裕福な国々の女性
欧米では,19世紀中,大抵の男性は,女性の方が劣っているというチャールズ・ダーウィンの説に同意していたようです。そのため,女性の自由は制限されていました。女性は限られた教育しか受けられず,選挙権も与えられていませんでした。一度,結婚すると,女性の所有していた富は何であれ,夫の管理下に置かれました。また,大抵の職業や専門職から女性は締め出されていました(もっとも,貧しい女性は男性よりも低い賃金で工場で長時間働きました)。道徳面では,純潔無垢であるよう求められていました。ところが,これは男性には必ずしも求められていませんでした。
その後,女性が立ち上がりました。長年にわたる闘争の後,ようやく選挙権が与えられ,それに続いて,他の障壁も崩れてゆきました。これまで以上の教育を受ける機会が女性に与えられ,かつては男子のためだけだった専門職や他の職業にも女性が受け入れられるようになりました。今日では,女性の政治家・判事・医師・弁護士・機械工・運動選手・科学者・社長・兵士・警官などがいます。また,自由放任の社会では,望むならば男性同様,“不道徳”な人間になることさえできます。
しかし,依然として女性が入り込むことの難しい専門職がある一方,女性の賃金は平均して男性の賃金の3分の2程度のままです。また,いまだに男性の残忍さに苦しめられている女性もいます。夫に捨てられて独りで子供たちを育てなければならない女性や,夫が飲酒や賭博その他の悪徳にふけって時を過ごしている間,家庭をまとめてゆくために懸命に努力しなければならない女性もいます。さらに,婦女暴行の犠牲になる女性は数知れず,また激しく殴打される妻も数知れません。そのため,女性解放運動などの支持者はさらに変化を求めて闘争を続けているのです。
闘争が続いているとはいえ,かつては“男の世界”であった分野で今や女性が多くの機会に恵まれていることは否定できません。これは一つに,歴史上初めてのこととして,既婚の女性がある程度子供の数を制限できるようになったためです。その結果,子供を持たずに,仕事に打ち込んで身を立てる道を選ぶことさえできるようになりました。
こうしたより広範な自由を高く評価する人は少なくありません。しかし,このような自由は20世紀の女性にとって新たな問題をもたらすものともなってきました。
どうしたら分かるだろうか……
アメリカのプリンストン大学の1年生である一女子学生はこう言いました。「母親になることは私にとって大切なことです。仕事もやはり大切です。どちらを選ぶかは楽しいことではありません」。もう一人の若い女性は次のように言い表わしました。「今では選択の自由があるからこそ昔よりも難しくなったとさえ言えます。ふさわしいことを行ない,幸福にならなければならないのです。でも,何が幸福をもたらすかは,どうしたら分かるでしょうか」― ニューヨーク・タイムズ紙。
女性はどのようにしてこの問題を解決していますか。自分の仕事を犠牲にして,家にとどまり,子供を育てる女性は少なくありません。一人の女性は,「今でも私は子供たちのことを何よりも優先させています。仕事を進めることをやめました。私の考えでは,子供たちこそ私が社会に貢献できる最も重要な手だてとなるものだからです」と語っています。しかし,このような選択をした人の中には,“ただの主婦”とみなされることで惨めな気持ちになると言う人もいます。
別の道を歩む人もいます。自分の考えている仕事が価値のあるものと感じ,子供をもうけることを犠牲にするのです。また,家庭と仕事を両立させようとする人もいます。それはどのようにして可能になるでしょうか。ある広報会社の女性社長はこう答えています。「すべてを自分のものにすることはできますが,いつも疲れを感じることを覚悟していなければなりません」。
この選択は容易ではありません。とはいえ,女性が興味深い仕事の方を選んだとしても,そこで問題が終わるわけではありません。
代償を払うことになる
精神分析学者であるルース・モールトン博士はこう語っています。「私の所に来る患者の中には消化性潰瘍にかかっている人が幾人かいます。この病気はかつてほとんど男性にしか見られないものでした。偏頭痛を訴える患者も増えています。また,特に喘息性および気管支系のアレルギー症が著しく増加しているのを見てきました。この種のアレルギーの場合,心配事があると,せきや,ぜいぜい息をする症状が悪化します」。
