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目ざめよ! 1982
目82 6/22 19–23ページ

オーストラリア原住民に生まれて

ジャネット・ストレンジの語った経験

幼いころの記憶にあるのは,サウス・オーストラリア州の乾燥したナラーバー平野で母と暮らしていたことです。ナラーバーには「木が一本もない」という意味があり,白人にとってそのような土地は住みにくい所ですが,私にとってそこはふるさとです。

私は4人姉妹の末っ子でした。私の名前は原住民の言葉でナボナングーですが,私たちが住んでいた土地の教会の宣教師は私をジャネットと呼びました。子供の私たちは毎日母と食物を探しに出掛けたものです。野生のイチゴを採ったり,小動物を捕まえたりしました。実際,私たちは木の上の方までトカゲを追いかけることができました。指で木の皮をしっかりつかみ,つま先を立て,四つんばいになって文字通り「歩いて」登るのです。動物や鳥の鳴き声をまねたり,トカゲの跡を追うことなど難なくやってのけました。

母はトカゲを放して子供たちにその跡をつけさせ,トカゲの居場所を突き止める方法を教えました。私はトカゲを追うのが得意で,トカゲが急いで通ったかどうかを判断することさえできました。もっとも,母にはかないませんでした。よそのキャンプを訪れた時のこと,母が「ここには何々がいるわ」と言ったのを覚えています。母はたくさんの足跡の中からその動物の足跡を見分けたのです。でも私には見分けがつきませんでした。

水を入手することはいつも問題となりましたが,雨の後にできる沼や泉の在りかを覚えておいたり,木を揺すって露を集めたり,木や枝の股にたまった水を集めたり,あるいはモクマオウの木の根から樹液を採ったりして,命をつなぎました。

私たちは土地を耕しましたが,白人のそれとは異なる方法を取りました。土地と共存するよう努めたのです。他方白人は土地を利用して暮らしているように見えました。私は,決して破壊せず,保護するようにと教えられました。理由もなく木を倒したり枝を折ったりすることはありませんでしたし,あらゆる種類の生き物が繁殖できるようにしてやり,絶滅することがないよう守りました。例えば,幾つかの部族は食物の不足する時期に野生の七面鳥のため,種をまき散らしていました。

原住民の部族は,広大な地域を巡り,気候や天候,季節,獲物の移動,植物の種まきや,樹木の結実に左右されながら絶えず移動していました。私たちの生命は移動し続けることにかかっていたのです。移動に際しては,男たちが先頭を進み,年寄りや女子供があとに続きました。

母親は子供が6歳になるまで母乳を与えたものです。干ばつが厳しい時には,妊婦がある種の薬草を用いて子供を下ろす場合が,部族によってはありました。他の民族の場合と違って,母乳の代わりとなる乳を出す動物がいないからです。母親が死ぬと,同様の理由で,赤ん坊が殺されることがありました。大変悲しいことですが,奇形の子供や,双子の片方が殺されることもありました。

原住民の子供たちはがんじょうでした。さもなくば生き抜いてゆけなかったのです。手伝いのできる年齢に達すると,すぐに仕事を割り当てられました。部族の成員各人は何らかの物を運びました。女の子は赤ん坊を運び,男の子は槍や地面を掘る棒を肩に担ぎました。

原住民の“文明化”

私が5歳のころ,生活に幾つかの変化が生じ始めました。政府が私の部族の土地を核実験の用地に選んだため,私たちは南へ移らなければならなくなったのです。それ以後私たちは紅茶・小麦粉・砂糖・野菜など教会の伝道団を通して配給される施し物に頼る度合を深めてゆきました。子供たち,特に白人を父親に持つ混血の子供の多くを“文明化”し,教育する努力が払われました。私もそうした混血児の一人でした。

そのような状況を素早く察知した母は,私に教育を受けさせたいと考えました。もっとも伝道団の学校へ入れることは望みませんでした。というのは,その種の学校に入ると,子供は親から引き離されて学校で読み書きを教えられ,ある宗教の信条を吹き込まれたからです。両親との接触やその影響は方針の妨げとなるということで,子供たちは親元から連れ去られることがよくありました。姉の場合がそうだったので,母は私もそうなることを望まなかったのです。時折,伝道団から子供が逃げ出し,伝道団の職員や,依頼を受けた警察が子供たちを捜しにやって来ることがありました。ですから,見知らぬ人がキャンプにやって来ると,母は必ず私を毛布の下に隠しました。その人の訪問の目的が分かるまで,私はそこでじっと息を殺していました。

母が私をある親切な白人の婦人に里子に出したのはそのような問題を避けるためでした。その婦人はそれまでにも原住民の子供を何人か養育し,その子供たちに読み書きを教え,親との接触を保つように取り計らっていました。しかし,私が12歳の時,その老婦人は亡くなりました。母は涙を流して泣きました。

