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目ざめよ! 1981
目81 8/8 26–28ページ

聖書を読むと生活は向上しますか

聖書から学んだ事柄を高く評価している一人の人は,「大抵の人は,助言が必要な時でもめったに聖書を開こうとしない」と述べました。そしてさらにこう言いました。「ほかのことならまずどんなことでも試みようとする人が,聖書からの助言であることを事前に知っていると往々にしてそれに耳を傾けようとしない。私にはその理由が理解できない」。

誠実に聖書を学んでいる人々の多くが,この人と同様のことを述べています。しかし,うれしいことに,聖書の助言はいつも退けられているわけではありません。例えば,ある経営者の経験はそのことを示しています。その人は晩年に神のみ言葉の価値を認めるようになりました。この経営者は次のように語りました。「私は大学教育を受け,家には日常生活に関する助言を豊富に与えてくれる本がいっぱいあったので,その種の本に文字通り囲まれていました。それらの本全部を合わせても,聖書が与えてくれる生活上の実際的な指針に比べれば,その10分の1の価値もないことを,遅過ぎるほどの年齢になってやっと悟りました」。その人はさらに,「わたしの生活はどれほど改善されたかしれません」とも述べました。

幸福な結婚生活を送ることなど全くおぼつかなくなっていたある若い女性の場合も,生活に良い変化が生じました。その女性は,「家の中の状態があまりにも悪いので,本気で死ぬことを考えていました」と語りました。しかし,近くに住むエホバの証人の援助を受けて間もなく,その若い女性はこう言いました。「私の結婚生活は聖書研究によって救われました。聖書以外にこうした助けを与えてくれるものはないと確信しています。家は今では幸福な家庭になりました」。

だれもが益を得るか

聖書には日常生活に役立つ助言がたくさん収められています。結婚生活,育児,愛,憎しみ,怒り,自制,けんか,飲食,貸し借り,性の問題,非行,税金,約束を守ること,欺まん,わいろの授受,誉れに関する助言が収められています。また,聖書は他の多くの事柄に対する洞察力を与えてくれます。しかし,神のみ言葉聖書を持ちそれを定期的に読んでいても,それから益を得られないことがあるのではないだろうか,という疑問が生じます。

イエス・キリストは,第1世紀の,聖書を熱心に読んでいた人々に話しかけて,こう言われました。「あなたがたは聖書によって永遠の命を持てるようになると考えて,その中を調べています。そして,これがまさにわたしについて証しするものなのです。でもあなたがたは,命を持つためにわたしのところに来ようとしません」。(ヨハネ 5:39,40)その人たちは聖書を読んでいましたが,それによってイエスが神のみ子であると認めるに至りませんでした。

今日,主イエス・キリストが救い主であることを信じると唱える人は少なくありません。しかし,聖書の要求に調和したクリスチャン生活を送っているというその主張は偽りであることが明らかになっています。神のみ言葉聖書は,淫行の者,姦淫をする者,同性愛者,盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ゆすり取る者,人殺し,偽り者,心霊術を行なう者は神に喜ばれないと述べています。ところが,多くの人は,クリスチャンであると唱えながら,それらのことを行ない続けています。そのような者は「神の王国を受け継がない」と聖書は述べています。―コリント第一 6:9,10。啓示 21:8。

また,聖書の正確な知識という土台の上に聖書に対する“確信”を築いていない人もいます。そのような人々は聖書を信じていると言いはしますが,試みにあうといとも容易に聖書を捨ててしまいます。全時間奉仕に携わるあるエホバの証人は次のような経験をしました。

「ある晴れた日の午後,私は,クリスチャンと称し聖書の教えの擁護者をもって自任する中年の男性を訪問しました。友好的な雰囲気の中で気持ちよく会話を交わしながら,聖書に基づくある見解を述べたところ,その人はそれには同意したくないと言いました。

「私は,その裏付けとして聖句を読むことを提案し,ページをめくりながら,『聖書が霊感を受けて書かれた神のみ言葉であると信じますか』と尋ねました。『信じていますとも』とその人は誇らしげに即答しました。それから聖書を読んで聞かせると,その人は,『そんなことは信じない』とすぐさま言い返したのです」。

今日の大勢の人と同様,その人も,聖書の言葉を高く評価していると言いはしますが,聖書が実際に述べている事柄を受け入れることを好みません。この人のような人々について,使徒パウロはこう述べました。「わたしは,彼らが神に対する熱心さをいだいていることを証しするのです。しかし,それは正確な知識によるものではありません。彼らは神の義を知らないで,自分たち自身の義を確立しようと努めたために,神の義に服さなかったからです」― ローマ 10:2,3。

また,導きとなる聖句がどこにあるかを知っていて,助けが必要となった時に聖書を開くことのできる人が,クリスチャンと自称する人の中に何人いるでしょうか。

偏見のない思いと正直な心

あなたは,生活の諸問題に対する健全な助言を喜んで受け入れる方ですか。安全な将来に関心を持っておられますか。生活を向上させることを誠実に願っておられるでしょうか。そうであれば,生活に対する聖書の確かな指針を適用することによって実際的で有益な結果の得られることがお分かりになるでしょう。

読者の中には,他の多くの人々と同様,偏見のない思いと正直な心を持ち,親に教えられた通りに崇拝を行なってきた方がおられるでしょう。そのような人々は,是認される仕方で崇拝したいと誠実に願ってきました。また,日常生活で直面する困惑を覚える疑問について考えを巡らしてきました。そして正しいのはいったい何だろう,神に喜ばれるものは何かと考えてきました。神は,そのような人々がそれらの疑問に対してご自分の意志と目的に調和した答えを知るよう望んでおられるでしょうか。もちろん,望んでおられます。そして,それらの答えを知るなら,その人たちの生活は改善されます。実例として,次のような経験があります。

