心の広い人が受ける六つの益
心が広ければ数多くの利点がありますが,そのうちの六つを取り上げてみたいと思います。それらのいずれかの面で心を広くすることにより,より大きな益あるいは楽しみを得られないかどうか考えてみてください。
1 生活を豊かにする
子供のころを覚えていますか。生活は面白くてたまりませんでした。新しい事があれば何でも知ろうとし,その度に胸がわくわくしました。心が広くて,新しい印象に対する受容力がありました。大抵の子供はそういうふうです。偏見など何のことなのか分かりませんでした。
しかし,新しい事柄に対するこの心の広さを保ってきたでしょうか。それとも,自分の国で食べ慣れている食べ物がないとこぼす外人旅行者のようになっているでしょうか。もちろん,旅行をしている時には健康管理のために飲食に関して一定の用心をすることは必要かもしれません。例えば,ビン詰めの水しか飲まないようにするとか,特に熱帯では,生野菜やサラダを避けるなどするのは賢明でしょう。しかし,そうしたことを除けば,土地の料理のあるものを試してみるぐらいのことができない理由が何かあるでしょうか。原地の人々は長年の間それをおいしいと思って食べてきたのです。自分が何を得損なっているのか,分かっていないのかもしれません。
また,外国の習慣についてはどう思っているでしょうか。それらは自分の見地からすればいくらか奇妙に思えるかもしれません。しかし,“奇妙だ”ということは“劣っている”ということではありません。「我々のやり方のほうが優れている」と言い張るのでは心を閉ざしていることになります。例えば,箸よりもナイフとフォークのほうがやはりよいと思うかもしれませんが,箸を使って食事をすることを学べば,自分の生活は豊かになります。
生活様式が異なるからと言って,どうして他の民族集団との交わりを避けるのでしょうか。ものみの塔ギレアデ聖書学校の一ドイツ人卒業生は,1962年にこの宣教者学校に行くようになるまで,他の国の人々と親しく交わったことが一度もなかったのを思い起こし,次のように語りました。「私は50の異なった国々から来た学生の一人でした。日本,パプアニューギニア,コンゴ,アルゼンチンそしてインドなど遠くの国々から来た学生もいました。当初その人たちに対する私の気持ちは複雑なものでしたが,時がたつうちにその人たちと親しくなり,彼らを愛するようになりました。それは私の生活を大いに豊かにし,視野を広げる経験でした」。自分を広くして人類の中に見られる多様性に富んだ様々な事柄を楽しんでみれば,あなたの生活もより意義深いものになるでしょう。
2 健康に資する
現在においても将来においても,病気を完全かつ永久的に治すのは人間の力を超えたことです。しかし,神の助けが差し伸べられようとしています。神の事物の新体制が,肉体的にも道徳的にも病んでいる今日の社会に間もなく取って代わろうとしています。その時,『「わたしは病気だ」と言う居住者はいなくなり』ます。―イザヤ 33:24。
それまでの間,わたしたちは身体的な疾患の苦痛から一時的に解放されるように努めます。治療法はたくさんあるので,その中から選ぶことができます。心の広い人は,そうした治療法が普通ではないとか,正統的でないというだけの理由ではいかなる治療法をも退けることはありません。また,ある人に効き目があっても,別の人には効かないことがあるという点をも悟ってもいます。ですから,適切な注意を払うとはいえ,心が広ければ,心を閉ざしていては決して選択の対象にならないような治療法を含む,はるかに広い範囲から選択する道が開かれます。
心が広いと,快活な態度を保つのにも役立ちます。心を閉ざす人は偏見や憎しみで毒されています。それは愛のないことであり,それゆえ健康にとって有害です。一精神科医が言っているように,「憎むほうが易しいが,愛するほうが健康によい」のです。確かに現代の医学は,「静穏な思いは肉体に命を与える」および「快活な心は良い薬である」という聖書の真理を明らかにしています。―箴言 14:30; 17:22,改訂標準訳。
3 知的成長を促す
