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  • 異なった種類の鳥 ― ハリケーン・イーバ
  • 目ざめよ! 1983
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目ざめよ! 1983
目83 8/8 14–15ページ

異なった種類の鳥 ― ハリケーン・イーバ

イーバとは,ハワイ語でグンカンドリのことです。ところが,1982年11月23日の木曜日にハワイ諸島を襲ったのは,異なった種類の鳥でした。イーバは,ハワイ語の名前を与えられた最初のハリケーンで,めったにないことながら,ハワイ諸島に対して自然の力のものすごさを示しました。1959年以来ハワイを襲った暴風雨の中でも最悪のイーバは,風速約50㍍の勢いでニイハウ島,カウアイ島,オアフ島に大打撃を与えました。

この暴風雨の直撃を受けたカウアイ島では,8軒に1軒の割で家が破壊されるか,人の住めない状態になりました。他の建造物もほとんど皆,大小さまざまな被害を受けました。至る所で樹木や電柱が倒れ,電線が切れ落ち,道路は通行不能となりました。かろうじて立っている樹木の中にも,葉や枝をもぎ取られたものが多く,暴風雨の力を強烈に印象づけました。8ないし9㍍の高波が強風による被害に追い打ちをかけ,海岸地帯の家や分譲マンションやホテルを破壊しました。

オアフ島では,北部と西部の海岸が風と高波にひどくやられましたが,島全体の損害は比較的軽いものでした。他の二つの島では,あらしが吹き荒れている間停電し,全島が真っ暗になりました。オアフ島の幾つかの地域ではその晩遅くに電気が再び来ましたが,当局者の考えでは,他の二つの島全体に電気を送れるようになるには少なくとも1か月かかるということです。驚いたことに,この暴風雨による死者はわずか一人,負傷者も比較的少数であり,しかもその大部分は軽傷でした。

ニイハウ島とカウアイ島のエホバの証人のうち,物質的な損害を被った人は大勢いましたが,負傷者は一人も出ませんでした。クリスチャンの長老たちはすぐに会衆内のすべての人々に電話をしたり,訪問したりして安否を確かめ,必要とされるものすべての世話をしたのです。長老たちは,訪問した人々を励ますことができただけでなく,自分自身の個人的な体験に加えて,暴風雨の勢力やその破壊の様子についてじかに情報を得ることができました。

一人のエホバの証人はこのように語りました。「巨人の手で揺さぶられているかのように,家全体がガタガタ揺れました」。この人は,家から逃げなければならない事態を考えて,台所のドアを開けようとしましたが,ドアを押しつける風の力があまりに強く,ドアを動かすことができませんでした。その人はこのように述べています。「窓の外に目をやると,家の外にあった,4台の自動車を入れる車庫兼物置が滑走路の端にある飛行機のように震えているのが見えました。それから右の方に傾いたかと思うと,空中に舞い上がり,見えなくなりました」。

日本人の年配のあるエホバの証人は,家の屋根があらしで吹き飛ばされるのを目撃しましたが,居間のすみの方にいたために保護されました。この婦人は,ひどく興奮していたので恐ろしいとは思わなかった,と述べています。そして,「でも,祈ることを忘れるほど興奮していたわけではありません」と付け加えました。

海岸にある家を立ち退かなければならなかった人もいます。エホバの証人の一家族は戻ってみたところ,自分たちの家が高波によって12㍍も移動しているのを発見しました。しかしその家は,無傷で,新しい場所にきちんと納まっていたのです。家に入ってみると,一枚のお皿以外,何も壊れていませんでした。

農産物倉庫の所有者を夫に持つあるエホバの証人はこう語っています。「夫の倉庫は,強風によって跡形もなくなるほど壊されてしまいました。ほとんど無傷で残っている唯一の場所は,主人が会衆の書籍研究のために使わせてくれている部屋です。そのために主人の従業員の一人は,『あの人たち(エホバの証人たち)にこの建物全体を使ってもらえば,何も吹き飛ばされずにすんだのに』と言いました」。

この暴風雨と,その後の混乱状態に付け込んで,略奪を働いたり個人的な利得を得たりする人もいましたが,地域社会の人々は概して,他の人に対する関心と気遣いを示しました。島々のほとんど大部分で,協力と,地域社会内の助け合いというりっぱな精神が見られました。その精神は特にエホバの証人の中で際立っていました。その点について,二人の旅行する監督は次のように報告しています。「どこに行っても,友はりっぱな精神を示していました。長老たちは会衆内のすべての人をすぐに調べ,住居や生活必需品の必要がまかなわれているかどうかを確かめました。会衆の他の人々は自分が持っている物を,だれでも困っている人々に分け与えて,優しく世話をしました。証人たちが互いを気遣い,愛と関心を示しているのを見るのは心温まる思いでした」。

霊的な必要も忘れられたわけではありません。暴風雨による被害がひどい地域においてさえ,長老たちは会衆の集会のための準備を行なったからです。ハリケーンに襲われた翌日,電気の来ていない地域が多かったにもかかわらず,大半の会衆では集会を開くことができました。

エホバの証人はまた,地域社会内の隣人に物質的な必需品を分け与え,さらに修理の仕事の手伝いをするなどして,彼らに対する関心も表わしました。ハリケーンに襲われてから48時間もたっていない木曜日,多くのエホバの証人たちが,自分たちと聖書を勉強している人々に電話をかけ,物質的な援助や霊的な慰めがさらに必要かどうかを確かめました。

証人の一家族には,喜ぶべき別の理由がありました。家族全員が無事だったことに加えて,ハリケーンがまさに島に近づいていた時に女の赤ちゃんが生まれるという祝福があったのです。母子ともに元気です。

ハリケーンの被害を受けたすべてのエホバの証人たちは,自分たちの身が安全だったことについて感謝を言い表わしました。彼らは,多くの患難を生き残った後の使徒パウロと同じように感じました。コリント第二 1章11節でパウロはこう書いています。「またあなた方も,わたしたちのために祈願をささげることによって助けに加わることができます。それは,祈りのこもった多くの顔のゆえにわたしたちに親切に与えられるものに対する感謝が,わたしたちのために,多くの人によってささげられるようになるためです」。

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