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  • わたしはテレビを見すぎているだろうか
  • 目ざめよ! 1985
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目ざめよ! 1985
目85 3/22 23–25ページ

若い人は尋ねる…

わたしはテレビを見すぎているだろうか

「死ぬ思いでした!」とある若者は叫ぶように言いました。どんなつらい試練に耐えたのでしょうか。1週間テレビを見なかったのです。

重い中毒にかかったようにテレビに見入る若者は少なくありません。中毒ですって? 恐らくそう言ってよいでしょう。マリー・ウィンは自著「コンセントにつなぐ麻薬」の中で,「中毒者は,愉快な経験を追い求めるだけではない……それを何度も何度も繰り返し行なわなければいられなくなる」と述べています。

同女史はさらにこう語っています。「重い中毒と楽しみの無害な追求とを区別するのは,明らかに有害と分かる要素があるかどうかということである。例えばヘロイン中毒者の場合,損なわれた生活を送っている。ヘロインの使用量は増えてゆき,必要量もおのずと増えるので,働くことも,種々の関係を維持することも,人間性を深めることもできなくなる。アルコール中毒者の場合も同様に,そのアルコール依存のために生活は偏狭で人間らしさの欠けたものになる」。

しかし“テレビ中毒者”についてはどうでしょうか。やはり「損なわれた生活」を送ることになるのでしょうか。その答えを出す前に,次の質問を自分に投げかけてみましょう。

『わたしはテレビ中毒にかかっているだろうか』

中毒の最初の兆候を思い出しましょう。それは,ある事柄を繰り返し楽しまなければいられなくなるということでした。少し時間を取って,1週間に何時間テレビを見ているか紙に書いて計算してみてください。あるいは,テレビの前で過ごす時間の記録を1週間付けてみてください。家に帰るとすぐにテレビをつけますか。いつテレビを消しますか。毎週“見逃せない”番組が幾つありますか。こうして調べた結果にあなたはショックを受けるかもしれません。

幾つかの調査によれば,米国のごく普通の若者は18歳になるまでにおよそ1万5,000時間もテレビを見るということです。このことからすると,学齢期の若者たちがテレビを見る時間は一日当たり3時間を優に上回ることになります。そのようなテレビ中毒にかかり始めるのは幼児期のことのようです。なぜなら,就学前の子供が一日に4時間余りもテレビを見ることは珍しくないからです。

ところで若い人たちにはそんなにテレビを見る時間がどこにあるのでしょうか。著述家のバンス・パッカードはこう述べています。「就学前の子供を含め,米国の子供の大半は,夜の8時から9時のゴールデンアワーにテレビを見ている。その時間帯に少年少女向きの,つまり子供っぽい内容の番組が放映されるのは恐らくそのためであろう。……約100万人の子供たちは米国でほとんどの大人が寝入ってかなりたった午前0時から1時の間にテレビを見ている」。

ですから,“テレビ気違い”であることを認めなければならない若者は少なくないことでしょう。しかし,そうした中毒により必ず『損なわれる』ものについてはどうでしょうか。テレビの見すぎに伴いかねない問題のほんの幾つかを次に取り上げましょう。

● 成績が下がる: 米国の国立精神衛生研究所の報告によれば,知能指数・想像力・独創性が低いこととテレビの見すぎとの間には確かに関係があるようだということです。その報告はさらに,「ほとんどどの研究も,4年生を超える子供で,テレビを非常によく見る子供たちに,学校での成績,特に読み方の成績が下がる傾向のあることを,明らかにしている」と述べています。それには幾つかの理由があることでしょう。

リチャードという名の若者は,「勉強の時間を取らずに,テレビばかり見ていたので,僕にとってテレビは益より害のほうが多かったと思います」と語っています。しかし,テレビという伝達手段そのものが学習の妨げになると感じている人々がいます。ポール・カパーマンは「読み書きができるというのは名ばかり」という本の中で,「テレビが子供たちに及ぼす影響は,学習とは楽で受身で愉快なものであるべきだという期待を抱かせることである」と断言しています。ですからテレビ中毒にかかっている人は勉強を苦しみと感じるかもしれません。

● 乏しい読書の習慣: あなたがこの前,本を手に取り,それを最後まで読み通したのはいつでしたか。西ドイツ書店組合のスポークスマンは,「我々は,仕事を終えて帰宅するとテレビの前で眠りこける国民になってしまった。読書をすることはいよいよもって少なくなっている」と嘆きました。それはなぜでしょうか。「画面を見て受動的に学ぶほうが読書をするよりも楽で,学生たちはそれに慣れている」からです。オーストラリアから寄せられた報告も同じく憂慮すべきものでした。ひとりの筆者は,「オーストラリアのごく普通の児童は1時間の読書に対して7時間の割合でテレビを見ている」と述べています。

