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目ざめよ! 1981
目81 1/8 24–27ページ

自分たちの教会を憂慮するカトリック教徒の発言

灰色のツイードのスーツを着込んではいましたが,その女性は修道女でした。事実,米国,メリーランド州のポトマック慈悲修道女会の総会長でした。女性宗教者指導会議の議長として,彼女はヨハネ・パウロ二世と共に壇上に立ち,ワシントン特別区に集まっていた5,000人の仲間の修道女に同法王を紹介しました。そして,歓迎の辞の中で,女性を同教会の司祭に叙任しないというバチカン当局の政策に深い憂慮の念を表明しました。その聴衆に向かって話すために法王が前に進み出た時,いずれも一般人と同じ服装をした53人の修道女が立ち上がって無言の抗議を行ないました。

何か月か後,今度はヨーロッパで,スイスの神学者ハンス・クンクが,ローマの教会当局から「もはやローマ・カトリックの神学者とみなすことはできない」という通知を受け,「自分の教会のことが恥ずかしくてたまらない」と激しい語調で語りました。なぜ,ローマ・カトリックの神学者としてみなされなくなったのでしょうか。その理由はわけても,法王の不謬性の教えを退け,イエス・キリストの神性に疑念を表明したことにありました。

多くのカトリック教徒はクンクに対するバチカンの懲戒罰を支持しましたが,スペインの50人の神学者たちはローマ当局の措置に異議を唱える公開書簡を送りました。一方,アメリカとカナダの67人の神学者たちは,クンクが『もはやローマ・カトリックの神学者ではない』とする当局の判断に反対する声明書に署名しました。

これらは,誠実なカトリック教徒が同教会内での事態の進展に対して抱いている深い憂慮の念の幾つかにすぎません。同教会内の士気の低下の問題は,平信徒の間だけでなく,僧職者の間にも大きな影響を及ぼしつつあります。事実,バチカンの機関紙オッセルバトーレ・ロマノに載った記事は,僧職者の間の問題が深刻な事態に達しつつあることを示しています。次にその二,三の例を考慮してみましょう。

僧職者の減少

1979年5月16日付のオッセルバトーレ・ロマノ紙はこう伝えています。「[イタリアの神学生の]数が急激に減少している。こうした傾向は10年ほど前に始まったが,現在に至るまで続いている。この現象はヨーロッパ全域の特徴となっているより一般的な傾向の一端にすぎない」。

このように,バチカンの機関紙によると,過去10年間,僧職に入ることを希望する人の数は減少の一途をたどってきました。事実,ここに掲げる表が示すように,かなり大きな減少が認められます。イタリアで1978年に神学校に入学した人の数は,1962年のわずか3分の1にすぎませんでした。1974年にフランスで叙任された司祭の数は,1965年当時の3分の1以下になっていました。

バチカンの機関紙は次のように指摘しています。「神学校の在籍者数が減少するに伴い,神学校の数そのものも減少してきた。1970年に合計375校あった神学校は1978年には259校になった。……[イタリアでは]1966年に918名という最高数[の司祭]が叙任されたが,1978年にその数は最低に落ち込み,384人の新しい司祭が生まれたにすぎない」。

こうした事態はヨーロッパの二,三の国々で見られるだけではありません。イタリアの新聞スタンパはこう伝えています。「[全世界の]数字を合計すると,1965年から1975年の間に,教区司祭と修道会関係の司祭4万人が聖職を捨てた。そのほかに2万人の修道女がその立場を離れた」。

どれほどのカトリック教徒が今でも信仰を実践しているか

ところで,カトリックの一般信徒についてはどうでしょうか。カトリック教徒の中には,かなりの人が名前だけの信者になりつつあるように思えることを懸念する向きもあります。そうした人々はイタリアの種々の出版物に載せられた次の数字を指摘します。それによると,フランスとイタリアでは過去15ないし20年間にミサの出席者数が半分以下に減少しました。名目上は人口の99%がカトリック教徒とされるイタリアでは,教会員の3分の1足らずが定期的にミサに出席しているにすぎません。それでも,イタリア人はよくミサに出席するほうです。フランスで毎週教会に通っているのは,教会員のわずか16%にすぎません。

若い人々の意識が将来を計る一つの指標であるとするなら,イタリアのカトリック教徒にはもう一つの憂慮すべき理由があることになります。パノラマ誌が16歳から24歳のイタリアの青少年にインタビューしたところ,霊的な物事の価値を生活の中で最重要視している人は全体のわずか12.6%にすぎないことが明らかになりました。若い人々から疑問視されている価値基準の中で,「家族・夫婦・結婚・親」と並んで第一位を占めていたのは「宗教と教会」でした。

