ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目81 1/22 8–11ページ
  • 生きる意味の究極の源

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 生きる意味の究極の源
  • 目ざめよ! 1981
  • 関連する記事
  • 創造者は人生を意味あるものとする
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1999
  • あなたの人生を永続的な意味のあるものとしてください
    あなたのことを気づかう創造者がおられますか
  • 人生を真に意味あるものにするのは何か
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2004
  • あなたは重大な論争に関係しています
    あなたは地上の楽園で永遠に生きられます
もっと見る
目ざめよ! 1981
目81 1/22 8–11ページ

生きる意味の究極の源

「唯一のふさわしい道徳の体系は,人生の究極の意味を基にしたものである」。これは著名な精神科医ロロ・メイの語った言葉です。この体系と人生の究極の意味をどこに見いだせるか,という質問を提起してから,メイはこう答えています。「究極の体系は神の本質である。神の法則は,創造の最初から最後まで生命の底を流れる法則である」。

メイはさらにこう述べています。「人間には神とのかかわり合いがある。これは人間の中にあって非常に基本的な事柄であるため,人間が創造されたことに起因すると考えられる。その際に,人間は『神の像に造られた』」。メイはまた,人間のエゴと身勝手さのために人間は神の像からそれてしまい,その結果,内面の葛藤と緊張と罪悪感が生じたと語っています。これは使徒パウロの陥ったジレンマを思い起こさせます。パウロはこう語っています。「自分の願う良い事がらは行なわず,自分の願わない悪い事がら,それが自分の常に行なうところとなっているのです。わたしはなんと惨めな人間でしょう」。(ローマ 7:19,24)しかし,ここでパウロの述べている事柄の基本的な要点は,人生の究極の意味がエホバ神との関係にあるということです。

人間は,既に述べた空間や時間だけでなく,自分の周りにいる地球上の幾十億人もの人間を前にすると,自らの存在が小さなものであると感じます。C・G・ユングは,「群衆が大きくなればなるほど,個々の人は取るに足らないものにされやすい」と語っています。そうなると人は「自分が弱小で無力であると感じて圧倒されてしまい」,その結果,「その人の人生は意味のないものになってしまう」のです。

しかし,個々の人を圧倒するような人間の集団も,神と比べれば無に等しいものです。神にとって,『諸国民は桶からの一しずくのようです。そして彼らは天びんの上の一片の塵のようです。……すべての国々の民はそのみ前には無きもののようです』。(イザヤ 40:15,17,新)この言葉は,西暦1856年に生まれたジグムント・フロイトを中心人物とする現代心理学の様々な学派が確立される2,000年以上も前に書き記されました。

わたしたちの人生が真に意味あるものとなるには,宇宙の創造者であられるエホバ神とのつながりが必要です。しかし,今日大勢の人々は,神の存在をさえ疑っており,そのため神との関係を持つことを難しく思っています。それでも,神の存在の証拠には事欠きません。天と地を見て,使徒パウロの次の言葉に同意する人は少なくありません。『神の見えない特質は,造られた物を通して認められるので,世界の創造以来明らかに見えるのです』。そうした人々は,記録されている詩篇作者の次の言葉を復唱することもできるでしょう。「天は神の栄光を告げ知らせ,大空はみ手の業を語り告げる」。―ローマ 1:20。詩 19:1,新。

現在,科学者たちの間で意見の一致を見ているのは,宇宙に初めがあったということです。聖書の冒頭の節もこう述べています。「初めに神は天と地を創造された」。(創世 1:1,新)ロバート・ジャストローは自著「神と天文学者」の中でこう書いています。

「このように,天文学上の証拠が世界の起源に関する聖書の見解に導くことがわかる。詳細については異なっていても,天地創造の記録は天文学によるものも聖書によるものも同じである。すなわち,人間の出現にまで至る一連の出来事が,時の流れの特定の瞬間に,光とエネルギーのさく裂と共に,突然また急激に始まったということである。科学者の中には,世界がこのような仕方で始まったという概念に不快感を表わす者もいる。……しかし最新の証拠は,幾億年も昔に間違いなく大爆発があったことをほぼ確証している」。