「私は敬虔なカトリック教徒だと言われていました。アイルランド人でカトリック教徒だった夫は,定期的に教会へ行ってはいませんでしたが,同様に敬虔なカトリック教徒であると唱えていました。私たち夫婦は幸福に暮らしていました。夫はカトリックの信仰を深めるよう私に勧め,私がエホバの証人と聖書を勉強し始めると,そのことを喜びませんでした。

「私は以前,人生に対して抱いていた自分ではどうしても理解できない疑問の答えを得ようと,司祭に援助を求めたことがありました。また,最近男の子を出産し,息子がどんな世の中で成長してゆかなければならないのだろうかとも考えていました。エホバの証人はそれらの答えを知っていて,私の持っているカトリックの聖書から,そのすべてに裏付けとなる聖句を示してくれました。現在の邪悪な世を終わらせ,犯罪や恐れのない新しい義の世界をもってそれに替えるという神の目的を知って本当にうれしく思いました。

「また,それらの聖書の真理を夫と分かち合うことも大きな喜びでした。初めのうち夫は反対し,カトリックの聖書から示されない限り一切受け入れようとしませんでした。しかし数年を経た現在,夫は真理を受け入れているだけでなく,エホバの証人の会衆で長老として奉仕しています。私たちは今,大きな喜びを感じつつ,自分たちの住む地域の人々に夫婦で一緒に神のみ言葉の真理を伝えています。

「以前は,自分たちの生活は幸福だと感じていたに過ぎませんでした。恐れは取り除かれ,子供たちは喜びの源となっています。他の方々が私たちと同じように神のみ言葉を注意深くお調べになる上で,この経験が励ましとなればうれしく思います」。

世界中で,様々な背景を持つ大勢の人が同様の発言をしています。読者の皆さんはいかがでしょうか。聖書の討議から得られる益にあずかりたいと思われますか。あるいは,これまで,ためらいを感じておられましたか。

一部の人がためらいを感じる理由

聖書の助言をあからさまに退ける人をご存じのことでしょう。そのような人々は,聖書は時代遅れだと言ったり,聖書を持っている人の中にも不幸な生活を送っている人が少なくないという点を指摘したりすることがあります。しかし,次の点を自問してみてください。その人たちが不幸なのは聖書の提案に従っているからでしょうか。それとも,神のみ言葉に従っていないからでしょうか。事実は後者であることを示しています。

世界中に流布している何百万冊もの聖書のうちの1冊を持っているからといって,それだけでその持ち主が聖書の助言に従っているということにはなりません。また,聖書の著者は神であると敬虔に語るからといって,その人が聖書の教えに注意深く従っているとは限りません。前に記した,困惑を覚えるような人生の諸問題に対する満足のゆく答えを見いだした人々の実際の経験から分かるように,聖書の助言はそれに実際に従うとき,地上で幸福に暮らすための最善の導きとなるのです。

しかし,聖書を通読してもそれから十分の益を得られないということがあるのではないでしょうか。確かにそれはあり得ることです。なぜなら,必要なものがほかにもあるからです。

神は必要な助けを備えておられる

西暦1世紀に,イエス・キリストは,ご自分の教えを受け,神のみ言葉を注意深く学んでいた忠実な追随者たちを遣わされました。(マタイ 28:19,20)こうして,それら追随者たちは,心の正直な人々が神のみ言葉から真に益を得られるよう援助を差し伸べることができました。聖書を朗読しながらもその意味を理解することのできなかったエチオピア人に必要な援助を差し伸べるべく,神がみ使いを通してフィリポを遣わされたことが聖書に記録されています。―使徒 8:26-35。

神の指導の下に行なわれる,「良いたより」を広めるこの業は,クリスチャンの生活において有益かつ非常に必要な事柄となりました。キリストを信じ,神の是認を得るのに,像の前や,宗教番組が行なわれているテレビやラジオの前でぬかずけばよいのであれば,終わりの今の時代に,イエスが,全地で家から家へまた戸口から戸口へ伝道するようにという指示を与え弟子たちを遣わされるのはなぜでしょうか。

こう自問してみてください。神が地上の人間のために行なわれることの中で,資格のある代表者を遣わして直接人々と接触させ,都合の良い時間に約束を設け,個人の家でプライバシーを保ちながら,無料で神のみ言葉を人々に教えさせる以上に優れたことがあるでしょうか。このようにすれば,関心を持つ人が質問をし,自分の進度に応じて学べるだけでなく,同様の信仰を持つ他の人々と交わり,その交わりから神の祝福や保護を得られるようになります。

聖書は,この命を救う業を遂行する人が比較的少数であることを明らかにしています。(マタイ 7:13,14。ルカ 10:2)しかしそれらの人々は,神の後ろ盾を得て,人の住む全地で宣べ伝える極めて大規模なこの業を進んで行ないます。(マタイ 24:14)今日この業を行なっているのはエホバの証人と交わっている人々であると断言できます。現在いっそう幸福な生活を送るために,また将来,永遠にわたる輝かしい幸福な生活を確かなものとするためにそれらの人々の援助をお受けになることをお勧めします。エホバの証人は喜んでご援助いたします。―ヨハネ 17:3。

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