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  • 生き残るための唯一の道
  • 目ざめよ! 1984
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目ざめよ! 1984
目84 11/22 8–9ページ

生き残るための唯一の道

「エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら,その時,その荒廃が近づいたことを知りなさい。その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい」。(ルカ 21:20,21)イエス・キリストはご自分の弟子たちにそうお命じになりました。では,キリストの言葉に聞き従わなかった者たちはどうなりますか。イエスはこう予言されました。「人々は剣の刃に倒れ,捕らわれとなってあらゆる国民の中へ引かれてゆくでしょう。そしてエルサレムは……諸国民に踏みにじられるのです」― ルカ 21:24。

熱心党の人たちはイエスの言葉に不快感を覚えていたことでしょう。アブラム・L・サカルの著書,「ユダヤ人の歴史」によると,熱心党の人々は「自分たちの異教徒の主人を倒すためであればどんなことをも辞さない過激派」でした。逃げるという考えは,実際的ではないばかりか,もっとひどいことに,臆病なことに思えたことでしょう。そのため西暦66年に,これらのユダヤ人たちはローマの残虐な仕打ちに刺激されて,公然と反逆を起こしました。マサダがユダヤ人の反徒の手に落ちた後,ローマ軍はエルサレムを確保するために押し寄せました。その時エルサレムは「野営を張った軍隊に囲まれ」たのです。しかし,ローマの執政官代理ケスチウス・ガルスが不意にその軍勢を引き揚げたとき,エルサレムの住民にはイエスの助言に従って逃げるための機会が開かれました。3世紀の歴史家エウセビオスはこう述べています。「しかし,エルサレムの教会全体は神の啓示により命令を与えられており……同市から出て,ヨルダンのかなたにある,ペラという町に住んだ」。では,市内にとどまった人々はどうなったでしょうか。

西暦70年になって,ローマ軍はティツス将軍の指導の下に戻って来ました。ローマ軍は征服することを決意していたので,同市を封鎖しました。かつてはユダヤ人の反徒であったフラビウス・ヨセフスはその時ローマ軍に仕えており,エルサレムの城壁を巡り,むなしい戦いをやめるよう自分の民に懇願しました。「ローマ軍とだけではなく,神と戦っていることを悟りなさい」とヨセフスは叫びました。結果はどうでしたか。ヨセフス自身がこう述べています。「しかし,ヨセフスがこのように涙をもって大声で懇願したにもかかわらず,反乱に加わった者たちは従うことも,自分たちの道を変えるのが安全であるとみなすこともしなかった」。その結果,幾十万もの人々が飢えと剣によって死に,さらに幾万もの人々が引いてゆかれて,奴隷としてみじめな生活を送ることになったのです。しかし,クリスチャンはペラにいて危害を受けることなく,キリストの警告に従うことの祝福についてじっくり考えることができました。

今日,生き残る

エルサレムで起きた出来事は,わたしたちの時代に全地球的な規模で起きる事柄の小規模な例にすぎませんでした。しかし,この度危険にさらされているのは単に一都市の存続ではなく,世界的な事物の体制の存続なのです。―マタイ 24:21。

この世界的な災厄をもたらされるのは神ご自身です。しかし,どんな理由でそうされるのでしょうか。「地を破滅させている者たちを破滅に至らせる」ためです。(啓示 11:18)「地を形造られた方,それを造られた方」である神は,「それをいたずらに創造せず」,公害によってであれ,核による破壊によってであれ,人が地を破滅に至らせることをお許しにはなりません。(イザヤ 45:18)しかし,生存主義者たちが恐れる,人間による大変動を未然に防ぐには,神が介入してくださらなければなりません。それでもイエスは,「起きることが定まっているこれらのすべての事を逃れ」るのは可能であると言われました。―ルカ 21:36。

今日イエスの追随者たちは全地に散らばっているので,その人たちが1世紀のクリスチャンたちのようにある文字通りの場所に逃れることは不可能です。今日生き残れるかどうかは,ゼパニヤ 2章2,3節にある聖書の次の助言に従うかどうかにかかっています。「エホバの燃える怒りがあなた方に臨まないうち,エホバの怒りの日があなた方に臨まないうちに,地の柔和な者たち,神の司法上の定めを守り行なってきたすべての者たちよ,エホバを求めよ。義を求め,柔和を求めよ。恐らくあなた方はエホバの怒りの日に隠されるであろう」。聖書はさらに,「エホバの名を呼び求める者はみな安全に逃れることになる」と述べています。―ヨエル 2:32。

確かに,聖書翻訳の中にはこの聖句を,「すべて主の名を呼ぶ者は救われる」と訳出して,この聖句の意味をあいまいにしているものもあります。(口語訳)しかし,原語の本文の示すところによると,名前のない「主」に願い出る以上のことが求められています。多くの聖書の中で,詩編 83編18節のような聖句は,その「主」の固有のお名前がエホバであることをはっきりと示しています。(欽定訳,アメリカ標準訳)そのみ名を呼び求めることは,儀礼的にその名を用いる以上のことを意味しています。人は聖書を研究し,人格的存在者として神を知り,それによりエホバを「求め」なければなりません。(ヨハネ 17:3)正しい心の持ち主は,この知識により宇宙主権者としてのエホバの権威を敬い,神の規準に従い,他の人々に『神のみ名を明らかにする』点でイエスを見倣うよう促されます。―ヨハネ 17:6。

ですから,単に自分の選ぶ教会に通うというのは生き残る道ではありません。諸教会が神の固有のみ名を用いていないだけではなく,大抵の場合その使用に水を差すことまでし,神の律法を軽々しく扱っているのであれば,自分の選ぶ教会に通うことがどうして生き残る道になるでしょうか。「エホバを恐れる者のため,またそのみ名を思う者たちのため」の「覚えの書」を神はもっておられる,と預言者マラキが述べていることを思い起こしてください。(マラキ 3:16)キリスト教を奉じると唱える宗教団体すべての中で,神のみ名,エホバを自由に用い,その方とその方の約束に全幅の信頼を置き,成員にその方の証人となるよう大胆に勧めているのはどの団体でしょうか。(イザヤ 43:10)疑いもなく,その人たちは「エホバを求め」ています。彼らは来たるべき全世界的な大破壊を生き残るための唯一の確実な道を共に学ぶよう他の人々に勧めているのです。

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「しかし,エルサレムの教会全体は神の啓示により命令を与えられており……同市から出て,ヨルダンのかなたにある,ペラという町に住んだ」― 歴史家エウセビオス

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単に自分の選ぶ教会に通うというのでは生き残る道にはならない。「エホバの名を呼び求める者はみな安全に逃れることになる」― ヨエル 2:32

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