英国の理論家エドワード・ミルンは,相対性理論に関する数学論文の結論でこう述べています。「膨張説[宇宙大爆発生成説]との関連における宇宙の第一原因については,読者のご高察に任せるが,その存在なくしては我々の心像は未完成である」。

アメリカ医師会ジャーナル誌の1977年8月22日号899ページはこう述べていました。「今日,生物学を扱う科学者の少なくとも80%は,生物活動と生命が何らかの高位の力によって統制されていることを認めるであろう。

「生命の様々な表われや細胞・分子レベルの基本的な作用に見られるすばらしい秩序と規則は,より高位の力が存在するという信念に強い影響を及ぼす」。

さて,この偉大な第一原因者として認められている方にはエホバという名前があり,この方は地を造る際に次のような目的つまり目標を持っておられました。「彼は地を形造り ― 彼はそれを堅くし,永続的なものとされた。彼はそれを荒れ果てた所としてではなく,人々が住む所として造られた」。ですから,アダムが庭園の中に置かれたのも,「それを耕し,それを守る」ためでした。アダムとエバの両人に対して神はこう言われました。「多くの子供をもうけ,あなた方の子孫が地の全面に住み,それを自分たちの管理下に置くように。わたしはあなた方に,魚と鳥とすべての野の動物を管理させる」。(イザヤ 45:18; 創世 2:15; 1:28,今日の英語聖書)「すべてのものをエホバはその目的のために造られた」。これが人類に対する神のお目的であり,その目的が潰えることは決してありません。―箴 16:4,新。イザヤ 46:11。

今日の人々は自分の人生を意味深いものにしてくれると思える目標を目指して働きますが,そうした目標には永続的な面が備わっているでしょうか。時間や宇宙空間の中にあって,その意味は存続しますか。生きる意味の究極の源は,エホバ神が人類のために定められた仕事を進んで行なうことにあります。それは,地球を管理し,それを美化し,動物に対して愛ある監督を行き届かせ,キリスト・イエスの王国の下で命を享受しながらエホバを賛美することです。こうして,もはや宇宙空間に圧倒されたり,時間に妨げられて存在を断たれたりすることはなくなります。その時にはだれもが,地に対する神の目的と調和し,その目的を促進するようになります。そうなれば,それぞれの人の人生は意味を持つようになります。人間と神にとって意味深いものになるのです。そして,自分の人生を意味深いものにするという究極の目的が時間に妨げられないためには,キリストの王国の下でパラダイスと化する地での永遠の命を得ることを自分の目標にするのです。

神にささげられた生涯には,宇宙的に重要な意味を持つ別の側面があります。この一連の記事の冒頭に引用した古代の人,ヨブの言葉を覚えておられますか。その言葉が人間の生きる日々の短さとそれが問題に満ちていることを激しく嘆くものであったのを覚えておられますか。ヨブの日々が問題に満ちていたのは,サタン悪魔が幾千年も前に提起した挑戦のためでした。試みの下にあっても神に忠誠を保つ人を地上に持つことなどエホバにはできない,というのがその挑戦でした。

ある時,エホバがサタンに次のようにお尋ねになったのは,既に提起されていたこの論争との関連においてであったことは疑いのないところです。「あなたはわたしの僕ヨブに心を留めたか。彼のように非の打ちどころがなくて廉潔で,神を恐れ,悪から離れている人は,地上にはひとりもいないのだが」。サタンの反論は次のようなものでした。『あなたは彼の周りに保護の垣を巡らされたのだ。わたしに彼の所有物すべてをはぎ取らせてくだされば,彼は必ずやあなたの顔に向かってあなたをのろうでしょう』。サタンはそうすることを許され,後には痛みを伴う病気を臨ませて,ヨブをひどく苦しめることさえ許されました。神とサタンの間の論争は宇宙的なものでした。それは,エホバ神の天の法廷でみ使いたちを前に公然と述べられたからです。―ヨブ 1:6から2:8。

