読者の声
嘲笑を克服する
「どうすればほかの生徒たちにいじめられないですむか」(1984年5月22日号)という記事をありがとうございました。わたしはまだ12歳で,学校でいじめられているように感じています。最初は,悪口を言われると少しむっとしていましたが,今では悪口を言われても何も言わずに通り過ぎるので,みんな驚いて見ています。記事の中に書いてあるように,悪口を無視すればするほどみんなが悪口を言わなくなるように感じられるというのは本当ですね。
J・A 英国
「あの子たちはどうしてわたしをほうっておいてくれないのだろうか」(1984年5月8日号)という記事を読んでどれほどうれしかったかお伝えせずにはいられなくてペンを取りました。わたしは最近ほかの子たちにいじめられて困っていました。家に帰ると泣き,夜も眠ることができず,もう少しでだめになるところでした。あの記事はとても助けになりました。
T・A 米国ミズーリ州
「どうすればほかの生徒たちにいじめられないですむか」という記事をありがとうございました。わたしは11歳です。わたしも学校でこういうめにあっています。これまでは大抵やり返そうとしていたのですが,あの記事を読んで,そうしてはいけないことが分かりました。ありがとうございました。
M・J 米国インディアナ州
めい想とくつろぎ
めい想とくつろぎという大変重要な問題を扱っておられた(1984年5月22日号)のを見てうれしく思いました。全体的には正しく扱われていたと思います。しかし,ヨーガの否定的な取り上げ方 ―「思いを空にする」というヨーガの目的に関する一般論 ― も見られました。ヨーガが雑念をなくすのに役立つのは事実です。しかし私は,主に向かってヨーガの姿勢で祈るクリスチャン・ヨーガを行なうことができるのを知りました。人々が体を元気づけ精神をくつろがせるこの姿勢を取ることをやめなければよいがと思っています。
P・U 米国コロラド州
思いを空にすると言う場合,それはただ思いを整えるとか,不必要な「雑念」を思いの中からなくするだけにとどまらず,それ以上のところまで進みます。「目ざめよ!」誌にもあるとおり,完全に空になった思いは外部の影響力のかっこうのえじきです。それは無節操な人間かもしれず,超人間的な悪霊の勢力かもしれません。ヨーガの体操をするだけなら無害のように思えるかもしれませんが,ヨーガによる鍛練を続けていると,たとえクリスチャンの祈りと組み合わせて行なっても,コリント第二 6章14節から17節にあるように,多くの危険が伴います。清いことと,神が清くないと考えておられる事柄とを結びつけようとする危険を犯すことになります。―編集者。
暴行魔に抵抗する
先週のことですが,私の19歳になる娘が,学校を出て自分の自動車のある所へ向かって歩いていた時,ナイフを持った男に襲われました。その男は娘を犯すつもりでいましたが,娘は暴行などさせはしないという決意を固めました。そして,大きな声でエホバに絶えず助けを呼び求めながら15分間ほど必死に抵抗しました。娘は,この問題を扱った「目ざめよ!」誌(1984年5月22日号)の記事を読んでいたので,これらの点を思い起こしたのです。その男はあきらめて行ってしまいました。警察官は,その大胆さと態度によって娘さんは救われたのです,と言いました。そういう必要な時に思い出せる情報を載せてくださることを大変ありがたく思っています。
E・G 米国カリフォルニア州