読者の声
法王は各国を訪問する
法王ヨハネ・パウロ2世は度重なる海外訪問により側近を混乱させたようです。見ていて興味深いと思ったのは,ミサはほとんどあらゆる所で,同法王のカリスマ的な才能により畏敬の念を感じさせるものになったにもかかわらず,著名なカトリック教徒たちは,法王の言ったこと,あるいは言わなかったことのどちらかを公然と批判した点でした。法王の目的が,反対意見を静めることにあるのか,あるいは聖職の権威が地に落ち,変節が多くなっている時代の教会に人々の注意を引くことにあるのかは分かりません。「目ざめよ!」の最近号(1984年3月8日号)に載った記事は,今日までの法王の諸国歴訪を健全な目で見ており,将来訪問が行なわれる際にそれを調べるのに役立つ興味深い背景を提供しています。本当に優れた資料をありがとうございました。
D・B 英国
法王ヨハネ・パウロ2世の誠実さや行ないや性質などを批判した「目ざめよ!」誌の記事は実に不快です。自分の利を図る偏狭な精神と,ヨハネ・パウロ2世が特別豊かに付与されている,カリスマ的で知的な素養に対するねたみとが,ふんぷんと悪臭を放っています。ヨハネ・パウロの聖母マリアに対する敬愛について言えば,聖母が非常に多くのカトリック教徒の心と思いの中で顕著な位置を占めるのは,今に始まったことではありません。多数のカトリック教徒は何よりもまず祝福された処女マリアに無意識に心を向けます。自分の母親から得た一種独特の慰めとおもいやりがそうさせるのです。このことは,無数のカトリック教徒がロザリオの祈り(おもにマリアへの祈願)に多大の注意を払い,彼らの霊的な必要が他のどんな祈りを唱えるよりも一層十分に満たされるという事実をもって容易に実証できるのです。
E・L・D 米国ニューヨーク州
法王ヨハネ・パウロ2世は,歴史上のどの法王にも増して,世界的な規模の活動を公に行なってきました。法王の手本や教えは,カトリック教徒と非カトリック教徒とを問わず極めて多くの人々に影響を与えるため,本誌の読者に対し,法王の各国歴訪の理由と法王が直面している問題とに関する客観的な見解を公にする責任があると考えました。わたしたちはほとんど,カトリック教会に受け入れられ尊敬されているカトリック教徒の著述家の書いた物からのみ引用しました。著名なカトリック教徒はこうした問題をどう見ているのか,そのことを本誌の読者に伝えたかったからです。本誌は確かにまじめな気持ちで法王のマリア崇拝を批判しました。わたしたちのこの見方には,ほかならぬイエス・キリストの支持があります。ある女がマリア崇拝的な傾向を示して,「あなたをはらんだ胎と,あなたが吸った乳房とは幸いです!」と言った時に,イエスは,「いいえ,むしろ,神の言葉を聞いてそれを守っている人たちこそ幸いです!」と言われました。(ルカ 11:27,28)さらに,イエスはご自身のことを,「わたしは道であり,真理であり,命です。わたしを通してでなければ,だれひとり父のもとに来ることはありません」と言われ,また,「あなた方がわたしの名によって求めることが何であっても,わたしはそれを行ないます。父が子との関連において栄光をお受けになるためです」と言われました。(ヨハネ 14:6,13)マリアを通して祈りをささげることについては何も言われませんでした。ですから本誌は,マリアではなく,神の独り子キリスト・イエスによる神の王国に希望を置くよう,すべての人に勧めるのです。これこそイエスとその使徒たちが伝えた音信であり,わたしたちの時代に対する音信でもあるのです。(マタイ 6:9,10; 24:14をご覧ください。)― 編集者。