ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目82 7/22 18–20ページ
  • 「神」と呼ばれた人々

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 「神」と呼ばれた人々
  • 目ざめよ! 1982
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 研究が盛んになる
  • 古事記
  • 疑問視されている点
  • 態度の変化
  • 人間にすぎない
  • 真理を探す
  • 現人神への献身 ― なぜ?
    目ざめよ! 1989
  • 神とみなされていた人の葬儀
    目ざめよ! 1989
  • 天皇崇拝から真の崇拝へ
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1998
  • 『わたしは天皇のためにこの身を捨てる覚悟でした』
    目ざめよ! 1992
もっと見る
目ざめよ! 1982
目82 7/22 18–20ページ

「神」と呼ばれた人々

日本の「目ざめよ!」通信員

一国の支配者は大抵,広く知られる立場にあり,その人柄はよく知られているものです。ところが日本の天皇の場合,事情は幾分異なっています。天皇個人に関する情報は広く伝えられておらず,その名前さえめったに使われません。一般の人は,「天皇」とか「天皇陛下」と呼んでおり,日本人でも,ちょっと考えてからでなければ天皇の名前が思い出せないことは珍しくありません。

しかし,天皇は非常に尊敬されており,あがめられてさえいます。その証拠に,皇居で行なわれる正月の一般参賀の日には,バルコニーの防弾ガラスの向こうに姿を見せる天皇とその家族を一目見ようと,大勢の人が詰め掛けます。

しかし,天皇に対する人々の認識は20世紀に大きく変わりました。皇室の家系や,西暦前660年2月11日と公式に定められている建国の日に疑問を抱く日本人さえ少なくありません。それは一体なぜでしょうか。事実はどうなっているのでしょうか。

研究が盛んになる

事実を確かめるのは容易ではありません。ミチコ・Y・アオキ博士は,その理由をこう説明しています。「1945年に先立つ10年間に,日本文明の発祥に関する良識ある研究が公になるはずがなかった。その問題について真剣に研究する人々は直接間接に迫害されたからである。しかし,第二次大戦の終結と共に,そうした研究に対する禁令は解除され,以後,狭量な偏見をもって見られることはなくなった。しかし,日本人の間に長年息づいてきた国粋主義的感情には,今もなお非常に根強いものがあり,それは日本文明の発祥の客観的研究を妨げている」。これは,1974年に書かれた文章です。

現在,日本史の研究者たちは日本の正確な歴史を集大成しようとしており,多くの研究が進められています。考古学者たちは古い村や都城の遺跡を発掘することに余念がありません。また,古墳を慎重に発掘することも許されています。しかし,文字による記録についてはどうでしょうか。

古事記

実のところ,文字による古い記録と言えるものはありません。歴史的に価値のある最初の文書は古事記です。古事記は8世紀(西暦712年)に完成したと考えられています。ですから日本の皇室が設けられたとされている年代との間には1,300年余りの空白があります。文字に書き記されるまでの幾世紀もの間,その情報はどのようにして保存されたのでしょうか。情報をそっくり保存するために語部(語り伝えたり記憶したりすることを職務とした人)が用いられたと言われています。

ある参考文献によると古事記は「年老いた女性の舎人の記憶から編集され,主として短い神話と系譜から成って」います。文字になった別の記録は,日本書紀もしくは日本紀です。日本書紀は古事記よりも幾分詳しく,それより8年ほど後に完成しました。日本書紀は日本語ではなく漢文で書かれています。

この二つの記録を詳しく調べると,天皇が太陽の女神,天照大神の子孫であることを証明しようというはっきりとした意図のもとに作られたことが分かります。1939年になるまで,日本書紀は日本史の教科書として用いられていました。

これらの記録はどれほど明快でしょうか。その点について幾分目安となる一つの例を挙げましょう。日本の最初の天皇は,神武天皇と贈り名されています。ところが,その本名が何であったかは全く分かりません。次に挙げるもののうちどれを取ってもその名前とすることができるのです。ハツクニシラススメラミコト,カミヤマトイハレビコホホデミ,カンヤマトイワレヒコノミコト。

疑問視されている点

日本の学者は,皇統の起こった厳密な年代を記しているそれらの記録を信頼しているでしょうか。そうではありません。「英文昭和史 ― 光陰の50年,裕仁の時代」と題する本の次の言葉に注目してください。父親の大正天皇の崩御の後1926年に即位した今上天皇はこのように紹介されています。「今や裕仁は,ほぼ2,600年に及ぶ歴史を持つ国の『現人神』となった。神武と呼ばれた神裔の先祖から124代目に当たる。学者たちは,建国の正確な年代と共に,皇統譜の初めの部分が大いに疑わしいことに気付いていたが,『愛する臣民』はだれ一人日本の新しい支配者の『既定の』神聖さに疑問を差しはさむことは望まれていなかった」。