人間の脳には,ブリタニカ百科事典に収められている資料の1万倍の情報を記憶する能力があると推定されています。どうして心を閉ざして自分が取り入れる知識の量を制限し,この膨大な能力を押さえつけてしまうのでしょうか。
心を閉ざすと,精神の成長が停止してしまいます。これは危険です。心が閉ざされると,ふさわしくないあるいは間違った考えや見解を正すことができないからです。一方,心が広ければ,円熟へ,そしてより精神的に平衡の取れた状態へと成長します。また,自分の見解や決定の基盤となる土台を広げるのにも役立ちます。ですから,正しい決定を下す可能性が大きくなります。
4 問題解決に役立つ
様々な問題を首尾よく解決するには,賢明な助言を進んで受け入れなければなりません。箴言 15章22節はこう述べています。「内密の話し合いのないところには計画のざ折があり,助言者の多いところには達成がある」。心が広ければ,周囲の人々,つまり共に働いたり生活したり交わったりする人々の助言を受け入れるのに役立ちます。その結果,物事を達成し,成功を収めることになります。
心が広いと,模範の中に助言を見いだすのにも役立ちます。模範を示すことによって助言を与えている本人が,その事実に気づいていない場合さえあるかもしれません。夫が人々の物事のやり方に心を乱した時に,あるクリスチャンの宣教者の妻が夫にいつも話していたことはその良い例です。彼女は夫に次のことを思い出させました。「どんな人からでも何かしら学べるということをお忘れにならないでね。あることをしてはいけないということを学ぶだけかもしれませんけれど」。
確かに,他の人々の考え方や行動に対して自分の心を閉ざさなければ,大きな益を得られます。広い心で,「その行ないがどのような結果になるか」よく見極めることにより,事情に応じて,その歩みに見倣ったりその歩みを避けたりすることができるでしょう。―ヘブライ 13:7と比較してください。
5 良い関係を増進する
あわてて結論を出してしまって,あとでそれが正しくなかったことが分かったというような経験をしたことがありますか。本当に恥ずかしい思いをします。しかしもっと悪い結果になって,自分の結婚関係や大切な友情に容易ならぬ緊張が生じたとしたら,それは本当につらいことです。心が広かったなら,すべての証拠がそろうまでその問題について判断を下すようなことはせずにすんだでしょう。また,早まって口を開くこともなかったはずです。この点について聖書は箴言 18章13節で次のような賢明な観察を行なっています。「聞かないうちに返事をするなら,それはその人の愚かさであり,恥辱である」。
何事も自分の視点からしか見ようとせず,見解や趣味や好みの相違を認めようとしない,心の狭い人々と良い関係を保つのは本当に容易なことではありません。そして,心を閉ざすこと以上に心の狭いことがあるでしょうか。
言うまでもなく,心を広くするとは言っても,道徳的な原則を見失い,“何をしてもよい”という見方を採るようになるほど広く開放的であってよいという意味ではありません。しかし,心を広くしてある人を理解しようとしたとしても,その人の間違った行動を大目に見ていることにはなりません。その人がなぜそのように考えたり行動したりするのかを見定めようとしているにすぎないのです。酌量すべき情状があるでしょうか。その人の育ち,背景,あるいは環境に問題があったのでしょうか。知識が不足していたということはありませんか。
他の人々の過ちや弱さに関して広い心を持てば,その人たちに感情移入をしやすくなるでしょう。クリスチャン愛をもってその人たちに援助の手を差し伸べ,過った行動や態度を変えるよう助けることが難しくなくなるでしょう。それは有意義な関係に寄与します。
6 最も重要な利益
心の広い人が受ける6番目の利益は非常に重要なので,もっと詳しく考慮するだけの価値があります。これも他者との関係にかかわるものですが,今度はわたしたちの創造者であられるエホバ神およびそのみ子でわたしたちの贖い主であられるキリスト・イエスとの関係です。
仲間の人間との関係は重要ではありますが,幸福になるか不幸になるかの相違しか意味しません。エホバ神およびキリスト・イエスとのわたしたちの関係は,生きるか死ぬかの違いを意味するのです。詳しくは次の記事をご覧ください。