『しかしテレビを見ていても同じだけ学べるのではないか』と言う人がいるかもしれません。確かに,目と耳に素早く情報を伝える能力にかけてはテレビに勝るものはまずありません。とはいえ,テレビを見るのは受動的な行為です。ところが,読書をするとなると,目と脳が共同して,書かれた記号を言葉に,言葉を考えに変換するという複雑な知的操作を行なわねばなりません。したがって,読書をすると頭が最大限働きますが,テレビの見すぎは頭の働きを鈍らせます。

しかしクリスチャンの若者の場合,読むことをしないなら,さらに重大な結果に陥ります。聖書は,神の言葉を「昼も夜も小声で」読むようにと命じています。(ヨシュア 1:8)この日課の妨げとなるものは何であれ,クリスチャンと神との関係を危うくします。

● 家族の団らんが少なくなる: クリスチャンの一女性は,「テレビを見すぎるので……私はたいへん寂しく,孤立しているように思えました。まるで[自分の]家族がみんな他人のようでした」と書いています。あなたも,テレビのために家族と一緒に過ごす時間が少なくなっているのに気づくことがありますか。

● 怠惰: テレビは非常に受動的なので,「努力しなくても必要は満たされるとの期待を[若者]に抱かせ,人生に対する取り組み方を受動的なものにしかねない」と一部の人は感じています。

疑問の余地は全くありません,テレビの見すぎは確かに『あなたの生活を損ない』かねないのです。しかし,中毒と名の付くものの例にもれず,人々は往々にして自分が問題を抱えていることを認めたがりません。では,ワイアントという名の若者の経験を聞いて考えてみましょう。この若者ははっきりと次のことを認めています……

『僕はテレビ中毒にかかっていました』

「目ざめよ!」誌: テレビのとりこになったのは何歳の時ですか。

ワイアント : 10歳のころです。学校から家に帰るとすぐにテレビをつけたもの

です。まずマンガや子供番組を見ました。それからニュースが

始まりますが,それにはさほど関心がなかったので,台所へ行き,

何か食べ物を探しました。それからテレビのところへ戻り,眠く

なるまで見たものです。

「目ざめよ!」誌: 家の手伝いをしなくてもよかったのですか。

ワイアント : 両親は厳しくありませんでした。二人とも勤めに出ていて,

母は帰宅しても,疲れていて何をすることもできませんでした。

それで料理は娘たちに任せていました。父は夜の9時か10時まで

帰宅しないことが時々ありました。

「目ざめよ!」誌: ではいつ友達と遊んだのですか。

ワイアント : テレビが僕の友達でした。

「目ざめよ!」誌: 遊んだりスポーツしたりする時間は全くなかったのですか。

ワイアント : [笑って]僕は運動能力がまるきりないのです。いつもテレビを

見ていたので,運動能力が全く発達しなかったのです。僕に

バスケットボールをやらせたら,お話になりません。ですから

体育の時間にチームを分けるとき,いつも最後まで選ばれません

でした。しかし,もう少し運動能力を発達させていたらよかった

のにと思います。大きな顔をして歩き回れるからではなく,

そうすれば少なくとも自分でスポーツを楽しめたからです。

「目ざめよ!」誌: 成績はどうでしたか。

ワイアント : 小学校や中学校の間は何とかついていけました。間際に遅くまで

起きて宿題をしたものです。しかし,そのように勉強の習慣が十分

身に着いていなかったので,高校の勉強はもっとつらくなりました。

「目ざめよ!」誌: そのようにテレビばかり見ていたことから影響を受けましたか。

ワイアント : はい,影響を受けました。時折り,人々のそばにいる時に,

気が付いてみると,僕は会話に加わらないで,まるでテレビの

トークショーを見ているように,人々をただ眺めているだけなのです。

みんなともっとうまく付き合えたらいいのにと思います。

「目ざめよ!」誌: この話し合いでは,何の問題も感じられませんでした。

中毒をすっかり克服されたのですね。

ワイアントやほかの人々がどのように中毒を克服したかは今後の号で取り上げます。しかし,それまでの間,自分がテレビをどれほど見ているかということを真剣に考えてください。規制して見るなら,テレビにはそれなりの役割があるかもしれません。しかし,聖書の原則に従って生活したいと願う人はテレビを過度に見ることの危険を知っています。ですから,テレビについて,「何事にも自分をその奴隷にさせるままにしようとは思いません」と述べた使徒パウロのような態度を取りましょう。(下線は本誌。)― コリント第一 6:12,今日の英語聖書。

[24ページの図版]

アルコール中毒者が飲酒に歯止めをかけられなくなるように,テレビをどれほど見るかについて歯止めをかけられなくなる人がいる

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