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  • ストレスに対処することは可能です ― でもどのようにして?
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目ざめよ! 1981
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ストレスに対処することは可能です ― でもどのようにして?

ストレスが今や流行病と化し,そのストレスで重い病気にかかる場合もあることに,あなたは気付いておられるかもしれません。しかしそれに対処するためにどんなことができますか。

前の記事に指摘されていた通り,最も重要な段階の一つは,自分のストレスの原因または源を見分けることです。「人間の行動を理解する」という本の第一巻は,この点がなぜそれほど肝要であるかを次のように説明しています。「身体的あるいは心理的な問題が,必要もないのに,心身に高度の緊張を強いる場合,ストレスが生じることを忘れてはならない。多くの場合に,その身体的また心理的な諸問題を識別するだけで,それを除くことが可能であり,[その結果]ストレスは必然的に消え去ってしまう」。要は,自分にストレスをもたらしているのが何か,頭の中ではっきり識別できれば,たとえその原因を取り除くことが不可能でも,ストレスに対する反応は弱まるであろう,ということです。

とはいえ,直面するかもしれないストレスに確かに役立つ幾つかの実際的な提案に目を向けてみましょう。

適応するよう努める

ストレスを生むものの多くから逃避しようとする人は少なくありません。例えば,居住地や職場を変えて,騒音のひどい所や臭気の立ちこめる所で働いたり家の立て込んだ汚い都会で生活したりするというような,緊張を生じさせる環境から逃れようとするかもしれません。

それは役に立つかもしれませんが,ストレスを減らすために必ずしもそのような思い切った手段が必要なわけではありません。例えば,満員のバスや渋滞する道路を使って通勤することから来るストレスを減らすため,時差通勤をする人もいます。そうした人々は待つ時間を,読書や研究,あるいは手紙を書くことに充てて有効に用いています。しかし,もっと大切なこととして,このような仕方で適応することにより,自分の生活を管理しているのは自分であるという自信が得られます。専門家たちの話によると,この自信こそストレスに対処する秘訣の一つなのです。

適応することは子供を持つ人にとっても役に立ちます。中には,次から次へと訪れる危機の波に翻弄されているような親もいます。こうした源からのストレスを減らすのに必要とされているのは,子供たちのために揺らぐことのない一貫した指針を確立することでしょう。聖書は,子供たちと共に生活し,子供たちをしつけるための賢明な助言の優れた源となってきました。(エフェソス 6:1-4; 箴 29:15,17と比較してください。)神から与えられたその助言を当てはめた大勢のエホバの証人は,ストレスに直面することが少なくなり,益を受けてきました。

別の例として,騒音でストレスが高まっているような場合にはどのようにして適応できますか。家にいる場合なら,窓を閉めたり,音を吸収するカーテンを掛けたり,ラジオやテレビを使っている部屋のドアを閉めたりすることは役に立つかもしれません。職場でも同様の措置を取ることができるでしょう。あるいは騒音から来るイライラを減らすために,小さな耳栓を使うことも考えられます。同様に,自分の生活の場や職場をきちんと整とんし,きれいにしておくなら,自分の周囲が気持ちのよいものになるのでストレスは少なくなることでしょう。

この種の適応はいずれも,潜在的に有害なストレスを完全に除き去るものとはならないかもしれません。しかし,そうした措置がストレスを少なくするにすぎないとしても,あなたの生活はより健康的で,より幸福になります。

ストレスを吐き出す

心配事やストレスをすべて自分の内に秘めておいてはなりません。『胸中にあるものを吐き出してしまう』なら,ずっと楽になるのに気付くはずです。親身になってくれる友人で,自分が尊敬し,助けや助言を与えてくれるような人と話し合うのです。当然のことながら,実際の問題であれ,想像上の問題であれ,それについて不満や泣き言を言いたいとは思わないでしょうし,そうすべきでもありません。しかし,信頼の置ける友人に問題を打ち明けるからといって,そのような者になるわけではありません。