1966年,政府は伝統に基づく建国の日である2月11日を正式に祭日としました。しかし,それに対して人々は様々な反応を示しました。比較的最近の論説は,「この日は,歴史的に認められる建国の日として確証されてはいなかった」と述べて反対論を唱えました。

この論説はさらに次のような疑問を投げかけています。「政府が建国記念日を支持するのは,かつて戦前戦中に軍部の指導者が自分たちの目的遂行のため大いに利用した伝説,すなわち神武天皇の即位の記念日である紀元節の復活を意味するのではなかろうかと懸念するのは根拠のないことだろうか」。

この論説からも分かる通り,建国記念日が祭日とされて以来,幾らか論争がありました。賛否両論を唱える人々はそれぞれ,様々な場所で集会を開き,携帯用の拡声器を通して自分たちの見解を言い表わしてきました。しかし,ほとんどの人は,その日の意味するところには関心がなく,ただ,仕事を休めるので喜んでいます。

態度の変化

確かに,過去40年間に情況は変化しました。「日本写真年鑑」という本の1941年版は紀元2,600年を祝う特別号でした。その前書きは次のような言葉で始まっています。『神武天皇國を肇め給うて,悠久こゝに二千六百年,この吉き歳に於て,億兆の赤子,心を一にし聲を合せて,聖壽の萬歳を祝ぎ,皇運の隆昌を讃へ奉る,この歡喜,この感激は,わが日本國民の特有する最大の光榮でなくして果して何であらう』。

当時,紀元節や天皇に関係のある他のどんな事柄に対しても疑問を差しはさもうとする人はいませんでした。天皇は神とみなされ,人々は天皇に不動の忠誠を示しました。国民は全体として,「天皇陛下のために死ぬ」のを名誉なことと考えました。そのようなひたむきな精神はどのようにして生まれたのでしょうか。

それは,1889年に,現在の天皇の祖父に当たる明治天皇の承認のもとに発布された憲法の当然の結果でした。明治天皇は近代日本の生みの親とみなされています。明治天皇は信頼する助力者たちの援助を得て,プロシアの政府形態をモデルにした憲法を起草させました。その憲法は,わけても天皇があがめられるべきであることを明記していました。天皇の地位は『神聖ニシテ侵<オカ>スヘカラス』とされました。天皇の言葉は決定的で,全臣民は天皇に絶対服従を示さねばなりませんでした。

そのことは,仏教的要素を一切取り除いた神道を国教とすることによって強化されました。この宗教を通して,人々は天皇に心からの忠誠を示すよう周到な教育を施されたのです。

人間にすぎない

しかし,第二次世界大戦が日本の敗戦に終わり,そのすべてが変化しました。日本は,長年にわたる歴史を通じて記録に残っているものとしては初めての敗戦を経験しました。日本人は天皇がなぜそうした事態を許されたのかいぶかり,当惑しました。

戦勝諸国は,天皇を戦争犯罪人として裁判にかけるより,自分が神ではなく,そうした教えが誤っていることを天皇自身に宣言させるのがよいと決定しました。

終戦の時に撮影された写真は,皇居前で人々がひれ伏している様子を示しています。その中には泣いている人もいます。戦争を勝利に導くように尽力できなかったことを懴悔しているのです。しかし,1946年1月1日の人々の表情を撮った写真も同じほど当時を雄弁に語っています。その日,天皇は,自分が神々の子孫であるという考えは誤りであることを臣民に発表しました。天皇も臣民と同様死すべき人間であったのです。

国民はその発表に衝撃を受けました。憤慨した人は少なくありません。自殺した人もいます。また,いまだにその発表を信じようとせず,引き続き天皇を神とみなしている人もいます。しかし,30代かそれより若い世代の人に尋ねてみると,天皇が人間より上の存在であると考えたことなど一度もないことが分かります。

真理を探す

確かに,2,600年間とされる期間にわたって,日本の歴代の天皇は神と呼ばれました。しかし今世紀に,かつて多くの人々から神とみなされていた人が,現実に即し,自分が神ではないことを認めました。

当時少なからぬ人が衝撃を受けましたが,それは日本において有益な結果をもたらしています。現在,日本の学者たちは,国定の神話から解放されて日本史の研究を行なうことができ,日本が一国家として存在した長い歴史の間に実際に起きた事柄を見いだそうとしています。

恐らくそれより重要なのは,神が単なる人間ではないという認識が生まれた結果,真の神を探し求めるようになった日本人が少なくないことでしょう。少なくとも9万3,000軒の家庭で,個人や家族がその真の神について学ぶために聖書研究を行なっています。幸い,多くの場合そうした研究は良い成果を生んでいます。現在6万6,000人余りの日本人が,単に日本のみならず全宇宙の創造者また主権者であられるエホバを知るようになりました。そして,エホバに仕えることにより,人間の“神”に仕えることによってもたらされるよりはるかにすばらしい祝福を享受しています。

[19ページの図版]

神武天皇の銅像

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする