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目ざめよ! 1983
目83 7/22 22–24ページ

神に母がありますか

救急車がローマ市内のジェメリ病院に急行中,「ヨハネ・パウロは,激しく出血する中で,『聖母様,聖母様』とポーランド語で静かに唱えていた」。これは,1981年5月,あるトルコ人がピストルで法王ヨハネ・パウロ2世の暗殺を謀った事件を伝えたニュース記事です。

法王は,恐ろしい危機の中でマリアに哀願することにより,神から選ばれて大きな特権に恵まれた女性に向けられている崇敬の念を強調しました。その女性はイエスを生んだ女性で,しばしば神の母と呼ばれています。マリアに対するこうした崇敬は広範囲に見られ,さまざまな形で行なわれています。そのために人々は,『このマリア崇拝はどのようにして発達したのだろう』と考えます。

今から約2,000年の昔,ガリラヤのナザレに住んでいた若い処女マリアは,ある崇高な経験をしました。ひとりの天の使者がマリアに向かって,あなたは一人の息子を生むでしょう,その子をイエスと名づけなさい,と告げたのです。それでマリアは,私は処女ですのにどうしてそのようなことがあるのでしょうか,と尋ねました。「天使は,『聖霊があなたに下り,いと高きものの力のかげがあなたをおおうのです。ですから,生れる御子は聖なるお方で,神の子といわれます。……』と答えた」― ルカ 1:26-36,バルバロ訳。

30年後にその「神の子」はダイナミックな伝道活動を展開して,クリスチャン会衆を組織しました。続く数世紀の間にキリスト教は大いなる患難を経験し,また変化を経,やがてローマ帝国の公認の宗教となりました。意見の相違も出てきました。キリストは子なる神か,それとも神の子かというキリストに関するものもその一つでした。

クリスチャンと称しながらまだバプテスマを受けていなかったローマ皇帝コンスタンティヌスは,西暦325年,ニケアで教会の司教たちの特別な公会議を召集し,この問題を検討させました。その結果,三位一体の教義が公認教理となりました。同教義の定義によると,イエスは神と同等であり,神と同様に永遠であり「本質において一つ」です。しかし,同公会議で明確な形をとった原ニケア信条の中では,処女マリアのことは述べられていません。

イエスを公式に「神」と宣言したので,教会の見地からすれば次の段階は当然マリアを「神の母」と宣言することでした。このことは西暦431年に開かれたエフェソス公会議で行なわれ,マリアはこの公会議で「セオトコス」と定義されました。これは「神を生んだ者」すなわち「神の母」という意味です。しかし,マリア崇拝a が本当に広まるまでには何世紀もかかりました。F・ファン・デル・メール博士は自著「司教アウグスティヌス」の中で,アウグスティヌスの時代(5世紀)に,北アフリカの地域では,「一般の人々の信仰の中でマリアは……何の地位も占めていなかった」ことを示しています。それでも,西暦1000年ごろになるとマリア崇拝はヨーロッパ全土で盛んになり,マリアの名にちなんだ名前を持つ教会がたくさんできました。パリにある有名なノートルダム(我らの聖母)寺院などがそれです。

1854年には,マリアはその母の胎内に宿った瞬間から罪のない者になったとする「無原罪の御やどり」なる教義が教理となりました。そして1950年には,法王ピウス12世が,マリアは肉体のまま天に昇ったという信条(聖母被昇天)の教理宣言を行ないました。こうしたことはすべて,マリア崇拝を推し進める運動や,とりわけマリア崇拝に熱心な人々にとっては大変喜ばしいものでした。

カトリック教徒の著述家ソルト・アラディは自著「聖母にささげられた世界各地の聖堂」の中で次のように書いています。「マリアは,壮麗な大寺院や道端の小さなほこらから,また山々の頂やあちこちの海岸から……諸国民を見守っている。……マリアへの崇敬の念は……風景の中に溶けこんでいる。幾千という教会が,おもにカトリックとギリシャ正教会であるが,プロテスタントでも,マリアの教会とか聖マリアの教会と呼ばれている」。

スペインのサラゴサには,ラ・ビルヘン・デル・ピラール(柱の聖母)として知られている有名なマリアの像があります。この地方にある伝説では,マリアはみ使いたちによってエルサレムからサラゴサに移され,そこで使徒ヤコブに会い,「てっぺんに彼女自身の美しい彫像のある碧玉の小さな柱」を残して去ったとされています。「聖母にささげられた世界各地の聖堂」という本には,「大事なラ・ビルヘン・デル・ピラールに対するサラゴサ市民の感情は……彼らの愛国主義,彼らの国民的感情とからみ合っていて……彼らはマリアを自国の指導者と断言してはばからない」。

南米では1930年に,アルゼンチン,ウルグアイ,パラグアイの各国が,ある土地にあった像,つまりルハンの聖母を自国の保護の女神として認めました。アラディは次のように付け加えています。「最近アルゼンチン陸軍はルハンの聖母を保護の聖人に選んだ。そして古い習慣に従い,一つの連隊が聖母への奉仕にささげられた。この連隊は聖母の“財産”となり,その連隊の成員はすべて聖母を,『ラ・ヘネラーラ・デル・ルハン』[ルハンの婦人将軍]と呼ぶ」。