感情面で楽になるだけではなく,自分の問題について新たな見方ができるようになり,経験を積んだ人の実際的な提案から益を受けるかもしれません。(箴 18:24; 20:5。テトス 2:3-5)多くの人は,悩める者の嘆願の叫びや祈りを聞いてくださる神に,自分の気持ちを吐露することによってストレスの問題に関する助けを得てきました。―歴代下 6:19。

運動は役に立つ

人体がストレスに対して,大抵,“闘争か逃走か”の反応を示すことを思い出しましょう。体は激しい活動のために備えをします。体を動かす運動を定期的に行なえば,ストレスによって血液中に出た余分の糖や脂肪を使い果たすのに役立ち,ストレスの引き起こす生化学的な影響が相殺され,体は健康のバランスを取り戻します。

水泳やハイキングやテニスなどの運動がお好きですか。それでは運動をするようにしましょう。また,運動が嫌いでもストレスに悩まされているなら,やはり運動すべきです。そうすれば気分が良くなります。特に,毎日ストレスを感じるのであれば,それに応じて毎日何らかの精力的な運動をすることによって気分がそう快になるでしょう。

健康に良い運動として,食料品店への行き帰りに,車やバスを使わず,長距離を歩く方法があります。あるいは,エレベーターを使う代わりに,階段を歩いて上ることがその運動になることもあります。また,小さな庭園に鋤を入れたり,カーペットのほこりをたたいて落としたりするといった有用な仕事で,“ストレスを燃焼”させるのはどうですか。

仕事と娯楽のバランスを取る

仕事と娯楽は不倶戴天の敵であると見る人は少なくありません。そうした見方は当人がすでに感じているかもしれないストレスをさらに大きなものにするだけです。

仕事が災いではないということを認識するのは有益です。生計を立てるため,また娯楽を楽しむ元手を得るために働く点で活動的また生産的であるのは心身両面にとって良いことです。(伝道 3:12,13)ハンス・セリエ博士は「苦痛<デイストレス>のないストレス」の中で次のように述べています。「働く[あるいは忙しくする]ことを最小限にとどめようとすることが最重要の目的となってはいけない。……余暇を十分に楽しむためには,まず疲れていなければならない。それはちょうど,食物を十分に楽しむためには,腹を減らしているのが何よりであるのと同じである」。

働いている時にも,少しの時間を取って体を伸ばし,時々“一息入れる”ようにします。そうすれば,顔や首,肩や背中などの筋肉をほぐし,ストレスが少しでもたまっているなら,それを幾らかでも減らすことができます。

しかし,仕事をするために時間を取るのと同じように,くつろぐための時間も設けるようにします。何らかのレクリエーションを計画するのです。自分が熱中できるような趣味で,ストレスを引き起こす身体的あるいは感情的な原因を忘れさせてくれるものがよいでしょう。セリエ博士はさらにこう述べています。「ほとんどの場合,一つの活動をやめて別の活動に移るほうが,完全に休息を取るよりも気分が楽になるものである」。

十分の睡眠を取る

コーヒーを一杯つきあったりテレビ番組を見たりして遅くまで起きていることを習慣にしている人もいます。そうしたテレビ番組は喜劇や“スター・インタビュー”番組など,緊張をほぐすと言われているものかもしれません。くつろがせる点でどんな効能があるとされていても,絶えず積み重ねられてゆく睡眠不足の問題と比較考量してみなければなりません。睡眠不足そのものも心身にとってストレスとなり,さらには他のストレスに対処する能力を低下させます。

ストレスは体そのものに変化を生じさせるのですから,十分の休息と睡眠がなぜ大切なのかは理解しがたいことではないはずです。睡眠によって,体は自らをいやし,生化学的にバランスの取れた状態を取り戻します。シェークスピアはその点を次のように見事に言い表わしました。「睡眠はもつれにもつれた不幸の糸玉をきちんと編み上げる。一日の命が死に絶える時,つらい仕事の湯船,心の傷をいやすバルサム,偉大な活力の第二のコース,命の宴の主たる滋味」。

