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目ざめよ! 1983
目83 3/8 21–24ページ

アルコール中毒者との生活

主人が何もせず朝から晩までただ酒びたり,ということが幾週間も続きました。酔いつぶれ,目を覚ますと再び飲み始めるのです。職場は首になり,我が家の経済状態は日に日に悪化していました。主人の健康状態は悪くなっており,後どれほど生きていられるかも定かではありませんでした。『これから先,一体どんなことになるのだろうか』と思いました。

結末をお話しする前に,どんないきさつがあって私たちが人生のこうした危機的な段階に達することになったかをご説明しましょう。

私が今の主人と出会ったのは1947年のあるダンス・パーティーの折でした。彼はパーティーに来た時には既に飲んでいて,その晩のパーティーが終わるまでに,テーブルにのって踊っていました。その週のうちに,彼は私のところへ訪ねて来ました。この時は酒気を帯びておらず,一緒にとても楽しい時を過ごしました。私たちには共通点が沢山あったので,求愛するようになりました。

プロポーズをした晩,彼は一びんのアルコール飲料を持っていましたが,酩酊してはいませんでした。私たちは結婚と子育てとが軽々しく扱えない問題であることを長い時間話し合いました。私はアルコール中毒者と一緒に生活する気はないと彼に告げました。それを聞いて,彼は持っていたびんを投げ捨て,これを限りに二度と飲まないと約束しました。私はとても幸福でした!

しかし,結婚後ほどなくして主人は再び飲むようになりました。その後,年がたつにつれて,主人に対する恐れが強くなってゆきました。主人の行動は全く予測がつかないものだったのです。爆発寸前の火山のようでした。

主人は深酒を続けただけでなく,職場で賭博に手を出すようになり,その結果容易ならぬ経済的な問題を抱え込むことになりました。給料日というと,必ず言い争いがありました。主人はもっともっと飲めるようにと,私にくれるお金をいよいよ減らしてゆきました。集金人が幾度も幾度もやって来ました。

『私をこんな目に遭わせて,よくも愛しているなどと言えるものだ』と思いました。パートタイムの仕事をしていたので,私は時として請求書の支払いを助けるためにお金を工面していました。

時には我慢しきれなくなって,「自分のなさっていることがお分かりにならないの? 私も娘も神経がまいってしまっているのよ!」と懇願しました。

すると主人はすぐに,「お前はオーバーだよ! 1杯か2杯飲んだだけじゃないか。1週間にボトル1本も空けてはいないぞ」と言い返します。実際には1日にボトル1本を空けていたのです!

私の人生は矛盾だらけでした。ある時主人は私に花やキャンデーなどを持って来てくれたものです。『やっぱり私のことを愛してくれているんだわ!』と考えると,主人について恐ろしい事柄を考えてしまったことで罪悪感を覚えました。主人がとてもよくしてくれていたので,主人の飲酒は私のせいに違いないと自分で考えました。私が変わりさえすれば,主人もこんなに飲むことはないだろうと思いました。

主人は酒量を減らすと幾度も約束し,数日後には私の助けを得て必ずや禁酒できると思えました。しかし,その週の終わりには,これまで以上に飲んで,失われた時の埋め合わせをしていました。その度に,私は絶望感に打ちひしがれたものです。

主人は幾度かアルコール中毒者自主治療協会へも出向きました。その会合ではアルコール中毒のことについての話し合いがありましたが,主人は自分はそんなことを聞く必要はないと感じました。問題は家庭にあると主人は考えていました。私と私の希望は打ち砕かれ,一杯食わされたように思えて,腹が立ちました。

私の感情は目まぐるしく変わりました。喜び,罪悪感,自己嫌悪,うらみ,苦々しい気持ち,主人に対する憎しみ,出て行ってしまえばよいと思う気持ち,主人がそうするのではないかという恐れなどの感情がグルグル回っていました。全く絶望的に思えました。

長年の間こうしたことに対処しようと努めた末,私は自分をどうにも抑え切れなくなりました。ある日のこと,絶望的な気持ちになって車に乗り,何となくドライブを始めました。そしてある小川のほとりに行き着きました。とても穏やかで,のどかでした。川岸に腰を下ろし,自分の絶望的な状況について考えました。穏やかな水面は磁石のように思えました。この水の中に身を投げることができさえすればよいのに……

すると突然,私のことを呼ぶ声がしました。近くに住む婦人が私を見掛け大丈夫かどうか見に来てくださったのです。それで,私は自分の車に乗り,家に帰りました。

この後ほどなくして,事態はさらに悪化しました。主人は自分の命を絶つことについて話すようになり,どのようにしてそうするかを私に話すことさえしました。「お前もおれがいない方がいいだろう」と主人は言いました。それを聞いてうれしいと思った反面,同時に狂乱状態にもなりました!

