前を見付けたにすぎないと言いました。ほかのところではパートタイムの仕事が見付からなかったので,この仕事が見付かったことを喜んでいました。
「その人はエホバの証人であることが分かりました。私はこの人がどうしてパートタイムの仕事しかしないのか好奇心を抱きました。私は二つの職を持っていながら,なおかつ有利な立場に立てないでいたからです。少ししてから,この人は“聖書研究”の際に聞いたユーモラスな話をしてくれました。それがきっかけとなって打ち解けた気持ちになり,私はありとあらゆる質問をしました。その日,彼は私を仕事に戻らせるのにひと苦労しました。
「私は,初めて新しい地について聞きました。(ペテロ第二 3:13。啓示 21:1)私はようやく,『あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においても成されますように』と言われたとき,イエスが何を言わんとしておられたかを理解するようになりました。(マタイ 6:10)その最初の日に,私は自分が目的のない人生を送っていたことに気付きました。二週間もしないうちに,私は自宅で毎週聖書研究を始めました。しかし,ほどなくして,週に一度の聖書研究では物足りないと思うようになり,週にもう一度してくれるよう頼み,それからまた少しして,週に三回してくれるよう頼みました。それで,五週間たつかたたないうちに,私は週に三回聖書研究をするようになり,エホバの証人の王国会館で開かれている集会すべてに出席し始めました。そして一年後に私はバプテスマを受けました。
「真理が最初に私に与えてくれたのは,解放感でした。世の物質主義的な物の見方にとらわれていたことから,そして結婚生活の問題からの解放です。聖書の原則を当てはめれば当てはめるほど,結婚生活は改善されてゆきました」。