ですから,ストレスに悩まされているのであれば,もっと睡眠を取るようにしましょう。特に,一週間ごとの規則正しい睡眠のパターンを形造るようにします。

見方を調整する

ストレスに対処する上で最も大切な事柄は,どこでまたどのように生活し,働いているかということではありません。また,どれほど運動をし,どれほど睡眠を取るかということでもありません。最も重要なのは,人生とそれに伴う諸問題,つまりストレスをどう見るかということです。

航空管制官を対象にした3年に及ぶ調査は,緊張による高血圧症の発生する率が非常に高いことを示しています。しかし,すべての人がその仕事から悪い影響を被ったわけではありません。ロバート・M・ローズ博士は,『病気の発生率を大きくしていると思われるものは,人々が自分の仕事に対して抱いている態度である』ことを突き止めました。同様に,ハンス・セリエ博士はストレスの研究を幾十年も続けた後に,こう書いています。「薬剤やその他の療法に頼るよりも,ストレスを処理する別のもっと良い方法があると思う。それは生活上の様々な出来事に対して異なった見方を持つことである」。

生活の中で何を優先させるかを決定する方法について学ぶ必要があります。新しい職,社交的な行事,もう一人子供をもうけること,大きな買い物のための借金など,ストレスの付きまとう状況に直面することもあるでしょう。何をするか,またどのように反応するかを決める前に,『その結果生じるストレスをあえて身に受ける覚悟があるか。そうするだけの価値があるか。これは自分の生活にとって一体どれほど重要なのか』と,自問してみるとよいでしょう。そのような分別のある考量は,自分の限界や優先順位を理解するのに役立ち,その結果,より幸福になれます。

金銭に対する見方に関して聖書の述べる事柄の多くは,これと同じ考え方を示しています。例えば,使徒パウロはこう書いています。『富もうと思い定めている人たちは,誘惑とわな,また多くの無分別で害になる欲望に陥ります。……金銭に対する愛はあらゆる有害な事がらの根であるからです。ある人たちはこの愛を追い求めて……多くの苦痛で自分の全身を刺したのです』。(テモテ第一 6:9,10)イエスもまた,多くの富を蓄えようと躍起になりながら結局は急死してしまった男について話されました。キリストの結論はこうです。「自分のために宝をたくわえても,神に対して富んでいない者はこうなるのです」。(ルカ 12:16-21)イエスは衣食住について思い煩わないように,つまりストレスを感じたり心配したりしないように勧めておられます。『なかなかできないことだ』と言われるでしょう。確かにそうです。しかし要は,そうした見方を持つための努力を始めねばならないということです。千里の旅も最初の一歩から始まることを忘れてはなりません。

イエスはさらに山上の垂訓の中でこう言われました。「次の日のことを決して思い煩ってはなりません。次の日には次の日の思い煩いがあるのです。一日ごとの悪はその日にとってじゅうぶんです」。(マタイ 6:25-34)この聖書の諭しは,ストレスに対処する最善の方法に関する最新の助言の核心に触れるものです。

ストレスからの永続的な解放?

今日,ストレスを完全に回避できると考えるのは非現実的なことです。どのような生き方をしても,どれほど立派な態度を保ったとしても,有害なストレスを引き起こす要素は必ずあります。犯罪は依然として巷にあふれ,偏見や不公正は深い悲しみをもたらします。ですから,ストレスに対処する方法を学ばなければなりません。

しかし,いつの日か,ストレスのもたらす害 ― 苦痛<デイストレス> ― に終止符の打たれることがあるでしょうか。証拠によれば,その答えは,然りです。いつ,またどのようにそれが起きるかを学べば,今ストレスに対処する自分の能力を向上させることができるでしょう。続く記事はこの重要な問題を検討するものです。

[12ページの図版]

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