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  • 家を出たほうが良いだろうか
  • 目ざめよ! 1984
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目ざめよ! 1984
目84 9/8 25–27ページ

若い人は尋ねる…

家を出たほうが良いだろうか

「お母さんとお父さんへ

とうとう家を出ることにしました。前から言っていたように,お母さんとお父さんを困らせたり,お母さんとお父さんに仕返しをしたりするつもりで出るのでは決してありません。お母さんとお父さんの希望通りに家にばかりいたのでは楽しい気分になれないのです。家を出ても幸福にはなれないのかもしれませんが,ともかく試してみたいのです」。

17歳の女の子が両親に宛てて書いた別れの手紙はこのように始まっていました。彼女も,ほかの多くの若者たちと同じように,家を出て独立する必要があると考えたのです。18歳のマルチンは,「僕ぐらいの年齢の人たちはほとんど皆,家を出ることを少なくとも考えるくらいのことはしています」と言いました。ところが,考えるだけにとどまらず,それ以上の行動に出る若者も多いのです。例を挙げると,ドイツ連邦共和国では,15歳から24歳までの年齢層のうち,女子の場合は3人に一人,男子の場合は4人に一人が家を離れて生活しています。

神は,人が結婚したくなると,『父と母を離れる』ことを予見しておられました。(創世記 2:23,24)もっとも,このほかにも,神への奉仕を拡大するというような妥当な理由が幾つかあります。(マルコ 10:29,30)ところが,ある若者たちの場合は,もっと多くの物を手に入れたくて家を出て行きます。かと思うと,たまたま機会があったので思いついて出て行く若者もいます。ホルストという名前のある若いドイツ人は,自分の経験を振り返って次のように語りました。「私がまだ17歳の時でした。ある日,友達の部屋の模様替えを手伝っていた時,小さな台所の付いた隣室が空いていることを知りました。それで急に,今が家を離れるチャンスだ,という考えが頭に浮かびました」。

それにしても,家を出るチャンスにすぐに飛びつく若者が非常に多いのはどういうわけでしょうか。

「もっと自由が欲しい」

多くの若者にとって,家庭は我慢できない所のようです。ある若者はこう言いました。「もっと自由が欲しいだけなんです。両親と一緒に住むことではもう満足できません。だから言い争いばかりするようになります。でも親はこちらの必要を理解してくれません。それに,自分のすることについていちいち親に答えなければならないので,ひどく縛られている感じです」。

使徒パウロは言いました。「わたしがみどりごであった時には,みどりごのように話し,みどりごのように考え,みどりごのように論じていました。しかし,大人となった今,みどりごの時のことをやめたのです」。(コリント第一 13:11)あなたは,自分はもう「みどりご」なんかではないと考えて,みどりごのように扱われると憤慨するかもしれません。「青年期」という教本には次のように書かれています。「青年期の人々は自立したいという願望が強い。支配する大人の気まぐれに依存する操り人形でいるよりも,自己の権利を持ち,自分自身の考えを表明し,独自の生き方をする個人となることを望む」。

しかし,自分はもう大人だと思っても,親は違った見方をしているかもしれません。やはりまだ「みどりごの時のこと」が残っていると見ているかもしれません。ですから,子供のほうはある事をする自由が欲しいと思っても,親は制限を加える必要があると考えることもあるでしょう。

実際に,親は子供がどの程度の自由を扱う用意があるかを一番よく判断できる立場にあるのではありませんか。「我が子よ,あなたの父の懲らしめに聴き従え。あなたの母の律法を捨て去ってはならない」と,聖書は述べています。(箴言 1:8)なるほど親は時に過保護であったり,制限しすぎたりすることがあるかもしれません。しかしある親は自分の娘についてこう言いました。「娘にもしものことがあったらという心配があるのです。娘は私が娘を信頼していないから外出させないと考えています。でもそうではなくて,私は娘が傷つくのを恐れるのです」。

家を出ることは解決策?

もし親が幾分厳しい制限を課す場合はどうでしょうか。荷物をまとめる代わりに,自分にはまだ両親が必要だということを思い出すことです。そうすれば,これから先まだ何年もの間,親の識見や知恵から多くのものを得ることになるでしょう。(箴言 23:22)両親が神を恐れる人であれば特にそう言えます。何度か親と衝突したからといって,親を自分の生活から締め出すべきでしょうか。急いで家を飛び出すのではなくて,むしろ親との関係をもっと大人らしい基盤の上に置くように努めるほうが賢明ではないでしょうか。a