反抗的な若い司祭たち

僧職を志願する人の数が減少するにつれ,『僧職の危機』と呼ばれるものが生まれ,神学校はもはや志願者をえり好みしてはいられなくなってしまったようです。その結果,イタリアをはじめとする世界中のカトリック教徒に不安を抱かせるような事態が生じています。

1976年のこと,イタリアのセミナリ・エ・テオロジア誌の中で,カトリックのある一般信徒はこのように述べました。「『僧職の危機』を解決するために,神学校の門戸はすべての人に対して広く開けられ,中でも若い人々はだれかれ構わず迎えられてきた」。その人はまた,これらの神学校から,「反抗的で横柄で不遜な,またほとんどの場合に手の付けられないほどマルクス主義思想に染まった」司祭たちが出てきた,とも語りました。

このカトリック信徒は,新しい世代のイタリア人司祭たちを「扇動的なポスターをはり巡らした俗化した本部を根城に活動する厄介者」と呼び,「司教に介入してもらって,こうした者たちを何とかしようではないか。放置しておけばどうなるかは分かっている。革命の一歩手前だ」と言葉を加えています。だれに責任があるのでしょうか。この筆者は次のように書いています。「手綱を握っているべきなのに,手からそれを奪い取られるままにしてしまった者たちに責任がある。それは弱さや勇気の欠如,また時には新しい現代イデオロギーに負けてしまったことの結果である」。

法王が行なっている事柄

法王ヨハネ・パウロ二世は,だれにも教会の指導権という『手綱を[自分の手から]奪い取らせる』つもりのないことをはっきり示してきました。ここ数か月,宗教関係の出版物は,法王が自由主義神学・道徳の緩み・僧職者の反抗に対して『断固たる処置』を取る態度に出ていることを伝えています。しかし,この記事の冒頭に掲げた出来事からも分かるように,法王は教会関係者の間で名前を知られている人々の抵抗に遭っています。

法王の断固たる態度と僧職者の問題の世界的な広まりを物語るものとして,イタリアの雑誌アベニールは,法王がイエズス会士に対して厳しい講話を行なったことを報じています。法王は世界的規模の同修道会(106か国に2万7,700人の会士を擁する)に対してこう語りました。「現代における宗教生活を脅かす危機の影響を被る点であなた方の修道会も例外ではない……この事実をわたしは決して知らないわけではない」。法王は,「政治・社会問題に教会が関与する理論的根拠を与えたとの世評を築いた」イエズス会士に対し,「世俗の傾向に屈する」ことのないよう呼びかけました。―1979年12月7日付,ニューヨーク・タイムズ紙。

バチカン在住のある米国人司祭によると,法王は,「同性愛を含め,宗教生活における性道徳規準の全般的低下にひどく動揺している」とのことです。また,米国の若いイエズス会士の中には,「死後の命も,イエスが神のみ子であることも信じず,日曜日のミサに出席することさえしない」者が少なくないと伝えられている,とも語りました。

神学者ハンス・クンクに対するバチカンの懲戒罰は法王の『断固たる処置』の一例です。他の神学者たちも同様の問題を抱えることになるでしょう。1979年の12月に,自由主義を奉ずるオランダの神学者エドワード・シレベエックスがローマの“教理聖省”で審問を受けました。クンクに懲戒罰を課したこの委員会は,異端審問を行なった検邪聖省を現代的な組織に改組したものです。フランシスコ修道会のブラジル人司祭レオナルド・ボフをはじめとする他の神学者も教理聖省による査問を受け,弁明を行ないました。

法王は1979年の秋に旅行した際,カトリック教徒の一致を訴える,世界各地に向けた力強いアピールを提唱しました。そして,厳格な道徳規準を固く守る必要を強調し,姦淫や同性愛や堕胎に反対の意を表明しました。これによって法王は,カトリック教徒ではない人々の間からさえ多くの称賛を浴びました。

しかし同時に,法王は産児制限の禁止や僧職者の独身制など,多くの信徒の間で不評を買っているカトリック教会の立場を緩和しませんでした。

皮肉な事態

このすべては一つの皮肉な事態を生み出しました。堕胎や女性の叙任に反対し,厳格な性道徳を擁護するに当たり,法王は聖書を裏付けとして用いました。その一方で,法王の不謬性の教理に対する批判には過敏と言えるような反応を示しました。批判者たちが指摘しているように,その教理は聖書に基づいていないのです。事実,クンクの語るところによると,それは聖書の精神と全く反対の動きを反映しているものです。