翌朝,私は自分が何かしなければならないことが分かっていました。アルコール中毒者自主治療協会と連絡を取ったところ,同じような状況に直面したことのある婦人で,付近に住んでいる人を紹介してくださいました。その女性はアルコール中毒者を抱えた家族の成員からなる地元のグループの会合に出てみるよう勧めました。そこで私は幾つかの会合に出席しました。

出席した人たちは,夫の飲酒を自分のせいにすることは実際にはできないことを悟らせてくれました。主人は私と会う前から酒を飲んでいたのです。出席していた人々は自分自身を制することができるようでした。そして快活で,自分たちの気持ちを率直に話し合っていました。次の日のことを思い煩わずに,一日一日を着実に生きているのです。それこそ私がしなければならないことでした! たとえ同じ問題がそこにあるとしても,今日という日だけでも自分の扱える限り有りとあらゆる思い煩いがあるということを認識しなければなりませんでした。そして,マタイ 6章34節にある,「次の日のことを決して思い煩ってはなりません。次の日には次の日の思い煩いがあるのです」というイエスの言葉を思い起こしました。

同時に,そこにいた婦人の幾人かは,依然として自分たちの夫に幾らか苦々しい気持ちとうらみを抱き,夫について不満を述べ,夫の欠点を話していることが見て取れました。私はそれに加わらず,何も言わずにいました。

しかし,アルコール中毒者と一緒に生活することについてその人たちが話すのに耳を傾けながら,私は数々の有益な事柄を学びました。私の学んだ一番大切な事柄は,自分がこれまでしてきたように,主人をかばってその飲酒の引き起こした出来事をうやむやにしてはいけないということでした。むしろ,飲酒が引き起こしている様々な問題を主人が悟るよう助けなければならないのです。消極的な考え方を長年続けてきましたから,それを克服するには並々ならぬ力が必要とされましたが,私は心を決めていました。それらの提案を当てはめていったのです。

その後ほどなくして絶好の機会が訪れました。私たちは病気で熱を出している孫の子守りをしなければなりませんでした。私は少しの間外出しなければならなかったので,主人にその男の子を見ていてくれるよう頼みました。私は職場から電話を入れ,飲酒について主人に注意を促しました。主人は孫の面倒をよく見ると請け合いました。

私が出掛けてから少しして,娘が自分の息子の様子を聞くために電話を入れました。驚いたことに,幼いその子が電話に出たのです。「おじいちゃんは寝てるよ」とその子は言いました。娘は恐怖におびえてしまいました! そして,「おじいちゃんを強く揺すって,起こしなさい」と言いましたが,孫はおじいちゃんを起こすことはできませんでした。酒を飲んで酔いつぶれていたのです。それを聞いて,娘は受話器を置き,飛んで行きました。

主人がようやく我に返ったのは1時間ほど後のことで,その時には私も家に帰っていました。主人はどうして自分のことを起こさなかったかと尋ねましたが,まだ酩酊状態にあったので,私たちはほとんど何も言いませんでした。これまで通りであれば,それっきりになっていたことでしょう。怖くて何も言い出せなかったでしょう。しかし,その時私は,主人をかばってその飲酒の引き起こした事柄をうやむやにしてはならないことを知っていました。主人はどんなことが起きたかを知らなければならないのです。そこで翌朝主人に事実を突き付け,どんなことが起きたかを詳しく話しました。「うちのかわいい孫にどんなことが起きていたかもしれないか,お分かりですか」と私は尋ねました。それは主人にかなりこたえたようで,「あの子を死なせていたかもしれないね」と事実を認めました。

それでも,数か月後のある時に,主人は一晩飲み明かしました。しかし,翌朝目を覚ますと,病院に連れて行ってくれるよう私に頼みました。もう体が限界にきていたのです。そこで主人に,医師のところへ電話を入れ,取決めを設けるようにと言いました。病院に着くと,主人は自分の方から入院させて欲しいと言い,2か月間治療を受けました。

それから既に数年がたちましたが,私たち二人の生活は良い方向へ,良い方向へと向かっています。それは私たちどちらにとっても生易しいことではありませんでした。私たちは絶えず自分たちの考え方や動機を守らなければなりません。

私にとって大きな助けとなったものがほかにもあります。それはエホバと私との関係です。それは自分の抱いていた苦々しい気持ちやうらみを克服するのに役立ちました。たとえ主人がどんなことをしようとも,エホバは私がそのような気持ちを抱くことを快く思われないことを知っていたからです。(コロサイ 3:13,14)エホバが愛と憐れみに富まれる父で,私たちの過ちを探し求めたりはされないことを知るようになったのは,実に大きな励みになりました! このことは私の罪悪感を大いに和らげてくれました。―詩編 103:9-12; 130:3,4。

私が日夜祈りをささげると,エホバはご自分の霊と力を与えてくださいました。自分の抱くクリスチャンの信条を定期的に他の人に伝えることにより,私は自分の希望を生き生きとしたものに保つことができました。また,私が出席したクリスチャンの集会やクリスチャンの兄弟姉妹たちの愛ある交わりとに深く感謝しています。こうしたものなしに,私は耐えることができなかったと思います。

言うまでもなく,アルコール中毒者と一緒に生活する方法を学び知ってうれしく思っています。次の日のことを思い煩わずに一日一日を着実に生きてゆくことを学んだのは,思い煩いを制御するのに大いに役立ちました。特に,主人をかばったり守ったりしてその飲酒の引き起こした事柄を膚で感じられなくするようなことがあってはいけないという点を学び,益を受けました。そのような見識がなかったなら,どんなことになっていたか分かったものではありません。―寄稿。

[23ページの拡大文]

飲酒が引き起こしている様々な問題を主人が悟るよう助けなければならないのです

[22ページの図版]

私が学んだ一番大切な事柄は,自分がこれまでしてきたように,主人をかばってその飲酒の引き起こした出来事をうやむやにしてはいけないということでした

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