国家指導者,軍司令官,人類の女性共同贖罪者,すべての人の母,あらゆる聖寵の仲介者,全被造物の女王,神の母,天の女王 ― このように多くの称号と誉れがマリアに与えられています。その結果,多くの考え深いカトリック教徒は,これは少し行き過ぎではないかと真剣に考えています。プリンストン神学校の神学のある準教授は,「我々がマリアに関して行なった事実の歪曲には限りがない。……我々はマリアを天の女王にしてしまった」。

しかし聖書は何と述べているか

誠実な気持ちで聖書を研究する人々は,メシアの母としての重要な役割を果たすべく神により選ばれた忠実な神の僕としてのマリアに,深い敬意と温かい愛を抱いています。イエス・キリストの謙遜な,そして献身的な追随者としての彼女の模範を高く評価しています。しかし,マリアを神の母とは考えていません。なぜなら,神の言葉聖書には,マリアが「神の母」と呼ばれているところは一箇所もないからです。

カナにおける婚宴の席でご自分の母と話された際にイエスご自身が示された模範に注意してください。次のように記述されています。「ぶどう酒がなくなったので,母はイエズスに,『あの人たちにぶどう酒がなくなりました』といった。イエズスは,『婦人よ,それがわたしとあなたとに何のかかわりがありましょう……』とおおせられた」。(ヨハネ 2:3,4,バルバロ訳)イエスが大勢の人の前で話をしておられた時のこと,群衆の中にいたある女がイエスに,「しあわせなこと,あなたを宿した母,あなたが吸った乳房は!」と言いました。ご自分の母に特別の誉れを帰する絶好のチャンスであったことは明らかです。ところがイエスはそうする代わりに,「むしろしあわせなのは,神の御言葉をきいてそれを守る人だ」と言われました。(ルカ 11:27,28,バルバロ訳)イエスは亡くなられる直前に,ご自分の母と,愛する弟子ヨハネに向かって,「『婦人よ,これがあなたの子です』とおおせられ,また,弟子には,『これがあなたの母です』とおおせられた」のです。―ヨハネ 19:26,27,バルバロ訳。

誠実なクリスチャンたちには,聖書に見られるマリアへのこうした言及は,イエスがご自分の母親に特別の誉れを与えないよう,あるいは親子の関係に影響されないよう,非常な注意を払っておられたことをはっきりと教えるものであることが分かります。使徒たちはその模範に倣いました。では次の難問を調べてみることにしましょう……

イエスは神か

この場合にも,神の言葉によって問題を明確にすることにしましょう。マリアに対してイエスの誕生を発表した時,そのみ使いは,「生れる御子は聖なるお方で,神の子といわれます」と言いました。(ルカ 1:35,バルバロ訳)イエスが,わたしは神である,と主張されたことは一度もありませんでした。それでもユダヤ人は,イエスが自分を神としたと非難しました。それでイエスは彼らの間違いを正し,「私は神の子だ」と言われました。―ヨハネ 10:33-36,バルバロ訳。

イエスは亡くなられる直前に,「私の神よ,私の神よ,なぜ私を見すてられたのか」と叫ばれました。(マタイ 27:46,バルバロ訳)また復活後イエスは,「私の父,またあなたたちの父,私の神,またあなたたちの神のもとに私は上る」と言われました。(ヨハネ 20:17,バルバロ訳)別の時には,「父は,私よりも偉大なお方だからである」と言われました。(ヨハネ 14:28,バルバロ訳)神すなわちエホバ(もしくはヤハウェ)にはだれにも祈る必要のないことは明らかです。しかしイエスは,天の父に度々祈りをささげられました。時には「大声の叫びと涙とをもって」祈られました。「かれは子であったが,その苦しみによって,従順をまなび」ました。(ヘブライ 5:7,8,バルバロ訳)父なる全能の神が死ぬことは決してあり得ません。ところが,わたしたちの救いの希望は,イエスが実際に死なれたという事実にかかっているのです。

以上のような理由や,他の非常に説得力のある数々の理由に基づいて,真のクリスチャンたちは,イエスは神ではなく,むしろ神のみ子であると信じており,したがってマリアは「神の母」ではないと考えています。さらに,イエスは「神は霊であるから,礼拝者も,霊と真理とをもって礼拝しなければならぬ」と言われたことがあります。(ヨハネ 4:24,バルバロ訳)一方マリア崇拝は,無数の誠実な人々の信仰と崇拝を創造者から一被造物にそれさせました。「神の真理をいつわりに変え,創造主の代わりに被造物を拝み,それをとうとんだ」者たちを聖書が罪に定めていることを考えると,これは悲劇と言わなければなりません。―ローマ 1:25,バルバロ訳。

人気のあるポーランドの指導者レフ・ワレサは,非常に緊張した状態のもとに置かれた時,「いや,いや,わたしは恐怖など感じていない。わたしの背後にはいつも聖母マリアがいてくださるから」と言ったと伝えられています。しかしワレサは,本当に保護を与えることのできる方に頼っているでしょうか。聖書研究者たちなら,重圧のもとに置かれた時には,霊感によって書かれた次の助言に従うでしょう。「何事も思い煩ってはなりません。ただ,事ごとに祈りと祈願をし,感謝をささげつつあなた方の請願を神に知っていただくようにしなさい。そうすれば,一切の考えに勝る神の平和が,あなた方の心と知力を,キリスト・イエスによって守ってくださるのです」― フィリピ 4:6,7。

[脚注]

a 「一般の用法では,『devotion to Mary(マリア信仰)』という表現と『cult of Mary(マリア崇拝)』とは同意語」― 新カトリック百科事典,第9巻,364ページ,4節。

[23ページの図版]

柱の聖母

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