法王を批判する人たちは,産児制限などの問題でカトリック教徒が自分の良心に基づいて決定を下すことが許されていない点を取り上げ,法王は聖書を軽視していると主張します。ところが,こうした批判をしているのは大抵の場合,聖書の大部分を“霊感を受けた作り話”とみなす神学の“新しい潮流”の先端に立つ人々なのです。

こうした学者たちが聖書に対して抱いている態度は「イエスとはどんな人物であったか」と題するニューズ・ウィーク誌の一記事によく示されています。そこにはこう書かれていました。「大抵の新約学者は,イエスが語ったとされる言葉のうち少なくともあるものは間違いなくイエスの言葉であると考えており,どの節がそうであるかについて学者の間で意見の一致を図るための全国会議が計画されている」。こうした人々が権威ある拠り所として聖書を引き合いに出しても,どれほど真剣にその論議を行なっているのか疑念を抱かずにはいられません。

『自分を調べてみなさい』

カトリックのバルバロ訳聖書はすべてのクリスチャンに,「あなたたちが信仰にいるかどうかを調べてみよ,自分でためしてみよ」と勧めています。(コリント第二 13:5)誠実なカトリック教徒が自分自身について,また自分の教会の霊的状態について調べてみるのはふさわしいことです。

もちろん,今日変化を経験しつつある宗教組織は決してカトリック教会だけではありません。プロテスタントの様々な宗派でも,女性が僧職に就くこと,同性愛者を教会に迎え入れること,教会の教えにおける聖書の役割,現代の道徳規準を教会内で認めることなどの問題をめぐって論議がなされています。

このような論争が行なわれている教会に通っておられる方は,そこに関係している聖書の原則に精通していなければなりません。カトリック,プロテスタントの別を問わず,聖書の原則を記したこのページの表はその点でお役に立つことでしょう。あなたの教会の指導者が語っている事柄とこれらの原則とを比べてみてはいかがですか。

[24ページの図表]

(正式に組んだものについては出版物を参照)

神学校在学生(イタリア)

1962 30,595

1978 9,853

[27ページの図表]

教会で論争の的となっている問題点 ― 聖書は何と述べているか

法王は不謬か

「ケファ[使徒ペテロ]がアンティオキアに来たとき,彼に非があったので,わたしは面と向かって非難しました」― ガラテア 2:11,フランシスコ会訳。

「ユダヤ人も異邦人も,人はすべて等しく罪人であることを,わたしはすでに明らかにした。聖書に書かれているとおり,『正しい者はひとりもいない。罪のない者は全世界にひとりもいない』」― ローマ 3:9,10,“リビング・バイブル”,カトリック版。

僧職者の結婚を認めるべきか

「監督[司教,ドウェー訳]は咎のない人で,一人きりの婦人の夫であり,……自分の家をよくおさめ,謹厳に子どもを従わせる人でなければならない」― テモテ第一 3:2,4,バルバロ訳。

悔い改めていない同性愛者を教会に迎え入れるべきか

「思い違いをしてはいけません。みだらな行ないをする者,偶像を拝む者,姦通する者,男娼,同性愛にふける者……は,いずれも神の国を受け継ぐことはできません」― コリント第一 6:9,10,フランシスコ会訳。

聖書は教会の教えの最終権威であるべきか

「神の約束はすべて火で試された金属のようである。神は,信頼するものすべての確かな守りである。その言葉に何も加えてはならない。なんじの行ないはすぐに明らかになるのである」― 箴 30:5,6,モンシニョール・ノックス訳。

「聖書はすべて,神の霊感によるもので,人を教え,戒め,誤りを正し,正しさに導く教育をするために有益です。それによって,神の人は,あらゆる善い業を果たすことのできる,最適任者となるのです」― テモテ第二 3:16,17,フランシスコ会訳。

教会は性道徳の規準を緩和すべきか

「しかし,あなたがたが自分の悪い傾向に従うなら,その生活は不純な考え,肉的な快楽をしたう心……泥酔,乱痴気騒ぎ,その他このたぐいのものを生み出します。前にも言いましたがもう一度言いましょう。そのような生活を送っている者はだれも神の王国を受け継ぎません」― ガラテア 5:19-21,“リビング・バイブル”,カトリック版。

[25ページのグラフ]

(正式に組んだものについては出版物を参照)

消えゆく僧職者

1881年以来イタリアの人口は倍になったのに対し,司祭の数は8万4,834人から4万866人に半減した

(イタリア国民1,000人当たりの司祭の数)

1881 (2.9)

1977 (0.72)

[26ページのグラフ]

(正式に組んだものについては出版物を参照)

消えゆく一般信徒

(イタリアにおける通常のミサの出席者の割合)

1956 69%

1977 28%

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