サタンは神に対するヨブの忠誠を打ち砕くためにヨブに対してありとあらゆる手を打つことを許されましたが,ヨブの忠誠を破らせることはできませんでした。ヨブは,「わたしは息絶えるまで,自分の忠誠を自分から奪い去らない!」と叫びました。後にヨブは,「神はわたしの忠誠をやがて知ってくださるであろう」と語りました。ヨブは,サタンがうそつきで,その挑戦が偽りであることを証明しました。さらに続くヨブの言葉は,全人類の希望の叫びともなっています。「わたしは,よく知っている。わたしを請け戻す方は生きておられ,わたしの後に来て,塵の上に立ち上がられることを。そして,わたしの皮,これを彼らがはぎ取った後 ― これが! それでも,わたしの肉が衰弱しても,わたしは神を見,この方を,実にわたしは自分で見(る)」。―ヨブ 27:5; 31:6; 19:25-27,新。

この点で失敗してきた人は少なくないものの,どの時代にも神への忠誠を保ち,サタンの挑戦が偽りであることを証明し,それによってエホバのお名前の立証に貢献した人々がいました。宇宙の創造者の目的を支持すること,人間すべてを神から引き離せると語った時にサタンがうそをついていたことを人間とみ使いたちの前で示せること,これ以上に人生を意味深くするものは確かにありません。

伝道之書の中でソロモンは,一貫して今の命と世俗の業がむなしいものであることをくり返し語り,それを「短く,むなしい命の日を影のように送る」ことであるとして退けています。(伝道 6:12,口語訳)しかし,ソロモンは若い人々に創造者を覚えるように励まし,次のような言葉でその書を結んでいます。「すべてが聞かれたからには,事の結論はこうである。真の神を恐れ,そのおきてを守れ。これが人の務めの全体だからである。真の神は,あらゆる業を,それが善いか悪いかについて,すべての隠されたことに関連して裁かれるからである」― 伝道 12:13,14,新。

エホバ神への忠誠のうちに歩んだ人生は,むなしいものでも,無益なものでも,無意味なものでもありません。宇宙の創造者であられるエホバ神は生きる意味の究極の源であられ,エホバにささげられた命は永遠に続き,永遠に意味のあるものとなるでしょう。

[11ページの拡大文]

宇宙の創造者であられるエホバ神は生きる意味の究極の源であられ,エホバにささげられた命は永遠に続き,永遠に意味のあるものとなるでしょう

[10ページの囲み記事]

著名な精神科医たちでさえ神への信仰の必要性を確証せざるを得なかった

C・G・ユング:

「全能の神の存在という概念は至る所に見られる。たとえ意識の上で認められてはいなくても,無意識のうちに受け入れられている。……ゆえに,わたしは神の概念を意識的に認めるほうが賢明であると思う。さもなければほかのものが神になってしまい,それらは概して全く不適当で,愚かなものだからである」。

「神としっかり結び付いていない人は,世の身体および道徳面での手管に自分の才略で抵抗することはできない」。

「注意深い観察に基づき,目に見えない,制御不能の特定の要素を考慮に入れた宗教は,人間にだけ見られる本能的態度であり,その表われは人類史を通じてずっと観察される」。

35歳を超える患者たちについてこう述べています。「人生に宗教的な見方を持つことが問題の最終的な解決策にならなかった人は一人としていない」。

ロロ・メイ:

神とその哀れみに対する信仰についてこう述べています。「そうなれば,宇宙とその中に見られる神のお目的の偉大さを考えて,自分自身が微小で取るに足らないという気持ちを培っていることであろう。……その人は自分の小さな世界よりもずっと大きな世界の中で動く目的があることを認め,その目的と自分を合わせるようねらいをつける。感傷的になることなく,その人は自分が神に依存していることを認める」。

無神論についてこう述べています。「真の宗教とは人生に意味があることを基本的に肯定することであるが,それなくして人間は人格の面で健全であることはできない。……宗教が与えるこの生きる意味が存在しないなら,精神衛生の面でどのようなことが生じるだろうか。言い換えれば,無神論は人格にどんな影響を及ぼすだろうか。……わたしの扱った純粋の無神論者は事実上一人残らず,紛れもないノイローゼ傾向を示したという事実に,私は驚かされてきた」。

[8,9ページの図版]

この広大な宇宙にあってわたしたちは顕微鏡的な存在のように思え,果てしない時の流れの中にあってほんのつかのましか存在しないかもしれません。しかし,わたしたちが地球上で占める立場は類のないものであり,わたしたちの生き方は全宇宙で最も意味深い論争と関係しています

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする