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  • ダンスは単なる罪のない楽しみではないのですか
  • 目ざめよ! 1984
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目ざめよ! 1984
目84 7/22 13–15ページ

若い人は尋ねる…

ダンスは単なる罪のない楽しみではないのですか

ダンスは創造者からの贈り物で,喜びを表現する方法の一つともなっています。創造者の古代の崇拝者たちは,歌をうたい,『踊って歓んだ』ものです。(エレミヤ 31:12,13)ダンスはレクリエーションや快い気晴らしの手段ともなります。放とう息子に関するイエスのたとえ話では,放とう息子が家に帰った時,大きな歓びが起こり,その際に「合奏と踊り」も行なわれました。―ルカ 15:25。

『でも,テンポの速いダンスはどうだろう』と尋ねる若者もいます。そうしたダンスにも占めるべき位置があります。例えば聖書によると,契約の聖なる箱をエルサレムに戻した時,ダビデ王は非常に深い喜びを感じて,『力の限り踊り回り』ました。(サムエル第二 6:14)ダビデは恐らく速いテンポで非常に激しく踊ったものと思われますが,節度は保っていたことでしょう。テンポの速いダンスはいずれもふさわしいもの,あるいは罪のないものと言えるでしょうか。必ずしもそうではなく,用心する必要があります。音楽には,人を夢中にさせる力があるからです。

夢中にならないようにする

親ぼくの集まりを開いて楽しい一時を過ごすのはよいことですが,そうした集まりを然るべく制御することは必要です。使徒パウロは1世紀のクリスチャンにこう語りました。「浮かれ騒ぎ[「奔放なパーティー」,現代英語聖書]や酔酒,不義の関係やみだらな行ない,また闘争やねたみのうちを歩むのではなく,昼間のように正しく歩みましょう」。(ローマ 13:13)それもそのはずです。なぜなら,古代の異教の祭りは一般に,酔酒,官能的な踊りそして気ままで奔放な行動を特色としていたからです。

それより数世紀前にソクラテスはそうした浮かれ騒ぎの一つを描写し,女たちは「我を忘れて気違いじみた騒ぎをし,踊ったり,神への祈願の言葉を騒々しく唱えたりした。……男たちも路上の騒がしい浮かれ騒ぎのために同様の衝動に屈し,シンバルとタンバリンを打ち鳴らした」と書いています。ですから,初期のクリスチャンたちはどんな場合でも社交的な集まりが同様の精神を反映したものにならないよう気をつける必要がありました。

「奔放なパーティー」を避けるようにというパウロの訓戒は今でも当を得たものです。今日のそうした集まりでは,音楽(と麻薬やアルコール)の力に動かされて人々が夢中になってしまうことは珍しくありません。人々は奔放に,そして挑発的に踊ります。ですから今日でも若者は,親ぼくの集まりで,はめをはずしたり“音楽に酔って自分を見失ったり”しないよう気をつけるべきです。聖書は,「冷静さを保ち,油断なく見張っていなさい」と助言しています。―ペテロ第一 5:8。

確かに,優雅な,あるいは少なくとも慎み深い踊りでも,挑発的に踊ろうと思えば踊れる場合があります。自分や他の人に情欲を起こさせるような,したがってクリスチャンの慎みの境界を越えるような動作がダンスに含まれているなら,いつでも用心しなければなりません。

一例として,ダンスが好きなジョンの場合を考えてみましょう。しかし,よく踊ったダンスの中に性的にいかがわしいものがあったことを認めています。そして,「自分が踊ったり,他の人が踊るのを見たりすると性的に刺激されるダンスがありました」と語っています。ジョンは,今ではキリスト教の原則を守る者となり,賢明にもその種のダンスを避けるようにしています。

どんな音楽に合わせて踊るかということも大切です。なるほど,あなたはビートのきいた音楽が好きかもしれません。しかし,その音楽は耳を聾するほど大きな音で演奏しなければならないものでしょうか。そして,そうした音楽を休みなくずっと続けて演奏するのは賢明でしょうか。絶え間のないビートのきいた音楽が一因となって,親ぼくの集まりが「浮かれ騒ぎ」に変わったということがこれまでにあったようです。

ゆっくりとした音楽の場合

ゆっくりとした静かな音楽に合わせて踊るダンスも危険を招くことがあります。ビルとアンは友人の結婚披露宴でそのことに気づきました。アンは次のように語っています。「照明がほの暗くなり,ゆっくりとしたロマンティックな音楽の流されることが度々ありました。ダンス・フロアはぴったり寄り添って踊る男女で満ち,その中には十代の若い人たちも含まれていました」。ビルは,「ステップをほとんど踏まずにただ寄り添い合っているだけの人たちもいました」と付け加えています。

よくご存じのとおり,異性の体にちょっと触れただけでも強い欲情のわき起こることがあります。ですから,ロマンティックな音楽のリズムに合わせて人を強く抱き締めるのは賢明なことではありません。実際,音楽が演奏されていないとしたら,そのようなことをするのは罪のないこと,あるいは健全なことに見えるでしょうか。結婚した夫婦であっても,公の場でそのように振る舞うのはふさわしいことと言えるでしょうか。ですから,ゆっくりとした音楽に合わせて踊ることにしたなら,生じ得る危険な状況に注意しなければなりません。慎みのない仕方でダンスをして,情欲に駆られ淫行に走ってしまった人がいるのです。

リズムの陰に隠れて

リズムが音楽のすべてではないということを覚えておきましょう。リズムの陰に,いかがわしい,場合によってはポルノ的な歌詞の隠されていることがよくあります。そして,多くの場合,卑わいな歌詞のついたメロディーは覚えやすく,そのリズムはいやおうなしに人を引きつけます。しかし,そうした歌に合わせて踊りながら,罪のない健全な考えを保つことができるでしょうか。

聞いた時には格別好きでもなかった歌なのに,後で,そのメロディーを口ずさんだりその歌詞を大きな声で歌ったりしている自分に気づいたということがありませんか。忘れてしまったほうがよい情報が時としてあるものですが,わたしたちの思いはそうした情報をも吸収します。不道徳な歌詞に,感じのよいメロディーとビートのきいたリズムが加わり,しかもそれが果てしなく繰り返される(現代の一部の音楽の特徴)なら,そうした歌に合わせて踊ることが危険である理由が分かるでしょう。歌詞は,思いに,そして心にも刻まれて消えない詠唱にも似たものとなりかねません。

あなたはダンスをしますか

愛のある創造者はわたしたちが幸福であることを望んでおられ,はるか昔からレクリエーションは人々の幸福に寄与してきました。聖書は,『その都市の公共広場はそこで遊ぶ男の子や女の子で満ちることになる』と述べており,また,「踊る時」があるとも述べています。(ゼカリヤ 8:5。伝道 3:4,新英訳聖書)しかし,すでに見たとおり,どのダンスも単に罪のない楽しみだとは限りません。ダンスは過去において,そして今日においても,情欲を駆き立てて人々に性の不道徳を行なわせるような仕方で行なわれることが珍しくありませんでした。ですから,ダンスをするかどうか考えるのはふさわしいことです。

世の不健全な影響を受けるためダンスには危険が潜んでいることを認めて,あるいはまた,まったく罪のないものとは言えないダンスに夢中になる傾向が自分にあることを認めて,ダンスをしないことに決める人もいるでしょう。飲酒そのものがいけないからではなく,飲酒が自分に害となる場合もあるゆえにアルコール飲料を避ける人がいます。それと同様の理由で,ある人は賢明な道を取ってダンスをしないようにするかもしれません。一方,健全な雰囲気の中で,正しく選んだ音楽に合わせてダンスをし,悪い結果を招くことなく喜びや楽しみを得ることができるということに気づく人もいるでしょう。未成年者であれば,クリスチャンである両親の言葉によく耳を傾け,その意向に従いたいと願うはずです。―エフェソス 6:1-3。

ひと昔前の若い人々は親や他の年配の人々からダンスを学んだものです。そうしたダンスは幾世代にもわたって受け継がれることが珍しくありませんでした。創造者はかつてイスラエル人にこう言われました。「処女は踊って歓ぶであろう。若者も老人も相共に」。(エレミヤ 31:13)イスラエル人たちは「輪になって踊る」ような,グループで行なうダンスをしたものと思われます。(裁き人 21:21。詩編 150:4)今日でも,若者と年配の人が一緒にダンスを楽しむことは可能です!

グループで行なうダンスは今でも多くの国で好んで踊られています。米国にはスクエアダンスがあります。スクエアダンスは気晴らしの一つとして楽しいものとなり,あらゆる年齢の人が参加できるダンスです。メキシコの人は「ラ・ラスパ」を楽しみますし,ギリシャの人もいまだに独自のサークルダンスをします。親ぼくの集まりでダンスをするなら,ご両親やだれか年配の人を招いてはどうですか。恐らくあなたはそれらの人からダンスのステップを一つか二つ学べるでしょう。そうすれば年配の人たちと一緒に踊る楽しみを経験できます。

年配の人は古くから伝わるダンスを教えてくれるかもしれません。ご両親をはじめ敬われている人が同席するなら,その場の雰囲気は浮かれ騒ぎのようなものにはならないでしょう。ですから,親ぼくの集まりを開くときには,家で,家族全員を交えて開くようにしましょう。人を堕落させる音楽や道徳的にふさわしくない歌詞の付いた歌を一切退けるようにしましょう! 余りにも多くの時間と注意を奪われてしまわないよう,レクリエーションをそのあるべき位置に保ちましょう。こうした提案に心をとめるなら,真に罪のない楽しみとしてダンスを行なって喜びを味わうことができます。

[14ページの拡大文]

ゆっくりとしたロマンティックな音楽が演奏されている時に,身を寄せ合ってダンスをするなら不道徳な欲望が駆き立てられる可能性がある

[15ページの図版]

クリスチャンの親ぼくの集まりでは,若い人と年配の人が一緒に,グループで行なうダンスを楽しめる

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