母は私がそれまで受けた教育をむだにしたくなかったので,私が別の白人の家庭へ行くのを許してくれました。ポートオーガスタに住むその家族は原住民の間でよく知られていました。私がその家へ行った時,そこの奥さんはエホバの証人と聖書を研究していました。私は座ってその討議に耳を傾けたものです。そしてその婦人について王国会館で開かれている集会に出席するようになりました。その後私も聖書を研究し始め,後日婦人と私はエホバの証人になりました。

やがて私は原住民の間で福祉事業に携わるようになりました。工科大学で高等教育を受ける機会が差し伸べられましたが,私はそれを辞退しました。その時までに,別の種類の“福祉事業”のことを考えていたからです。エホバの献身した僕として,私は聖書を教える業に全時間携わるようになりました。その業のため,あちこち移動しましたが,この度は幼いころの移動よりはるかに優れた移動でした。私は原住民がどんな人々かを,またその言語や抱えている問題を知っていましたから,もっぱら原住民と接触することに努めました。

“夢幻時”

これまでお話ししてきたことはほとんど私個人の思い出をたどったものですが,オーストラリア原住民にはほかの思い出があります。“夢幻時”とも呼ばれる一種の部族の思い出です。その中には,部族の歴史や習慣,民間伝承が含まれています。「夢見を失う者は途方に暮れる」ということわざがあります。

この「夢見」にしばしば含まれているのは,昔の先祖が陸地を旅しながら国の地理的特徴を形成していったという物語です。このことからも,原住民が自分の領域もしくは「国」の外に出るとすっかり途方に暮れることがある理由が分かります。原住民は自分の「国」を愛しており,そこに居るとくつろいだ幸福な気分になるのです。なぜなら,「国」以外の土地では,先祖と真に一つになっていることができないと思い込んでいるからです。この「夢見」は,歌や踊り,コロボロリーと呼ばれる特別な集会の時に行なわれる演技によって世代から世代へと伝えられます。今日でも原住民の多くはこのような事柄を固く信じています。

原住民の言語

300ほどの異なった言語(一つの共通祖語から発達したと言われている)があるにもかかわらず,原住民の諸部族間の意思の疎通は極めて円滑に行なわれます。自分たちの言語を,いわゆる幾何学的象形文字にしている部族も幾つかあります。原住民の言語の文法は複雑です。

一人類学者は次のように書いています。「原住民のbe動詞の用法には白人の言語に見られないものがある。それはラテン語とサクソン語の動詞の極めて優れた特徴とケルト語の動詞のそれとを合わせ持っており,そのいずれのものよりも多くの事柄を表現する」。その人類学者はさらに続けて原住民の手まね言語について次のように語っています。「それは,音声言語に十分取って代わり得るほどに発達しており,その知的発達の複雑な緻密さは人間のコミュニケーションの様式の中で比較的まれな存在である」。部族間の会話は手まね言語で行なわれ,声を出してはならない猟の時にも手まね言語が使われます。

悲しい話

経験したり,教えられたりして学ぶことや部族の“夢幻時”から学ぶことに加えて,現在の私は新しい方法で教育を受けられるようになりました。つまり読書することを知ったのです。私の民族が白人と接触するようになった昔の歴史を知ったのは書物からでした。そしてそれを読むのは楽しいことではありませんでした。書物によれば,1770年にキャプテン・クックが到来し,ボタニー湾の船の上で,岸から煙が立ち上るのを見ました。その一筋ののろしは,推定30万の原住民が当時充実した比較的幸福な生活を送っていたことを示していました。200年後の今日,その数は減少し,純粋の原住民は5万人,混血は15万人になっています。残りはどうなってしまったのでしょうか。そのいきさつも悲しい話と関係があるのです。

英語の“civilized(文明化されたという意味)”という言葉は礼儀正しく,親切で,暴力や犯罪に対抗していることを意味します。原住民は文明化されていたと私は思います。各部族は各々の領域を持ち,他部族の領域の境界を尊重しました。原住民は自分たちの土地を管理し,土地を乱開発することは決してしませんでした。交易をしたり,情報を交換したり,結婚を取り決めたりするために,部族同士は定期的に接触しました。

しかし,初期の植民者は原住民のことを文明化されているとはみなしませんでした。彼らは,銃と聖書の不十分な理解をもって,自分たちが文明と考えるものを原住民に押し付けようとしました。それには,土地を所有し,そこに垣を作って耕すことも含まれましたが,これは原住民の全く知らない事柄でした。しかし,原住民のやり方にはそれなりのもっともな理由がありました。原住民権利審議会の委員,M・ベネット夫人は次のように書いてその点を示唆しています。

「オーストラリア原産の動物で,家畜にできる動物はいません。また,オーストラリア原産の植物で,栽培して食糧を収穫できるものもありません。カンガルーの“群れを作る”ことや,カンガルーを使って土地を耕すことは不可能です。肥よくなクイーンズランドに針葉樹の種を持って来て埋めても,植えた人が生きている間にその実を収穫することなどできません。また,降雨量が130㍉ほどで,それも降るかどうか当てにならないオーストラリア中部では,水草を栽培することも不可能です。こうした制約下で,人々が牧羊を営む者,農場を経営する者,都市を建設する者となることは不可能です」。

船で新たにやって来た人々は不法侵入に関する原住民部族のおきてを破ったため,原住民は抵抗しました。全国至る所で,また海上でおびただしい残虐行為が繰り広げられました。銃と槍が対決し,一民族が絶滅寸前に追いやられたのです。

こうして,土地が占領されました。進歩,発展,文明化の名の下に,私たちの森はきこりの斧の前に倒れ,大切な雨が少なくなりました。おびただしい数の,固いひづめを持つ外来の家畜や羊が,足の裏の柔らかなカンガルーに取って代わり,もろい表土を砕いたため,砂丘が形成されることになりました。化学肥料を用いた農業は換金作物の収穫量を高めましたが,生態系を損ないました。オーストラリアだけにしかおらず世界でも珍しい動物が絶滅もしくは絶滅寸前の状態に追いやられました。鉄,ボーキサイトその他の大規模な鉱山が景観を損ない,精錬工場は土地や水や空気を汚染します。

こうした事の結果,元々住んでいた人々は伝道区やその他の居留地に追い立てられたり,町外れの仮小屋住まいをしたりしています。最大の侮辱であると思うのですが,現在原住民は政府の補助金を飲みつぶせるパブに出入りすることを許されており,今になって法律で原住民として認められています。しかし,その法律を制定した人よりも私たちの方がずっと昔からこの地に住んでいるのです。

希望のある将来

移住民が原住民を“文明化”し,キリスト教化なることをしようとして,前述のような進展が見られた中で,宗教は一定の役割を果たしてきました。ですから,偽りの宗教の世界帝国である「大いなるバビロン」の中に,「地上でほふられたすべての者の血が見いだされた」というくだりを聖書から読む時の私の気持ちを理解していただけるでしょうか。(啓示 18:2,24)また,大いなるバビロンがキリスト・イエスによって間もなく滅ぼされるということを読む時の私の反応や,キリストの王国が全地に義と愛に満ちた支配を行なうことを知ったときの喜びを理解していただけるでしょうか。私が自分の同胞にこの喜ばしいたよりをなぜこれほどまでに伝えたいと願うのか不思議に思われますか。―啓示 18:20。

現在,原住民は目的を持たず,根なし草のようです。過度の飲酒や口論やけんかが日常茶飯事となっています。私たちはもはや過去に属しておらず,かと言って現在満足のゆく立場を得てもいません。しかし,多くの人々にとって将来は希望のあるものとなっています。「神の子たちの表わし示されること」を間もなく見るという希望です。その時,全人類,白人もオーストラリア原住民も,そしてあらゆる人種の人々が,神の王国の支配の下で,「腐朽への奴隷状態から自由にされ,神の子どもの栄光ある自由を持つようになる」のです。―ローマ 8:18-21。

私の願いは,同胞の原住民にこの壮大な希望を伝えることです。無理もないことですが,原住民はなかなか白人を信用しません。ですから,同じ原住民である私はこの業にむいていると思います。これまで何年かの間,エホバの僕で自己犠牲的な白人が大勢この希望を原住民に伝えるために長距離の旅行をしました。その中にはディス・パターソン,コリン・メイプルズおよびベン・ブリッケルといった人々がいました。その人たちがこの業のために非常に苦労した話や,認識のある人々が神の王国の音信を聞くために集まった話が伝えられています。私も,主人も,幾年も前に開始されたその業を続けてゆくことを願っています。

オーストラリア全土で幾人かの原住民が王国の音信の重要性を悟り,それにこたえ応じています。それらの人は,白人やオーストラリア原住民それに地上の他のほとんどの人が共通して抱いている考えが誤りであることを認めています。その考えとは,オーストラリアは,最初に発見した原住民のものであるとか,征服した白人のものであるとかいう考えです。どちらも正しくありません。オーストラリアは,それを創造されたゆえに権利を持たれるエホバ神のものなのです。―啓示 4:11。

エホバこそ,オーストラリアばかりか地上のすべての土地を所有していると言うことのおできになる方です。この真理を認識している人々の中にオーストラリア原住民も含まれていることを私はうれしく思います。

[21ページの拡大文]

私たちは土地と共存するよう努めました。他方白人は土地を利用して暮らしているように見えました

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部族間の会話は手まね言語で行なわれ,猟の時にも手まね言語が使われます

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おびただしい残虐行為が繰り広げられました。銃と槍が対決し,一民族が絶滅寸前に追いやられたのです

[23ページの拡大文]

オーストラリアは,最初に発見した原住民のものでしょうか。それとも,征服した白人のものでしょうか。そのいずれでもありません。オーストラリアは,それを創造されたゆえに権利を持たれるエホバ神のものなのです

[20ページの図版]

オーストラリア原産の動物たち

カンガルー

カモノハシ

ウォンバット

コアラ

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