カルシュテンという名前のある若いドイツ人がこの点について言ったことを考えてみてください。両親は彼に,家を出る本当の理由ができるまで家にいるよう強く勧めました。それでカルシュテンはその言葉に従って家にとどまり,のちほどものみの塔協会の西ドイツ支部の事務所で全時間奉仕者として奉仕するよう招かれて行きました。今カルシュテンはほかの若い人たちにこうアドバイスします。「両親とうまくいかないからといって家を出てはいけません。親とうまくいかないのに,どうしてほかの人たちとうまくやっていけますか。家を出たところで問題が解決するわけではありません。逆に,独立するには自分があまりにも未熟であることを思い知らされるだけで,親からますます離れる結果になるでしょう」。

家を出るのが賢明でないと思われる理由はほかにもあります。若者は,自立することが想像したほど易しくはないことを知る場合が多いのです。仕事は概して少なく,家賃は非常に高くなっています。経済的苦境に立たされた若者は,仕方なく,どんなおきまりの道をたどるでしょうか。「根絶」の著者は,「そういう若者たちは家に戻り,親がまた養ってくれることを期待する」と述べています。恥ずかしい思いをしてこの道をたどらざるを得ない若者が次第に増えています。世界経済の不安定な状態を考えるなら,自分の家で生活する安全さを性急に放棄してしまうべきでしょうか。

もっと大きな危険

イエスはルカ 15章11節から32節で,独立することを望んだ一人の若者について述べておられます。その若者は待つのがいやで,相続財産の分け前を要求し,独立の生活を始めました。しかし,自由は決して自分が想像したようなものではありませんでした。「遠い土地に」旅行に出てから,「放とうの生活をして自分の財産を乱費しました」。もはや両親の良い感化のもとにいないその息子は,売春婦との性の不道徳に身をまかせます。働き口はなかなか見つからず,ユダヤ人がさげすんでいた豚飼いの仕事までします。

金遣いの荒い,つまり「放とう」な息子は自分の境遇を嘆いてこう言います。「わたしの父のところでは実に多くの雇い人にあり余るほどのパンがあるのに,わたしはここで飢きんのために死にそうなのだ。立って父のところに旅をし,こう言おう。『父上,わたしは天に対しても,あなたに対しても罪をおかしました』」。そしてその「放とう」息子は恥を忍んで家に帰りました。

このたとえ話は神の憐れみを強調するために語られたものですが,確かに実際的な教訓を含んでいます。無分別な動機で家を出るなら,道徳的に,霊的に害を受ける可能性があるということです。残念なことですが,クリスチャンの若者の中にも,独立の道を歩み始めて霊的破滅に陥った人たちがいます。生活費がどうしても不足するので,聖書の原則に背く生き方をする他の若者たちと費用を分担する方法を取っている人たちもいます。しかし聖書は,「惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです」と警告しています。(コリント第一 15:33)新たに得た自由を良くない方向に用いた若者もいます。(前に述べた)ホルストはこれを直接に見ました。

ホルストは自分と同じ年ごろの,やはり家を出たある若者を知っていました。そして次のように語りました。「彼は結婚していなかったのに自分のガールフレンドと同棲を始めました。ふたりはよくパーティーを開いて酒をふんだんに振る舞い,最後に酔いつぶれることがしばしばでした。もしまだ家にいたなら,そうしたことは何一つ許されなかったでしょう」。ホルストは最後にこう言いました,「いったん家を出ればもっと自由があることは事実です。しかし全く正直なところ,その自由は悪いことをする機会として利用されることが多いのではないですか」。

それでもしあなたが,もっと自由が欲しいという気持ちが強いなら次のことを自問してみてください。いったいなぜもっと自由が欲しいのだろうか。進取の気象を養うためのより良い機会が得られるからだろうか。それとも価値のある事柄に時間が使えるからだろうか。あるいは欲しい物を手に入れることができるから,または“禁断の木の実”をかじってみる余裕ができるからだろうか。聖書のエレミヤ 17章9節に,「心はほかの何物にも勝って不実であり,必死になる。だれがこれを知りえようか」とあることを忘れないようにしましょう。家を出ることを本気で考える前に,その動機を深く探ってみることです。

遅かれ早かれ,結婚などの事情で,両親の家の“巣”から飛び立つことになるでしょう。しかしその時まで待たないで,なぜ大急ぎで出ようとするのでしょうか。家の人たちと話し合ってみてください。家の人たちはあなたが一緒にいることを喜ばれるでしょう。もしあなたが家族の幸福に本当に貢献しているならなおのことそうでしょう。家族の人たちの助けを得て,あなたは家で引き続き成長し,学び,円熟してゆくことができるのです。

[脚注]

a この問題については将来の号でさらに詳しく取り上げられます。さしあたり,「目ざめよ!」誌の1983年8月22日号の「どうすれば両親に自分を理解してもらえるだろうか」という題の記事をご覧ください。

[26ページの図版]

両親の助けを得て,家で円熟してゆくことができる

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