内分泌学者のハンス・セリエ博士は,かつては男性にゆだねられていた職に就く女性が多くなればなるほど,「心筋梗塞,胃潰瘍,高血圧など,いわゆる男性病にかかる女性も増えている。女性は男性同様の満足を得るが,それには代償を払わねばならない」と語っています。―サンデー・ニューズ・マガジン誌(ニューヨーク)。
こうして,女性が男性と同じ見込みにあずかるようになるにつれ,男性と同じ病気にもあずかるようになっています。
これが本当の自由だろうか
この新しい自由はまた,隠れた仕方で女性を犠牲者にしています。自由放任の社会は,“古臭い”道徳律を捨て,もっと規律を緩めることを女性に勧めます。現代の避妊法は望まれない妊娠の脅威を(ある程度まで)除く一方,現代医学は性病を(ある程度まで)制御できるようになりました。しかし,若い女性は不道徳に関連してほかにも問題があることに気付いています。感情面の代償も払うことになるのです。
ある女性コラムニストは次のような鋭い論評を加えています。「女性が若い時にだれとでも寝るのはふさわしいことではないと,私は思う。なぜなら,若い女性は上品で,理想が高く,温かい心の持ち主であり,食い物にされるのではなく,人間として育ってゆくべき存在だと思うからである」。このコラムニストはさらにこう続けています。「女性は単に性的な能力のためだけでなく,自分自身が高く評価されていることを感じる必要がある。……結局のところ,乱交は,自分が何の価値もない人間であることを女性に感じさせるものである」― サンデー・テレグラフ紙(ロンドン)。
女性が労働力として職場に入るにつれて直面する別の危険は,性的な面で悩まされることです。米国では,「[ある政府部局の]女性の50%あるいはそれよりも多少多い数の人が……性的な面で悩まされた事例を報告している」と言われており,それは流し目を使うことから強姦にまで及んでいます。―ニューヨーク・タイムズ紙。
ほかにもさらに二つの問題があります。第一に,女性が成功して夫よりも多くお金をかせぐようになると,夫は挑戦を受けていると感じ,不安を覚えるようになります。これは結婚関係に深刻な緊張感をもたらすおそれがあります。ある女性は不動産業で成功していましたが,この問題のために,その仕事を辞めることに同意しました。
二番目の問題ですか。「女性は全時間の仕事に就いている場合でも,相変わらず家庭内の仕事や育児の責任を担っている。これとは反対のことが美辞麗句を並べて言われてはいるが,社会各階層の間ではほとんど違いがない。実際のところ,女性は40年前よりも今の方が不自由であると言えるかもしれない」― ザ・ガーディアン紙(ロンドン)。
女性の多くは恐らく家にいることを好むでしょう。しかし,家計を助けるために働き,その上家事一切を行なわなければならないとしたら,重い荷を負っていることになります。
だれの責任か
このように,ある見方からすれば,女性の置かれた立場は以前よりよくなってはいますが,問題がなくなったわけではありません。それはどうしてでしょうか。
言うまでもなく,その責任は男性の側にもかなりあります。職場で若い女性を悩ませたり乱暴にも婦女暴行に及んだりして,「肉の業」をあらわにするのは男性です。(ガラテア 5:19)「自分を愛する者……自然の情愛を持たない者」となって,妻を利己的な仕方でだましたり殴ったりするのは夫です。(テモテ第二 3:2,3)また,思いやりがなく,家事が辛い肉体労働であることを多分認識せず,手伝ってもらえば妻はありがたく思うということなどに気付かない男性もいます。
しかし,伝統や文化にも責任のある場合がよくあります。ある仕事は“男の仕事”で,ある仕事は“女の仕事”であるという伝統的な考え方があります。そのため,家事を手伝ったり,畑で“女の仕事”を幾らかすることなどはきまりが悪くてとてもできないという男性は少なくありません。人から笑われるのを恐れているのです。
さらに,責任の一端は現代の世界にもあります。女性(および男性)実業家が潰瘍にかかる原因とされる圧力を生み出しているのは現代の世界です。現代の世界は,「いけません」と言うのを恐れる若い女性を犠牲にする“性の自由”を生み出し,職場での性的に悩ます行為にも目をつぶっています。また,現代の世界は女性が二つの非常に強力な欲求のいずれかを選ばなくてはならない状況をも造り出しています。
こうした問題に対処する何らかの助けがあるでしょうか。確かにあります。このような問題を首尾よく処理している幾人かの女性をご紹介いたしましょう。